コミティア139お疲れさまでした
同人イベント
今年最初のサークル参加同人イベント「コミティア139」が2月20日に開催された。
場所は東京ビッグサイト東ホール。
オリンピックでずっと使えず、昨年末のコミケでも西ホール配置だったので本当に久々だ。
皮肉にも代替の青海会場は東京テレポート駅から徒歩すぐだったのに比べ、本館東会場は国際展示場駅から徒歩10分近く掛かる。
心底寒く、どんよりとした天候に咥え、この駅からのアクセスが悪いことが体に堪える。
自分のスペースに辿り着くだけで疲れてしまった。
以前は全く苦にならなかったものがしんどい。
これもこの呪わしきコロナ文革原理主義の圧政が原因だということは論ずるまでもない。
もう3年目に入ったというのに、ますます増長した文革狂信者のせいで人々の心身は蝕まれていく。
この同人イベントという創作の場も疲弊の空気が漂っている。
相変わらずの体温検査にリストバンドという手間を経なければならない。
何か見えないどす黒い霧のようなものに覆われ、参加者の覇気が失われつつあるようにも見える。
一応コミティアに関してはこのコロナ文革が始まった以前と比べて著しく本の頒布数や来場者の数が減った感じはしない。
今回も何とかギリギリサークル参加に足るポテンシャルは保たれてはいる。
問題はコミケである。
コロナ文革によって開催が中止され、また開催されたとしても過剰な検閲や入場制限を掛けられ、それ以前と比べて頒布数が1割以下までに落ち込んでしまっては同人誌創作活動の基盤が失われてしまう。
印刷代、経費などはコミケがフルスペックで開催されてこそペイできるのだ。
次回、100回目を迎えるコミケも先々月の2021年冬コミに準じた規制を掛けるそうだ。
となるとまた入場制限が掛かり、新刊印刷代が回収できなくなる。
手続きだけが煩雑化し、一方で頒布数が見込めなくなってしまうスパイラル。
1994年から皆勤賞でサークル参加してきたが、2022年冬のコミケもフルスペック開催出来なければ、家計から参加、印刷費を捻出しなければならない事態となる。
だからと言って同人イベントに欠席するという選択肢はない。
同人創作活動発表の場として唯一無二の場である以上、どんな条件が課されたとしても出席し続けるしかないのだ。
当然ながら諸悪の根源はコロナ文革原理主義であって、同人イベント主催者や準備会自身も参加者同様「被害者」であることは論を待たない。
このコロナ文革という禍が創作活動発表の場を「闇」に落とし込もうとしている。
同人誌頒布を他の手段に代替させる案も講じねばならないが、電子書籍、書店委託、通販ともフルスペックコミケでの直接頒布に比べれば微々たるもので話にならない。
何か根本的な情況改革を構築するステージに来ているのかもしれない。
「団塊ジュニア」が中心となって勃興したコミケだったが、超少子高齢化で次世代が育たず、先細りは必至で、そこにコロナ文革が追い打ちを掛けている。
自分ももう今年で63歳。
まだ何とか心身は動くが、50代の時と比べ、実行力の衰えは著しい。
かつては数週間で出来たことが、1年経っても未完のまま、時だけが流れていく。
これがいわいる自覚のない「老い」なのだろう。
自分はまだ「若い」と思っていても客観的視点に立つと全く動いていないのだ。
高齢者の交通事故等はこういうことで発生するのだろう。
そんな「高齢者」の域に入った所で、第2次世界大戦以来の世界的禍たるコロナ文革原理主義の嵐に巻き込まれるとは。
若い世代なら復元力で何とか乗り切ることが出来るだろうが、高齢者は一発の波で飲み込まれ、止めを刺される。
昭和30年代生まれにとってこれからは受難の人生となるだろう。
