「青い地球は誰のもの?」

報道
06 /09 2016
気がつくと季節は入梅。
次第に空気が暑さと湿気を運んでくる。
先日、冨田勲の追悼番組をラジオで聴く。
数年前に放送された対談の再録ではあったが興味深かった。
その中で『70年代われらの世界』が話題に上った。
己の世代にとって「70年代」という響きは、ワクワクする事がたくさん待っている「科学が保障する希望の世紀」だった。
テレビから流れる『70年代われらの世界』のテーマソングはこう唄う。
「青い地球は誰のもの?」
繰り返しの合唱の中、アポロ8号が映したと思われる地球の画像をバックに子供たちがかけていく。

この番組のメインテーマは「文明批判」。
公害とか人口問題等が記憶に残る。
経済大国日本が極東の雄として欧米とガップリ四つで釈迦利器に渡り合えた時代。
自我が芽生え始めた小学校高学年から中学生に至る当時の己の脳裏に「文明の闇」と「批判精神」を植えつけた番組でもあった。
「青い地球は誰のもの?」
そう、当時はそれを未来を育む子供たちに向けて謳ったのだ。
その頃の子供たちはもはや60近い。

同盟国の大統領なる者が先月、最初に原爆投下された都市を訪れたそうだ。
「核廃絶」を謳いあげたところで、その手には核ミサイル発射指令装置が握られている矛盾。
日本の宰相がその「お礼」に近々真珠湾を参拝するそうだ。
これで思い出したのが、東京大空襲で非戦闘員を10万人のオーダーで殺害したカーチス・ルメイに、戦後、日本政府が大層な勲章を授与した件。
これも、たしか真珠湾攻撃を立案した当時の帝國海軍将官が、戦後国会議員になった際、アメリカから勲章をもらったのでそのバランスを取るためだったとか。
核廃絶等というお題目は、最初からどうでもよかったのである。

米国にとって核は日本を無条件降伏させた最大の功績者だ。
すべての核保有国はそれを知っている。
だから核で武装する。
それを止める意思などどこにもないのにも拘わらず、念仏のように「核廃絶」を謳うのは文明に対する怠慢以外のなにものでもない。

「青い地球は核保有国のもの」
これは疑いのない事実である。
核を持たない国に地球文明のイニシャティブは掴めない。
もし、日本が本気で「核廃絶」云々を実践するつもりならば核を凌駕するパワーを保持しなければならぬ。
『風の谷のナウシカ』に出てきた巨神兵を創出し、「調停者オーマ」として全世界を武装解除へ導かせる。
「調停者オーマ」のみが核廃絶の実践者。
そしてこれが唯一の、真の「憲法第9条」実践へと繋がる。
「調停者オーマ」がプロトン光線で南沙諸島の一つ二つ消し飛ばせば、誰もが彼に従うだろう。
だが、日本人の誰一人、巨神兵創出に向かって前進しようともしない。
「護憲論者」も「改憲論者」も机上の空論で無駄に時を重ね、何一つ実りのない「念仏」を繰り返すだけ。
そのような「念仏」は単なる自己欺瞞に過ぎない。
そんな国はいつまでも核保有国に翻弄され続ければよい。

どこかで、日本の報道自由度ランキングが72位だとか耳にした。
どこの誰がそんな順位を決めたかは知らない。
「自由」の度合いはさておいても「痴呆度」はかなりのものである。
日本の生命線である南シナ海がまもなく中国によって完全封鎖される状況が迫っているにも拘らず、その国家的危機情報を放置し、俗人の首長をつるし上げる事に血眼になっているマスコミが重度の痴呆であることは論を待たない。
公金横領とか騒いでいるが、歴代の首長は桁違いに使い込んでいたそうな。みんなやっていたことなのである。
要するにこれはただの口実で何処かの誰かが国政選挙も近いから、目障りな首長を陥れて取り合えず、国民の目を逸らそうと、まあそんな按配だろう。あのオリンピックエンブレム騒ぎと同じ。
それに踊らされる国民もまた哀れ。
かつての総力戦で海上封鎖され、飢餓列島と化した歴史的事実を省みず、南沙諸島の案件は中国とアメリカの諍いと他人事のように扱うマスコミの姿勢は国民に対する背信行為と同等だ。

