Kindie版影男煉獄シリーズ 第2巻『絶望期の終り』の配信開始のお知らせ

創作活動
04 /24 2018
Kindie版影男煉獄シリーズ 第2巻『絶望期の終り』の配信開始!
  絶望期終り表紙版下aa

少年画報社刊月刊アワーズライトから幻冬舎刊月刊コミックバーズにて約6年に渡り継続連載された、漫画家あびゅうきょの影男煉獄シリーズ。
2005年にバーズコミックススペシャルとして出版された影男煉獄シリーズ第2巻『絶望期の終り』を電子書籍化。
●Kindie版『絶望期の終り』作品リスト
第7話「絶望の陽のもとに 」          幻冬舎刊「月刊コミックバーズ」2003年8月号
第8話「絶望の長い午後 」          幻冬舎刊「月刊コミックバーズ」2004年7月号
第9話「絶望線上のアリア」          幻冬舎刊「月刊コミックバーズ」2005年1月号
第10話「絶望の中心で哀を叫んだけもの」    幻冬舎刊「月刊コミックバーズ」2005年4月号
第11話「未来世紀絶望 」           幻冬舎刊「月刊コミックバーズ」2005年11月号
第12話「月は無慈悲な絶望の女王」      幻冬舎刊「月刊コミックバーズ」2003年12月号
第13話「絶望期の終り」            幻冬舎刊「月刊コミックバーズ」2003年3月号


総ページ164P。
頒布価格 700円
生原稿から直接スキャンし、グレースケールで細部まで再現した高品質版。モノクロ2階調だったバーズコミックス版との違いも比較できます。
なお、キンドル電子書籍版は幻冬舎コミックス版とは作品構成が若干異なっています。
最終完結刊も鋭意製作中。

既刊 影男煉獄シリーズ 第一巻『 晴れた日に絶望が見える 』 も絶賛配信中。

「晴れた日に絶望が見える」PV公開

創作活動
04 /23 2018
本年1月より制作を進めていた『晴れた日に絶望は見える』PVを21日20時30分頃、YouTubeにアップ。
お蔭様で無事、公開に漕ぎ着けた。
晴れ絶望フライヤー-01aa 晴れ絶望フライヤー02aa
予定ではこの日の19時にアップする予定だったが、元動画ファイルデータ量が大きすぎ、改めて圧縮しなおす作業が入り、アッロードに予想以上に時間がかかってしまった。
公開時間の遅延、申し訳ない。
画質的には遜色のないレベルに収まったと思う。

初めて監修の大崎章氏と小池匠監督でPV動画制作の打ち合わせをしたのが昨年の9月。
実質制作が始まったのは本年1月中旬より。
予想以上のオーディション応募者に吃驚したり、風邪で体調不良の体を圧して冬晴れ厳寒の多摩パルテノンでの撮影に立ち会ったり、雪の中、満員電車に潰されかけながら分倍河原まで赴いた音声収録。
あの日々もこのお披露目を迎える達成感で全て報われた感。
これも小池匠監督はじめ、スタッフ皆様の優秀な才能のお陰です。
本作品をまた次なるステージへのステップに繋げたいと思います。

Kindle版「晴れた日に絶望が見える」も重ねて宜しくお願い致します。
キンドル晴れ絶望表紙版下a
なお、PV公開と同時にキンドルで配信する予定だった「影男煉獄シリーズ」の続刊は、作業に時間がかかってしまい、もう暫くお時間をいただきたい。

過ぎ行く桜の季節

祭り
04 /03 2018
一昨日の御苑。染井吉野はもう3割方散っていた。
それでも天候が良かったので桜吹雪が映える。
15時くらいまではずっと快晴。
もう新緑も目立ち始め、一気にゴールデンウイークの季節。先日、もう自宅で蚊に刺された。
フライング気味の初夏に戸惑う。
御苑スケッチ180401ab
今年の花見は個人、知人、そして例年やっている大学時代のOBとで計3回。
例年よりも少ない。
余りにも早い開花と満開、散りはじめでゆっくり構える事も出来ず。
一方、ずっと好天だったからいつ行っても「お花見日和」。
悪天に祟られることは無かったが、やはり早すぎる。

