fc2ブログ

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』感想【ネタバレあり】

エヴァンゲリオン
03 /11 2021
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開初日に映画館へ足を運ぶ。
朝、7時40分の回。
他にやることもあるのに雨の中、朝の通勤電車に紛れ、新宿へ。
まさに「エヴァに憑りつかれたヒトの悲劇」である。
今回の新劇場版完結編は「コロナ禍」で2回も公開延期。
さらに今回も緊急事態宣言延長下での公開に。
『シン・エヴァンゲリオン』はつくづく興行運から見放されていた。
これもまた悲劇である。

元々「新劇場版」に思い入れなどない。
「TV版」および「旧劇場版」は庵野秀明氏の魂の叫びとしての単結晶作品であり、その世界観は共鳴に値するシリーズだった。
しかし、新劇場版は作品ごとに様々なクリエーターの個性を組み入れたリレーアニメ調に作られており、テーマとして一貫性がない。
単なる「エヴァ」というブランドを利用したオブニバスに過ぎない。
妙に登場人物がポジティブだったりしてエヴァの世界観とは相反し、己の知る「エヴァ」とは程遠い存在だった。
一応「新劇場版」も全て劇場公開時に観てはいるが殆ど感慨はない。単にクリエーターに対してのお賽銭みたいな感覚だった。
ただ、前作の「Q」はややスピリットが旧作に近づき、「旧TV版」になかった要素も加わって多少は鑑賞意欲が向上していた。
そんな意味もあって今回は情報が漏れる前に観ておきたかった。
午前7時30分頃、映画館到着。
月曜朝にも拘わらず、劇場は人で一杯。
「エヴァ」ファンは未だ健在という印象。
2時間半以上の上映時間なので忍耐も必要だ。
IMG_20210308_073327aa.jpg IMG_20210308_073937aa.jpg

(これ以降はストーリー内容を含みます。未鑑賞の方はご注意ください)
さて、その感想だが、結局のところスピリットは「Q」以前に逆戻りし、自分の知る「エヴァ」の世界観とは相容れず、正直退屈な完結編であった。
「エヴァ」の人格としてはあり得ないポジティブ思考の人物描写に、インフレ過剰なエヴァシリーズ、旧劇のストーリーには沿っているが単に設定をネガポジ反転させただけの演出。
他のメジャー作品にありがちな「めでたしめでたし」で余韻も何もない「普通のSFアニメ」で終わってしまった。
とにもかくにも、登場人物がポジティブ思考になっていくことが全く「エヴァ」ではない。
「エヴァ」の真髄は「心を閉ざした後ろ向きな人々の暗い生き様」。
そこから醸し出る妄想エッセンスこそがエヴァの魅力。
包帯綾波もオリジナルテレビ版でなければ描けなかった。
にも拘らず、「世のため、人のため」みたいなポジティブ思考がすべてを台無しにする。
こんなのは「エヴァ」ではない。
今作品も、いきなり前半から「ニア・サードインパクト」を生き残った人々の村が現れる。
まるでジブリ作品に出てきそうな場面設定に強烈な違和感。
そこに鈴原トウジと相田ケンスケが「成長した大人」として描かれる。
これも嘘くさくて堪えられない。
そもそも『新世紀エヴァンゲリオン』とは南極で発掘された「神」からエヴァを苗床にしてヒトのあるべき姿たる「人類補完計画」を実践する物語であって、セカンド、サードインパクトで浄化される下々の人達を描くような作品ではない。
そんな部分を克明に描写していたら根本からテーマの焦点がボヤけてしまう。
この時点でもう思い入れて見続ける意欲が失せた。
大体、相田ケンスケや鈴原トウジが「人々のために尽力する」という設定がおかしい。
相田ケンスケが旧作で「サバイバルごっこ」をしていたのは、あくまで遊びであって本質的なサバイバル技術を磨いていたのではない。
彼のやっていたことは単に寂しい無能な自分を癒すため、現実逃避するためのヲタク特有の自慰行為でしかなかった。
そんな男がニア・サードインパクトで生き残るために何か出来る訳もなかろう。
むしろ役立たずのお荷物として真っ先に死ぬタイプだ。
そんな男が立派に人のために役立つスキルなどあるはずがない。
絶対にだ。
彼はエヴァに乗れない己の無能さに藻掻き苦しんで寂しく独身のまま死ぬのが相当なオタク絶望男性として描かれなければならないのだ!
(下の画像は2003年に描いたエヴァの同人誌作品に収録した「THE END OF KENSUKE」)
けんすけ02版下aa
そうでない時点でもはやこの物語は「エヴァ」として破綻している。
鈴原トウジもおかしい。
旧作では本人が望んでもいないのにチルドレンとして選抜され、無理やりエヴァに乗せられて重傷を負う悲劇的少年として描かれていた。
彼はその後の人生も悲劇的でなければならなかった。
それがエヴァという物語の掟だ。
洞木ヒカリにも愛想をつかされて悲しい障害者として人生を歩む描写が相当だろう。
だが「新劇版」ではトウジはエヴァ3号機にも乗らず、平凡な体育会系少年として存在感のないキャラクターとして放置されてしまった。
今更、クラスメートと幸せな結婚をして子を設け、人のために医療従事者として貢献する人物として描かれても説得力がない。
余りにもポジティブご都合主義だ。
「Q」でトウジの名が入ったシャツを見てシンジがぎょっとするシーンがあるが、それで以降登場しなくてよかったのだ。
すでにトウジは死んでいると推測させるだけで彼の役目は終わっていた。
にも拘らず今作品で「立派な人として生き残っている」なんて設定は馬鹿馬鹿しくて見ていられなかった。
こんなのは「エヴァ」ではない。
黒綾波も「Q」でやっと本来の綾波らしくなったのに今作品でまたエヴァ世界観と相容れないポジティブな「ポカポカ綾波」に戻ってしまい興覚め。
アスカの設定も、もう何だか訳が分からず、どういう存在で何でそこにいるのかもよくわからない。
シンジに対する反応も旧作ではほのぼのとした愛情の裏返し的ツンデレ描写で微笑ましかったのに、今作では人格否定の暴力虐待DV女というイメージしか湧かなかった。
アドビ・イラストレーターに似た名前の眼鏡パイロットも新劇場版通してどう解釈していいかも解らない。
そして、人造人間エヴァンゲリオンに至っては、余りのバリエーションの多さ、数の膨大さにインフレーションを起こし、個々の機体のありがたみすら喪失し、ただのその他大勢の雑魚メカとして扱われ、これまた興覚めに繋がっている。
ネルフ側の大量エヴァはいったいどうやって量産されたのか?
コントロールは冬月が一人でやっているのか?
それに聖なる槍を勝手に造れてしまえるのなら、もはやこれまでの「神話」の積み重ねなど無意味。
そうなるともうあらゆる面でエヴァの根本的設定は破綻してしまい、もはやこれは「エヴァ」でもなんでもなかろう。
「エヴァ」というタイトルは下ろし、「新世紀となりのトトロマクロス機動戦士虐待DV女アスカ」でも通用する。
「旧TV劇場版」でも描かれた敢えて雑に作ったり、原画用紙を用いたりする描写も、オリジナルの時は実際製作期間が足りずに苦肉の策としての演出が、視聴者も巻き込んだリアルタイムの臨場感として効果があったが、今回はそういう「旧作」の描写をただ機械的に織り込んだだけ。
演出上、何の理由があるのかもわからない。
旧劇場版でのテーマであった「エヴァを捨てて現実を見よ」も踏襲されていたが、それが更にえげつなく感じられて後味が悪い。
旧作では主人公シンジも救われることなくヒロインに「きもちわるい」と突き放されたが、今回はシンジ自身も何だか「救世主」として覚醒しているみたいで嫉妬する。
親父と向き合ってトラウマ救済するなんてぞっとすることをよく描いたものだ。
むしろそんなシンジこそ「きもちわるい」。
結局、スクリーンを見つめているエヴァファンだけが「あばよ」突き放された感。
いっそのこと、最後に実写で庵野夫妻が登場し、こう言い放ってしまえばよかったのかも。

