ラッセンの絵と中米蜜月

報道
10 /28 2015
ニュースを聞いていたら、中国が領有権を主張する南沙諸島環礁の領海に、アメリカの駆逐艦が侵入したそうだ。
艦名は「ラッセン」。
あの「絵画商法」で有名なイルカの絵を描く画家の名と同じ。無論艦名と画家との間には何の関係もないだろうが。
メディアは、アメリカがやっと重い腰を挙げて、中国の海洋進出にけん制をかけたと伝えているが、果たしてどうなのか?
周辺国の海軍艦艇を動員して一大機動部隊を遊弋させるのならともかく、たった一隻の駆逐艦を通過させただけでは、何の効果もなかろう。
既成事実を積み上げて、事実上中国の支配下となった南沙諸島。アメリカももう、その現状を変えるつもりはないのだ。
一応、反中国で結束するベトナム、フィリピン、日本の手前上、「反対してますよ」というポーズを見せただけ。
実はアメリカはもう、太平洋の西半分は事実上、中国にくれてやってもよいと思っているのだろう。
国益を天秤にかけて、いまさら軍事的に中国と鍔迫り合いしたところで、得るものはない。それよりかは中国の市場だ。
一方、傍観している場合ではないのは日本。
南沙諸島を抑えられてしまえば、中東の石油に未だ依存している日本の生命線は中国の意思次第となる。
その気になればあの辺りを海上封鎖して日本の息の根を止めることだって出来る。
むしろ、それが最大の目的なのだろう。
だから釈迦力になって環礁を埋め立て、3000m級の滑走路まで仕込んで制海権、制空権の確保に勤しんでいるのだ。
日本は遅かれ早かれ、アメリカに裏切られ、孤立を深める事になろう。
「戦争」はすでに始まっていて、戦略的要所はすでに中国に押えられつつある。
そんな状況に気がつかないフリをして、南沙諸島問題が、アメリカと中国の対立軸としか見ていない日本人はとてもおめでたい。
中国にとっての南沙諸島支配は日本屈服のための強大な橋頭堡。
絵画商法でラッセンの絵を高額で購入させられ、痛い損失を蒙り、後悔するのに似て、駆逐艦ラッセンもまた決して我々の味方ではない。
中国とアメリカは内通しており、いつでも日本を中国に売り飛ばす用意は出来ていると疑いの目で見る事が大切。
自分の身は自分でしか守れない。
気づいた時にはいつも遅すぎるのである。

「神話と伝説」

報道
03 /12 2014
3月も半ばに差し掛からんとしている。
商業原稿に追われ、なかなかブログ更新が間々ならない。

BGV代わりにTVを灯すと様々な猥雑な世相が流れ込んでくる。
「現代のベートーベン」、「アンネの日記」、「東京大空襲」、「東日本大震災3周年」云々。
漠然とこれらのニュースを傍観していると朧げながらザワザワとする「如何わしさ」が脳裏を横切る。

歴史は戦争に勝った者によって記され、正義もまた勝者たる既得権者が決めるもの。
真偽は問題ではない。
如何に「神話と伝説」に昇華出きるかでモノの価値が決まるのだ。

「現代のベートーベン」を叩くことは「正義」でも「アンネの日記」の真偽に立ち入ることは許されない。
「東京大空襲」は非戦闘員に対する虐殺行為ではなく、あくまで勝者による「正義の行使」なのだ。
都民10万人の虐殺は勝者にとっては雄々しい「神話と伝説」として輝かしくカーチス・ルメイの下に輝く勲章だ。
「アンネの日記」もまた、その勲章たる「神話と伝説」を勝ち取ったが、「現代のベートーベン」は己の「神話と伝説」を臆病で小心者の「ゴーストライター」と狡猾な「週刊誌記者」に剥ぎ取られ、屈辱にまみれた「犯罪者」として地に堕とされた。

だが、「アンネの日記」と「現代のベートーベン」に如何ほどの差があろうか?
誰が記したかは問題ではない。
その作品を如何に「神話と伝説」に昇華出来るか否かがすべてなのである。

