世界の終わり

日常
05 /12 2016
アナログシンセサイザーの旗手、冨田勲が鬼籍に入ったという。
幼き頃より『新日本紀行』や『ジャングル大帝』のテーマ曲を冨田作品とは知らずに慣れ親しんだプロローグ時代を経て、後の1970年代、モーグシンセサイザーによって超宇宙的に再構成されたドビッシーや、ラヴェル、バッハ、ホルストの楽曲が青春期の己の琴線を直撃貫通。
そして己の脳髄に宇宙開闢に匹敵する4次元回廊を形成したことは決定的であった。
丁度その頃、小松左京やスタニスワフ・レムのSF小説に傾倒し、アンドレイ・タルコフスキーの映像に酔い、スタンリー・キューブリックのSF映画に圧倒され、宮崎駿の世界観に撃たれ、西新宿の高層ビル群を崇拝した、その幻想大伽藍の総合的BGMがトミタシンセサイザー楽曲群だった。
己の夢想世界構築の原点が冨田勲のシンフォニーだったのだ。
その冨田勲がこの世を去った。
大抵の著名人訃報は「他人事」でやがては記憶から去るものだが、トミタの死は己の夢想世界に直結している。
冨田勲が鬼籍に入ったからといってトミタサウンドがこの世から消える訳でもない。
だが、トミタシンセサイザーによって己の脳髄に4次元回廊を構築し、夢想世界への扉を開いた者にとってトミタの死は「神」の死と同意語だ。
もはや、トミタシンセサイザーの新曲は永遠に封印された。
トミタの死によって己の幻想大伽藍はその芯柱の支えを失い、音を立てて崩れ去ろうとしている。
それは夢の終わり。
生きるための数多の支えが、今、もんどり打って倒れていく。
精神的支え。
経済的支え。
体力的支え。
創造的支え。
巨大戦艦が無慈悲な虚無の大海で転覆するがごとく、「世界の終わり」が来る。
己の「老い」に加え、己を囲む「世界」の壁が崩れ去る。
そして邪な影が己を食い潰さんと襲い掛かってくる。

冨田勲の死は、世界の終わりを意味する。
4次元回廊は無味乾燥とした卑しくおぞましい「現実」によって潰され、枯れ果てる。
幻想大伽藍を失った世界に意味はない。

脳髄の中にレクイエムのごとく、トミタシンセの『ソラリスの海』が響く。

トミタのない世界は虚無だ。


花見に想ふ

日常
03 /27 2016
週末の土曜日。昨年に引き続いて大学時代の漫画研究会同輩と代々木公園でお花見をする。
まだソメイヨシノは2分咲程度。
朝のうちは曇っていて寒い。ただ風向きは南西。北東気流とは逆なので好天の兆し。
案の定、昼過ぎからは青空が広がった。
幹事がデジタルデバイスに慣れておらず、参加予定者にうまく連絡が行き届かなかったためこの日の参加者は5人。
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それはさておき、天気も良くなったので廻りは盛況。
それも学生風の若い世代ばかりだ。
自分たちのようなもうすぐ還暦なんてグループはどこにも居ない。
話すことといえば、健康や息子娘の進路、嫁さんへの愚痴など等。
だが家庭を持ち、次世代を育て上げた同輩の会話には余裕がある。
一方、独身のままの参加者は存在感がない。
もう自分はそのギャップに麻痺してしまい、痛みも感じなくなってしまった。
慣れたというより感覚器官が壊疽したというレベル。
末期症状だ。
それはさておき、外国人が本当に多い。
花見なんて風習は欧米には馴染みないのにも拘らず、ちゃんと日本風にレジャーシート敷ているグループも居る。
本気度が違う。

それにしてもどうしてこんなに外国人が目立つのだろう。
観光地として日本の価値が急に上がったとも思えない。
円安という理由だけでも説明できない。
中国、台湾辺りの観光客は日本製品の「爆買い」がメディアで騒がれているが、これも腑に落ちない。
いろいろ思考を巡らしたが、一番説得力ある理由は、恐らく日本がもうすぐ滅ぶからではないだろうか。