財産、地位、有力な人脈がない絶望独身者はどんどん振り落とされて悲劇的最後を迎えるしかないのだ。
にも拘らずコロナ文革の中枢の一人、MSのビルゲイツは次なる「第二革命」を構想し、更に新たな「パンデミック」を計画し、世界中の市民から自由と富と生命を搾取しようとしている。
あらゆるイベントはコロナ禍以上の規制を掛けられ、止めを刺されてしまうだろう。
ほんの一握りの「富豪」によって世界はコントロールされている。
昨今のウクライナ情勢にしてもコロナ文革同様の「嘘と欺瞞」に満ち溢れている。
もはや地政学的な物理的領土拡張による国家利益の追求は時代遅れとなった。
人的損失と利益を天秤にかけたら割が合わない。
何万人もの犠牲を出してウクライナの領土を分捕ったとしても喜ぶのは「死の商人」位。
ナポレオンの時代とは違うのだ。
そもそも大規模軍事作戦を遂行する大原則は「奇襲」である。
真珠湾攻撃もバルバロッサ作戦も秘密裏に準備され、直前まで世界は知る由もなかった。
一方、今回のウクライナ侵攻云々騒動はもうバレバレの事前公開状態。
そんな軍事作戦あるものか。
これはコロナ文革同様に恐怖と不安を煽って利ザヤを稼ぐ「茶番劇」に過ぎない。
「騒動」を画策した下手人はこれで原油価格や株価を操作し、インサイダー取引で膨大な富を手にしたに違いない。
この世界は「金持ち喧嘩せず」と「貧すれば鈍す」の二つの諺で成り立っている。
富める者はますます賢く儲け、貧する者は愚かしく争い合って墜ちていく。
世界の99.999パーセントは後者だ。
そして残り0.001パーセントの富豪に搾取され続ける。
その手段の一つがコロナ文革原理主義なのだ。
「富める者」はグローバルな視野で物事を考えるから賢い。
「貧者」は近視眼的で視野が狭く、目先のことで動かされるからますます愚かに墜ちていく。
この「コロナ禍」もそうだ。
コロナウイルスを恐怖のパンデミックと信じて疑わない、いわゆる「コロナ脳」と揶揄される人々の思考回路は典型的に狭い視野である。
まず、物事を長くても数年スパンでしか考えられず、直近の国内世情に流されている。
科学的思考に欠け、コロナ禍を病理学的考察ではなく現行政権批判の手段に利用する傾向が強い。
コロナ以外の数多の病気、事故、寿命での「死」が視野に入らず、ただメディアで流される情報に支配され、思考停止している。
すべてが「目先の狭い視野」でしか判断できない。
だからコロナ文革原理主義者にまんまと利用され、家畜のように扱われるのである。
だが「賢者」は違う。
パンデミックを人類史以上、地球生物史という数億年スパンで考察し、また生物学的全般の広い視野で垣間見ればこの「コロナ禍」が単なる生物史における定例的普遍的な免疫アップデートのルーティンの一つに過ぎないことを理解している。
むしろこのアップデートによって感染症に対する強靭化を促しているのだ。
人類の進化に不可欠な機能もウイルスの「感染」によって齎された事は学術的に証明されている。
そのアップデートによる些細な「障害」は取るに足らず、そもそもこれまでも人類は普通に受け入れてきた「通過儀礼」。
むしろその「通過儀礼」を避けることのほうが危険であることが解っているからこそ、今次のコロナ文革原理主義に抗っているのだと。
しかし、この「賢者」の思考は、メディアを支配する「悪徳富豪」によって、庶民には全く届かないまま「貧者」として洗脳され、コロナ文革原理主義は無間地獄のように続いていく。
愚かな「貧者」を利用した、この人類史上の汚点たるコロナ文革原理主義を止めるには草の根の末端から覆していかねばならない。
同人誌イベントもその草に根の一つである。
主催者、サークル参加者、一般参加者も時勢に流されるのでなく、自らがコロナ文革原理主義に抗う行動を起こし、世の中を代えていかなくては未来がないことを自覚すべき時に入ったのだ。