そんな例は枚挙に暇がない。
ヘンリー・ダーガーの諸作品は「芸術」として誰もが認めるものである。
だが、引きこもりの知恵遅れ生涯童貞独身清掃員を「芸術家」に高めたのは、たまたまその作品を見つけた画商の功績に他ならない。
画商が彼を「伝説と神話」で装飾し、「芸術」に昇華したのだ。
もし、ヘンリーダーガーの作品をこの画商ではなく、社会規範に厳しい管理人や警察が見つけたら、彼は「性犯罪者」として投獄され、作品は一夜にして火にくべられただろう。

全てはそういう仕組みなのだ。
「現代のベートーベン」が不幸だったのは、結局「ゴーストライター」氏が目先の合理的な打算でしか動けない凡人だったということ。
「ゴーストライター」氏は「神話と伝説」よりも「日々の現実生活」を選択した。
彼は将来性の乏しい芸術家として歩むより、堅実な音楽教師の道を選んでいる。
彼はミッキーマウスを観ても「あの中にはアルバイトが入っているぬいぐるみだ」とか、初音ミクを聞いても「ただの電子音のプログラムだ」と突き放すような類の人間なのだろう。
彼の作曲技術は「人を感動に誘う」ためには使われず、己の日々の着実な収入のためにしか使われない。
だから彼の作曲能力が如何に高かろうと所詮は「教本」「教材」「見本」の類に終始するしかない。
「現代のベートーベン」というキャラクターなくしては、「ゴーストライター」氏の作品は永遠に「参考書」「好事家」レベルなのだ。

「神話と伝説」を醸し出す事と「ペテン」は表裏一体である。
宗教に科学的根拠は一切ない。
だが、この世には数多の宗教が存在し、献金によって潤う教団は少なくない。
芸術もまた同じ。
「現代のベートーベン」の作曲真偽に科学的根拠がないからといって、彼を糾弾する理由はどこにもないのだ。
彼はいっそ記者会見で己の「神話性」を世に説くべきだった。
「私は神によって作曲能力を授けられた!聴力を超越する神からの電波によって!」と。
そして己の「神話と伝説」を「ペテン」に貶めた週刊誌記者に襲い掛かって刺し違えればよかったのだ。
そうすれば彼の「神話と伝説」は完結する。
それが出来なかったのは「現代のベートーベン」自身もまた、「ゴーストライター」氏と同じく、俗世に塗れた「小心者」でしかなかったということだ。
もし、彼が70年前にオランダの隠れ家でゴーストライター氏と迫害と絶望を描いた曲を記し、戦後発表出来たら、恐らく彼らは「神話と伝説」を獲得し、偉大なる芸術家として歴史に名を残せただろう。
「アンネの日記」と同じようにね。

今の日本に「神話と伝説」を醸し出す環境はどこにもない。
超少子高齢化で新たな価値観は生まれない。

全ては俗世に塗れて「ペテン」と化す。

オリンピックメダリストとジリ貧既得権

報道
02 /13 2014
ロシア黒海沿岸近くの都市で冬季オリンピックが始まったらしい。
何となくナガラでチャンネルを捻っていたら競技映像が映るので暫し眺める。
相変わらず日本選手は低調だとか。
時たまイレギュラーにメダルが転がり込むレベル。
メディアが激しくプッシュし、競技前から「金メダル獲得へ」とか宣伝している選手に限って3位以内にも入れない。

ただ、オリンピックの度に思うのは、もう国ぐるみで「日本選手」を応援するスタイルはおしまいにすべきじゃないかと思う。
世界各国を転戦するアスリートにとって「国代表」というレッテルというのはもう重荷ではないか。
競技練習費用などは国が負担しているのだろうから、あからさまに「日の丸」を背負いたくはない等とは口が裂けても言えないだろうが、正直選手にとってはどうでもよいことだ。
欧米各国の代表を見ても出身地とは違う国籍で参加している選手は少なくない。更に明らかに日本人なのに別の国の代表選手になっている人もいた。
日本に帰属するということが必ずしもモチベーションの維持に役に立つとは思えない。
むしろ「愛国心」が重荷になって実力を100パーセント発揮できない選手もいるはずだ。
テレビでは選手の出身地元住民総出で応援するシーンなどが流れるが、選手本人は本当に嬉しいと感じるのだろうか?
案外、生まれ故郷に嫌な思い出しかなく、それで海外に飛び出し、よい成績を上げている選手だっているだろう。
そんな選手にとっては「地元の応援」など迷惑でしかない。顔も見たくない地元民もいるかもしれない。