美しく神秘的な極東の島国、日本。
しかし東日本大震災以降、凋落の道を突き進んでいる。
まもなく中国の覇権主義の波に飲み込まれこの国は滅ぶだろう。
だから今のうちに訪れて、中国の核攻撃で焼け野原になる前に記憶に留めておこうと。
それが欧米人観光客の最大の動機付けだ。
また、中国人、台湾人観光客にとっては、かつて世界を席巻したメイドインジャパン家電製品も今や中国、韓国、台湾メーカーに買収され、かつての栄光は過去のものとなり、まもなくこの地球上から姿を消すだろう。
だから今のうちに入手しておこうと。
お花見に押しかける外国人を見て、改めて日本の最期が近いことを認識した。

代々木公園からの帰り。隣の明治神宮に参拝する。
神殿では、丁度神式の婚礼行事の行列を目撃した。
なんと新郎新婦は白人。
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親族も続いていたから模擬ではないだろう。それを取り囲む観光客も外国人。
ここでも日本の行く末を改めて咀嚼せざるを得なかった。

還暦をまもなく迎え、人生の表舞台から消えようとしている己の世代。
結婚し、息子娘を育て上げた者にとっては、まだ未来への希望を次世代に託すことが出来る。
しかし、親の介護だけが責務として圧し掛かる独身者に希望はない。
滅び逝く日本と共に忘れ去られるだけ。
鳥居に長く伸びる影が己の行く末を暗示していた。
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初音ミクエンゼルパイと徳川夢声戦争日記

日常
03 /10 2016
寒暖の差が激しい3月上旬。
いつの間にか梅も散って、まもなく桜のシーズン。今年の東京の開花は21日ごろだとか。
スーパーに初音ミクのエンゼルパイが売っていたので買って食べてみる。
ミント味は微妙だが、このエンゼルパイも息の長い商品だ。


東日本大震災からもうすぐ5年。
東京大空襲から71年。
引き続き徳川夢声の『夢声戦争日記』を再読中。1945年1月まで。
徳川夢声は当時の有名タレントだったので空襲下でも各地に慰問に回る様子が記されている。
戦局悪化の中での1944年末の東南海地震と、トイレにも行けぬほどの列車の混雑の中で右往左往する様は小松左京『日本沈没』の状況と似ている。
だがこれは現実にあった史実。
1945年になっても、飛行機で各地の陸軍航空隊を慰問で回りつづける。戦時になればタレントも命がけだ。
今度、もし戦争が始まったらTVで人気の吉本芸人とか、そのあたりも同じような興業が待っているのだろう。
これから死に逝く軍人に、冥土のお見上げとして「お笑い」を披露する旅に。
「お笑い」で戦士の心を慰められると信じたいのは、いつの世も変わらぬ。

夢声は空襲下の東京に戻っても特別なことはなく、日々淡々の日常。
いずれすべてが灰燼に帰すことが解っていても、一番大切なのは日常なのだと。
更にはこうも記す。
「いずれ原子爆弾が完成して、地球がふっとんでも、まあ人類ここまできたのだから大したものだ」。
カーチス・ルメイの行為も褒めるに値するということか。

東日本大震災で福島第一原発が未曾有の事故に至った一因は、全電力が喪失しても冷却システムを保つ仕組みを操作員が把握していなかった事にあると伝えられている。
問題は原子炉にあるのではなく、人にある。
原子炉という文明の利器はそれ相応の人間に与えられるものである。
使いこなせない者が扱えば遅かれ早かれ結果はこうなる。
同時にそれを使いこなせないからといって放り出せば事足りる、という思考もまた愚なり。
賢者は文明の利器を使いこなす「人」を創出することに知恵を絞る。
それをしなくなった国に未来はない。

どこかの誰かが保育園に落ちたからどうのこうのと記したブログがニュースから流れる。
「トイレの落書き」に反応するメディアに怪しさの予感。
あれは最初から「仕掛け」があったのだろう。
毎秒幾億と垂れ流されるネット汚水にうじゃうじゃと蠢く蛆虫のような文言に意味などあるわけがない。
敢えて意味を持たそうとするのは、そこに作為が存在するからである。
権力者が己の都合で肥溜めの中から蛆虫を拾ってきて、さも意味のあるがごとく工作するのである。
それに踊らされる民が愚かなだけ。

電力自由化で詐欺が横行という。
いや、その前に煩雑な料金システムがそもそも合法的搾取。
携帯料金がどのように課金されているか完全把握しているユーザーがどれだけいるか。
事業者はユーザーに複雑怪奇な使用料金プランの選択肢を迫る。
だが常に「損」をしない料金プランを維持するためには、株のトレーダーのごとく24時間365日その情報を追尾し続けなければならぬ。
そんな暇人どこにいる。
「2年縛り」がいつなのか、誰も教えてくれない。
かくして携帯や電力事業者は濡れ手に泡で利潤を上げる。