場所は東京ビッグサイト東ホール。
オリンピックでずっと使えず、昨年末のコミケでも西ホール配置だったので本当に久々だ。
皮肉にも代替の青海会場は東京テレポート駅から徒歩すぐだったのに比べ、本館東会場は国際展示場駅から徒歩10分近く掛かる。
心底寒く、どんよりとした天候に咥え、この駅からのアクセスが悪いことが体に堪える。
自分のスペースに辿り着くだけで疲れてしまった。
以前は全く苦にならなかったものがしんどい。
これもこの呪わしきコロナ文革原理主義の圧政が原因だということは論ずるまでもない。
もう3年目に入ったというのに、ますます増長した文革狂信者のせいで人々の心身は蝕まれていく。
この同人イベントという創作の場も疲弊の空気が漂っている。
相変わらずの体温検査にリストバンドという手間を経なければならない。
何か見えないどす黒い霧のようなものに覆われ、参加者の覇気が失われつつあるようにも見える。
一応コミティアに関してはこのコロナ文革が始まった以前と比べて著しく本の頒布数や来場者の数が減った感じはしない。
今回も何とかギリギリサークル参加に足るポテンシャルは保たれてはいる。
問題はコミケである。
コロナ文革によって開催が中止され、また開催されたとしても過剰な検閲や入場制限を掛けられ、それ以前と比べて頒布数が1割以下までに落ち込んでしまっては同人誌創作活動の基盤が失われてしまう。
印刷代、経費などはコミケがフルスペックで開催されてこそペイできるのだ。
次回、100回目を迎えるコミケも先々月の2021年冬コミに準じた規制を掛けるそうだ。
となるとまた入場制限が掛かり、新刊印刷代が回収できなくなる。
手続きだけが煩雑化し、一方で頒布数が見込めなくなってしまうスパイラル。
1994年から皆勤賞でサークル参加してきたが、2022年冬のコミケもフルスペック開催出来なければ、家計から参加、印刷費を捻出しなければならない事態となる。
だからと言って同人イベントに欠席するという選択肢はない。
同人創作活動発表の場として唯一無二の場である以上、どんな条件が課されたとしても出席し続けるしかないのだ。
当然ながら諸悪の根源はコロナ文革原理主義であって、同人イベント主催者や準備会自身も参加者同様「被害者」であることは論を待たない。
このコロナ文革という禍が創作活動発表の場を「闇」に落とし込もうとしている。
同人誌頒布を他の手段に代替させる案も講じねばならないが、電子書籍、書店委託、通販ともフルスペックコミケでの直接頒布に比べれば微々たるもので話にならない。
何か根本的な情況改革を構築するステージに来ているのかもしれない。
「団塊ジュニア」が中心となって勃興したコミケだったが、超少子高齢化で次世代が育たず、先細りは必至で、そこにコロナ文革が追い打ちを掛けている。
自分ももう今年で63歳。
まだ何とか心身は動くが、50代の時と比べ、実行力の衰えは著しい。
かつては数週間で出来たことが、1年経っても未完のまま、時だけが流れていく。
これがいわいる自覚のない「老い」なのだろう。
自分はまだ「若い」と思っていても客観的視点に立つと全く動いていないのだ。
高齢者の交通事故等はこういうことで発生するのだろう。
そんな「高齢者」の域に入った所で、第2次世界大戦以来の世界的禍たるコロナ文革原理主義の嵐に巻き込まれるとは。
若い世代なら復元力で何とか乗り切ることが出来るだろうが、高齢者は一発の波で飲み込まれ、止めを刺される。
昭和30年代生まれにとってこれからは受難の人生となるだろう。
財産、地位、有力な人脈がない絶望独身者はどんどん振り落とされて悲劇的最後を迎えるしかないのだ。