それにしても外国人花見客の多さは尋常ではない。花見シーズンの御苑は完全に「外国」である。
桜の下で飲食するという稀有な嗜みが、こんなに外国人に受ける理由が謎だ。
特定の国、人種、宗教圏に関係なく、ほぼ満遍なく万国に「花見」が急に人気になるなんて、俄かには信じられない。
「綺麗な桜の下には死体が埋まっている」と言われるが、やはり何か怪しげな妖気が漂っていることに外国人も気が付いたのか。

「脱走兵」となる新人諸君への祝辞

日常
04 /03 2018
人、人、人・・。

4月。新年度。
ただでさえ人の波に曝されてまっすぐ歩くこともできぬ新宿駅構内。
そこに新入社員らしきスーツ姿の一団が加わり、カオス度が更に高まる。
この世のものとは思えぬ光景だ。
駅の窓口には長蛇のスーツ姿の列。
「はて?お盆でも暮れでもないのに?」と訝っていると、はたと気が付く。
彼らは通勤用の定期券を購入しているのだ。
世界で最も乗降客が多いと噂される新宿駅。そのピークが新年度シーズン。更に花見の外国人観光客も混じっているからもうアリの巣をひっくり返した状態。
今、自分は人類史上最も人口密度の高い空間を彷徨していると思うと感無量の狂気に襲われる。

このシーズンになると新卒新入社員の群れを見る度に息苦しく、耐え切れなくなってその恐怖を回避するために言葉を吐露せずにはいられなくなる。
己を棄て、会社という組織の歯車として生きる新卒はいわば召集令状を受け取った一兵卒。
会社のために滅私奉社して最終的に命を投げうる存在。
スーツという非実用的「鎧」を身に纏い、地獄のような通勤電車で会社に通い、己を押し殺して従順さを競う組織で耐えに耐え、それを24時間、365日ずっと強いていく。
月月火火木金金。
それがいわいる社会人であって、その社会人たる日常に疑いを抱いてはいけない。
最近は表面上、労働条件が緩和されているように思えるが、この新宿駅の雑踏を見る限り、滅私奉社の一兵卒たる新入社員の有り様は昔と寸分と変わらぬ。
もし根本的に変わってきているというのなら、もうスーツなど着ないだろうし、地獄のような通勤電車にも乗らない。
一同揃った得体の知れないパフォーマンスで新人を欺く入社式なども開かれまい。
なぜならこれらは全て、著しく労働生産性を悪化させている「儀式」に他ならないからだ。
スーツも、すし詰め電車に揺られる時間も、入社式の不毛なスピーチも建設的要素は一切ない。
にも拘らず企業がこれらの「儀式」に固執するのは新人に帰属意識の植え付けと従順さを競わせることが出来るからだ。
日本社会では会社に従順であればあるほど「優秀な会社員」として評価される。
優れた能力など一兵卒には必要ない。
ただひたすら従順にスーツを着て、従順に満員電車に揺られ、従順に上司に頭を下げていれば、終身雇用が成り立つ。
そういう人間を作り出すために、義務教育を含めた6・3・3制があるのだ。
そしてそのコースから外れた人間に、日本社会でまともに生きていく場所はない。
自分はその純粋培養生簀でまったく適応出来ない人間だったので、この時期の新入社員の群れを見ると生理的に拒否反応が出てしまう。
一種のアレルギーだ。
花粉症はないが、リクルート拒絶症が出てしんどい。
しかし、薬屋に行ってもそれ用の薬はどこも処方してくれない。

スーツはもう生涯着たいとは思わないし、満員電車の狂気に比べれば大抵のものはマトモに感じるし、人に指示するのもされるのも心底嫌だ。その上、コミュニケーション能力ゼロの人間がサラリーマンになれるはずもない。
リクルート活動は地獄でしかなかった。
わざわざ、己の最も苦手で生理的に受け付けない世界に飛び込んでいくようなもの。
小学校6年間、中学3年間、高校3年間、大学4年間通って、求人は自動車のセールスマン採用枠ぐらい。
なんで16年間勉学させられた挙句、車のセールスなんだ?
もっとも自分に向かない営業職しか求人票に並ばない現実。
当然やる気ゼロだから採用されるはずもないし、採用されたいとも思わなかった。
みんなが行くから仕方なく嫌々通った学校16年間。そしてみんなが行くから仕方なく行った就職活動。
ここではたと気がついた。
「逃げよう!こんなところに自分の生きる場所はない。だまされていたんだ!」と。
自分は最初から脱走兵みたいなものだった。
だがそれでよかった。いや、それ以外にどうしようもなかったのだ。
「こんな不毛なエコノミックアニマル戦争で一兵卒の鉄砲玉になんかされてたまるか!」とね。
逃げて逃げて逃げまくってやる。
これが己の人生指標となった。