どこかのシンガーソングライターが女性タレントとの痴話事に巻き込まれ、叩かれるが、人気は一向に落ちないとか。
亜米利加大統領候補のごとく、メディアが取り上げれば取り上げるほど株が上がる。
これも恐らく何かの「仕掛け」の気配。
お互いの利益のための茶番。
結局は誰も損はしない。いずれ渦中の女性タレントもより多くの「得」を確保できる席が用意されているのだろう。
損をするのは真に受けた善良者。

初音ミクは歌う。
「まだ知らない 不思議なことに出会ってみたい
そんな気持ち、誰にだって きっと ある」

徳川夢声は成層圏を偏西風に流されて飛ぶB29を率直に綺麗だと記す。
夢声はこのとき「まだ知らない 不思議なことに出会った」のである。
それが己のすべてを焼き払う使者と解っていても、美しいものは美しかったのだ。

エンゼルパイは美味しい。
ミクちゃんもかわいい。

2月も末なり

日常
02 /26 2016
2月ももう末となる。
梅も満開。陽も伸びてきたが、まだ気温は真冬並み。
「徳川夢声戦争日記」。暫く振りに続きを読み始める。
昭和19年後半部分。食い物の話が大半。食糧事情云々。でも田舎巡業だと御馳走が出る。
まだ東京は空襲前。しかしいずれは焼け野原になろうと半ば諦め感もあり。当時の文化人は戦局悪化を周知。
ラジオニュースは誰も信じず。
日記からすると「一億火の玉」とは程遠く。
疎開で潰される家屋を見て著者は同情どころか、地主の稼ぎ口がなくなる様を嗤って溜飲が降りたみたいな記述をしている。
学徒の出陣模様も、お国に身を奉げる覚悟なんて学徒は稀で、半ば自暴自棄で絶望無気力で腕も上がらない放心状態の出征学徒の様子も描いていた。
案外、これが現実だったのかもしれない。
敗戦後日本男子は皆、アメリカ兵にレントゲンを睾丸に当てられ「種無し」にされると、そんな噂がまかり通っていたとか。

ラジオDJの伊集院光が4月から昼ワイドも担当とか。
なぜ「ピカピカワイド」にしないのか?「ベタ」すぎて180度回って、意外にしっくりいく。
妙に文化人っぽい番組タイトルはインパクトが薄い。
昔、TBSラジオの昼は「榎さんのお昼だよ」を聴いていた。愛川欣也がSJ担当していた。最近はコミュニティーFMばかりで昼の県域局はあまり聴かない。
理由は「過払い金」のCMが鬱陶しいから。

新聞に続いて、テレビのニュースにもあまり関心がなくなりつつある。
だからといってネットからの情報は大半がスパムだから、その代替になっているとも思わない。
大抵のニュースがもはや己にとってはどうでもいいような事に思える。

BSで『刑事コロンボ』を見る。今見ても飽きない。たまに未見の回があるので新鮮だ。
ネットもなく、携帯もなく、アナログが支配し、タバコをスパスパ吸うのが普通の時代。アメリカにまだ中産階級が存在していたからこそのコロンボ。
今だったら失業だ。
デジタル監視社会になってから、「推理」は不要となった。
コロンボが「推理」する前に、ビッグデータのデータベースに「真実」が記録されている。
クリックひとつで犯人は特定される。
そしてコロンボはいなくなった。

どこか北海道の農地の木が所有者によって伐採されたという。
人が押しかけて迷惑だから、切り倒したという。
詳細な事情は知らない。
だが木にとってはそんな理由知ったことではなかろう。好きでこの地主の土地に生えていた訳でもあるまい。
見物するに値する価値があったのだから、人が見に来たのだ。
地元自治体も知恵を出すのが億劫だったのか?私有地に放置しっぱなしで地主任せで傍観?
挙句伐採とはなんとも滑稽。
人を呼びたくたって、誰にも相手にされない土地もあるのに、人を呼ぶ木があっても切り倒す不思議。
一本の木ひとつすら保全できない日本人。
人を呼びたくなければひっそりと極寒の土地で慎ましくしたいと宣言すればよい。
誰も来ないから。

