新年度の妄言

日常
04 /04 2017
新年度が始まった。
東京の桜は3月21日に開花宣言されたが、一日になってやっと「満開宣言」。
ところが実際はまだ五分咲きにも未たず。標準木とのギャップが著しい。
気温が低い日が続いたため、桜の開花はなかなか進まず、先週今週の夜桜見物はまるで耐寒修行。
やっと4月2日、気温も上がってお花見日和。新宿御苑に出かけてみた。
正午前の新宿門は行列が凄い。
海外からの観光客が相変わらず多く、様々な言語が耳に入ってくる。
新宿御苑もまだ全体として4分咲き程度。でも木によっては満開に近い。今年は歪な開花状況だ。
その満開の桜の下にレジャーシートを敷く。
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近くには中国の大学生グループが大学の横断幕まで掲げて陣取っていた。テントまで張っていたが警備員に注意され渋々畳む。
昭和時代なら日本大学生の専売特許みたいなことを今は中国人大学生がやっている。
日本の青年グループというのは本当に目立たない存在となった。
彼らはどこへ行ったのか?
休日なのに今、何をしているのだろう?
最近は学費捻出にも苦労していると聞く。自分で稼がないと学費すら間々ならないとか耳にする。
だから休みはバイト三昧なのか?
中国人大学生が御苑の花見で宴に興じ、日本の大学生はコンビニでバイト?
少し前だったら立場は逆だった。
もはやどちらが「先進国」だか解らない。

テレビでは恒例、「入社式」の様子が流されている。
社会人一年生。
毎年、この時期になって呟くのだが、会社組織の「歯車」として順応する才覚がない自分にとって「サラリーマン」ほど縁遠い職種はない。
薄ら寒い背広に煩雑なネクタイ。靴底がツルツルの革靴を着せられ、人に頭を下げるだけの仕事のために満員電車に揉まれる日常は「拷問」にしか映らなかった。「安定した給与と将来保障」というスローガン以前に、人間として耐え難かった。
特に自分が新卒だった1980年代初頭はまだまだ「終身雇用」「専業主婦」の時代で、そこから外れると人間扱いすらされなかった時代。
進学、就職という通過儀礼の度に「自分」を捨て去ることを強要され、「経済一兵卒」として鉄砲玉にされるしかなかったのだ。
基本、今の日本も大きくは変わっていない。
リクルートスーツを着た新人サラリーマン1年生が「経済一兵卒」を理解し、滅私奉社、手柄は上司、ミスは自分が被り、いざとなったら給与も休日も返上という覚悟を背負い、その試練にどれだけ耐えられるかが勝負なのだ。
そんな覚悟を背負ったとして、かつての唯一の幸せ人生コースである結婚、出産、子育て、定年退職、安定した年金生活が待っているとは限らない。
更には労働環境の改善とか「プレミアムフライデー」で金曜半ドンとか「育休」なんて超一流企業だけの話。
9割方の新人1年生サラリーマンは苦行だけが待ち受けている。
とはいえ、他にまともな選択肢はないのだから耐えるしかない。
新卒採用を選択しなかった新卒者は、結局今でも日本社会において「人間扱い」されることはない。
「2等市民」として冷遇されるのが現状だから労働条件が過酷でも自分の性格に合わなくとも新卒採用に縋りつくしかないのだ。

結局、御苑の花見で垣間見た「日本の凋落」が、この社会人1年生界隈にも感じられてしまう。
宴に興じる中国人青年たちの未来は明るい。
一方、同じ頃、バイトで学費を稼ぐしかない日本人青年に希望の未来があるとはとても思えない。
今の彼らは桜が咲く前に散っているのと同様なのだろう。

BSで『新世紀エヴァンゲリオン』旧作劇場版「まごころを君に」を放映していたのをチラッとみる。ラスト部分の陰々滅滅とした独白が延々と続くシーンに己を投射した日々からもう20年が経ってしまったのだ。
絶望的世紀末に浸っていられた季節も終わってしまい、それでも世界は動いている。
どこへ逝くのか、誰も知らないまま。