今、自分の同輩で就職した者は、その息子娘が大学を卒業し、社会人として巣立っている。
遅かれ早かれ孫が生まれることだろう。
「一兵卒」として立派に戦い、結婚、出産、子育てという「戦役」を経て、その成果が己の遺伝子を残すという「勲章」を得たのだ。
しかし「脱走兵」には当然、そんな「栄光」は齎されない。
何も残せず、ただ、年老い朽ちていくだけ。
脱走兵の大半は朽ち果て、この世から忘れ去られ、消えていく。
それでも滅私奉社の一兵卒になる位なら死んだほうがましという信念は今でも変わっていない。
なぜならそんな会社組織の中で自分の居場所などないだろうし、遅かれ早かれ放り出されるのは火を見るよりも明らか。
結局は同じような人生を歩むのだ。

少年時代の大半は「嫌なこと」ばかりだった。
そして「嫌なこと」を経た挙句、一兵卒として鉄砲玉にされる「悪夢」のような日本サラリーマン世界。
今から思えば小学校4年位で「サラリーマン一兵卒」コースから離脱し、自分に適した生き方が学べる場があればと思う。
しかし日本社会には、今も昔もそんな多様な選択肢はない。
ひたすら滅私奉社の「サラリーマン一兵卒」学科という「人生ゲーム」に乗せられるだけ。
昭和の頃はそれでよかったかもしれないが、この期に及んでまだ続けている。
だからこの国は欧米列強はおろか、北東アジア各国の後塵を拝するほど零落れてしまったのかもしれない。
にも拘らず、それでも尚、根本的な教育職業制度を見直す様子はない。
これが滅び行く国の姿なのなら仕方あるまい。
諦めが肝心である。

今年も数多の新人諸君が「滅私奉社」に耐え切れず、脱走兵となる。
しかし、脱走しても行く場はない。
金持ち世襲や貴族出は縁故入社で最初から「士官」扱いだから苦労もない。
奇特な能力のある者はとっくの遠に、自立して起業するか海外で活躍の場を得ているだろう。
底底の者は一兵卒として適応し生きていくしかないのだ。
そして、そのいずれでもない者が、脱走兵として世の中の底辺を彷徨わねばならない。
その行く末は悲惨だ。
それでも逃げるしかないのなら、逃げて逃げて逃げまくるのだ。

それもまた、人生なのである。



早すぎる花吹雪に想ふ

日常
03 /30 2018
今年も染井吉野のシーズン。
例年のように新宿御苑でスケッチ。
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29日ですでに花吹雪とは早すぎる。心の準備が出来ぬままに桜シーズンが過ぎてしまう。
いつもなら風が吹くと寒い位なのにむしろ涼しさを感じる位の暑さ。
今年は異常。ずっと晴れて寒の戻りもない。
東京は25度を越え、夏日に。
生き急いでいるのごとく桜散るなり。
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桜といえば入学式、入社式のシーズン。
4月となるとまた東京に人が溢れ始める。
超少子高齢化、人口減少が著しいにも拘わらず、東京圏だけ人口が増える。
学校を卒業すると田舎から東京へ出るのが当たり前という「空気」が馴染めない。
元々東京生まれ、東京育ちだから、こういった通過儀礼ありきの世相が生理的に受け付けない。
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物心付いた頃からこの還暦近くに至ってまで、一度も「大人になりたい」と思ったことは無かった。
尾崎豊の楽曲に込められた脂臭い大人への憧れに、1ナノミリも共感できなかった。
ラジオからこの男の歌声が少しでも流れて来ると即座にスイッチを切っていた。
大人になることに何の魅力も感じず、もしかするとこの世に生まれてくることすらも面倒くさかったのかもしれない。
だから「大人」になるための通過儀礼は、自分にとって胡散臭い古い風習の強要に思えた。
入学、受験、卒業、入社、結婚、子育てというレールに乗っけられて、それしか選択肢がない世間に、自分の居場所などないと、子供時代から悟っていた。
だからそういったレールに適応した学友の「上から目線」態度が心底嫌だったのである。
それこそが創作意欲の原点だから、当時の経験より醸し出たルサンチマンがなくなったら創作者としてオワリなんだろうなあと。