スノーボード選手が銀と銅メダルを獲得し、マスコミは「日本スノーボード界の快挙」とか持ち上げるが、選手はいたって冷静。
インタビューなど聞くと「国内ではまともな施設がないので海外転戦で力を発揮します」とか述べていた。
つまり彼らにとって日本に固執する理由なんかない。
ましてや「日本スノーボード界」なるものは存在しないのだ。
己の演技を更に磨ける環境があれば日本国籍に囚われる必要すらなかろう。
だいたい日本のスキー場ではスノーボーダーは嫌われ者にされていると聞く。こんな環境で優れた選手が育つ訳がない。
むしろ日本に帰属することが己の夢体現の足枷になってしまう。
そういう意味では、このスノーボード選手たちの「海外志向」は間違っていないのだ。

逆に日の丸を背負いすぎて潰される典型的な例が女子フィギュア選手の人。
油が乗った最盛期には年齢制限でオリンピックに出れず、いざ4年後に出場してみたらライバルの韓国人選手に足元を掬われた。
にも拘らず、そのまた4年後に日の丸を背負わされて「金メダル確実だから頑張れ」とメディアに急かされて黒海沿岸に引っ張っていかれる気の毒な人。
そこまでやらなきゃいけない理由はなんなのか?
日本代表故の重圧で実力を発揮できないのならば、国籍を変えたほうが本人の幸せに繋がろう。
どこぞのタレントランナーのようにカンボジア代表でエントリーしてもよかろう。
もっとも相当の強化費用が国費から支払われていそうだから日本代表を辞するなんてことは不可能だろう。
しかし今回も辛酸を舐める可能性は高い。
地元の絶頂期ロシア選手に有終の美を飾る韓国選手。ライバルに勝てる要素はどこにもない。

先日、テレビを観ていたら、成田からチャーター便でニューヨークに到着した元東北地方球団ピッチャーの話題が流れていた。
数年前「ハンカチ王子」の引き立て役だった人が、今や何十億円オーダーで大リーグ入りしたという。
自分からすれば往年のV9巨人軍の堀内や城乃内、高橋十三に比べても大したことなかろうと感じる選手が、なんだか東北震災のアドバンテージに後押しされ、無敗で球団を優勝に導いたという「サムラコウジ」もびっくりな「伝説」で株が急上昇。挙句、王、長嶋をも凌ぐ大優遇で大リーガーになってしまった。
その桁違いなバブル契約になんだか興ざめする程。
だが彼にとっては大当たりな人生だ。
何もなければ東北の寒村で燻る以外に生きる道はなかったのに「ハンカチ王子」と「東日本大震災」のお陰でジリ貧日本を脱出し北米の億万長者となったのだ。
その一方で「主役」だった筈の「ハンカチ王子」は北辺の球団2軍で燻る日々。
人生を飛躍させるアドバンテージに恵まれた者と縁のない者との差は幾許か。
アスリートも芸術家も数多のクリエーターも様々な「利権」を活用しない限り、花開かせられないという典型的な例だろう。
そういう意味では「サムラコウジ」の選択は間違っていなかったのである。
「被爆2世」「障害者」「震災慰労」という「利権」を活用して何が悪い。
彼が「悪党」ならこの東北球団ピッチャーも罪を免れない。
誰が非難出来ようか?