『モアナと伝説の海』、『暁斎(きょうさい)展』観賞感想他

映像鑑賞
03 /30 2017
気が付けばもう3月も末。2016年度も終わる。
いつ頃からこの時期がリクリートシーズンなったのか知らぬが、それに関連するCMや広告が巷に溢れていた。
たとえばブラスバンドをバックに会社訪問するCM・・。
あれ位のバンドを雇える財力が親にあれば、縁故でいくらでも就職先が見つけられるんじゃないかと思うのだが。
もっともあれは比喩であって、リクルート活動している女性を応援するという意味での演出なのだろうが、それでもなんか妙に感じた。
あと、少し前に電車のつり革広告で見た新卒者向けに教訓めいたスローガンを記した保険会社(?)の広告コピー。
若いときにたくさん失敗したほうが愛される人間になるとか、社長も最初は会社廻りで面接受けたとか、くすんだ美辞麗句が並んでいた。
だが、若いときに過失致死で何人も殺めた人間が愛されるとは思えないし、将来、社長になるような人材が、平社員同様な会社訪問などしない。
大企業ほどこういう「建前」で新卒者を欺くコピーを並べたがる。
一流企業は大半が縁故や有力者の子息で採用枠は埋まっている訳でCMや広告を信じた「一見さん」みたいな2流大学以下の新卒者など、最初から門前払いなのだろう。
下手に希望を与える広告を打つのは如何なものかと思うが。
希望する一流企業に就職するには親族や親が東大出身で様々な人脈を抱えているとか、最近、よく耳にする「政治家の口利き」がなければほぼ不可能だろう。
これが日本社会の本質であって、秀でた才能や技術を有しない限り、縁故や口利きに縁のない2流以下の大卒者に「終身雇用」の枠は廻ってこないのだ。
だから、まず将来を諦めることから始める。
それが大多数の2流大学以下新卒者の心得とすべきだろう。
決してリクルート関連のCMや広告にだまされてはいけない。

先日、渋谷の東急文化村で開催されている「暁斎(きょうさい)展」を観る。
暁斎に限らず、江戸、明治期の浮世絵には今の漫画の原点を連想させる作品も多かった。
これらは殆どが外国人コレクションによるもの。
つまり、日本本国には暁斎の作品が残っていないということか。
自国クリエーターの価値観を軽んじる国民性は今、現代に至っても変わっていない。
特に浮世絵から漫画に至る系譜周辺の分野においては、それが著しい。
日本の漫画原稿も遅かれ早かれ、海外に流出する日が来るのだろう。
嘆かわしい。
それはさておき、『鬼を蹴り上げる鍾馗』という作品が構図的に面白かったので家に帰って落書きしてみた。
きょうさい170329色

更にディズニーアニメ新作『モアナと伝説の海』も観賞す。
映像の完成度の高さは圧巻。
圧巻過ぎて感覚が狂う。これが当たり前になると目が肥えすぎて逆に陳腐なほうが新鮮に思えてしまう程。
大洋の夜空なんか、実際見たことがないのに、まるで体験したかのような錯覚に陥るほどのリアリティー。
内容も心打つものがあるが、なぜがディズニー映画はそれがあっという間に昇華してしまい、忘れるのも早い。
心に長く刻まれることがないファンタジー。
これほどのクオリティーの高さなのに、記憶に深く刻まれないというのは、単に自分の加齢のせいなのも知れぬ。
もっともディズニーのような子供向けアニメは単純明快で勧善懲悪が根本であるから、変に心に重く伸し掛かることなく、さらっと流すのが好まれるのだろうし、そういう作り方がスタンダードなのだろう。
因みに『モアナと伝説の海』も前回の『アナと雪の女王』同様に宮崎駿氏やジブリ、東映動画長編アニメを思い起こさせるシーンが多々あった。
船出のシーンとかが何となく『太陽の王子ホルスの大冒険』や『未来少年コナン』を髣髴とさせたのでモアナにラナの衣装を着せた落書きしてみるが、性格も体型も違うのであまり似合わない。
モアナ170329色a

