昔CMの記憶
日常
最近、おにゃん子クラブの面々がCMに出ていた。
あまり熱心には見ていなかったので、誰が誰だかまったく覚えていなかったのだが、当時の面影はもはやなく、年老い行く婦人たちでしかなかった。
かつて「夕焼けにゃんにゃん」という番組に出ていた頃の初々しさは消失して、まったくの別人だ。
しかし、それがすでに30年近く前だったという事実は、どうしても飲み込めない。
自分の意識の中では「昨日」の事の様にしか思えないのに、あの時テレビに映っていた出演者はまるでSFX特殊メイクのごとく、豹変している。
いったいなんなのだろう?
自分の中の時間経過と外の世界とのギャップが、どんどん大きくなってきてそのズレが補正できないほどかけ離れてきた。
テレビは自分の意識を閉じ込めるタイムカプセルみたいなものだ。
先日、動画サイトで1970年代のテレビCMをみつけた。暫く観ていると当時の諸々の記憶がぶくぶくと甦ってくる。
あの時、テレビの前に居た自分は何を考え、何をしていたのかの記憶がCM画面に変調されているようだ。
2010年の自分がこのCMを観て当時を振り返るなど、誰が予想したか?
あの当時の、一瞬をそのまま切り取ってありのままに復活させるという作業は、まさに記憶のタイムトラベル。
恣意的な改ざんや編集がされた「懐かしのCM集」ではダメなのだ。そんなものに当時の「空気」は残っていない。
本当にただ偶然に何の意志もなくたまたま残されたCMにこそ、重要な情報が秘められている。
そうだ。
あの頃、己はまだローティーン。ネットも携帯も家庭用ビデオすらなかったからテレビがすべてだった。
そのテレビの前で、このCMを見ていたんだ。
確かに、記憶の奥底にその映像の残像はある。
その残像に変調された、あの頃の何かが2010年の己に語りかけてくる。
茫漠とした深い霧の奥底より、誰かの声が呼んでいる。
あの青臭い「昭和」時代。一家に一台しかなかったテレビを見つめていた己の顔がその画面に甦ってくる。
その画面は呟く。
「お前はその歳でなにをやっているのだ?40年前のお前が、今のお前とシンクロして過去も未来もない子供でも大人でもない通過儀礼を経ない不気味で出来損ないのお前という物体がそこに居るぞ。いったいお前はナニモノだ!」
脳内にそんな電波が飛び込んできたので、思わず「ぎゃあー」と叫び、慌ててパソコンを放り投げて寝床に潜り込んだ。
恐ろしい。
今よりも遥かにテンポが速く、シンプルで短かった当時のCM群。
もう、みんな小走りで生活していたような時代。
携帯メールとか、ブログに日記とか、恐らくそんな「自分を吐露する時間」は一日の中で作りようがなかった。すべては一瞬で過去に捨てられるはずだったCMを2010年に改めて観るのは、なんだかバージェス化石群を発掘するような気分になる。
だが、それは進化出来ずに滅びていった敗残者の記憶でもある。
それにシンクロしたということは、己もまた敗残者の一片でもあるという証明なのだ。
あまり熱心には見ていなかったので、誰が誰だかまったく覚えていなかったのだが、当時の面影はもはやなく、年老い行く婦人たちでしかなかった。
かつて「夕焼けにゃんにゃん」という番組に出ていた頃の初々しさは消失して、まったくの別人だ。
しかし、それがすでに30年近く前だったという事実は、どうしても飲み込めない。
自分の意識の中では「昨日」の事の様にしか思えないのに、あの時テレビに映っていた出演者はまるでSFX特殊メイクのごとく、豹変している。
いったいなんなのだろう?
自分の中の時間経過と外の世界とのギャップが、どんどん大きくなってきてそのズレが補正できないほどかけ離れてきた。
テレビは自分の意識を閉じ込めるタイムカプセルみたいなものだ。
先日、動画サイトで1970年代のテレビCMをみつけた。暫く観ていると当時の諸々の記憶がぶくぶくと甦ってくる。
あの時、テレビの前に居た自分は何を考え、何をしていたのかの記憶がCM画面に変調されているようだ。
2010年の自分がこのCMを観て当時を振り返るなど、誰が予想したか?
あの当時の、一瞬をそのまま切り取ってありのままに復活させるという作業は、まさに記憶のタイムトラベル。
恣意的な改ざんや編集がされた「懐かしのCM集」ではダメなのだ。そんなものに当時の「空気」は残っていない。
本当にただ偶然に何の意志もなくたまたま残されたCMにこそ、重要な情報が秘められている。
そうだ。
あの頃、己はまだローティーン。ネットも携帯も家庭用ビデオすらなかったからテレビがすべてだった。
そのテレビの前で、このCMを見ていたんだ。
確かに、記憶の奥底にその映像の残像はある。
その残像に変調された、あの頃の何かが2010年の己に語りかけてくる。
茫漠とした深い霧の奥底より、誰かの声が呼んでいる。
あの青臭い「昭和」時代。一家に一台しかなかったテレビを見つめていた己の顔がその画面に甦ってくる。
その画面は呟く。
「お前はその歳でなにをやっているのだ?40年前のお前が、今のお前とシンクロして過去も未来もない子供でも大人でもない通過儀礼を経ない不気味で出来損ないのお前という物体がそこに居るぞ。いったいお前はナニモノだ!」
脳内にそんな電波が飛び込んできたので、思わず「ぎゃあー」と叫び、慌ててパソコンを放り投げて寝床に潜り込んだ。
恐ろしい。
今よりも遥かにテンポが速く、シンプルで短かった当時のCM群。
もう、みんな小走りで生活していたような時代。
携帯メールとか、ブログに日記とか、恐らくそんな「自分を吐露する時間」は一日の中で作りようがなかった。すべては一瞬で過去に捨てられるはずだったCMを2010年に改めて観るのは、なんだかバージェス化石群を発掘するような気分になる。
だが、それは進化出来ずに滅びていった敗残者の記憶でもある。
それにシンクロしたということは、己もまた敗残者の一片でもあるという証明なのだ。