かつては就職、結婚、出産、子育てという通過儀礼が当たり前でそれ以外の選択肢は「人非人」だった時代からすると、かなり変わっては来ている。
だが日本社会は未だに通過儀礼ありきだから「変わりたくない人間」にとっては尽く苦痛であることは、今も同じ。
通過儀礼毎に「好きなことを止めさせられる理不尽」には辟易するのだ。
もう、今の世の中、就職結婚出産子育てなど特権階級の嗜みに近い。「サザエさん」の世界は御伽噺となった。
にも拘らず、そういうシステムしかない悲劇。

この茫漠とした諦め感覚はこの二つの諺に尽きる。
「貧すれば鈍す」
「金持ち喧嘩せず」
かつて「経済大国」であった日本も今は昔。
身近な毎日の些細な事柄から政治、経済、外交まで「貧すれば鈍す」に尽きる。
ネットに溢れる不毛な対立軸も「瀕すれば鈍す」だ。
少なからず昭和時代はまだ「金持ち喧嘩せず」で済んだ。
心の「富」を失うと、人間どんどんダメになる。
人も減り、富も減り、知性も減る。
ただ「貧すれば鈍す」。

先日、SNSでこんな呟きを見た。
恋愛と蕎麦挽きを同列にまじめに語っているのだ。
友人から「あなた、美人なのに何で恋愛しないの?結婚早くしなよ」と言われたことに対し、「恋愛や結婚するしない」は「蕎麦挽きするしない」と同じで人の自由だと反論したとか。
これが本心で語られた呟きなのか、ネタや洒落の呟きだったのかは知らない。
仮に本心だったと仮定すれば、恋愛は哺乳類としての本能であって子孫を残すという有性生殖生物の根源的衝動と、「蕎麦挽き」という生存本能に直接関わらない行為と、何の疑いも無く同列に語る感覚には吃驚する。
本人は己が哺乳動物という「魂の器」に依存して存在していることに気が付いていないのだろう。
生物開闢以来、何十億年と積み重ねてきた生存競争の上に己が成り立っているという「現実」を無視しているのだ。
恋愛が出来なければ生物として欠陥品だということ。パートナーを見つけなければ己の遺伝子を生み、育てるのは困難だということ。
カルチャーセンターのカリキュラムのひとつでしか過ぎない「蕎麦挽き」の是非は生存競争には直接関係がない。いくらでも代替が利くからだ。
「恋愛、結婚が出来なくとも生きていける」のは事実だとしても、それが出来る人間と比べれば、生物として劣っているということは論を待たない。
だからそんなことをあまり自慢するのは褒められたことではない。
蕎麦挽きは出来なくても困らないが、恋愛が出来ないことが生物として致命的な欠陥であることに気が付かない鈍感さは驚異的だ。

やたら理想論を声高に叫ぶ人がいる。
倫理や平和や平等、戦争否定、自由博愛、権力腐敗糾弾云々。
でもそういう人たちほど「恋愛」と「蕎麦挽き」を同列にして語る呟きに近い思考回路の持ち主に思えるのだ。

人間は「崇高な聖者」ではない。類人猿の延長上に存在する体毛のない猿というだけ。
富の偏りも、忖度も所詮は「猿」が生きるための知恵で編み出したもの。
ビルゲイツに比べれば、現宰相の富など取るに足らない。
それに世襲が社会的地位を保てるのは、遙か中世から営々と続くシステム。それを踏襲しているだけのこと。
世の中の大半の「仕組み」は必要悪だ。
力ある者が忖度し、力ない者はそれに縋る。
そんなものが突然なくなる訳もない。
資本主義を否定したはずの中国共産党も汚職撲滅邁進など綺麗事を宣伝しているが、実態は凄惨極まる権力闘争で敵対勢力排除を偽装しているだけ。世襲権益と何ら変わらない。
こんな例、上げていったら切りがない。
首を挿げ替えたところで、似たような世襲が現れ、忖度を繰り返すだけ。

人はどんな偉そうなことを言ったとしても、所詮は「パンツをはいた猿」だ。
先日亡くなった物理学者のホーキング博士は「地球以外に知的生物はいますか?」との問いにこう答えたそうだ。