そんなこんなでもうお花見シーズンである。


『けものフレンズ』というアニメ

アニメ
02 /18 2017
先日、何がきっかけか定かでないが、この1月より地上波TVで深夜放映されている『けものフレンズ』というアニメを観た。
一見、NHKの教育テレビで放映されていても、何ら不思議ではない動物擬人化アニメだ。
「ジャパリパーク」とかつて呼称された自然公園(?)で無邪気な擬人化動物が単純に戯れている様子が淡々と描写されているだけの作品。
描かれている擬人化動物も声を当てている声優さんも「幼児性」が全面に醸し出ていて、入り口を間違えるとまったく受け付けられない作品ともいえる。
オープニングだけを観たら教育テレビの『おかあさんといっしょ』レベルだ。
だが、主人公だけが「人間」として描かれ、自分がはたしてどこからやってきたのかも憶えていない設定が、単なる児童向けアニメと一線を画している。
そこに気が付いた視聴者だけが、『けものフレンズ』の罠にはまるのだ。
『けものフレンズ』を観ている時に心の奥底から湧き出てくるザワザワ感は何なのだろう?
それは映画『猿の惑星』第1作のラストシーンを観た時のショックに至る過程に酷似している。
コールドスリープから目覚めて、見知らぬ惑星に不時着すると、そこは進化した猿が支配していたという設定と、どこかこの『けものフレンズ』はリンクしている。
『猿の惑星』第一作の主人公テイラーと『けものフレンズ』の主人公かばんちゃんの立ち位置は同じだ。
自分が何者であるかを知るために、かつて人類が残したであろう「文明の利器」を使って廃墟やジャングルの中を「図書館」に向かって友達と旅をする設定は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をなんとなく髣髴とさせる。
「自分を知る旅」の先に何があるのかという探究心をくすぐる世界観が『けものフレンズ』には奇妙にも内在する。
それが視聴者をひき付けていく。
どうしてこんな一見他愛のない「ほのぼの動物擬人化アニメ」に人類滅亡後を描いたSFエッセンスが強く醸し出されるのかが不思議でもある。
3Dっぽいアニメ処理も影響しているのかもしれない。
果たして目的地に到達した主人公かばんちゃんは『猿の惑星』第一作ラスト同様、衝撃的なものを目撃するのだろうか?
「図書館」とはナウシカで描かれたシュワの「墓所」みたいな場所なのか?
そこでかばんちゃんは「フレンズ」たちを覚醒と解放に導くのか?
それともやはり『けものフレンズ』は単なるほのぼのアニメとして「みんな仲良く遊んだね。めでたしめでたし」であっけない大団円を迎えるのか?
いずれにしろ妙に気になる作品だ。
けものフレンズ170215色