高度成長期、日本人は散々外国で迷惑行為をやってきた。
今になって外国人観光客を迷惑がっても因果応報。
「エコノミックアニマル」のエコノミックがなくなれば、ただの害獣。
だから中国が台頭して日本の主権が脅かされても欧米は知らん振り。

押しかけているのは過去の自分。
それに気がつかぬ愚かさ。
欧米の観光地ではそんなかつての日本人客を地元民は苦々しく思っていたのだろう。
だからといって、木を伐採なんてしなかっただろうけど。

NHK大河ドラマ『真田丸』。
目下、主人公は史実で言えば15歳だそうだ。
当時はこの歳で、生きるか死ぬかの闘争で最前線に駆り出される日々。

今は五十路を過ぎても、世継ぎなしの男子で溢れている。
生きるか死ぬかもおぼろげ。
ただ、微温湯に浸かって朽ちるのを待つのみか?

どちらが幸せなのかは知らない。







寒空に想う戯言

日常
01 /20 2016
今年は暖冬傾向だったが、いつしか本格的な寒さがやってきて、骨身に凍みる。
ツイッターにも記したのだが、大雪で電車が遅れたり減便しているにも拘わらず、厳寒の中、黙々と並び、すし詰めになっても職場へと向かうのは、そこまでしても会社組織の依存から外れてしまう恐怖よりはマシだという意思表示なんだと思う。
「自分が必要とされている場」があると信じ込まないと不安でならないのが日本社会。

テレビでどこかのアイドルグループが独立云々で謝罪したのしないの等と流していた。政治家までこの騒動に発言したとか何とか・・。
芸能に疎いので詳細は知らない。
ただ、これも大きな組織に従属を強いられる、日本社会の縮図なのかもしれない。
だが四半世紀近くグループを組んでいる「大の男」(恐らくもう40代は過ぎているのだろう)だ。それぞれ違った生き方を選択しても何ら不思議ではない。
しかし己の表現活動より、己が帰属する組織に帰依しなければこの世界で生きずらいとなるならば、もう遅かれ早かれ、どの道行き詰ってしまうのは想像に難くない。
ビートルズが解散せずにずっと続いていたならば、それは幸いだったのだろうか?そんなことは誰にも解からぬ。
だが1960年代という若年層が卓越した時代が幸いし、それぞれの道に歩むことに躊躇する必要はなかったし、現状に留まることは単なる愚か者と罵られた。
なぜなら未来は開けていたのだから。
だが、この2016年、超少子高齢化で守旧的既得権に支配されてしまった今、誰もが「長いものには巻かれろ」で生きていくしか選択肢は残されていない。
もはや「フロンティア」は失われたのだ。
フリーランスにしろ、サラリーマンにしろ、大きな組織の下にいないと、あっというまに「貧乏農場」行きだ。
ほんの一握りの成功者と大多数の生活保護・・。この2通り以外に選択肢がない社会に単独で進んだとて成功の見込みは万に一つもない。

長年愛聴している伊集院光のラジオ。
先日の放送で、TBSの昼帯にいよいよ進出するとのこと。
まさに「ラジオスターの王道」だ。
伊集院光もまた、大手芸能事務所に所属している。出世魚のように「深夜ラジオ」→「昼帯」→「ラジオ界の重鎮」という王道が約束されているのも、事務所の功績抜きには語られまい。
伊集院の歯に衣着せないトークも事務所の庇護の下にある。
他愛のない発言一つ一つも、それら組織のがっちりとしたスクラムの中で成立する。
ただの世迷言ではないのだ。
巨大なビジネスの歯車の一部。
宮崎駿の『風立ちぬ』の主人公も、その才能が会社に莫大な利益を齎す限りにおいて、組織を挙げて守られる場面が描かれていた。
この原則はどんな時代でも変わらない。
会社組織に莫大な利益を齎す限りにおいては・・だ。

フリーランスもサラリーマンも大きな組織に帰属しなければ「幸せ」はやってこない。
終身雇用と専業主婦はいまなお「人生の王道」である。
アイドルグループもラジオスターも守旧的価値観で動く組織の庇護なくしては、表現活動も出来ない。
そして、そんな組織から見放されたものは寒空に下に放り出され、朽ちるしかないのだ。
ロンリーウルフではもう誰も生きてはいけない。

雪の中で、延々と電車を待つ者達は、まだ幸いである。
己の帰属する場所があると信じられるから。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

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