NHKスペシャル「無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~」の感想

報道
02 /04 2010
今、最もトレンディー(死語)で注目度ナンバーワン番組である「無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~」を観た(本放送の時は外出中でワンセグで視聴を試みるも断片的だったので火曜深夜の再放送でチェック)。
一通り観て思うに、これは今後予想されうる意味での「孤独死」と「無縁社会」の本質とは大きくずれがあるように感じた。
取り上げられた「孤独死」と「無縁者」はすべて50代前後から80代。
基本、まだまだ日本に縁故社会が根強かった世代の人々であって、そこに描かれた事象は今に始まった事ではなく、昔からあった古典的「身元不明者」や「身寄りのない」極々例外的な「不幸な人たち」に過ぎない。
これから始まる真の「孤独死」禍は、そのようなレベルではなく、世代全体を覆う現象なのだからスケールもステージもまったく違う。
「孤独死」が特殊な事例ではなく、普遍的な日常になるのだから、そのようなアプローチで取材すべきなのにまったく本質を突いていない作り方に不満を覚えた。
これは自分たちが迎える「孤独死」「無縁社会」とは別のものだ。
番組の終盤に取り上げられた事例で、孤独な独居老人を救ったエピソードとして、近所の幼稚園児が屋根伝いに毎日通って来て、それが「孤独死」を防ぐ手立てだみたいな締めの仕方をしていた。
なんじゃそりゃ?
そんな「美談」など御伽噺である。
今や、独身独居男性イコール変質者、犯罪者予備軍の扱いである。子供を如何にそんな「危険人物」近づけさせないかに世間が血眼になっている今日、むしろ「孤独死」は助長される方向に進んでいるのだ。
それを煽っているのがマスコミであって、なにをか言わんやだ。
まさに笑止千万である。
独身男性を孤独に追い込み、社会から孤立させ「孤独死」環境を助長させている世論がある限り、「孤独死」と「無縁」は加速され、もはや天文学的な数になっていくのは必至。
この番組では「孤独死」者数は、年間3万2千人位に登っていると述べていたが、これからの「孤独死」は年間300万人台になるだろう。
その状況に対して何の答えも見出せていない。
この番組は単にマスコミのマスターベーションに過ぎない。

本当の孤独死時代はこんなものではないぞ。
これからは「孤独死」を無縁仏として供養するなんてこともなく、警察が「行旅死亡人」として申告する訳でもなく、「特殊清掃事業者」が片付けに来る訳でもなく、単なる「燃えるゴミ」として処分されるだけなのだ。
そこには、もう人間の尊厳の欠片もない。
あるのは「虚無」のみ。
賞味期限切れの肉を処分する感覚、スーパーの惣菜の売れ残りを片付けるのと同じレベルなのだ。
その現実の未来を描かずして、何が「孤独死時代」の到来か。

因みに、この番組が始まる少し前に東京12チャンネルで放映されていた超売れっ子漫画家の特集が印象的だった。
その中で人気萌え系漫画家が音大出身の令嬢を娶って、その妻にコスプレさせて都内一等地に建つタワーマンションの一室に住まわせている日常を紹介していた。
唸るほどの財産を入手した者に「孤独死」など無縁だろう。
少なくともお金があれば己の「老後」など如何様にもなるのだ。
所詮はお金だ。
このような僅かな一握りの「富豪」にしか「昭和中産階級的幸福」はやってこない。
残りの大多数は、財産も妻も子も得られず「平成最下層的不幸」を背負い、無残な死を迎えるしかない。
これからの「孤独死」と「無縁社会」の主役は10~50代の絶望独身男性である。
その「主役たち」を取り上げずして、なにが「孤独死時代到来」か。

NHKは事の本質を見極め、改めて作り直す義務があろう。
だが、マスコミはいつの時代にも「事の本質」を見出すことはしない。
なぜならそんなことをしたら己の地位と既得権が脅かされるから。
期待するだけ無駄というものだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/