『晴れた日に絶望が見える』PV準備他諸々の日々
創作活動
1月後半からの健忘録。
受注イラスト制作、商業原稿用絵コンテ、そして『晴れた日に絶望が見える』PV準備とバタバタ動いていた。
『晴れた日に絶望が見える』オーディションは総計70名以上のエントリーを頂き、恐縮の極み。
ただ2日間に分けたオーディションのうち、初回は15名を二人ずつ、2回目は60名余を5人づつ程で審査したため、どうしても2日目の応募者をじっくり拝見することが出来なかったのが心残り。
ただそれぞれの方の『晴れた日に絶望が見える』感想をいただくことが出来て、それだけでも貴重な財産となった。
改めてオーディションに応募していただいた方々にはこの場を借りて御礼申し上げる。
最終的に選ばれたのが希代彩(きたいあや)さん。
ミスiD2017ファンタジスタさくらだ賞受賞
第7回きりゅう映画祭制作作品
「JKエレジー」主演
/ミシェルエンターテイメント所属)
小池匠監督、大崎章監督も強く推していたので、ほぼ全会一致で決定。
彼女には突出して「輝く」ものがある。
31日に衣装合わせ、本読み。
少女役の稀代彩さんから役作りに関して質問されたので「ツンデレっぽく」とアドバイスしたら納得していただけたようだ。
40歳近く離れていても「ツンデレ」が共通認識パスワードになったのは幸いであった。
ただ、この頃から風邪気味が祟って打ち合わせ最中に急激にダウン。
座ることすら辛くなり一人仰向けになってミーティングに挑む。
この日初めて会う方も多い中、仰向けになるなど尋常ではないが、そんなことを言っていられないほど苦しかったのだ。
外出先でこんな体調不良になったのは前代未聞。
脂汗をかきながら家に帰ったら38.5度の熱。
漫画家デビューして2年目の1984年も同様に寒かったが。心身共に気合が入っていたのか、靴下も履かずに原稿に勤しみ、風邪すら引いた記憶はなかった。一転最近はほぼ毎年、風邪に罹り2ヶ月間咳が止まらなくなるなど酷い状況が常習化してしまった。
2月2日はPVの楽曲「G線上のアリア」のレコーディング。
演者はバイオリニストの橋口瑞恵さんとピアニストの水月恵美子さん。
橋口瑞恵さんは影男シリーズ『絶望線上のアリア』のモデルにもなった方。
ご本人のブログ略歴から一部抜粋。
「10歳でエクアドル国立音楽院を飛び級卒業。在学中はモスクワのグネシン音楽院の現学長、アンドレイ・ポドゥゴルニ氏(当時はモスクワ音楽院教授)からソロ及びオーケストラの指導を受け、10歳にして月14回の公演をこなし、年間100回を超えるリサイタルツアーをエクアドル国内各地で広く行う。
17歳で、1からとなったヴァイオリンの技術習得を、稲垣琢磨(大阪教育大学)、山岡耕筰(東京芸術大学)両氏の指導によって始める。
慶應義塾大学卒業後は様々な職種に従事した後、2002年から東京を中心とした本格的かつ精力的な演奏活動を開始。2007年、坂本龍一氏プロデュースのロハス・クラシックコンサートに出演。
2007年と2009年には現地のプロデューサーにより、イタリアのミラノ、クレモナ、ノヴァ―ラ各地でリサイタルツアーを行う。2008年と2009年、フランスのSAVAREZ社製のヴァイオリン弦、Corelliのイメージキャラクター。また、2008年に数度にわたり、イタリアにて巨匠サルヴァトーレ・アッカルド氏の指導を受けられたことが、音楽的な転機となる。
2012年と2016年、2017年にはエクアドルの文部省や日本大使館、現地大学や企業の主催、後援により、首都のキトとグアヤキルで複数のリサイタルを行い、エクアドル大統領の御前での演奏も果たす。
2013年4月には府中市分倍河原駅の駅前に、本格的な音響とスタインウェイのフルコンサートグランドを備えたミニ・コンサートホール「ミエザホール」を建設し、オープンさせた。現在は演奏家、指導者、ホールのオーナーであり、1児の母」
蒼々たる履歴。自分とは生きているステージが違いすぎるため、ただただ尊敬するしかないアーチスト。
そのような方に今回のPV音楽を担当していただけるのは光栄至極。
20年以上前に、大崎章監督と共に阿佐ヶ谷某BARで同席したのが知り合うキッカケだったか。
人脈は財産である。
そのレコーディングの日は、寄りにもよって雪。数日前から38.5度の高熱は全然引かず体調は最悪。
前日医者にかかった際、インフルエンザ検査では陰性と出たがそれにしても酷い風邪。すし詰めの電車の中で目の前が真っ暗になりあわや卒倒寸前に。凍えながらも分倍河原のスタジオへ。
しかしお二人の生演奏を聞いていると魂に生気が蘇ってくる。
やはり収録の場に依頼者が立ち会わなければ様にならない。
立ち会うことで演奏にも熱が入る。
決死の雪中行軍も報われた気がした。
PVのクランクインは週明けより。
