『けものフレンズ』というアニメ

アニメ
02 /18 2017
先日、何がきっかけか定かでないが、この1月より地上波TVで深夜放映されている『けものフレンズ』というアニメを観た。
一見、NHKの教育テレビで放映されていても、何ら不思議ではない動物擬人化アニメだ。
「ジャパリパーク」とかつて呼称された自然公園(?)で無邪気な擬人化動物が単純に戯れている様子が淡々と描写されているだけの作品。
描かれている擬人化動物も声を当てている声優さんも「幼児性」が全面に醸し出ていて、入り口を間違えるとまったく受け付けられない作品ともいえる。
オープニングだけを観たら教育テレビの『おかあさんといっしょ』レベルだ。
だが、主人公だけが「人間」として描かれ、自分がはたしてどこからやってきたのかも憶えていない設定が、単なる児童向けアニメと一線を画している。
そこに気が付いた視聴者だけが、『けものフレンズ』の罠にはまるのだ。
『けものフレンズ』を観ている時に心の奥底から湧き出てくるザワザワ感は何なのだろう?
それは映画『猿の惑星』第1作のラストシーンを観た時のショックに至る過程に酷似している。
コールドスリープから目覚めて、見知らぬ惑星に不時着すると、そこは進化した猿が支配していたという設定と、どこかこの『けものフレンズ』はリンクしている。
『猿の惑星』第一作の主人公テイラーと『けものフレンズ』の主人公かばんちゃんの立ち位置は同じだ。
自分が何者であるかを知るために、かつて人類が残したであろう「文明の利器」を使って廃墟やジャングルの中を「図書館」に向かって友達と旅をする設定は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をなんとなく髣髴とさせる。
「自分を知る旅」の先に何があるのかという探究心をくすぐる世界観が『けものフレンズ』には奇妙にも内在する。
それが視聴者をひき付けていく。
どうしてこんな一見他愛のない「ほのぼの動物擬人化アニメ」に人類滅亡後を描いたSFエッセンスが強く醸し出されるのかが不思議でもある。
3Dっぽいアニメ処理も影響しているのかもしれない。
果たして目的地に到達した主人公かばんちゃんは『猿の惑星』第一作ラスト同様、衝撃的なものを目撃するのだろうか?
「図書館」とはナウシカで描かれたシュワの「墓所」みたいな場所なのか?
そこでかばんちゃんは「フレンズ」たちを覚醒と解放に導くのか?
それともやはり『けものフレンズ』は単なるほのぼのアニメとして「みんな仲良く遊んだね。めでたしめでたし」であっけない大団円を迎えるのか?
いずれにしろ妙に気になる作品だ。
けものフレンズ170215色