中国は近年、南シナ海中央部を覆う「九段線」を持ち出して、その海域の全ての島々の領有権を含む独占的な権利を主張している。
南沙諸島のファイアリー礁、西沙諸島のウッディー島、そしてフィリピン西方沖のスカボロー礁を結ぶ三角点に強力な航空兵力を有する基地を確立させれば、南シナ海は完全に中国の実効支配権に落ちる。
ここが如何なる海域であるかは論を待たない。
即ち、日本の生命線である中東からの石油タンカー、戦略物資輸送の要のシーレーンであることは誰の目にも理解できよう。
ここが中国に抑えられれば、もはや日本に独立と自由は存在しない。
中国は「反日」で成り立っている国だ。この南シナ海支配が完成した暁に最も優先される作戦は決まっている。
日本に対する海上封鎖だ。
もはや、アメリカは日本の味方ではない。
アメリカは中国と利害が一致すれば、日本など眼中にない。あっという間に見捨てる。
中国は太平洋の西半分が欲しいと兼ねてから渇望している。アメリカにとって太平洋の東半分さえ保障されれば、別段南シナ海などどうでもよいのである。所詮極東の端っこの海だ。固執してまでアメリカが支配しなければならない海域でもない。
実際、米中は中日とは違い、首脳同士足繁く会っているし、交易面では相互依存が高まっている。
その気になれば太平洋を仲良く分け合う事だって辞さないだろう。
一方、日本にとって南シナ海は紛れもない生命線だ。ここが敵性国に抑えられれば完全に壊滅する。
70数年前の戦争がそれを証明している。そして中国は日本を滅ぼすことが国是な国なのだ。
かつて侵略された復讐を必ずや晴らそうと虎視眈々なのである。
だからこそ、中国の南沙諸島実効支配は日本存亡に拘わる戦後最大級の外交軍事事案。
彼らは歌う。
「青い南沙諸島は中国のもの」
「やがて日本も中国のもの」
その歌声に耳を貸そうともせず、下らない俗人首長のドタバタ劇に執心するマスコミの様は噴飯を超えて、国民に糞尿を巻き散らしているようなもの。
やがてアメリカに捨てられ、南シナ海を中国に支配され、最後通牒を突きつけられて、その時になって「欲しがりません。勝つまでは」とか叫び始めるのつもりか。
マスコミはいつの時代もこの調子だ。そして国民は欺かれ、ひどい目に合うのである。

先日、駅前を歩いていたら不動産販売の男が道行く人に「土地を買わないか」と片っ端から声をかけていた。
ああ、この国は気が狂い始めたと思った。
生活保護163万人。超少子高齢化に悲観的未婚率。いつ来るかもしれぬ大地震。
かつて栄華を誇った日本の家電メーカーは今や見る影もない。すでに日本の非正規雇用労働者は成長著しいアジアの所得水準を下回っているそうだ。大挙して訪れている外国人観光客のほうが裕福なのである。
要するに日本はもはや先進国から転げ落ちたのだ。
そんな国に住む庶民に億単位の都心の土地を飛び込みセールスする狂気。
完全にバランスが崩壊している。
もうおしまいだ。
この国は遅かれ早かれ、3発目の原爆を落とされ、隣の国の軍門に降るのは必至だ。

「青い地球は誰のもの?」
かつて子供たちに語りかけた希望の歌はもう聞こえない。
絶望が徘徊するだけのこの国に、もう青い地球を語る資格もない。
もはや希望を繋ぐ次世代はいないのだから。

この現状を覆せるのは「調停者オーマ」だけ。
広島オーマ16050色








国産新型旅客機の行方

報道
11 /12 2015
テレビが国産の旅客機が初飛行したことを告げている。
半世紀ぶりだとか。
だが、アメリカの超音速爆撃機XB-70の初飛行のような斬新さもなく、B747の圧倒する巨大さもない。
あまりにも地味な機体。
すでにこのクラスの航空機市場のシェアは他国のメーカーに独占されているらしい。
どうやって販路開拓するつもりなのだろう。
燃費や乗り心地がよくても価格が高ければ売り上げは見込めない。
そのためには恐ろしいほどのアンフェアな手段でも使わない限り、まともな参入は難しい。
たとえばこの旅客機を世界各国にタダ同然で数百機オーダーで航空会社に贈呈するとかして、市場にねじ込んで行かぬ限り、展望はなかろう。
目先の利益にこだわっていては、新幹線の二の舞だ。
インドネシアの高速鉄道計画で中国に負けたのは、採算を度返しした中国の戦略に他ならない。
100年先を見据え、インドネシアの権益を手中に収めるためには、まともな商行為など意味はない。
鉄道を植民地経営の基盤とするからこそ出来る戦略だ。
目先の利益しか考えられないうちは何をやっても中国に負ける。
この国産旅客機も同じ事。
いくら性能や安全性がよくても、またもやガラパゴス化するだけ。
いずれコスト競争に敗れ、数機が国の機関や自衛隊、海上保安庁に残るに過ぎない。
YS-11と同じ運命だ。

