「かみさん」自慢ができる男が人生の勝利者

報道
12 /07 2009
よくラジオを聴いていると、たまにパーソナリティーが「かみさん」自慢を口にすることがある。
「仕事が忙しいけどかみさんにせっつかれて」とか、毎日しんどいが、とりあえず家に帰れば「かみさん」が居てどうのこうのとか。
建前上は苦労話なんだけど、それはお惚気であって、独身者に対する「上から目線」の自慢話であることは確かなんだろう。
本人も悪気はないようだ。

もっとも妻を娶り、子を設けることは社会生活を営む哺乳類として定義すれば「必須の通過儀礼」であって、それが出来ない「独身者」よりステージが高いのは当たり前。
そんな「かみさん」自慢を出来ることがある意味ステイタスなのだから、「独身者」は甘んじてその「ありがたい自慢話」に対し、自分の置かれた立場を悔い改めねばいけないのだろう。

最近、新聞誌上で、「男女共同参画社会に関する世論調査」なるものが発表されて結婚しても子供はいらないとの回答が40パーセント以上に昇ったとか記されていた。
これは明らかに「滅びの予兆」であって「子孫を残すことが負担」と認識した時点で、その種の絶滅は確定的であろうから何とかせねばいけない記事かと思いきや、「男女共同参画運動が浸透した成果」等とのたまう。
世も末だ。
結婚も子供を設けることも「否定的」になった時点で、すべてがおしまいである。
この国は国民に対し、自ら滅びを奨励していると見える。
「このアンケート結果見てください!子供なんて要りませーん!男女共同参画ばんざーい!ぎゃああー!!」
まさにキ印並だ。
精々頑張って欲しい。

独身、既婚者どちらが人生を豊かに過ごせるかなどの物差しなんてこの世に存在しない。
自殺する富豪もいれば、いつもにこやかなホームレスもいる。それと同じことだ。
しかし、人生のパートナーも己の子息も設けられない人間が、幾ら声高に「そんなもの要らない」と叫んだところで人間はいずれ例外なく歳を取る。
これは避けがたい宿命だ。
老い朽ちかけた時に地団駄踏んで後悔するのはどちらなのかは、薄々気が付いている。

既婚者、子供を設けている者は差程「声」を上げない。
なぜならどこかで満たされているからだろう。満たされている者は世間に訴えなどしない。
最も幸せなのは「専業主婦」である。彼女らの声は殆ど巷に聞えてこない。
だから幸せなのだ。
そして幸せたる基盤も確固としてあるから、何も声にする必要もない。
子を設け、育てると言うのは究極の「幸せ」の形であることを、図らずも証明している。

一方で、満たされないものほど煩く声を上げる。
独身者は煩い。特に独身女性の「声」はありとあらいるメディアに溢れ、隙間もない。
なぜなら己の「不幸」を自己欺瞞で固めていなければ生きていけないからだ。
「不幸者」はいつも煩い。
「不幸者」は満たされていないから、常に何かを要求せずにはいられないのだ。
未来を作れない者の哀れな叫びは果てしない。
そしてそれを是とするメディアと国のスタンスに「世界の終わり」を予感するのは自分だけか?
子供をいらないと公言する40パーセントもの人間は己が「不幸」に無頓着であることを知るべきだろう。
それはけっして賢いのではなく、ただ人間という寿命ある宿命に「鈍感」なだけだ。
いずれ歳を取れば解ろう。
まもなく50を迎える自分が「不幸」な独身者であることは解っている。
だからラジオパーソナリティーが「かみさん」自慢を始めると、ラジオの前で「アイスミマセン」と頭を垂れて自分の不幸を再認識するのだ。
自己欺瞞で固め「自分は絶対不幸じゃない!」と言い張る「独身者」よりは少なくとも素直だと思っている。