スマホ導入顛末

カメラ他デジタル機器
02 /18 2017
周りから「LINE」をやれという圧力に屈して仕方なく先日、格安スマホを導入。
もともとNTTパーソナル時代からNTTドコモに強制移行の後、ずっとガラケーを使っていたが、それでも月額1400円程度。
しかし、このままこのキャリアでスマホにすると月額6500円位はかかると言われ、とてもではないがスマホに乗り換える余裕などなかった。
だが、最近格安スマホというのが台頭し、月額1000円前後でも使えるというので検討。
その中でDMMが月1GBで大凡500円前後。NTTドコモのガラケーと合わせても月の通信費用が2000円ちょっとで済むだからこれなら大丈夫だろうと今月始めに契約。
SIMはデータのみ。音声電話は出来ないがガラケーで兼用できるので問題なし。
本体とSIMを同時に購入したので初期費用は3万円弱かかった。端末はHAWEI MediaPad T2 7.0 Proというもの。
スマホより若干大きくて画面は見やすい。
さて、本体とSIMが先月初め、家に到着。早速設定するがどうもよく解らず。
IMGP1470a.jpg
再起動時にロック解除パスワードを求められる。
ところがそのパスワードをいついれたか記憶にない。いろいろいじくっている間に無意識に入れたのかまったく思い出せず。
結局、サポートに電話して初期化作業。まあ買ったばかりなのでデータは入っていないに等しかったのが幸い。
ドメインやらパスワードやらいくつも求められ、それを設定どおりに入れている筈なのに「間違っています」とか出て、パソコンやスマホの初期設定にはいつも悩まされる。
さて、やっと初期設定が終わり、LINEアプリをダウンロード。
しばらくするとこちらは何もしていないのに電話番号を知っている知り合いからアクセスがあったりしてびっくり。
暫くいじってみると成る程、これは便利かもしれぬ。
でもまったく知らない人まで「友達かも」というのが出て、まだよく解らない。
IMGP1472a.jpg
いずれにしろ、スマホでやることはLINEやツイッター、グーグルで検索する程度。
動画は一切見ないつもりでこのプランを導入したので一月1GBで事足りるだろうと思った。
ところが使用データ量をチェックしてみると、導入日になんと550MB使っているという表示が!
そんなばかな!
動画など見てもいないし、大容量のデータなどダウンロードもアップロードもした覚えがない。
にも拘らず550MBのデータ量なんて。
初日だったからとにかくいろいろ設定のために弄繰り回していたので、何か無意識に大容量のデータにアクセスしたのかもしぬが、それにしても550MBなんてパソコンだってそんな容量をダウンロードしたりアップしたりすることは稀。
いったい何だったのだ?
二日目にはさすがに落ち着いて70MB位に落ちたがそれでも想定より使うデータ量が大きすぎ。
せいぜい、ツイッターとLINEしかやっていないのに。
でも時々ツイッターで動画がアップされているものがあってそれがデータ量を食っているのかも。
これでは1週間も持たずに制限容量データ1GBを超えてしまう。
そこで、携帯電話網を使わないようにするためwi-fiルーターを買ってくる。5000円の出費追加は痛い。
しかしこれなら家にいる限り、毎月分のデータを食わない。
悪戦苦闘してなんとか家に無線LANを構築してwi-fiでアクセス出来るようになる。
また設定で動画はwi-fi環境時のみとしてデータ量を節約するようにした。
これで少なくとも最初のときよりは常識的なデータ量に落ち着く。
とにかく、スマホには一ヶ月500円以上は払いたくない。
3万円かけて端末を買ったのだから大出費。月の支払いは何としても500円以下を死守したい。
なので、暫くはWi-Fi環境のない屋外では電源を落としておくことにした。
これでは何のためのモバイルか解らないが・・。

コミティア119お疲れ様でした

同人イベント
02 /12 2017
コミティア119お疲れ様でした。
快晴の冬晴れ。さすがに朝は寒い。
今回は新刊もなく、一人参加でずっとスペースに。2月コミティアにしては来場者が多い感じもする。
会場のシャッターが開くととてつもなく寒い。
14時過ぎに突然一つだけ直近のシャッターが開いて救急車らしき車両が入ってきた。
急患だろうか?その割には結構長い間、停車していたが。
あと気になったのは、バレンタインデー近くのコミティアというのに、視界に入った限りではチョコレートの受け渡しシーンが殆ど見られなかった事。以前は挨拶代わりにチョコが行き交ったものだが・・。
昨今は義理チョコどころか、本命チョコすら廃れたと聞く。
ハロウィンの盛り上がりと対照的だ。
それはさておき、今回もうっかりミス。
搬入した同人誌の中に一冊だけ書店委託用の店頭販売値札ラベルが貼られたのものが混入して、イベント表示値札と違う価格で頒布してしまった。購入された方は「?」と思ったことだろう。
気が付いた時には、すでに人波の中に去ったあと。
申し訳ない。
今回は一人参加だったので設営や撤収にも時間が掛かった。
同じような一人参加のサークルさんが近くに居て、親切にもこちらのチラシを一緒に処理して下さった。
ありがたい。
何事も助け合いである。