何回となくこのブログで述べているのだが、日本がもし、自動車に変わる基幹産業として何かを立ち上げたいのならば、他国がやっていない新しい分野に乗り出すしかない。
それはセクサロイドだ。
これを国家を挙げて美少女のアンドロイド化と人格移植OSをマンハッタン計画レベルで開発し、全世界にタダでばら撒き、シェアを磐石なものとする。
ユーザーはいすれ、セクサロイドなしでは生きられなくなる。バージョンアップは当然有料だ。
先行投資は膨大だが、その分見返りは大きい。
ビッグな市場となった時にはもう日本のセクサロイドを追随出来る国はいまい。
もはや日本の独断場になろう。
アップル社のアイフォーンのようにね。

スマホも阿片も同じようなものである。
いずれ人はそれなしには生きられなくなる。
同じように、日本はセクサロイドを全世界にばら撒けばよいのだ。
航空機で勝負する時代は半世紀前に終わっている。
しかし、そのような革新的発想を実践できる賢者は、残念ながらもう日本にはいない。
あるのは旧態依然とした既得権、世襲の硬直した守旧的思考の産物ばかり。
だから出来るものといえば
艦載機のない空母、核弾頭のない固体燃料ロケット、火星に行かない探査機、世界市場に進出できない新幹線、おもちゃの「介護」ロボット、そして売れそうにない旅客機等等。
セクサロイドもまた、雛形は日本製だとしても、遅かれ早かれアメリカか中国がダイナミックな戦略で市場を席巻するだろう。
何もかもが手遅れだ。

ラッセンの絵と中米蜜月

報道
10 /28 2015
ニュースを聞いていたら、中国が領有権を主張する南沙諸島環礁の領海に、アメリカの駆逐艦が侵入したそうだ。
艦名は「ラッセン」。
あの「絵画商法」で有名なイルカの絵を描く画家の名と同じ。無論艦名と画家との間には何の関係もないだろうが。
メディアは、アメリカがやっと重い腰を挙げて、中国の海洋進出にけん制をかけたと伝えているが、果たしてどうなのか?
周辺国の海軍艦艇を動員して一大機動部隊を遊弋させるのならともかく、たった一隻の駆逐艦を通過させただけでは、何の効果もなかろう。
既成事実を積み上げて、事実上中国の支配下となった南沙諸島。アメリカももう、その現状を変えるつもりはないのだ。
一応、反中国で結束するベトナム、フィリピン、日本の手前上、「反対してますよ」というポーズを見せただけ。
実はアメリカはもう、太平洋の西半分は事実上、中国にくれてやってもよいと思っているのだろう。
国益を天秤にかけて、いまさら軍事的に中国と鍔迫り合いしたところで、得るものはない。それよりかは中国の市場だ。
一方、傍観している場合ではないのは日本。
南沙諸島を抑えられてしまえば、中東の石油に未だ依存している日本の生命線は中国の意思次第となる。
その気になればあの辺りを海上封鎖して日本の息の根を止めることだって出来る。
むしろ、それが最大の目的なのだろう。
だから釈迦力になって環礁を埋め立て、3000m級の滑走路まで仕込んで制海権、制空権の確保に勤しんでいるのだ。
日本は遅かれ早かれ、アメリカに裏切られ、孤立を深める事になろう。
「戦争」はすでに始まっていて、戦略的要所はすでに中国に押えられつつある。
そんな状況に気がつかないフリをして、南沙諸島問題が、アメリカと中国の対立軸としか見ていない日本人はとてもおめでたい。
中国にとっての南沙諸島支配は日本屈服のための強大な橋頭堡。
絵画商法でラッセンの絵を高額で購入させられ、痛い損失を蒙り、後悔するのに似て、駆逐艦ラッセンもまた決して我々の味方ではない。
中国とアメリカは内通しており、いつでも日本を中国に売り飛ばす用意は出来ていると疑いの目で見る事が大切。
自分の身は自分でしか守れない。
気づいた時にはいつも遅すぎるのである。