にも拘らずコロナ文革の中枢の一人、MSのビルゲイツは次なる「第二革命」を構想し、更に新たな「パンデミック」を計画し、世界中の市民から自由と富と生命を搾取しようとしている。
あらゆるイベントはコロナ禍以上の規制を掛けられ、止めを刺されてしまうだろう。
ほんの一握りの「富豪」によって世界はコントロールされている。
昨今のウクライナ情勢にしてもコロナ文革同様の「嘘と欺瞞」に満ち溢れている。
もはや地政学的な物理的領土拡張による国家利益の追求は時代遅れとなった。
人的損失と利益を天秤にかけたら割が合わない。
何万人もの犠牲を出してウクライナの領土を分捕ったとしても喜ぶのは「死の商人」位。
ナポレオンの時代とは違うのだ。
そもそも大規模軍事作戦を遂行する大原則は「奇襲」である。
真珠湾攻撃もバルバロッサ作戦も秘密裏に準備され、直前まで世界は知る由もなかった。
一方、今回のウクライナ侵攻云々騒動はもうバレバレの事前公開状態。
そんな軍事作戦あるものか。
これはコロナ文革同様に恐怖と不安を煽って利ザヤを稼ぐ「茶番劇」に過ぎない。
「騒動」を画策した下手人はこれで原油価格や株価を操作し、インサイダー取引で膨大な富を手にしたに違いない。
この世界は「金持ち喧嘩せず」と「貧すれば鈍す」の二つの諺で成り立っている。
富める者はますます賢く儲け、貧する者は愚かしく争い合って墜ちていく。
世界の99.999パーセントは後者だ。
そして残り0.001パーセントの富豪に搾取され続ける。
その手段の一つがコロナ文革原理主義なのだ。
「富める者」はグローバルな視野で物事を考えるから賢い。
「貧者」は近視眼的で視野が狭く、目先のことで動かされるからますます愚かに墜ちていく。
この「コロナ禍」もそうだ。
コロナウイルスを恐怖のパンデミックと信じて疑わない、いわゆる「コロナ脳」と揶揄される人々の思考回路は典型的に狭い視野である。
まず、物事を長くても数年スパンでしか考えられず、直近の国内世情に流されている。
科学的思考に欠け、コロナ禍を病理学的考察ではなく現行政権批判の手段に利用する傾向が強い。
コロナ以外の数多の病気、事故、寿命での「死」が視野に入らず、ただメディアで流される情報に支配され、思考停止している。
すべてが「目先の狭い視野」でしか判断できない。
だからコロナ文革原理主義者にまんまと利用され、家畜のように扱われるのである。
だが「賢者」は違う。
パンデミックを人類史以上、地球生物史という数億年スパンで考察し、また生物学的全般の広い視野で垣間見ればこの「コロナ禍」が単なる生物史における定例的普遍的な免疫アップデートのルーティンの一つに過ぎないことを理解している。
むしろこのアップデートによって感染症に対する強靭化を促しているのだ。
人類の進化に不可欠な機能もウイルスの「感染」によって齎された事は学術的に証明されている。
そのアップデートによる些細な「障害」は取るに足らず、そもそもこれまでも人類は普通に受け入れてきた「通過儀礼」。
むしろその「通過儀礼」を避けることのほうが危険であることが解っているからこそ、今次のコロナ文革原理主義に抗っているのだと。
しかし、この「賢者」の思考は、メディアを支配する「悪徳富豪」によって、庶民には全く届かないまま「貧者」として洗脳され、コロナ文革原理主義は無間地獄のように続いていく。
愚かな「貧者」を利用した、この人類史上の汚点たるコロナ文革原理主義を止めるには草の根の末端から覆していかねばならない。
同人誌イベントもその草に根の一つである。
主催者、サークル参加者、一般参加者も時勢に流されるのでなく、自らがコロナ文革原理主義に抗う行動を起こし、世の中を代えていかなくては未来がないことを自覚すべき時に入ったのだ。