元アメリカ大統領令嬢の駐日米大使が和歌山のイルカ追い込み漁を止めろと発言したそうである。
そもそも、なんでこの和歌山の漁師はイルカ大虐殺ゲームを未だに続けているのだろう?
新聞によると、追い込み漁自体は差ほど歴史がある行事ではないそうだ。
イルカ漁が死活問題でもなさそうだし、地場産業というわけでもない。単に漁師の残虐本能を満たすために余興で続けているに過ぎないようだ。
「鯨漁は日本の食文化だ」等といつまでもごねていたところで、もはや国益にはならない。
今更鯨の竜田揚げがなくとも困らないし、日本人のどれだけが捕鯨の恩恵を受けているのか?
むしろイルカの体内には重金属が蓄積されており、それを摂取することは健康を著しく阻害するそうだ。
捕鯨イルカ漁で恩恵を受けるのはせいぜい数百人オーダー。
「シーシェパード」に賛同するつもりは更々ないが、そのジリ貧捕鯨業界既得権のために欧米から非難を受けなくてはならない謂れはない。
正直、迷惑だ。
和歌山の一握りの漁師のせいで日本人全員が「残虐民族」とレッテルを貼られる事実に日本政府はなぜこんなにも疎いのか?
だから日本海を「東海」に書き換えられる運動に弾みがつくのだ。
アメリカの知識人や有力者にとって日本人のイルカに対する残虐性は許しがたい。
それを戒めるために日本海の名称を抹消するのは然るべきと考えていても不思議はない。
そういうことに鈍感な日本外交は絶望的でもある。

このまま和歌山の残虐漁民を放置すれば、アメリカは黙っていまい。
米海兵隊が実力行使で和歌山太地町に対し、空爆と上陸作戦で残虐漁民を徹底的に叩く可能性も大いにある。
4月のオバマ訪日もこの対応に掛かっていよう。
欧米文化圏の価値観からすれば太地町漁民の命などイルカの生命より軽い。
それを日本人は自覚すべきであり、日本外交に重大な影響を与えていることに一刻も早く気が付くべきだ。
このまま役にも立たないジリ貧の捕鯨既得権益にしがみついても日本に未来はなかろう。

ニュースによると直近の日本経常収支黒字は最盛期の8分の1だそうである。
赤字に陥るのは時間の問題だろう。
やがて石油を買うお金すらなくなる。原発も止めるなら一瞬で干上がる。
新たな産業創生は急務だという。
それが何かと問えばマスコミは「高齢者介護産業の輸出」だそうである。
本気で言っているのか?またもジリ貧既得権だ。
そんなもの将来の基幹産業になるとでも思うのか?死に逝く者のために投資する国がどこにある?
噴飯レベルだ。
未来を考えるならば新たな世代創出に投資するのが当たり前。
老いた団塊の世代を生きながらえさせるために国力を浪費させるのなら団塊が墓場に逝くと同時にこの国は滅びる。
ジリ貧既得権救済とは冗談にもならない。

こんな国にしがみついていて何の得があろうか?
そろそろこの日本に「中興の祖」みたいな指導者が現れない限り、早々滅びるのは確実だろう。

15歳のスノーボーダーや「ハンカチ王子」添え物東北ピッチャーはこんなジリ貧既得権日本に見切りをつけて正解であろう。
彼らには先見の明がある。
実に羨ましい。

渦中のゴーストライター

報道
02 /07 2014
ツイッターでも呟いたが「現代のベートーベン」のゴーストライター氏のこと。
そもそもこの「全聾の作曲家」が話題になっていることすらまったく知らなかった。
知ったところで関心事の範疇ではないし、どうでもよかったのだが「ものづくり」の仕組みについてなんだか引っかかる感じがしたので、このゴーストライター氏の記者会見を暫く眺めていた。

さて音楽のことは疎いので正確なことは知らない。
だが音楽の専門教育を受けて交響楽のスコアを書ける人はそれなりに居るのだろう。
しかしクラシックの作曲だけで生活出来る人が稀有な事は想像に難くない。
ましてやミリオンヒットなど皆無に近い。
渦中のゴースト作曲家はこの話に乗らなかったら世に出ることすらなかったのは間違いなかろう。

最初の段階で大手のレコード会社なりが巧妙にプロデュースしていれば、ゴーストも「全聾作曲家」も何の呵責も為しに世を渡っていけた可能性はある。
恐らくまったく同じ構図で「活躍」している 「音楽家」は実は大勢いるはずだ。