「神話と伝説」

報道
03 /12 2014
3月も半ばに差し掛からんとしている。
商業原稿に追われ、なかなかブログ更新が間々ならない。

BGV代わりにTVを灯すと様々な猥雑な世相が流れ込んでくる。
「現代のベートーベン」、「アンネの日記」、「東京大空襲」、「東日本大震災3周年」云々。
漠然とこれらのニュースを傍観していると朧げながらザワザワとする「如何わしさ」が脳裏を横切る。

歴史は戦争に勝った者によって記され、正義もまた勝者たる既得権者が決めるもの。
真偽は問題ではない。
如何に「神話と伝説」に昇華出きるかでモノの価値が決まるのだ。

「現代のベートーベン」を叩くことは「正義」でも「アンネの日記」の真偽に立ち入ることは許されない。
「東京大空襲」は非戦闘員に対する虐殺行為ではなく、あくまで勝者による「正義の行使」なのだ。
都民10万人の虐殺は勝者にとっては雄々しい「神話と伝説」として輝かしくカーチス・ルメイの下に輝く勲章だ。
「アンネの日記」もまた、その勲章たる「神話と伝説」を勝ち取ったが、「現代のベートーベン」は己の「神話と伝説」を臆病で小心者の「ゴーストライター」と狡猾な「週刊誌記者」に剥ぎ取られ、屈辱にまみれた「犯罪者」として地に堕とされた。

だが、「アンネの日記」と「現代のベートーベン」に如何ほどの差があろうか?
誰が記したかは問題ではない。
その作品を如何に「神話と伝説」に昇華出来るか否かがすべてなのである。

そんな例は枚挙に暇がない。
ヘンリー・ダーガーの諸作品は「芸術」として誰もが認めるものである。
だが、引きこもりの知恵遅れ生涯童貞独身清掃員を「芸術家」に高めたのは、たまたまその作品を見つけた画商の功績に他ならない。
画商が彼を「伝説と神話」で装飾し、「芸術」に昇華したのだ。
もし、ヘンリーダーガーの作品をこの画商ではなく、社会規範に厳しい管理人や警察が見つけたら、彼は「性犯罪者」として投獄され、作品は一夜にして火にくべられただろう。

全てはそういう仕組みなのだ。
「現代のベートーベン」が不幸だったのは、結局「ゴーストライター」氏が目先の合理的な打算でしか動けない凡人だったということ。
「ゴーストライター」氏は「神話と伝説」よりも「日々の現実生活」を選択した。
彼は将来性の乏しい芸術家として歩むより、堅実な音楽教師の道を選んでいる。
彼はミッキーマウスを観ても「あの中にはアルバイトが入っているぬいぐるみだ」とか、初音ミクを聞いても「ただの電子音のプログラムだ」と突き放すような類の人間なのだろう。
彼の作曲技術は「人を感動に誘う」ためには使われず、己の日々の着実な収入のためにしか使われない。
だから彼の作曲能力が如何に高かろうと所詮は「教本」「教材」「見本」の類に終始するしかない。
「現代のベートーベン」というキャラクターなくしては、「ゴーストライター」氏の作品は永遠に「参考書」「好事家」レベルなのだ。

「神話と伝説」を醸し出す事と「ペテン」は表裏一体である。
宗教に科学的根拠は一切ない。
だが、この世には数多の宗教が存在し、献金によって潤う教団は少なくない。
芸術もまた同じ。
「現代のベートーベン」の作曲真偽に科学的根拠がないからといって、彼を糾弾する理由はどこにもないのだ。
彼はいっそ記者会見で己の「神話性」を世に説くべきだった。
「私は神によって作曲能力を授けられた!聴力を超越する神からの電波によって!」と。
そして己の「神話と伝説」を「ペテン」に貶めた週刊誌記者に襲い掛かって刺し違えればよかったのだ。
そうすれば彼の「神話と伝説」は完結する。
それが出来なかったのは「現代のベートーベン」自身もまた、「ゴーストライター」氏と同じく、俗世に塗れた「小心者」でしかなかったということだ。
もし、彼が70年前にオランダの隠れ家でゴーストライター氏と迫害と絶望を描いた曲を記し、戦後発表出来たら、恐らく彼らは「神話と伝説」を獲得し、偉大なる芸術家として歴史に名を残せただろう。
「アンネの日記」と同じようにね。