スマホ導入顛末

カメラ他デジタル機器
02 /18 2017
周りから「LINE」をやれという圧力に屈して仕方なく先日、格安スマホを導入。
もともとNTTパーソナル時代からNTTドコモに強制移行の後、ずっとガラケーを使っていたが、それでも月額1400円程度。
しかし、このままこのキャリアでスマホにすると月額6500円位はかかると言われ、とてもではないがスマホに乗り換える余裕などなかった。
だが、最近格安スマホというのが台頭し、月額1000円前後でも使えるというので検討。
その中でDMMが月1GBで大凡500円前後。NTTドコモのガラケーと合わせても月の通信費用が2000円ちょっとで済むだからこれなら大丈夫だろうと今月始めに契約。
SIMはデータのみ。音声電話は出来ないがガラケーで兼用できるので問題なし。
本体とSIMを同時に購入したので初期費用は3万円弱かかった。端末はHAWEI MediaPad T2 7.0 Proというもの。
スマホより若干大きくて画面は見やすい。
さて、本体とSIMが先月初め、家に到着。早速設定するがどうもよく解らず。
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再起動時にロック解除パスワードを求められる。
ところがそのパスワードをいついれたか記憶にない。いろいろいじくっている間に無意識に入れたのかまったく思い出せず。
結局、サポートに電話して初期化作業。まあ買ったばかりなのでデータは入っていないに等しかったのが幸い。
ドメインやらパスワードやらいくつも求められ、それを設定どおりに入れている筈なのに「間違っています」とか出て、パソコンやスマホの初期設定にはいつも悩まされる。
さて、やっと初期設定が終わり、LINEアプリをダウンロード。
しばらくするとこちらは何もしていないのに電話番号を知っている知り合いからアクセスがあったりしてびっくり。
暫くいじってみると成る程、これは便利かもしれぬ。
でもまったく知らない人まで「友達かも」というのが出て、まだよく解らない。
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いずれにしろ、スマホでやることはLINEやツイッター、グーグルで検索する程度。
動画は一切見ないつもりでこのプランを導入したので一月1GBで事足りるだろうと思った。
ところが使用データ量をチェックしてみると、導入日になんと550MB使っているという表示が!
そんなばかな!
動画など見てもいないし、大容量のデータなどダウンロードもアップロードもした覚えがない。
にも拘らず550MBのデータ量なんて。
初日だったからとにかくいろいろ設定のために弄繰り回していたので、何か無意識に大容量のデータにアクセスしたのかもしぬが、それにしても550MBなんてパソコンだってそんな容量をダウンロードしたりアップしたりすることは稀。
いったい何だったのだ?
二日目にはさすがに落ち着いて70MB位に落ちたがそれでも想定より使うデータ量が大きすぎ。
せいぜい、ツイッターとLINEしかやっていないのに。
でも時々ツイッターで動画がアップされているものがあってそれがデータ量を食っているのかも。
これでは1週間も持たずに制限容量データ1GBを超えてしまう。
そこで、携帯電話網を使わないようにするためwi-fiルーターを買ってくる。5000円の出費追加は痛い。
しかしこれなら家にいる限り、毎月分のデータを食わない。
悪戦苦闘してなんとか家に無線LANを構築してwi-fiでアクセス出来るようになる。
また設定で動画はwi-fi環境時のみとしてデータ量を節約するようにした。
これで少なくとも最初のときよりは常識的なデータ量に落ち着く。
とにかく、スマホには一ヶ月500円以上は払いたくない。
3万円かけて端末を買ったのだから大出費。月の支払いは何としても500円以下を死守したい。
なので、暫くはWi-Fi環境のない屋外では電源を落としておくことにした。
これでは何のためのモバイルか解らないが・・。

コミティア119お疲れ様でした

同人イベント
02 /12 2017
コミティア119お疲れ様でした。
快晴の冬晴れ。さすがに朝は寒い。
今回は新刊もなく、一人参加でずっとスペースに。2月コミティアにしては来場者が多い感じもする。
会場のシャッターが開くととてつもなく寒い。
14時過ぎに突然一つだけ直近のシャッターが開いて救急車らしき車両が入ってきた。
急患だろうか?その割には結構長い間、停車していたが。
あと気になったのは、バレンタインデー近くのコミティアというのに、視界に入った限りではチョコレートの受け渡しシーンが殆ど見られなかった事。以前は挨拶代わりにチョコが行き交ったものだが・・。
昨今は義理チョコどころか、本命チョコすら廃れたと聞く。
ハロウィンの盛り上がりと対照的だ。
それはさておき、今回もうっかりミス。
搬入した同人誌の中に一冊だけ書店委託用の店頭販売値札ラベルが貼られたのものが混入して、イベント表示値札と違う価格で頒布してしまった。購入された方は「?」と思ったことだろう。
気が付いた時には、すでに人波の中に去ったあと。
申し訳ない。
今回は一人参加だったので設営や撤収にも時間が掛かった。
同じような一人参加のサークルさんが近くに居て、親切にもこちらのチラシを一緒に処理して下さった。
ありがたい。
何事も助け合いである。