因みにスコアが読めない書けない名アーチストは沢山いると聞く。
楽譜が読み書き出来る事と表現能力の有無は違うのだろう。
漫画でもたまにデッサン、パーツ至上主義者が居るが、正確すぎる絵というのは意外に退屈。
楽譜やデッサンは音楽や絵の基本を伝達する手段に過ぎない。
人の琴線を揺さぶる表現活動とは別物だ。

そもそも歴代の大作曲家だって殆どを弟子に書かせていたのかもしれない。
「伝説の大作曲家」なるものは後の興行師が後付で装飾して付加価値をつけていたとしても不思議はない。
「ペテン師」」と「伝説の巨匠」なんて紙一重だ。
今回は興行師たるマスコミが担ぎ上げたのが不幸の始まり。

漫画家もサラリーマン並みの収入得るためには分業は不可欠だし、優秀なアシスタントあってこその作家もいる。
いや、数多のクリエイティブな仕事に程度の差はあれどゴーストは不可欠。
処世術で乗り切る才覚がある者だけが脚光を浴びる世界。
(以上、ツイッターの呟きのまとめ)

そんな一般論はさておいて、このゴーストライター氏のことを考えてみる。
まず処世術が異様に乏しい。
とにかく御人よし過ぎる。
誰かからの伝手で疑いもなく「現代のベートーベン」のゴーストライターを請負い、状況が大げさになっても尚、誰にも相談せずただ言われるがまま作曲を続ける。
しかし、それは戦略的打算があった訳でもなく、ただの言いなり。
元が野心家でもなさそうだから事がオリンピック代表選手に関わるに至ると恐怖に苛まれてしまう。

週刊誌の記事は読んでいないからどういう経緯でこうなったかは知らない。
だが結局あのような記者会見をする所まで追い込まれてしまったのは不幸だ。
このゴーストライター氏も、依頼人を「ペテン師」呼ばわりする週刊誌ネタとして曝したいとは思っていなかったに違いない。
だがこの人はまったく処世術に疎かったので、まんまとゴシップネタの出汁に使われてしまったのだ。
結局、全て言いなりになるしかなかった人なのだ。

最初は「現代のベートーベン」に。
そして次は週刊誌の記者に。

美味しい汁をみんな持っていかれたのだ。
狡猾な山師たちに。

もしこの人に多少、野心や処世術があったとしたら、もっと賢く振舞って「現代のベートーベン」を逆にコントロールし、生涯優雅な生活を獲得できたかもしれない。
しかしこの人にはそんな野望すらなかったのである。
ただ、ひたすら己に忠実な音楽を作りたかっただけなのだろう。

もともとゴーストライターなんて器じゃなかったのだ。
「不誠実」を貫くことがゴーストライターの本義である。
墓場まで真実を隠し通してなんぼの職業だ。
しかし、そんなことすら解らない、そんな覚悟すらないほどお人好しで純粋すぎたのだ。
にも拘らずゴーストライターなんて不純な職に18年間も手を染めてしまった。
あまりの絶対矛盾に吃驚するしかない。

最初に真っ当なプロデューサーに会っていれば、もっと幸福な音楽家として世に己の作品を広めることが出来たろう。
しかし、彼が出会ったのは不幸にも「山師」みたいな男とゴシップに飢えたフリージャーナリスト。
余程、「出会い運」に欠けた人なんだと思う。

それでもこの人の作った曲は、皮肉にも世に広まっってしまった。
結果として多くの人の琴線に触れた音楽を世に知らしめたのだ。

己の作品を世に刻むべく必死にプロモーションを繰り広げるも、それが果たせないクリエーターは無数にころがっている。
一方、このゴーストライター氏は無欲で野心もなく、お人好し故に狡猾な連中に翻弄されつづけたにも拘らず、己の作品をミリオンヒットさせることが出来たのだ。