1月末の妄想健忘録

日常
01 /31 2017
2017年も、すでに1月が終わろうとしている。

昨年は劇場版のアニメーション作品に秀作が多く、興行的にも成功して日本映画界は活況だったというニュースが流れた。
新海誠氏の『君の名は。』の記録的ヒットは、もはや社会的現象にまで昇華してしまい、新海作品の映像美的評価より「大衆に媚びた俗なヒット商品」として記憶に刻まれてしまうのは些か残念。
ツイッターでも呟いたが『君の名は。』ヒットに対する、思想的バイアスの掛かった「映画人」の極端な偏向コメントが香ばしい。
まだジブリアニメが黎明期だった頃も映画評論誌に同様のコメントを載せていた「映画人」が少なくなかった。
アニメを観るのは劣等人種みたいな書きぶり。
恐らくそういった類の「映画人」は「格下」のアニメが質、興行共に実写邦画の上を行くことに我慢ならないのだろう。

1970年代頃、日本映画は斜陽で、ATGのような低予算で作られる「貧乏、不幸自慢」のごとき、黴臭い作品が数多く輩出された。そんな頃に思想的バイアスのかかった「映画人」が幅を利かせ始めた。
それら「映画人」は一種の文化大革命的紅衛兵気取りで、日本映画を先鋭的閉鎖的自己完結の袋小路に追い込んでいった。
これらの「映画人」が推す作品の大半は、観賞後の後味が悪いものばかりで、それは当然興行的に成功するはずもなく、当時は「こんな暗い作品、人に見せたいと思うならば、料金を払ってもらうどころか、むしろ映画館前を行く人に監督が金を配って『どうか俺の不幸自慢話を観ろ』とでも勧誘したらどうか」とまで思ったほどである。
こんな状況であるから、邦画は質、興行共々長期間に渡って低迷し、その間隙を縫って、宮崎駿等のアニメ作品が勃興してきたのは当然の成り行きなのだろう。
にも拘らず、ここに至っても尚、化石のような紅衛兵気取りの「映画人」が幅を利かせ、アニメ作品興行成績好調の理由を「客が悪い」とまで罵っても自分の居場所があるというのは、ある意味、恵まれた世代なのだなと。
本家中国ではそんな人間は一掃されているというのに、日本映画界には尚、文化大革命を信じて疑わぬ者が生きていられる環境があるのには吃驚する。

現天皇陛下の退位について時々、ニュースが流れる。
仮に生前退位された後、次に即位するのは浩宮皇太子殿下。
浩宮皇太子は自分とまったく同じ世代であって、そんな世代が背負っている「抗えぬ頸木」について時折、思うことがある。
自分の世代における青春期の恋愛、結婚観というものは、一般青年において痛々しい事例が少なくなかった。
結婚がちょうど「お見合い」から「自由恋愛」に移行する端境期に当たり、己自身で異性を娶る能力を問われ始めた時代。
当時の青年に「恋愛能力」に長けた者などほんの僅かしかいなかった。
大半は、「どうしてよいかわからなかった」のである。
一方、当時の女子は結婚が「自由恋愛」に移行しつつあったにも拘わらず、あくまで経済的社会的には男子に100%依存する事には変わりなく、自分の嫁ぎ先もそれが唯一の「物差し」であった。
終身雇用、専業主婦が唯一の選択肢だった時代であるから、たとえ恋愛能力がなかったとしても、職場内での「実質的なお見合い」によって大半の者は救われていたが、その流れに乗れなかった男子は悲惨そのものだった。
最初の恋愛に敗れたら、人生自体が破綻するという危機感に煽られて、当時の青年は「純愛」なるスローガンを妄信して酷い目に合い、心を壊した者も多かったことは想像に難くない。
女子はただ待っているだけでよかったが、男子はその未熟な恋愛観で不毛な闘争に嵌り、自滅していった。
勝者は一人。女子はその勝者たる男子の下に嫁ぎ、専業主婦として一生添い遂げればよかった。
一方、負けた男子は惨めに退散するしかなく、一生結婚出来ない呪いに苛まれた。