1月末の妄想健忘録

日常
01 /31 2017
2017年も、すでに1月が終わろうとしている。

昨年は劇場版のアニメーション作品に秀作が多く、興行的にも成功して日本映画界は活況だったというニュースが流れた。
新海誠氏の『君の名は。』の記録的ヒットは、もはや社会的現象にまで昇華してしまい、新海作品の映像美的評価より「大衆に媚びた俗なヒット商品」として記憶に刻まれてしまうのは些か残念。
ツイッターでも呟いたが『君の名は。』ヒットに対する、思想的バイアスの掛かった「映画人」の極端な偏向コメントが香ばしい。
まだジブリアニメが黎明期だった頃も映画評論誌に同様のコメントを載せていた「映画人」が少なくなかった。
アニメを観るのは劣等人種みたいな書きぶり。
恐らくそういった類の「映画人」は「格下」のアニメが質、興行共に実写邦画の上を行くことに我慢ならないのだろう。

1970年代頃、日本映画は斜陽で、ATGのような低予算で作られる「貧乏、不幸自慢」のごとき、黴臭い作品が数多く輩出された。そんな頃に思想的バイアスのかかった「映画人」が幅を利かせ始めた。
それら「映画人」は一種の文化大革命的紅衛兵気取りで、日本映画を先鋭的閉鎖的自己完結の袋小路に追い込んでいった。
これらの「映画人」が推す作品の大半は、観賞後の後味が悪いものばかりで、それは当然興行的に成功するはずもなく、当時は「こんな暗い作品、人に見せたいと思うならば、料金を払ってもらうどころか、むしろ映画館前を行く人に監督が金を配って『どうか俺の不幸自慢話を観ろ』とでも勧誘したらどうか」とまで思ったほどである。
こんな状況であるから、邦画は質、興行共々長期間に渡って低迷し、その間隙を縫って、宮崎駿等のアニメ作品が勃興してきたのは当然の成り行きなのだろう。
にも拘らず、ここに至っても尚、化石のような紅衛兵気取りの「映画人」が幅を利かせ、アニメ作品興行成績好調の理由を「客が悪い」とまで罵っても自分の居場所があるというのは、ある意味、恵まれた世代なのだなと。
本家中国ではそんな人間は一掃されているというのに、日本映画界には尚、文化大革命を信じて疑わぬ者が生きていられる環境があるのには吃驚する。

現天皇陛下の退位について時々、ニュースが流れる。
仮に生前退位された後、次に即位するのは浩宮皇太子殿下。
浩宮皇太子は自分とまったく同じ世代であって、そんな世代が背負っている「抗えぬ頸木」について時折、思うことがある。
自分の世代における青春期の恋愛、結婚観というものは、一般青年において痛々しい事例が少なくなかった。
結婚がちょうど「お見合い」から「自由恋愛」に移行する端境期に当たり、己自身で異性を娶る能力を問われ始めた時代。
当時の青年に「恋愛能力」に長けた者などほんの僅かしかいなかった。
大半は、「どうしてよいかわからなかった」のである。
一方、当時の女子は結婚が「自由恋愛」に移行しつつあったにも拘わらず、あくまで経済的社会的には男子に100%依存する事には変わりなく、自分の嫁ぎ先もそれが唯一の「物差し」であった。
終身雇用、専業主婦が唯一の選択肢だった時代であるから、たとえ恋愛能力がなかったとしても、職場内での「実質的なお見合い」によって大半の者は救われていたが、その流れに乗れなかった男子は悲惨そのものだった。
最初の恋愛に敗れたら、人生自体が破綻するという危機感に煽られて、当時の青年は「純愛」なるスローガンを妄信して酷い目に合い、心を壊した者も多かったことは想像に難くない。
女子はただ待っているだけでよかったが、男子はその未熟な恋愛観で不毛な闘争に嵌り、自滅していった。
勝者は一人。女子はその勝者たる男子の下に嫁ぎ、専業主婦として一生添い遂げればよかった。
一方、負けた男子は惨めに退散するしかなく、一生結婚出来ない呪いに苛まれた。