諸々楽しみだ。
問題は体調ではあるが。
受注イラスト制作、商業原稿用絵コンテ、そして『晴れた日に絶望が見える』PV準備とバタバタ動いていた。
『晴れた日に絶望が見える』オーディションは総計70名以上のエントリーを頂き、恐縮の極み。
ただ2日間に分けたオーディションのうち、初回は15名を二人ずつ、2回目は60名余を5人づつ程で審査したため、どうしても2日目の応募者をじっくり拝見することが出来なかったのが心残り。
ただそれぞれの方の『晴れた日に絶望が見える』感想をいただくことが出来て、それだけでも貴重な財産となった。
改めてオーディションに応募していただいた方々にはこの場を借りて御礼申し上げる。
最終的に選ばれたのが希代彩(きたいあや)さん。
ミスiD2017ファンタジスタさくらだ賞受賞
第7回きりゅう映画祭制作作品
「JKエレジー」主演
/ミシェルエンターテイメント所属)
小池匠監督、大崎章監督も強く推していたので、ほぼ全会一致で決定。
彼女には突出して「輝く」ものがある。
31日に衣装合わせ、本読み。
少女役の稀代彩さんから役作りに関して質問されたので「ツンデレっぽく」とアドバイスしたら納得していただけたようだ。
40歳近く離れていても「ツンデレ」が共通認識パスワードになったのは幸いであった。
ただ、この頃から風邪気味が祟って打ち合わせ最中に急激にダウン。
座ることすら辛くなり一人仰向けになってミーティングに挑む。
この日初めて会う方も多い中、仰向けになるなど尋常ではないが、そんなことを言っていられないほど苦しかったのだ。
外出先でこんな体調不良になったのは前代未聞。
脂汗をかきながら家に帰ったら38.5度の熱。
漫画家デビューして2年目の1984年も同様に寒かったが。心身共に気合が入っていたのか、靴下も履かずに原稿に勤しみ、風邪すら引いた記憶はなかった。一転最近はほぼ毎年、風邪に罹り2ヶ月間咳が止まらなくなるなど酷い状況が常習化してしまった。
2月2日はPVの楽曲「G線上のアリア」のレコーディング。
演者はバイオリニストの橋口瑞恵さんとピアニストの水月恵美子さん。
橋口瑞恵さんは影男シリーズ『絶望線上のアリア』のモデルにもなった方。
ご本人のブログ略歴から一部抜粋。
「10歳でエクアドル国立音楽院を飛び級卒業。在学中はモスクワのグネシン音楽院の現学長、アンドレイ・ポドゥゴルニ氏(当時はモスクワ音楽院教授)からソロ及びオーケストラの指導を受け、10歳にして月14回の公演をこなし、年間100回を超えるリサイタルツアーをエクアドル国内各地で広く行う。
17歳で、1からとなったヴァイオリンの技術習得を、稲垣琢磨(大阪教育大学)、山岡耕筰(東京芸術大学)両氏の指導によって始める。
慶應義塾大学卒業後は様々な職種に従事した後、2002年から東京を中心とした本格的かつ精力的な演奏活動を開始。2007年、坂本龍一氏プロデュースのロハス・クラシックコンサートに出演。
2007年と2009年には現地のプロデューサーにより、イタリアのミラノ、クレモナ、ノヴァ―ラ各地でリサイタルツアーを行う。2008年と2009年、フランスのSAVAREZ社製のヴァイオリン弦、Corelliのイメージキャラクター。また、2008年に数度にわたり、イタリアにて巨匠サルヴァトーレ・アッカルド氏の指導を受けられたことが、音楽的な転機となる。
2012年と2016年、2017年にはエクアドルの文部省や日本大使館、現地大学や企業の主催、後援により、首都のキトとグアヤキルで複数のリサイタルを行い、エクアドル大統領の御前での演奏も果たす。
2013年4月には府中市分倍河原駅の駅前に、本格的な音響とスタインウェイのフルコンサートグランドを備えたミニ・コンサートホール「ミエザホール」を建設し、オープンさせた。現在は演奏家、指導者、ホールのオーナーであり、1児の母」
蒼々たる履歴。自分とは生きているステージが違いすぎるため、ただただ尊敬するしかないアーチスト。
そのような方に今回のPV音楽を担当していただけるのは光栄至極。
20年以上前に、大崎章監督と共に阿佐ヶ谷某BARで同席したのが知り合うキッカケだったか。
人脈は財産である。
そのレコーディングの日は、寄りにもよって雪。数日前から38.5度の高熱は全然引かず体調は最悪。
前日医者にかかった際、インフルエンザ検査では陰性と出たがそれにしても酷い風邪。すし詰めの電車の中で目の前が真っ暗になりあわや卒倒寸前に。凍えながらも分倍河原のスタジオへ。
しかしお二人の生演奏を聞いていると魂に生気が蘇ってくる。
やはり収録の場に依頼者が立ち会わなければ様にならない。
立ち会うことで演奏にも熱が入る。
決死の雪中行軍も報われた気がした。
PVのクランクインは週明けより。
諸々楽しみだ。
問題は体調ではあるが。