浩宮殿下も、恐らくそんな「純愛」なるスローガンを妄信した一人なのかもしれないと思うことがある。
当時の一般庶民の恋愛、結婚観が皇太子という立場の人間に当てはまるかどうかは知らない。
しかし、少なくとも妻となる人に「全力でお守りする」と宣言した以上、その地位や立場の如何に拘わらずその「呪縛」から逃れることは出来ないのだ。
だから、浩宮殿下はある意味、妻の望むことは全て受け入れるしかない人生を選択した。
もし、万一、妻が皇后という重責を望まなかったならばどうだろう。
浩宮皇太子は自分の立場より、妻の希望を優先し、天皇即位を辞退しなければならない。
生前退位が一代のみならず、全ての皇位継承者に採択されたなら、浩宮皇太子は妻のために皇位を返上する可能性もゼロではなかろう。
いや、そんな法律が出来なかったとしても浩宮殿下は妻のために即位を放棄し、どこか知らない国へ夫婦共々逃げて行くかもしれない。
それが己の人生全てと信じきっているのだ。浩宮殿下は己が妻に捨てられてしまうのが心底恐ろしいのだろう。
だからこそ現天皇陛下はそれを心配し、目の黒いうちに生前退位し、浩宮の行く末を案じたのではなかろうか。
そんな気がしてならない。

記憶媒体で使っていたMOの在庫がそろそろ底をつく。
ある人から御好意で譲っていただいた中古MOも使い果たした。
MOはかつて日本ではメインの記憶媒体として普及し、将来にわたって生産され続けると信じていたのに何たることだろう。
そういえば国産の旅客機就航がまた随分と先伸ばしされたニュースを聞いた。
更に、大手電機企業が原子力関連で大きな損失を出して存亡の危機にあるとか。
日本のIT,航空、エネルギーという基幹的産業の先細り感は尋常ではない。
もう、何を作っても、国際的スタンダードにはなれない空気が漂う。
あるのは今後何十年も処理し続けなければならない原発事故の後始末だけ。
日本の原子力関連のプロジェクトは尽く失敗する。
古くは原子力船『むつ』の廃船に始まり、福島第一原発の壊滅的事故に高速増殖炉『もんじゅ』の廃止に至るまで枚挙に暇がない。
つまりこれは日本の最終防衛システム構築を阻害するため、何者かの策謀が介在しているのかも知れぬ。
核武装に繋がるあらゆる試みを破綻させる罠が。
そう考えないとどうにも不自然すぎる。


先日、久しぶりに銭湯に行った。
湯船の壁にテレビが設置され、ちょうど19時のニュースが流されていた。
20日に就任したアメリカ合衆国の新大統領が矢継ぎ早に新たな大統領令を出して混乱する様子が湯気の向こうに映る。
荒唐無稽に近い政策が「現実」化されるに従い、だんだんと世の中が窺い知れない滑稽な終末に向かって動き出しているような予感に囚われる。
テレビで、ある経済評論家がこんなことを行っていた。
「あの新大統領がドイツやEUには言及せず、メキシコ、中国、日本だけを不平等な貿易相手国として非難するのは、偏狭な白豪主義者の現れ」だと。
基本、恐らくそうなのだろう。
あの大統領はもしかすると些細な事で日本に向けて核ミサイルを発射するつもりかもしれない。
1980年代的時代錯誤な日米の貿易不均衡を持ち出すのは、言い掛かりを見つけ、イエローモンキーをやっつける口実が欲しかっただけかもしれぬ。
「アメリカ第一主義」のためなら現実はどうでもよい。
中国も憎いが、あの国は核武装国。おいそれと核ミサイルをぶちこむと報復される恐れがある。
一方、メキシコは隣の発展途上国。塀を築くだけでどうにでもなる。
でも日本はかつてアメリカに殴りこみをかけてきた国。
「リメンバーパールハーバー」である。放置するのは危険だ。幸い日本は核武装していないから報復される恐れもない。
そこで、言い掛かりをつけて日本に核ミサイルをぶち込むと。
日本が消えればアメリカから日本車も消える。
「アメリカ第一主義」はこれで一つ果たせる。目に見える成果としては大きい。
実に単純だが、それを体言化するのが新大統領のやりかただ。
日本人が何千万人死のうとも知ったことではない。カーチス・ルメイと同じ。
実際、そこまで至らなくとも、安全保障のパートナーは降りるだろうことは想像に難くない。
更に日本が独立して核武装化するのを阻止するため、六ヶ所村の再処理施設の占領や空爆も辞さないだろう。
米軍が撤退し、核も奪われれば、今度は中国が日本を核攻撃し、この地上から抹殺しようと画策するだろう。

