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『ブレードランナー2049』の絶望的考察

映像鑑賞
11 /09 2017
改めて『ブレードランナー2049』の考察を試みる。
(ネタばれ注意)
この映画を見る前、想像していたのは新たな主人公Kがアメリカンヒーロー的な勧善懲悪バトルで薄っぺらな「正義」を行使するありきたりなハリウッド映画になることを危惧していた。
大抵の名作続編は興業を優先し、陳腐化するのが常であったから、こんな予想も的外れではない。
だが、実際の出来は、『ブレードランナー』の世界観を忠実に継承し、まるで欧州映画のような悲哀溢れる映像美を追求した作品に仕上がっていた。
どうしてこんなことが現在のハリウッドで作ることが可能だったのか、それが最大の謎に感じた。
もっとも数多の米映画をすべて視聴すれば、そのような作品も何割かは常に作られているのかもしれない。
だがハリソンフォード級の俳優を擁し、世界的大規模興業を展開する超A級映画で、このような類の作品は極めて稀有に感じる。

『ブレードランナー2049』のハリウッド映画らしからぬ造りはどこから来ているのかと考えると、そのスタッフの国籍などから垣間見れる。
すなわち、製作総指揮リドリー・スコットは英国人。監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ、主役ライアン・トーマス・ゴズリングは共にカナダ人。仮想現実恋人ジョイ役・アナ・デ・アルマスはキューバ人。撮影拠点はブタペスト。スポンサーはSONY等。
『ブレードランナー』にヨーロッパやアジア映画の哀愁の血が漂っているのは、こういった理由が一因なのかも知れぬ。
しかし今時、インターナショナルなスタッフ陣は珍しいことではない。

「大義のための死は最も崇高である」というような主人公の描き方も、今の商業娯楽映画として成立しがたい。
自己犠牲というのは敗北必至の者が死を前提とした、いわいる「玉砕」であって、圧倒的な常勝が求められるアメリカンヒーロー像からは余りにもかけ離れている。
クライマックスに主人公Kはデッカードを娘に会わせるために自己犠牲的闘争を展開する。
その結末もあっさりとした静かな「死」だ。爽快感はどこにもない。

『ブレードランナー2049』のラストシーンを観て起想したのは、星野之宣の漫画『残像』である。
これもまた悲哀溢れるSF作品だ。
契約結婚でもう遠い過去の存在でしかなかった元妻が産んだ自分の子供との出会いや、キーワードとなるトーシューズ等が『ブレードランナー2049』設定とだぶる。
だがこの漫画はオリジナルの『ブレードランナー』が公開された1982年よりも更に過去に描かれていた。
時代感覚的には1970年代のテイストだ。

重ねて『ブレードランナー2049』には何となく、前作の特殊効果を務めたダグラス・トランブルが監督した『サイレントランニング』の匂いもする。これも1971年製作の映画。
勧善懲悪ではない自己犠牲的な主人公を描いていた点では『ブレードランナー2049』と非常に似通っているが、当然ながら興業的には失敗作だった。

製作スポンサーも奇異だ。
いまや圧倒的な中国企業群の台頭により、その勢いそのままならばハリウッド映画の冠企業はハーウェイ辺りになってもおかしくないところだ。
だがもはや風前の灯であるはずの日本家電企業の代表格であるSONYが、まるで1980年代そのままに『ブレードランナー2049』メインスポンサーとして名を轟かせている点もまた「自己犠牲の崇高な死」を思い起こさせる。
最後の灯火で有終の美を飾らんとしているかのごとく。

また『ブレードランナー2049』の主人公Kを巡る4人の女たちの描き方も同様に古典的だ。
すなわち、ウォレスに忠実な部下ラヴ
バーチャル愛人ジョイ
娼婦の女
上司のジョシ警部補
彼女たちはそれぞれの立場で主人公Kに対して「愛」を実践する。
それ故にジョイは娼婦に、娼婦はジョイに、ラヴはジョシとジョイに嫉妬し、激しく闘争する物語でもある。
しかしある意味、彼女たちは「自立」していないのだ。
皆、保守的で前時代的な「男に依存する自己犠牲的な女」の姿を描いている。
この2017年にはどう考えても流行らない「女性に嫌われる女」ばかりだ。

ようするに『ブレードランナー2049』は何もかも時代の潮流からかけ離れた存在なのだ。
そう、この作品はもう戻っては来ない1970年代の「望郷」しかない。
作品自体がディストピアなのだ。
「滅び」を描いているのではなく、映画自体が「絶滅と廃墟」そのものなのだ。
SONY、依存する女、自己犠牲の玉砕肯定、大義のための死・・。
これらすべてに未来はない。
あるのは「滅びの美学」だけだ。
寿命の限られた生殖機能のないレプリカントは「滅びの美学」そのものの具現化だ。
観客は「移植された1970年代の記憶」に浸るだけで、それは単なる虚像でしかない。
孤児院の孤児のごとく、打ち捨てられた過去の残滓から「美しい思い出」だけを採取する「労働」に課せられる映画だ。
その「労働」に喜びを感じられる者だけが2時間45分の「滅びの美学」を享受出来る。

ではなぜそんなネガティブスピリット全開な作品をハリウッド映画というメジャー興業で表現出来るのか?

理由はただひとつ。
それが『ブレードランナー』だからだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/