今の日本に「神話と伝説」を醸し出す環境はどこにもない。
超少子高齢化で新たな価値観は生まれない。

全ては俗世に塗れて「ペテン」と化す。

オリンピックメダリストとジリ貧既得権

報道
02 /13 2014
ロシア黒海沿岸近くの都市で冬季オリンピックが始まったらしい。
何となくナガラでチャンネルを捻っていたら競技映像が映るので暫し眺める。
相変わらず日本選手は低調だとか。
時たまイレギュラーにメダルが転がり込むレベル。
メディアが激しくプッシュし、競技前から「金メダル獲得へ」とか宣伝している選手に限って3位以内にも入れない。

ただ、オリンピックの度に思うのは、もう国ぐるみで「日本選手」を応援するスタイルはおしまいにすべきじゃないかと思う。
世界各国を転戦するアスリートにとって「国代表」というレッテルというのはもう重荷ではないか。
競技練習費用などは国が負担しているのだろうから、あからさまに「日の丸」を背負いたくはない等とは口が裂けても言えないだろうが、正直選手にとってはどうでもよいことだ。
欧米各国の代表を見ても出身地とは違う国籍で参加している選手は少なくない。更に明らかに日本人なのに別の国の代表選手になっている人もいた。
日本に帰属するということが必ずしもモチベーションの維持に役に立つとは思えない。
むしろ「愛国心」が重荷になって実力を100パーセント発揮できない選手もいるはずだ。
テレビでは選手の出身地元住民総出で応援するシーンなどが流れるが、選手本人は本当に嬉しいと感じるのだろうか?
案外、生まれ故郷に嫌な思い出しかなく、それで海外に飛び出し、よい成績を上げている選手だっているだろう。
そんな選手にとっては「地元の応援」など迷惑でしかない。顔も見たくない地元民もいるかもしれない。

スノーボード選手が銀と銅メダルを獲得し、マスコミは「日本スノーボード界の快挙」とか持ち上げるが、選手はいたって冷静。
インタビューなど聞くと「国内ではまともな施設がないので海外転戦で力を発揮します」とか述べていた。
つまり彼らにとって日本に固執する理由なんかない。
ましてや「日本スノーボード界」なるものは存在しないのだ。
己の演技を更に磨ける環境があれば日本国籍に囚われる必要すらなかろう。
だいたい日本のスキー場ではスノーボーダーは嫌われ者にされていると聞く。こんな環境で優れた選手が育つ訳がない。
むしろ日本に帰属することが己の夢体現の足枷になってしまう。
そういう意味では、このスノーボード選手たちの「海外志向」は間違っていないのだ。

逆に日の丸を背負いすぎて潰される典型的な例が女子フィギュア選手の人。
油が乗った最盛期には年齢制限でオリンピックに出れず、いざ4年後に出場してみたらライバルの韓国人選手に足元を掬われた。
にも拘らず、そのまた4年後に日の丸を背負わされて「金メダル確実だから頑張れ」とメディアに急かされて黒海沿岸に引っ張っていかれる気の毒な人。
そこまでやらなきゃいけない理由はなんなのか?
日本代表故の重圧で実力を発揮できないのならば、国籍を変えたほうが本人の幸せに繋がろう。
どこぞのタレントランナーのようにカンボジア代表でエントリーしてもよかろう。
もっとも相当の強化費用が国費から支払われていそうだから日本代表を辞するなんてことは不可能だろう。
しかし今回も辛酸を舐める可能性は高い。
地元の絶頂期ロシア選手に有終の美を飾る韓国選手。ライバルに勝てる要素はどこにもない。