日本は今でもアメリカの妾として生きる選択肢しか持っていない。
だがアメリカの新大統領はもうそんな妾を囲う気はなく、さっさと捨てたいのだ。
にも拘らず、日本の世襲宰相は祖父の代から対米追従という家訓以外に選択肢を持つ術がない。
捨てられると解っていてもアメリカの袖にしがみついて「私を捨てないと言っておくんなまし!」と哀願するしかないのだ。
結局、日本はアメリカに捨てられた挙句、対岸で手薬煉引いて待っていた中国に嬲り殺しにされる運命だ。

世界は遅かれ早かれ弱肉強食の嵐に揉まれる。
もはや誰も自分の国のことしか考えない時代となった。
生き残るためには己を脅かす相手にはありったけの核兵器を使用して闘争するだろう。
数年後、この地球に文明が残っているとすれば、アメリカ、ロシア、中国、インド、イスラエル、イギリス、フランス位のものだ。
地表は暫く核汚染で荒廃するが、核シェルターに潜み、何とか国として生き残るだろう。
さすがに核武装国には核兵器は使わぬ。共倒れになることくらいはまだ知恵が廻る。
しかし、核を持たぬ国は完膚なきまでに滅ぼされて、生き残っている者も石器時代並みの生活を強いられる。
少し前だったら、こんな未来は荒唐無稽だったろう。
しかし、2017年、実際に荒唐無稽な政策を実践する大統領が現実に現れたのだ。
だからこんな世界もきっと来る。
そして日本はこうして滅びる。

近いうちに、いまの生活が夢のようだったと嘆く日が来るだろう。
核で焼かれた街を徘徊し、ぼろぼろになった身で死んでいくのだ。
「ああ、コンビニの灯りが懐かしい」と呟きながら。

いつ、頭上に核の閃光が輝くのか、そればかりを心配する日々が来たのである。
湯船の湯気が核爆発の蒸気に見えたのは決して幻覚ではない。


先日、コンビニで立ち読みした週刊誌にミニマリストの事が載っていた。
モノをもたない生活。「ごみ屋敷」の対極にある何もない部屋に住む人。
以前にもブログか何かに記したが、一見何もかも捨てているように思えるが、実際はweb上に「モノ」を変換しただけ。
依存対象が3次元物質から質量ゼロのドットとダッシュに移っただけで本質は変わらない。
むしろ依存する情報量は増えているのかもしれない。
であればまだ「ごみ屋敷」住人のほうが誤魔化しがない分、信用できる。
真のミニマリストを目指すなら、携帯もスマホも捨て、webの依存からも断絶しないとだめだろう。
これからはweb依存からの解放こそが求められる時代が来る。
だからむしろweb依存のミニマリストは欺瞞にしか映らない。
真のミニマリストは、自分の本籍も捨て、名も捨て、そして肉体も捨てて存在そのものをこの世から消し去らなければならない。

