fc2ブログ

展覧会三景~エドワルド・ムンク、吉村芳生、ヒグチヨウコ~

映像鑑賞
01 /22 2019
年末から年始にかけて展覧会を三つ。

東京都美術館『ムンク展』
20日で閉幕した東京都美術館『ムンク展』は、このブログでも何回か話題にした。
20代の頃より『ムンク展』が開かれる度に足繁く通ったものだ。
自分の部屋の本棚には、そのいくつかのムンク展フライヤーが貼ってある。
IMGP8313aa.jpg
日に焼けて色褪せてはいるが、それがまたムンクらしい。
最初の展覧会は1981年であったか。東京都近代美術館で開催されていた。
まだ学生時代、確かゼミの卒論も「ムンク」を題材にした記憶がある。
自分は『叫び』よりも『病める子』シリーズに惹かれていた。
だが最近は恐ろしくてダメになった。
死や病を観念的に戯れの対象と出来た頃は幸いである。
現実にその「闇」がひたひたと押し寄せてくると、絵画鑑賞どころではなくなるのだ。
フィヨルドに映る舌のような夕日にメランコリーを感じる若き頃は遠く過ぎて、老い朽ちる気配が聞こえてくると、もうどうしようもない。
ムンクは医者の家系に生まれたから、若き頃の苦悩を生きる糧にも出来たし、名声も得られた。
だから生涯独身であっても、晩年は過不足ない生活環境であったろう。
だが、老いて名声もなく、お金も地位もない独身男性は惨めだ。
若い頃の観念的な絶望が「現実」として襲い掛かるのだ。
真っ赤な蔓草。真っ赤に染まる夕日。
己を貫く絶望の叫びは青春の特権だ。
老いての絶望は声すら出せず、ただひたすらに孤独の闇の中で次第に衰えゆく心身に絶えるしかないのだ。
IMGP8111aa.jpg
今回の展覧会は盛況と見えて、入場30分待ち。
ロビーにあった動画風に動くムンク画が陳腐。
IMGP8117aa.jpg
動かしたいなら本物の独身絶望男性を真っ赤にペインティングして徘徊させればよいものを、小手先のごまかしではムンクの苦悩は表現出来ぬぞ。
やはり年老いて感性も鈍ったか、若い頃のように齧り付きで鑑賞するような情念はなくなってしまったが、キャンバスにぶつける様な描き方は忘れてはならない。
ただ形を追うだけの作画は無意味だ。
心の滾りを表現しなければならぬのだ。
それが出来るのは若い頃だけ。
今やってもただの老醜か、挙動不審の変質者。だがそれでも描くというのが絵描きの生業。
警官の職務質問に素直に従ってはならぬ。
狂気で対応してこそ表現者の最低条件だ。

会場中盤に掲げられた『叫び』『絶望』『不安』三部作。
立ち止まって観れないが、少し後ろに引けば全体像が解る。
『叫び』はムンク自身ではない。観る者が心に内在する恐怖の映し鏡。
核爆発にも似た真っ赤な空はサードインパクト。
マンガ論争原画1812baa
後半は、精神の嵐から抜けて穏やかな老年期の作品。
この辺りはあまり観るべきものはない。
人は年老い、落ち着かなければ心身が持たないからこれでいいのだ。
生涯独身のムンクではあったが、身の回りの世話人もいたろうし、国も文化功労者として手厚く保護したことは想像に難くない。
全ては地位と名誉とお金である。

そしてミュージアムショップ。
今回のムンク展でもいくつかのグッズを購入。
IMGP8236aa.jpg
1980年代は複製原画にポストカード、ポスター位しかなかったのに、今やアイドルグッズ並みのアイテムがこれでもかこれでもかと並ぶ。
お茶やジャムはまだしも、スナック菓子キャラクターにポケモンである。
ピカチューが「叫び」の真似をしているなど、不謹慎甚だしいと怒る者など誰も居らず、鑑賞者は我も我もグッズに飛びつく。
フィギュアやピンズのガチャガチャまである。
ムンクの苦悩は今や美術館の肥やしになってしまったのだ。
展覧会場を出ると、上野の森は冬晴れの快晴。
照り返しが眩しく、目も開けられぬ。
北欧フィヨルドの白夜とは対照的な空っ風の中を背を丸め上野駅に向かう。
パンダ以外にこれといって売りがない上野界隈の情景もまた、ムンクの描く絶望とは別のディストピアだ。