浩宮殿下も、恐らくそんな「純愛」なるスローガンを妄信した一人なのかもしれないと思うことがある。
当時の一般庶民の恋愛、結婚観が皇太子という立場の人間に当てはまるかどうかは知らない。
しかし、少なくとも妻となる人に「全力でお守りする」と宣言した以上、その地位や立場の如何に拘わらずその「呪縛」から逃れることは出来ないのだ。
だから、浩宮殿下はある意味、妻の望むことは全て受け入れるしかない人生を選択した。
もし、万一、妻が皇后という重責を望まなかったならばどうだろう。
浩宮皇太子は自分の立場より、妻の希望を優先し、天皇即位を辞退しなければならない。
生前退位が一代のみならず、全ての皇位継承者に採択されたなら、浩宮皇太子は妻のために皇位を返上する可能性もゼロではなかろう。
いや、そんな法律が出来なかったとしても浩宮殿下は妻のために即位を放棄し、どこか知らない国へ夫婦共々逃げて行くかもしれない。
それが己の人生全てと信じきっているのだ。浩宮殿下は己が妻に捨てられてしまうのが心底恐ろしいのだろう。
だからこそ現天皇陛下はそれを心配し、目の黒いうちに生前退位し、浩宮の行く末を案じたのではなかろうか。
そんな気がしてならない。

記憶媒体で使っていたMOの在庫がそろそろ底をつく。
ある人から御好意で譲っていただいた中古MOも使い果たした。
MOはかつて日本ではメインの記憶媒体として普及し、将来にわたって生産され続けると信じていたのに何たることだろう。
そういえば国産の旅客機就航がまた随分と先伸ばしされたニュースを聞いた。
更に、大手電機企業が原子力関連で大きな損失を出して存亡の危機にあるとか。
日本のIT,航空、エネルギーという基幹的産業の先細り感は尋常ではない。
もう、何を作っても、国際的スタンダードにはなれない空気が漂う。
あるのは今後何十年も処理し続けなければならない原発事故の後始末だけ。
日本の原子力関連のプロジェクトは尽く失敗する。
古くは原子力船『むつ』の廃船に始まり、福島第一原発の壊滅的事故に高速増殖炉『もんじゅ』の廃止に至るまで枚挙に暇がない。
つまりこれは日本の最終防衛システム構築を阻害するため、何者かの策謀が介在しているのかも知れぬ。
核武装に繋がるあらゆる試みを破綻させる罠が。
そう考えないとどうにも不自然すぎる。


先日、久しぶりに銭湯に行った。
湯船の壁にテレビが設置され、ちょうど19時のニュースが流されていた。
20日に就任したアメリカ合衆国の新大統領が矢継ぎ早に新たな大統領令を出して混乱する様子が湯気の向こうに映る。
荒唐無稽に近い政策が「現実」化されるに従い、だんだんと世の中が窺い知れない滑稽な終末に向かって動き出しているような予感に囚われる。
テレビで、ある経済評論家がこんなことを行っていた。
「あの新大統領がドイツやEUには言及せず、メキシコ、中国、日本だけを不平等な貿易相手国として非難するのは、偏狭な白豪主義者の現れ」だと。
基本、恐らくそうなのだろう。
あの大統領はもしかすると些細な事で日本に向けて核ミサイルを発射するつもりかもしれない。
1980年代的時代錯誤な日米の貿易不均衡を持ち出すのは、言い掛かりを見つけ、イエローモンキーをやっつける口実が欲しかっただけかもしれぬ。
「アメリカ第一主義」のためなら現実はどうでもよい。
中国も憎いが、あの国は核武装国。おいそれと核ミサイルをぶちこむと報復される恐れがある。
一方、メキシコは隣の発展途上国。塀を築くだけでどうにでもなる。
でも日本はかつてアメリカに殴りこみをかけてきた国。
「リメンバーパールハーバー」である。放置するのは危険だ。幸い日本は核武装していないから報復される恐れもない。
そこで、言い掛かりをつけて日本に核ミサイルをぶち込むと。
日本が消えればアメリカから日本車も消える。
「アメリカ第一主義」はこれで一つ果たせる。目に見える成果としては大きい。
実に単純だが、それを体言化するのが新大統領のやりかただ。
日本人が何千万人死のうとも知ったことではない。カーチス・ルメイと同じ。
実際、そこまで至らなくとも、安全保障のパートナーは降りるだろうことは想像に難くない。
更に日本が独立して核武装化するのを阻止するため、六ヶ所村の再処理施設の占領や空爆も辞さないだろう。
米軍が撤退し、核も奪われれば、今度は中国が日本を核攻撃し、この地上から抹殺しようと画策するだろう。