JR東日本がこの時期恒例、スタンプラリーを開催していたので参加。
週末の山手線や中央線を廻る。
ふと、妙なことに気が付く。
一駅ごとスタンプを押すために電車を乗り降りするのだが、その電車全てが満員なのだ。
座れることは稀で、とにかく混んでいる。
どの電車、どの電車、10両編成すべての車両が満員だ。学校、職場が基本的に休みなのにこれだけの人が、どの電車にいっぱいに乗っている事実。
急に恐ろしくなった。
どこからこんなに人間が沸いて出てくるのか?
大凡、50回近く乗り降りしたその電車全てが満員で人間だらけ。
もしこの人間だらけの東京に核爆弾が落ちたら、その分の屍が転がるということだ。電車の中に限ってもだ。
それを悟ったとき、恐ろしさで失禁しそうになって、一目散に電車から飛び降りる。
空想上の「かめはめ波」は中国の核ミサイルには何の役にも立たぬ事実。

以上、1月末の健忘録終り。



久しぶりに『風の谷のナウシカ』原作を読む

読書
01 /19 2017
先日の映画版『風の谷のナウシカ』地上波放映視聴に触発されて、久々に原作漫画7巻を全部読み返した。
内容が元々重いテーマである故、歳と共に読み込むこと自体にしんどさを感じるようになった。
最後まで読み終え、第7巻の奥付ページを捲ると、そこに一片の新聞切抜きが挟み込んであった。
朝日新聞1994年2月26日付、漫画評論家の村上知彦氏が誌上に連載していた「漫画のカルテ」と題されたコラム。
自分で切抜き保存していたことを完全に忘れていた。
ちょうどアニメージュで『風の谷のナウシカ』連載が終わった時の記事だった。
その最後で著者はこう締めている。
「自然を愛する一人の少女が如何にして心優しいテロリストとなったかの物語はいつまでも心に重く残りそうだ」。
そうか。
「救世主」ナウシカは結局のところ、テロリストだったとも解釈される考え方は実に面白い。

原作をずっと何回も読み返し、ナウシカを語るにあたり、要するに当初彼女は巨大文明崩壊の「火の七日間」後に汚染され尽くされ、荒廃し、腐海に怯え、戦乱に明け暮れる人間社会を救済せんがため、全人類的慈愛を発揮し、予言の書にも記された救世主のごとく、降臨せしめた使徒みたいな存在として描かれていた。
だが、読み込んでいくうちに、第7巻辺りから様相がおかしくなる。
実はナウシカは天から降臨した救世主などではなく、人類の再生のために用意された様々な「仕掛け」の一部たる人造(改造)人間に過ぎず、「浄化後」は破棄される存在だということを明かされる。 
「浄化した世界」では生きられないと。
するとナウシカは慈愛の存在から豹変し、「人類救済」の意味を歪曲し修正した陳腐な俗人革命家として描かれ始める。
偶然か必然かは解らぬが、巨神兵を意のままに扱う地位を得、己の僕に従えて、本家「人類救済」の牙城であるシュワの墓所へ乗り込み、そのすべてを破壊してしまう。
「墓の主」と対峙したナウシカは、それまでの慈悲深さを投げ捨て、安っぽいアジテーションで己の暴力を正当化し、巨神兵をして無慈悲なテロリズムに奔る。
要するにナウシカは自分が「人類救済」という唯一無二、神から自分に課せられた神聖な業に携わっていると信じて疑わなかったにも拘わらず、実はその遙か前、「火の七日間」を招いた軽蔑すべき「愚かな人間」によって「人類救済」がすでに計画されていたことに猛烈な嫉妬心を抱いたのだ。
そして自分がその「愚かな人間」によって作られた人造(改造)人間であることに我慢ならなかったのである。
その結果、ナウシカは土鬼の神聖皇帝と同じく、人類救済を謳って「浄化後のモデルハウス」たる「庭」から旅立ったものの、結局は暴君として君臨する愚か者レベルの人間に成り果てる。
要約すれば『風の谷のナウシカ』なる作品は「神聖なる人類救済」というイデオロギーの覇権を巡って旧文明が作り出した「庭の主」勢力と、そこから派生した「森の人」勢力との近親憎悪内ゲバ物語に過ぎない。
所詮ナウシカは「人類救済」の主導権を得るためなら血で血を洗う殺戮権力闘争を是認するとんでもないテロリストだという解釈も不自然ではなかろう。
元々、原作者の宮崎駿がそういったイデオロギーにどっぷり漬かった世代であるから、物語がそうなるのは当然かもしれないが。
ナウシカはその後、土鬼の地に留まったというが、果たして平安な国造りに徹せたかどうかは怪しい。
「庭の主」勢力を徹底的に摘発し、殺戮の限りを尽くし、土鬼はクメールルージュのような凄惨な国になったかもしれない。
チククを神聖皇帝みたいな恐怖王に祭り上げ、「森の人」勢力で磐石な権力構造になったのを見届けた後、ナウシカは己の思想本丸がある腐海に還り、「森の人」の下で「現人神」として君臨したのかもしれない。
要するにクシャナも顔負けの恐るべき暴君がナウシカの真の姿なのだ。

