森繁主演のドラマ「だいこんの花」
日常
先日、森繁の追悼としてか、地上波民放で「だいこんの花」という1970年製作のドラマをやっていた。
例によってこんなドラマはリアルタイムで見た記憶がない。
多分、当時小学生だった自分からしたら「面白くなかった」のだろう。それに家族の誰もチャンネルを合わそうともしなかったからどうでもよかったのかもしれない。
しかしそんな記憶にすらないドラマにも拘わらず、なぜか今見ると「面白い」のだ。
たぶん作品の内容が面白いのではなく、その時代背景に共鳴しているのだろう。
この頃のテレビ番組を見ていつも感じることは、しゃべり方も展開もテンポが異常に速い。作りも大味で多少の台詞間違いもスルー。舞台道具もイージーで粗雑なのだが、にも拘らず視聴者を引き付ける得体の知れないエネルギーがある。
このドラマで森繁が演じるのは初老の男寡。長男と同居で戦争中の戦友との関わりとか、太平洋戦争終了わずか25年しか経っていないことが解る。
しかし、この年に日本では大阪万博が開かれ、高度成長下、新幹線が当たり前のように走っていたのだ。2009年からすれば、もう40年も前のことである。
1970年から観た1945年というタイムラグと2009年から観た1970年のタイムラグとは著しくその性格が違う。
登場人物は当たり前のようにタバコをすぱすぱ吸う。黒電話と郵便のみが情報伝達媒体だ。
今からならばタバコの害に無頓着と眉をひそめそうだが、当時の人々は老後の健康のことなど考える暇はなかった。いずれ己の血は孫に引き継がれるから己の老後の心配など杞憂だったのだ。
1970年に描かれた当時の若者は「ナンセンス!」と叫びながらも、すべての大卒者は就職し、母親に近いイメージの嫁を娶り、子を作るのが当たり前だった。戦時中に軍人だった森繁演じる男も、そんな若者に反発しながらも彼らに未来を託す事に何の疑問も持たなかった。
2009年現在、ネットと携帯の普及によって、40年前に描かれた多くの普遍的価値観は、生身の身体から質量のない世界に移行しつつある。
結婚したり子を設ける「人の営み」はいよいよ終焉しつつあるようだ。
そしてテレビの役割もそろそろ終わりが見えている。
1970年前後のテレビドラマは強烈なインパクトがあった。
中山千夏が出ていたドラマでは生放送でヒグマをスタジオ内で射殺したりして、それでもそれが普通の時代だったのだ。
ドラマはリアルタイムでその時代の流れを反映していたから、視聴者と同時進行で動いていた。
今、そんな潮流はネットに移行し、硬直化したテレビはもはや「時代を反映する公器」ではなくなった。
もうこれからは、「だいこんの花」のような40年前のドラマをひたすら再放送したほうが視聴率を稼げるのではないか。
そしてテレビは高齢者のためのリハビリの道具と化す。
森繁と共にテレビも終わるのだ。
例によってこんなドラマはリアルタイムで見た記憶がない。
多分、当時小学生だった自分からしたら「面白くなかった」のだろう。それに家族の誰もチャンネルを合わそうともしなかったからどうでもよかったのかもしれない。
しかしそんな記憶にすらないドラマにも拘わらず、なぜか今見ると「面白い」のだ。
たぶん作品の内容が面白いのではなく、その時代背景に共鳴しているのだろう。
この頃のテレビ番組を見ていつも感じることは、しゃべり方も展開もテンポが異常に速い。作りも大味で多少の台詞間違いもスルー。舞台道具もイージーで粗雑なのだが、にも拘らず視聴者を引き付ける得体の知れないエネルギーがある。
このドラマで森繁が演じるのは初老の男寡。長男と同居で戦争中の戦友との関わりとか、太平洋戦争終了わずか25年しか経っていないことが解る。
しかし、この年に日本では大阪万博が開かれ、高度成長下、新幹線が当たり前のように走っていたのだ。2009年からすれば、もう40年も前のことである。
1970年から観た1945年というタイムラグと2009年から観た1970年のタイムラグとは著しくその性格が違う。
登場人物は当たり前のようにタバコをすぱすぱ吸う。黒電話と郵便のみが情報伝達媒体だ。
今からならばタバコの害に無頓着と眉をひそめそうだが、当時の人々は老後の健康のことなど考える暇はなかった。いずれ己の血は孫に引き継がれるから己の老後の心配など杞憂だったのだ。
1970年に描かれた当時の若者は「ナンセンス!」と叫びながらも、すべての大卒者は就職し、母親に近いイメージの嫁を娶り、子を作るのが当たり前だった。戦時中に軍人だった森繁演じる男も、そんな若者に反発しながらも彼らに未来を託す事に何の疑問も持たなかった。
2009年現在、ネットと携帯の普及によって、40年前に描かれた多くの普遍的価値観は、生身の身体から質量のない世界に移行しつつある。
結婚したり子を設ける「人の営み」はいよいよ終焉しつつあるようだ。
そしてテレビの役割もそろそろ終わりが見えている。
1970年前後のテレビドラマは強烈なインパクトがあった。
中山千夏が出ていたドラマでは生放送でヒグマをスタジオ内で射殺したりして、それでもそれが普通の時代だったのだ。
ドラマはリアルタイムでその時代の流れを反映していたから、視聴者と同時進行で動いていた。
今、そんな潮流はネットに移行し、硬直化したテレビはもはや「時代を反映する公器」ではなくなった。
もうこれからは、「だいこんの花」のような40年前のドラマをひたすら再放送したほうが視聴率を稼げるのではないか。
そしてテレビは高齢者のためのリハビリの道具と化す。
森繁と共にテレビも終わるのだ。