『吉村芳生 超絶技巧を超えて』。
年始になってからも二つのミュージアムに。
一つは東京駅にある東京ステーションギャラリーで開催されていた『吉村芳生 超絶技巧を超えて』。
一言でいえば、「人間テレタイプ」。
新聞や写真を細かな升目を通して鉛筆で濃淡10段階位のトーンでトレスしていく。
すると写真そっくりの「絵」が完成する。
現代芸術というものは、大抵誰かしら似たようなアプローチで表現するもの。
この作家のやっていることも、そんなに珍しい手法ではないが、その膨大なスケールと徹底した執着心が圧倒的に違う。
自画像や新聞紙を365日、ひたすらトレスするという「業」にも似た創作活動が継続できた環境にも秘密があろう。
その作品自体は平凡でも、その「工程」に意味がある。
元になった1970年代の写真や新聞も興味深い。
不思議に思うのはこれだけ膨大な作業だから一年中引きこもっていると思ったら、外国にも旅行するし、結婚して息子も設けたらしい。
作品よりもそのあたりのパラドックスが恐ろしい。
ちなみにこの美術館はレンガつくりの東京駅の中に設けられていて建物自体が重要文化財並みの価値がある。
IMGP8300aa.jpg

「ヒグチユウコ展 CIRCUS」
次のミュージアムは芦花公園最寄の世田谷文学館で開催されている「ヒグチユウコ展 CIRCUS」だ。
こちらも吉村芳生に負けず劣らず超絶技巧の頭のおかしい女子作品。
こういった偏執狂的イラストを描く人間は、どこかイカレている場合が多い。
しかし、それがアートに向くと「偉大なる芸術家」となる。
IMGP8307aa.jpg
IMGP8306aa.jpg
ディズニーシーで売ってるジェラトーニの目玉を腐らせたようなキャラクターがアノマロカリスを抱いていたり、猫の顔なのに手が蛇で足が蛸という化け物を描いたりとキチガイレベルが高い。
そんなイラストがこれでもかこれでもかと展示されていて、それをおしゃれ女子が食い入るように鑑賞するという構図。
ここにもポケモンコラボのイラストが展示されていてムンクとヒグチヨウコの結節点を見た。
恐ろしい。
ヒグチヨウコの作品は絵本としても人気があるようでアートスティック一辺倒ではなく、子供受けもよい。
おしゃれ小物にはぴったりの作柄でもあるから、ミュージアムショップは大混雑。
初日は午後に行っても入場制限が掛かってグッズが買えないという有様に。
仕方ないのでガチャガチャをやる。一回500円。
ミュージアム設置のものは単価が高いが、これが相場なので躊躇する者は少ない。
出たのは例の手足が蛇と蛸の猫。
これもいずれアニメ化するのだろう。
ヒグチヨウコ印税がっぽりだ。
いずれにしろ、1日で吉村芳生とヒグチヨウコをまとめて鑑賞するのは脳が飽和状態となるのでお勧めしない。

IMGP8310aa.jpg

エドワルド・ムンク、吉村芳生、ヒグチヨウコ・・。たまたま集中鑑賞したアーティストに作品性も、テーマも、世代も、時代も、ジャンルも、生きた環境もリンクするものはまったくない。
ただひとつの共通点は世間に認められ、多くの観衆を集められるということ。
数多のアーティストは誰にも認められることなく、草葉の陰で惨めに死んでいくというのにこの違いは何だろう?
世田谷文学館から芦花公園駅に向かう暗い道をとぼとぼ歩みながら、還暦近くなっても成就程遠き我が人生にあるのは、ただただ嘆きのみであった。




あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/