最近、SNSとかで「不謹慎狩り」とかいうのを耳にする。
己の「正義」を振りかざし、そのためなら何をしてもよいというような「プチ造反有理」人間。
己の「正義」をネット上に吐露するのは別に自由だ。
所詮、「トイレの落書き」か「パチンコ屋のチラシの裏」だ。好きなだけ表現すればよかろう。
だが己の「正義」に対峙する表現活動を妨害したり、中止を訴えたり、誹謗中傷する者も少なくない。
それが己の「闇」を露呈し、背後から己の後頭部を痛打していることに気が付かぬ有象無象がネットには蠢いている。
「除夜の鐘が煩いから中止しろ」
「餅つき大会は不衛生だから中止すべき」
「未成年の飲酒を促すようなCMは即刻中止すべきだ」
等々。
己の「正義」を振りかざし、その「正義」に反するものは抹殺しても構わぬという呟きは枚挙に暇がない。

俗欲に溺れず、慈愛に溢れ、理想に実直な人間ほど恐ろしいものはない。
このような者程、表現の自由や思想信条の自由を抑圧し、大量殺戮やジェノサイドを率先して容認し、実践する。

一見、慈悲深く、正義感に燃え、誠実さの塊のような人間ほど警戒したほうがよい。
彼ら、彼女らは、己の「正義」以外には寛容ではない。
平気で人を殺す。

ナウシカのような女性は「救世主」か?
実際、本当のところは誰にもわからない。
大きな胸に抱かれれば誰もが信じ、従ってしまうかもしれない。
でもそれは壮大な罠である可能性もあるのだ。

1月の徒然

日常
01 /18 2017
2017年も明け、気が付けば1月中旬。今年も24分の1が過ぎてしまった。

最近、確定申告用に「マイナンバー」の情報が必要ということで電子書籍会社等から本人確認のための書類提出を求められることが多くなった。
運転免許証など持って居ない身からすると煩雑で面倒。健康保険証と年金手帖等のコピーが必須。
どこかにあったはずの年金手帳が見当たらない。
結局、区役所に行って再発行の手続きをする。
マイナンバー制度とかよく解らぬまま、どんどん個人情報をwebの海に投げ込んでいく感じ。
結局、人が扱う以上、遅かれ早かれどこかに漏れていく。