これが不可思議と言わずして何であろうか。
いつの世も己の作品が世に受け入れられる理由は、己の意思とは関係ないところで始まるのだ。

クリエーターはただその波に翻弄されるだけ。

核武装は男の甲斐性と同じだ

報道
11 /28 2013
男は甲斐性がなければ、己も人も幸せには出来ない。
同時に国にとっての甲斐性って何かと考えた時、それは核武装なのだと思うことがある。

中国が防空識別圏を設定したり、在中国大使館が在日中国人の事前登録を呼びかけたりする報道を聞くにつけ、中国は本気で戦争という選択肢を排除しない覚悟があるのだと考える。

なぜなら中国は核保有国だから。

アメリカのB52が中国の設けた防空識別圏に事前通告なしに侵入したという。
日本人の大半はそれに安堵し、米国が日本のために動いてくれたと歓迎しているのだろう。
いや待て。
この米軍の示威飛行は中国だけでなく、日本にも睨みを利かせたのではないか。
この領域は米国の支配下であって、日本もその意思に従えと。日本が独自で領土保全に走ることは許さぬと。

冷戦以降、米国にとって日本を血を流してまで守る価値のある国とはもはや思って居まい。
石油や貴重な資源がある訳でもないのだ。ましてや米国の財政は逼迫している。無駄金を冷戦の遺物である日米安保のために浪費する余裕はない。
中国が台頭し、それが米国の利益に叶うのなら日本などいつでも中国にくれてやると思っているのだろう。
中国は太平洋の西半分を欲しがっているようだが、それ相応の利益が米国に転がり込むようなら止む無く譲渡するかもしれない。
日米安保など明日にでもゴミ箱行きだ。
米国はあっさり日本から撤退し、中国に好き放題やらせるだろう。

国家間に真の友情は存在しない。
国が真の独立と領土保全を求めるならば、男の甲斐性と同じく核武装が必須だ。
核を持たぬ国は、甲斐性がない男と同じく、幸せを手に入れることが出来ない。
甲斐性のない男は惨めだ。
あらゆる人生の節目において、自己解決することが出来ない。
自立、結婚、子供を設け、育てること。
これすべて男の甲斐性に掛かっている。女は全て男の甲斐性を頼りにする。
こんなにも男女に給与格差があるにも拘わらず女性がニコニコしているのはそのためだ。
貯蓄もなく、社会的地位もスキルもない男は未来を創造出来ない。
男は「歩くATM」として常に甲斐性を備えていなければ、明日を迎えることさえ難しい。

同じく国家も核武装なくして世界に向けて真の自主独立を謳うことなど不可能なのだ。
核武装無き国は惨めだ。
核武装国の恫喝に最終的には屈服しなければならない。
いくら声高に中国の行動を「力による現状変更は許さない」と叫べど、その訴えは世界に届かない。
なぜなら核武装国ではないから。

そもそも固有の領土なんて概念がおかしい。
その時に「力」ある者がその土地を占有できるのだ。
沖縄だって元々は琉球王国のものだった。それを日本が実力で屈服させた。
更に太平洋戦争でアメリカが占領し、日米安保下において辛うじて日本に戻ってきただけ。
そしてお次は中国だ。
中国はその「力」があると宣言しているのだ。
そして、その「力」はある。
なぜなら核武装国だから。

核のない国に真の独立などありはしない。
日本の中国に対する抗議云々など所詮「男妾の泣き言」に過ぎない。
女郎が隣の成金暴力男に甚振られ散々泣かされている。仕方なく昔馴染みのパトロン男が仲介に入っているというような構図だ。
男妾に甲斐性はない。
だから惨めになるのだ。真の独立を得られないのだ。だったら甲斐性をつけるしかない。
国にとっての甲斐性が核武装なら躊躇なく実践すべきだ。

米ソ冷戦下は相互確証破壊(MAD)、すなわち2つの核保有国の双方が、相手方から核先制攻撃を受けても、相手方の人口と経済に耐えがたい損害を確実に与えるだけの核報復能力を温存できる状態の下で均衡が保たれてきた。
それが一等文明国としての権利と義務だ。
核兵器を己の自主独立のため、責任を持って管理運営すること。
これなくして文明国とは言えない。
最初から核を放棄するなどということは、文明を否定することと同じだ。

