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『ブレードランナー2049』を観る

映像鑑賞
10 /27 2017
『ブレードランナー2049』を観る。
前作の『ブレードランナー』公開は、今から35年前の1982年だった。
大学を卒業してから、まだ1年。丁度、徳間書店の月刊誌「リュウ」でプロデビューした年だった。
年齢にして22歳か。最も感受性が強い頃。
当時、『ブレードランナー』に触発されたマンガを1984年「ブリッコDX」に描いた記憶があったので書庫を発掘。
30年以上前の本だから黄ばんでるけど、改めて眺めると『ブレードランナー』が当時の己の琴線に触れた作品だったということが解る。
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1970年代から80年代半ばにかけて観賞したSF作品はどれも卓越している。
『2001年宇宙の旅』、『時計仕掛けのオレンジ』、『惑星ソラリス』、『スターウォーズ』、『謎の円盤UFO』、『サイレントランニング』、『猿の惑星』、『スタートレック』等々。
同世代でこれらの作品群に影響を受けなかった者は居まい。
原作がSF界の巨匠、アーサー・C・クラーク、スタニフワフ・レム、そして監督がスタンリー・キューブリック、アンドレイ・タルコフスキー等の独特な映像美で撮られた作品群は青春期の脳裏に深く刻まれた。
その後、これらの続編やリメーク版がいくつか作られたが、オリジナルを超えるものは未だ記憶にない。
己の年齢的なものもあるのだろうが、1980年代後半以降の、いわいるSF映画には、それ以前に観た作品が持っていた斬新的未来観が欠けている。
どことなく、近視眼的で設定、ストーリー、小道具含め、陳腐になった。
全体的に独創性が貧困で、別にSFとして描く必然性がない作品ばかりになった。
おそらくアポロ計画月着陸をピークとして、1970年初頭のオイルショック以降、サイエンスに対する楽観的希望が失速してSF自体に飛躍的空想力を求められなくなったのが原因なのかもしれない。
21世紀になっても月に人類は居住せず、火星にも行かず、車は空を飛ばず、原子力は厄介者扱いされ、スペースシャトルすら退役してしまい、世界連邦等など欠片もない陳腐な「未来」が来てしまった。
そこにはもうSFが生き残る場所などない。
SFが予言した「未来」は来なかったし、これからの時代はもっと「非SF」的な世界になっていくだろう。
そんな21世紀になっても『猿の惑星』や『スターウォーズ』は続編が作り続けられている。
結局、1970年代後半にオリジナルが制作された老舗SFをリメークしつづける以外に「SF」映画が生き残る道がないのかもしれぬ。
そんな、状況下、ついに『ブレードランナー』も続編が作られることに至った。
動画サイトには公式の前日譚が3本アップされている。




本編『ブレードランナー2049』を観にいったのは封切初日の27日、それも朝9時からの初回上映である。
(これ以降の文章には「ネタばれ」ほどではないですが、ストーリーに関わる内容も含まれていますので未観賞の方は御注意ください)
前売りも事前に購入。特典付き。
前売り購入時、チラシはまだ映画館にたくさんあった。
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チケット代は35年前と200円しか変わらない。その第一作のチケット半券は今でも手元にある。
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独りじっくり腰をすえて観たい作品は久しぶり。
続編の賛否は別として「ブレードランナー」にはもう甦ることのない二十代に観た老舗SFの残滓がある。
日本での公開がやや遅いため、うっかりするとネット上で「ネタばれ」記事に遭遇してしまう危惧があったが、幸いなことに「地雷」を踏むことなく、映画鑑賞に挑むことが出来た。
場所は新宿バルト9。
流石に平日の午前中とあって、客の入りは3割程度か。
詳細なストーリに関しては触れないが、3時間にも及ぶ上映時間にも拘わらず、最初から最後まで刮目して観賞することが出来た。制作総指揮がオリジナル時の監督、リドリースコットが担当しているので、世界観は完全に継承されていた。
正直、大筋ストーリー自体はありがちな設定で、序盤から主人公の正体、生い立ちなどが垣間見れてしまう(無論、そう単純な話ではないが)シンプルな展開。
だがそんなことは問題ではない。
『ブレードランナー』のアイデンティティーである退廃的な都市風景、延々と続く廃屋、廃墟、唐突な日本語表示、ディストピア感漂う雑踏に小汚い群集。更に凝りに凝った探査装置のギミックの心地よさ等がこれでもかこれでもかと描かれている。
更にバンゲリスを踏襲したBGMが作品全体を包む。
これはストーリーを追う作品ではない。『ブレードランナー』という世紀末的廃墟を探索し、陶酔する映画なのだ。
だからそんな世界観が好きな人間にとっては3時間どころか1日中観ていても飽きないだろう。
(自分ももし入れ替え制でなければ、もう一回観ていたはず。リピーター続出な作品になることは想像に難くない)。
逆にこの世界観を受け入れられない者にとっては30分にも満たない時点で寝てしまうかもしれない。
要するに前作同様、人を選ぶ映画だ。
続編は大抵、前作を越えられないし、一般受けを狙って陳腐化するのが常であるが、『ブレードランナー2049』は頑なに前作の世界観を踏襲しているところに価値がある。
最近のハリウッド映画にしては珍しいのではないか。
ストーリーに関して付け加えるならば、やはり人造人間を扱っているという点で庵野秀明氏の『新世紀エヴァンゲリオン』が抱えていた生死観、魂の座、人格移植OS,生き残るべき種族の選択というテーマの共通点も垣間見れるのは興味深い。
ただ、更なる続編も匂わせる構成になっているのが気になる。
しかしあの流れで、続編化となると、『猿の惑星』同様に人間対レプリカントのような、在りきたりの階級闘争モノになってしまっては元も子もないのだが。
あと、メインスポンサーがソニーらしく、大きくクレジットが写る。
ソニーで思い出したのは1970年の『謎の円盤UFO』スポンサーもソニーだったな。
だが、中国企業が台頭している現在、斜陽の日本家電企業がなおも『ブレードランナー2049』に大きく寄与している状況が奇妙。
『ブレードランナー』の得意先は今回も、日本メインということなのだろうか?

観賞後、売店でプログラムと留之助ブラスターナノキーフォルダーを購入。
洋画でグッズを買うのは久しぶりな気がする。
外に出ると秋の日差しが。
しかし『ブレードランナー2049』観賞は雨の日がいい。
特に新宿辺りだと映画館から出ても映画の延長上にある錯覚に囚われることで余韻を楽しめる。

オリジナル前作観賞から35年。
それも同じ新宿だ。
だが、かつて20代前半の感受性はすでに失われ、オリジナル前作を観たときのように己の作品に反映させるエネルギーは果たしてあるだろうか?
もはや自分も型落ちした旧型レプリカント同様なのかもしれぬ。
人混みに紛れ、新宿南口へと独り歩みを進め、帰路に就く。



あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/