先日、新宿の大手画材屋に立ち寄る。
様々な画材、文具を見て廻って気が付くことがあった。
ヤマト糊とか、セロハンテープとかホッチキスとか、自分が小学生だった半世紀前から存在した文具は本当に息が長い。少なくとも昭和期に生まれたアナログ文具は今後とも廃れることはなかろう。
一方で、デジタルに掛かるサプライ商品はあっという間に消えていく。
フロッピーディスク、ジップ、MO、MD、DAT、ガラケー等々のサードパーティーアクセサリーはもはや影も形もない。あっても風前の灯。
数年で店の棚から消えていく。
現実空間で確固に存在するアナログ媒体は、質量のないゼロと1で構成し直された途端に、この世から消える運命に曝されてしまう。
デジタル情報は人の死んだ後に肉体から浮遊した魂のようなもの。
ネット空間に漂う亡霊だ。
躯体から離脱したおぼろげなドットとダッシュのデジタル信号は、「死」そのもの。
デジタル化とはすべてを虚無に還すための「情報の葬式」に過ぎない。

昨今、プライベートでも仕事でも連絡に「LINE」を使ってくださいと促されることが多い。
ガラケー2台で月3000円以内で収まっている身としては、今更スマホなんて導入したくない。大手キャリアだと、安く見積もっても月6500円位かかる。
耐え難い負担だ。
ただ、最近台頭してきた「格安スマホ」だと電話なしのSNSに特化して動画も見ないならば、月800円位で運用できる。
やむを得ず導入を検討しているが、根が天邪鬼なため日常光景に溶け込む「スマホをいじくるその他大勢」に飲まれたくはない。
だからショルダーフォン型のスマホとか軍用無線機型のスマホがあればそれを選択する。
アイフォーン型はお断り。

先日、地上波テレビで『風の谷のナウシカ』を放映していた。
もう、何十回放映されたかは知らない。
今回は久しぶりに観てみた。
吃驚した。
33年前に作られたとは思えないほど造りがちゃんとしている。
『風立ちぬ』のネガティブ印象に覆われて、ここ暫く宮崎アニメのことを思い起こす事がなかったのだが、もうまったく「宮崎駿侮りがたし」である。
それはそうだ。自分が完全に打ちのめされた『未来少年コナン』や『太陽の王子ホルスの大冒険』という系譜の延長上に『ナウシカ』があるのだから当然血沸き肉踊る。
『ナウシカ』は『カリオストロ』に続く宮崎駿監督長編第2作目だと記憶するが、油の乗り切った小気味よい演出と当時憧れた「闘う少女」のかっこよさは今観ても、まったく色褪せてはいない。
1984年度作品と思えぬほど作画の質も遜色がないのには驚く。
CGも結局は人間が作っているのだから根本はセル画時代と変わっていない。むしろCGで処理しなければ難しいシーンを当時、すべて手描きでこなしていた事に意味があったのだ。
手元には1984年当時買ったサウンドトラックと劇中音声のみのアナログレコードがらダビングしたアナログカセットテープがある。
今でも普通に再生できるし、音もよい。カセットケースの中には劇場前売り券を挟み込んで保存。
当時はDVDなどなく、音だけで映像を頭の中で反芻するしかなかったが、またそれが想像力を喚起し妄想を膨らましてくれる。
アナログカセットテープは偉大である。
IMGP0919b.jpg IMGP0910b.jpg

デジタル化とWebは「終りの始まり」。
もう何度となくブログで呟いているが、数多のものがwebの海に飲み込まれた瞬間、世界は終わるのだ。
腐海に埋まる文明社会のように。

いつしかwebの海は有象無象の蛭の巣食う肥溜めと化しているような気さえする。
迂闊に飛び込めば汚物の中で血を吸われながら窒息死する。
まだ匿名掲示板が「トイレの落書き」と称された頃すら懐かしい。
一瞬たりともSNSに足跡を残さず・・というのがこれからの賢者の掟となろう。
だが人々はアヘン中毒患者のようにネットなしには生きられぬ廃人と化してしまったのだ。
ユパは呟く。
「またひとり人がwebの海に沈んだ」

願わくば「風の谷」のようにwebの瘴気に脅かされない土地に住みたいものだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/