すべての万物は諸刃の剣で成り立っている。
核が絶対悪などという詭弁で現実を逃避していればいずれ核保有国に滅ぼされる運命。
男の甲斐性と同じ。
金を稼ぐことは時として意地汚い行為だ。金で身を滅ぼすことも日常茶飯事。
しかし甲斐性なくして妻を娶ることも子を養うことも出来ぬ。
己の遺伝子を未来に残したいなら甲斐性をつける以外に方法はない。

だから国家も核武装なしに未来は得られない。
核武装を否定するのなら、国の自主独立や領土保全など主張する権利などなかろう。
さっさと独立放棄して核武装国に隷属すればよいことだ。
惨めだが男妾として生きる方法もあろう。
にも拘らず、核武装しないけど領土保全は絶対貫くなんて虫が良すぎる。
甲斐性のない男が正妻を娶りたいと泣け叫んでるのと同じ。
そんな男に女が振り向くと思うのか。
甲斐性のない男は一生惨めな人生を歩まねばいけないのと同じく、核武装できない国は末代まで一等国とは認められないのだ。

今、日本がとるべき唯一の方策は中国と相互確証破壊状況を作り出すこと。
中国が核攻撃してきたら必ず同程度の報復が出来る状況を整えることだ。
それ以外に未来は築けない。
このままだと遅かれ早かれ中国は日本に核攻撃してくるだろう。
現状であれば日本からの報復はない。東京に核ミサイルを撃ち込んでも北京は安泰なのだ。
東京が壊滅すれば日本はおしまいだ。東アジアで中国に盾突く存在は消滅する。
欧米には中国に持っていた日本の権益を分け与えると予め密約していれば彼らも黙認するだろう。
在中国大使館が在日中国人に事前登録を呼びかけているのも、核攻撃が決まった段階で事前に自国民を脱出させる手筈の一環なのだと思われる。
また米大使に新しく着任した元大統領の令嬢も中国の日本に対する核先制攻撃を踏まえて、自国民の保護脱出計画を策定するための目的があるのかもしれない。
1975年のベトナム戦争サイゴン陥落時の混乱が、2014年東京で再現される。
東京のアメリカ大使館や横田基地から次々とヘリで脱出するアメリカ人。東京湾には米空母が待機し彼らを収容する。
中国人も次々に羽田から脱出。
その数時間後に東京上空で中国の核爆弾が炸裂するのだ。
この可能性は十分すぎるほどある。

この国には核運搬手段も原料も運用技術も存在するにも拘らず、一向に核武装の実践が伴わない。
あるのは毛沢東語録のような憲法9条、無駄に溜まるプルトニウム、艦載機のない似非空母、搭載する戦略核ミサイル潜水艦がない固体燃料ロケット、糞の役にも立たない介護ロボットなど等枚挙に暇がない。
もっとも「同盟国」のアメリカが日本の核武装を許す訳もなかろう。
世界は今でも第2次世界大戦の戦勝国たる国連常任理事国がイニシアティブを握っている。
敗戦国に核武装の権利はない。
いつまでたっても「男妾」としての運命を背負わされているのだ。
日本版国家安全保障会議を作ったり秘密保護法を制定したところで所詮「アメリカの妾」であることには変わりない。
そのアメリカが「男妾」たる日本より中国のほうに「旨み」を感じれば、明日にでも捨てられる。
日本はそんな国なのだ。

甲斐性のない男は惨めだ。
妻を娶り、子を設けて自慢げにSNSに娘の写真をアップしている「甲斐性あるリア充男」の姿を指を加えて泣きながら見つめるしかないのだ。
核武装出来ぬ国もまた然り。
日本は所詮、世界から見たら「引きこもりニートの甲斐性なし男」だ。
「火垂るの墓」の清太だ。
それを自覚した上で、中国と対峙していかなくてはならない。
結局日本は将来アメリカに代わって中国の「男妾」として生きていかざるを得ない。
中国ががとんでもないDV男だったとしても毎日尻を掘られながら耐えるしかないだろう。

それが嫌なら核武装しかない。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/