日本は今でもアメリカの妾として生きる選択肢しか持っていない。
だがアメリカの新大統領はもうそんな妾を囲う気はなく、さっさと捨てたいのだ。
にも拘らず、日本の世襲宰相は祖父の代から対米追従という家訓以外に選択肢を持つ術がない。
捨てられると解っていてもアメリカの袖にしがみついて「私を捨てないと言っておくんなまし!」と哀願するしかないのだ。
結局、日本はアメリカに捨てられた挙句、対岸で手薬煉引いて待っていた中国に嬲り殺しにされる運命だ。

世界は遅かれ早かれ弱肉強食の嵐に揉まれる。
もはや誰も自分の国のことしか考えない時代となった。
生き残るためには己を脅かす相手にはありったけの核兵器を使用して闘争するだろう。
数年後、この地球に文明が残っているとすれば、アメリカ、ロシア、中国、インド、イスラエル、イギリス、フランス位のものだ。
地表は暫く核汚染で荒廃するが、核シェルターに潜み、何とか国として生き残るだろう。
さすがに核武装国には核兵器は使わぬ。共倒れになることくらいはまだ知恵が廻る。
しかし、核を持たぬ国は完膚なきまでに滅ぼされて、生き残っている者も石器時代並みの生活を強いられる。
少し前だったら、こんな未来は荒唐無稽だったろう。
しかし、2017年、実際に荒唐無稽な政策を実践する大統領が現実に現れたのだ。
だからこんな世界もきっと来る。
そして日本はこうして滅びる。

近いうちに、いまの生活が夢のようだったと嘆く日が来るだろう。
核で焼かれた街を徘徊し、ぼろぼろになった身で死んでいくのだ。
「ああ、コンビニの灯りが懐かしい」と呟きながら。

いつ、頭上に核の閃光が輝くのか、そればかりを心配する日々が来たのである。
湯船の湯気が核爆発の蒸気に見えたのは決して幻覚ではない。


先日、コンビニで立ち読みした週刊誌にミニマリストの事が載っていた。
モノをもたない生活。「ごみ屋敷」の対極にある何もない部屋に住む人。
以前にもブログか何かに記したが、一見何もかも捨てているように思えるが、実際はweb上に「モノ」を変換しただけ。
依存対象が3次元物質から質量ゼロのドットとダッシュに移っただけで本質は変わらない。
むしろ依存する情報量は増えているのかもしれない。
であればまだ「ごみ屋敷」住人のほうが誤魔化しがない分、信用できる。
真のミニマリストを目指すなら、携帯もスマホも捨て、webの依存からも断絶しないとだめだろう。
これからはweb依存からの解放こそが求められる時代が来る。
だからむしろweb依存のミニマリストは欺瞞にしか映らない。
真のミニマリストは、自分の本籍も捨て、名も捨て、そして肉体も捨てて存在そのものをこの世から消し去らなければならない。

JR東日本がこの時期恒例、スタンプラリーを開催していたので参加。
週末の山手線や中央線を廻る。
ふと、妙なことに気が付く。
一駅ごとスタンプを押すために電車を乗り降りするのだが、その電車全てが満員なのだ。
座れることは稀で、とにかく混んでいる。
どの電車、どの電車、10両編成すべての車両が満員だ。学校、職場が基本的に休みなのにこれだけの人が、どの電車にいっぱいに乗っている事実。
急に恐ろしくなった。
どこからこんなに人間が沸いて出てくるのか?
大凡、50回近く乗り降りしたその電車全てが満員で人間だらけ。
もしこの人間だらけの東京に核爆弾が落ちたら、その分の屍が転がるということだ。電車の中に限ってもだ。
それを悟ったとき、恐ろしさで失禁しそうになって、一目散に電車から飛び降りる。
空想上の「かめはめ波」は中国の核ミサイルには何の役にも立たぬ事実。

以上、1月末の健忘録終り。



あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/