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吾妻ひでおファン葬に出席

創作活動
12 /02 2019
先月30日に行われた漫画家吾妻ひでお先生のファン葬に出席。
冠婚葬祭など忌むべきものとして、親族関連の式すら殆ど出たことのない身。
当然喪服などあろうはずもない。もっとも普段着でもよいとのことだったので全身真っ黒の服で影男のごとく式場に赴く。
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場所は築地本願寺第二伝道会館。一応関係者枠として14時半頃に献花。
到着したときには参拝者が一人ずつ献花する時間帯。
祭壇に普段着姿の吾妻ひでお先生の遺影が飾られている。
花を供え、一礼して退室。
自分は列席しなかったが式辞は萩尾 望都先生やとり・みき先生等が述べられたとか。
帰り際に、吾妻先生のイラストで構成された手ぬぐいを頂く。
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2次会にも出席する旨、参加者とともに銀座の会場へ。
著名漫画家各位がご臨席のようで、肩身が狭い。
面識があるのは、コミケで交流のある、みなもと太郎先生、「プチアップル・パイ」時代に執筆されていた火野妖子先生と永野のりこ先生位。
他にもお会いしたことがあるはずなのだが、最近漫画家方面の交流に疎くなって、どうしてもお顔と名前が一致せず、思い出せない。
ここ数年、漫画雑誌での連載もなく、どうにも自己紹介すら糸口が見出せない。
後から山本夜羽音先生がいらしたのに気がつく。この記憶力の低下は危険だ。
とりあえず、備え付けのスケッチブックにななこSOSもどきの絵を描いてその場をやり過ごす。
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吾妻ひでお先生とは、それほど深い交流があった訳ではないが、10年ほど前に開催した自分の原画展にわざわざお越しくださったのがもっとも印象深い。
その時、自由帳に残して頂いた直筆イラスト。
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原画展の少し前に「マンガの手帖」経由で大泉学園を舞台とした同人誌を吾妻先生がお読みになり、なぜか興味を持たれ、その同人誌に描いた女の子を先生が模写し「ぶらぶらひでお日記」に掲載して頂けるなど、大変光栄なことだった。
あずま日記0904aa
コミティアでも直接、私のスペースまで「新刊ありますか?」と足を運ばれたこともあった。
1970年代から週刊漫画雑誌の第一線で連載されていたメジャー作家先生が、自分のような超マイナー漫画家と関わり合う事など稀有なことである。
一度、望月 三起也先生とワイルド7合作イラスト企画というのがあったものの、その時は直接お会いすることもなく終わった。しかし今回のようなあの「ふたりと5人」を描いていた御大が、それも先生のほうから関心を持たれたというのは恐縮の極みであった。
吾妻ひでお先生はかなりの読書家であらゆる方面に旺盛な好奇心を発揮されていたようだから、私の作品に興味を持たれたのもその一環に過ぎず、先生にとっては別段、特筆すべき程のことでもなかったのは想像に難くない。
しかし、自分にとっては己を信じて好きなように描いてきた作品が、たとえ一瞬だろうと著名御大たる吾妻先生に評価されたという事実は、今後ともこの世界で漫画、イラストを生業とする上で、掛け替えのない自信に繋がることだけは間違いないと思う。

2次会も終わり、同じ銀座のギャラリーで開催されていた「山田雨月ムウムウ展3」を観覧。
その後、三々五々帰路に就く折り、夜空を見上げると細い三日月が浮かんでいた。
先生も今頃、あの月界隈を取材旅行されているのだろうか。

合掌。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/