「エヴァファンの諸君。エヴァは所詮絵空事。そんなものに縋っても幸せは得られないよ。
これでおしまいだ。
私はエヴァで儲けて美しい妻も獲得し、リア充を満喫している。
現実世界で幸せを獲得できない人間に生きる資格はないよ。
まあ君たちヲタク共はこれからエヴァが存在しないバーチャルな世界で藻掻き苦しんでいればよろしい。
残念だったね。ネモ君。
みなさんさようなら」

とね。

まあ、これがエヴァンゲリオンシリーズの締めとしてもっとも相応しいエンディングかもしれない。

とはいえ、これだけのブランド作品。
遅かれ早かれ、『ガンダム』同様、別の企画で再び『エヴァ』シリーズは制作されていくだろう。
次回はいっそ1950年代を舞台とした喜劇駅前シリーズ「えヴぁんげりおん」として作ってみてはいかがだろうか。

上映開始から2時間35分。
スクリーンに「終劇」の文字。
最初から最後まで微動たりもせず、ただひたすらスクリーンを見続けていた観客の群れ。
上映後、客の声からすると意外にも総じて印象は良さそうだ。
取り合えずパンフレット位は買おうと窓口に向かうが長蛇の列。
公開初日の朝から見に来る客は「ガチ」のエヴァファンだから致し方ないが、1時間近く並ぶとは。
特に他に欲しいグッズもなく、とぼとぼと劇場を出る。

帰りも外は雨止まず。
最近は新海誠の新作も面白いとも感じず、還暦を超すとこれまでファンだった監督の作品群も琴線に触れることが少なくなった。
2次創作したい気持ちもあまり湧かない。
感性の衰えも加速して、結局若いころ観た作品を反芻するだけの日々。
年取るというのはそういうことである。

嗚呼、儚きぞ人生。

 



あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/