先日、テレビを観ていたら、成田からチャーター便でニューヨークに到着した元東北地方球団ピッチャーの話題が流れていた。
数年前「ハンカチ王子」の引き立て役だった人が、今や何十億円オーダーで大リーグ入りしたという。
自分からすれば往年のV9巨人軍の堀内や城乃内、高橋十三に比べても大したことなかろうと感じる選手が、なんだか東北震災のアドバンテージに後押しされ、無敗で球団を優勝に導いたという「サムラコウジ」もびっくりな「伝説」で株が急上昇。挙句、王、長嶋をも凌ぐ大優遇で大リーガーになってしまった。
その桁違いなバブル契約になんだか興ざめする程。
だが彼にとっては大当たりな人生だ。
何もなければ東北の寒村で燻る以外に生きる道はなかったのに「ハンカチ王子」と「東日本大震災」のお陰でジリ貧日本を脱出し北米の億万長者となったのだ。
その一方で「主役」だった筈の「ハンカチ王子」は北辺の球団2軍で燻る日々。
人生を飛躍させるアドバンテージに恵まれた者と縁のない者との差は幾許か。
アスリートも芸術家も数多のクリエーターも様々な「利権」を活用しない限り、花開かせられないという典型的な例だろう。
そういう意味では「サムラコウジ」の選択は間違っていなかったのである。
「被爆2世」「障害者」「震災慰労」という「利権」を活用して何が悪い。
彼が「悪党」ならこの東北球団ピッチャーも罪を免れない。
誰が非難出来ようか?

元アメリカ大統領令嬢の駐日米大使が和歌山のイルカ追い込み漁を止めろと発言したそうである。
そもそも、なんでこの和歌山の漁師はイルカ大虐殺ゲームを未だに続けているのだろう?
新聞によると、追い込み漁自体は差ほど歴史がある行事ではないそうだ。
イルカ漁が死活問題でもなさそうだし、地場産業というわけでもない。単に漁師の残虐本能を満たすために余興で続けているに過ぎないようだ。
「鯨漁は日本の食文化だ」等といつまでもごねていたところで、もはや国益にはならない。
今更鯨の竜田揚げがなくとも困らないし、日本人のどれだけが捕鯨の恩恵を受けているのか?
むしろイルカの体内には重金属が蓄積されており、それを摂取することは健康を著しく阻害するそうだ。
捕鯨イルカ漁で恩恵を受けるのはせいぜい数百人オーダー。
「シーシェパード」に賛同するつもりは更々ないが、そのジリ貧捕鯨業界既得権のために欧米から非難を受けなくてはならない謂れはない。
正直、迷惑だ。
和歌山の一握りの漁師のせいで日本人全員が「残虐民族」とレッテルを貼られる事実に日本政府はなぜこんなにも疎いのか?
だから日本海を「東海」に書き換えられる運動に弾みがつくのだ。
アメリカの知識人や有力者にとって日本人のイルカに対する残虐性は許しがたい。
それを戒めるために日本海の名称を抹消するのは然るべきと考えていても不思議はない。
そういうことに鈍感な日本外交は絶望的でもある。

このまま和歌山の残虐漁民を放置すれば、アメリカは黙っていまい。
米海兵隊が実力行使で和歌山太地町に対し、空爆と上陸作戦で残虐漁民を徹底的に叩く可能性も大いにある。
4月のオバマ訪日もこの対応に掛かっていよう。
欧米文化圏の価値観からすれば太地町漁民の命などイルカの生命より軽い。
それを日本人は自覚すべきであり、日本外交に重大な影響を与えていることに一刻も早く気が付くべきだ。
このまま役にも立たないジリ貧の捕鯨既得権益にしがみついても日本に未来はなかろう。

ニュースによると直近の日本経常収支黒字は最盛期の8分の1だそうである。
赤字に陥るのは時間の問題だろう。
やがて石油を買うお金すらなくなる。原発も止めるなら一瞬で干上がる。
新たな産業創生は急務だという。
それが何かと問えばマスコミは「高齢者介護産業の輸出」だそうである。
本気で言っているのか?またもジリ貧既得権だ。
そんなもの将来の基幹産業になるとでも思うのか?死に逝く者のために投資する国がどこにある?
噴飯レベルだ。
未来を考えるならば新たな世代創出に投資するのが当たり前。
老いた団塊の世代を生きながらえさせるために国力を浪費させるのなら団塊が墓場に逝くと同時にこの国は滅びる。
ジリ貧既得権救済とは冗談にもならない。

こんな国にしがみついていて何の得があろうか?
そろそろこの日本に「中興の祖」みたいな指導者が現れない限り、早々滅びるのは確実だろう。

15歳のスノーボーダーや「ハンカチ王子」添え物東北ピッチャーはこんなジリ貧既得権日本に見切りをつけて正解であろう。
彼らには先見の明がある。
実に羨ましい。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/