どうやら「学研の科学」と「学研の学習」が休刊するそうである
原因はいうまでもなく「少子化」。
商売にならないほど子供の数が減っているのだろう。
自分たちが小学生だった昭和40年代、自分は「学研の科学」を採っていた記憶がある。
毎月クラスで配布され、人生の楽しみの一つだった。
教材付録と小冊子は、どの教科書よりも有意義で好奇心と知識欲を刺激した。
今の自分はこの「学研の科学」なくしては成り立たなかった。あれを読んでいなければ、宇宙の果てしない広がりや地球の成り立ちや自然科学の基礎知識を得る事もなく「くだらない使い捨ての人間」に成り下がっていただろう。
今から思えば、そのすべてを保存しておけば良かったとも思う。
当時は、「将来もっと夢のある未来」が来るはずだから「学研の科学」は単に通過していくものに過ぎなかった。
しかし、現実にはあの頃のほうが「夢のある未来」だったのだな。
これからの子供は、もうそんな「夢とロマン」を掻き立てる教材に触れることもなく、「くだらない使い捨ての人間」として飼いならされていくのだろう。もはや「夢とロマン」を継承する世代は消滅してしまうのだ。
もっとも若年層がいなくなった時代に、世界を刷新する可能性を抱く「夢とロマン」なんか必要ないのであるが。

動画サイトで先日、1985年当時の若年層向けCMを見つけた。
アクシアというカセットテープのCMガールだった斉藤由貴が出ている。

これを見ると解るのだが、CMの中に出てくる「消費者」は中学生くらいの子供だ。
当時、オーディオ、テープなどの家電を楽しむ世代の中心は、そんな中高生。
彼らの消費意欲がこれらの商品の売り上げを左右した。
でも、四半世紀後の今、こんなCMは作れない。
今、これに相当する製品のCMは薄型テレビとかなのだろうが、殆どが中高年(中高生ではない!)向けにCMが作られている。
若年層向けに作られたCMは最近殆ど観る事がない。
ようするに、テレビの前にそんな若年層はいない、と言うことなのだろう。
四半世紀前のこんなTVCMからも日本の急激な「老化」が見て取れる。
余談だが、斉藤由貴は現在3人の子供に恵まれ、子育てに勤しんでいるそうだ。

「かみさん」自慢をするDJの一人に伊集院光がいるが、そのラジオのコーナーでこんなのがあった。
「こども店長」がいる事務所の部下として派遣されたら?というもの。
そして派遣される部署には高齢者の「使えない男」がいる設定だ。
その「使えない男」は孫ほどの「こども店長」にこき使われる。
「こども店長」は言う。
「お前は使えねーな!何年生きてんだ!65年?それだけ生きてそのザマか!お前結婚してんのか?
なに?独身?子供もいない?
だからダメなんだよ!
僕の親父は美人のお母さんを娶って僕みたいなデキル子供を設け、育てたんだ!
それに比べ、お前はなんだ?
結婚も出来ない、子供も設けられないだと?恥を知れよ!出来損ない!
てめえはこの世に何にも残せない人生の敗北者だなあ。嗚呼、見ているだけでもムカついてくるな。
使えねえ65歳は、ただの社会のお荷物なんだよ!
そんなのを雇ってやってんだ。ありがたく思え!この生きる屍」

それに対し「使えない男」65歳独身はただ「アイスミマセン」と「こども店長」の前で土下座するだけ。

ただの深夜ラジオトークに過ぎないのだが、まるで自分の未来を見ているようで、思わず「ぎゃああ」と叫び、ラジオを放り出して布団に潜り込んでしまった。

これを戯言として笑えるだろうか。自分は笑えない。

結婚出来ない、子供を設けられない独身者は、程度の差はあれ、将来こんな目に合わざるを得ないのだ。
それを覚悟しておいたほうがよい。
「かみさん」自慢ができる男が人生の勝利者に疑いはない。
愛情は金では買えない。
虚勢を張って「独身のほうがよい」と叫べば叫ぶほど己の惨めさが浮き出てくるから、決して自分は己の立場を肯定しない。
ただ、自分の惨めな立場を省み、嘆くだけだ。

「アイスミマセン」。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/