「地球にも知的生物はいませんよ」

もし、理想を実践したければ、己が依存する哺乳類という「魂の器」を完全に棄て、何億年にも渡る生物の本能と何万年にも渡る人間社会のルールをかなぐり捨てなければ成立しない。
新たな「魂の器」だ。
ところがそういう努力は一切しないのだな。
平和、博愛、平等、自由を謳う者程、むしろ己の「正義」に同調しない者に向かって狂犬のように吠え掛かって、闘争本能丸出しで攻撃してくる。
理性の欠片もないのだ。
所詮はやはり、野蛮な猿。
最後には本性を露呈してしまうのだ。

自分の依存する己の国の頭領を切り捨てれば「聖人君子」が降臨してくると信じて疑わないのなら、新たな依存対象たるその神様みたいな存在はどこにいるのだ?
あるいは今後は己が依存対象なしで生きられる程の「聖者」に成就出来ると信じているのなら、その根拠はどこにあるのか?
きっとそんな根拠はどこにもないだろう。
「神」もいなけりゃ「聖者」にもなれない。
「先」のことなど思考回路外。
「恋愛」を「蕎麦挽き」で語るような按配でね。

これもやはり「貧すれば鈍す」の賜物か。

異常な暖気で生き急ぐように散っていく染井吉野。
この国の行く末を案じ、早く消え失せたいのかもしれないな。
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『晴れた日に絶望が見える』PVプロモート、「渋谷のラジオ」にて2月25日ゲスト出演記

創作活動
03 /13 2018
少し時間が経ってしまったが、去る2月25日、渋谷のコミュニティーFM「渋谷のラジオ」にゲスト出演した。
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月一で日曜午後17時より番組を担当している希代彩さんのコーナー。
ご承知の通り、彼女はPV『晴れた日に絶望が見える』でキャスト担当していただいた女優さん。
今回はこのPVプロモーションのために小池匠監督と共に御邪魔した。
「渋谷のラジオ」スタジオは埼京線の渋谷駅南口から数分の場所にある。
サテライトになっていて外からも見学が出来る。
16時半に到着すると前番組でアイドル?がゲスト出演していたらしく、たくさんの人垣が出来ていた。
スタジオに入り、希代さん、匠監督と打ち合わせ。
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番組中にかける楽曲をリクエストされるが、やはり『晴れた日に絶望が見える』のBGM「G線上のアリア」しかなかろう。
しかし、この時間帯にクラシックは前代未聞とか。
まあ、それも一興だ。
17時前スタジオに入る。長椅子型のレイアウトが落ち着く。すぐに番組開始。
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慣れた感じのお喋りで希代さんがオープニングトーク。
そしてゲスト自己紹介にPVに関するプロモーショントーク。
それほど緊張することも無く、取り合えず喋れる事は喋ってみた。
ラジオは好きでコミュニティーFMはリスナーに留まらず、いくつかの局でスタッフさんとも仲良くなって番組にも出演したことは何回もあった。
ラジオという媒体はやはり一番性に合っているのだろう。
ネットは有象無象の混沌でWebという海に落ちたら味噌も糞も一緒。ネットラジオはラジオと似て異なるもの。
だから基本的にネットでラジオは聴かない。
どんなに雑音交じりだろうが、アンテナを建てて局の周波数を合わせ、遠くから伝わる電波をキャッチしてこそのラジオ。
自分がゲスト出演した番組がどれだけラジオで受信されて聴かれていたかは解らない。
でもネットで聴取されるより、87.6MHzに合わされたラジオで聴かれる方が何百倍も価値があるように思う。

さて、そのPV『晴れた日に絶望が見える』もすでに完成。
先月の桜美林大学での上映会で一回だけ披露された機会があったが、実質まだ未公開状態。
しかし動画データはまもなく納品され、チェック後、動画サイトにアップする予定だ。
配信時期はまだ未確定。
「影男シリーズ」全巻をキンドル化し、ダウンロード開始時期とシンクロさせたいので暫し、時間をいただきたい。
いずれにせよ、今回のPV制作にご尽力頂いた小池匠監督、監修の大崎章監督、キャストの希代彩さん、小野響さん、音楽担当の橋口瑞恵さん、水月恵美子さん、そして製作スタッフの皆様に改めて御礼申し上げる。
このプロジェクトはまだ始まったばかり。
今後、様々な映画祭にも出展し、この素晴らしい映像を世に広げて生きたいと思う。

すべてはこれからだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/