偶像不在の神話SFアニメ『君の名は。』
映像鑑賞
新海誠監督『君の名は。』が累計観客数500万人突破とかで大ヒット中だとか。
これほどまでにメジャーになってしまうと、自分ごときが敢えてブログにコメントするまでもなくなってしまう。
十数年前、アニメ雑誌の付録CDで『ほしのこえ』予告編その他映像を観て以来、新海作品が自分の創作源泉と不思議なほど近い作家と感じることもあり、注目してきたが、ここまでのヒット作品になってしまうと、新海氏云々より、世の中のほうがどうかしているんじゃないかとすら思う程。
興行的なことは「漫画の手帖」72号の「あびゅうきょ妄言通信」というコラム記事に寄稿したので読んで頂ければ幸い。
さて人気云々は別としても、この『君の名は。』は久しぶりに己の妄想琴線に触れる映画。
繰り返し観たいと思った劇場アニメ映画は最初の劇場版『エヴァ』以来かもしれない。
これはもしかすると『宇宙戦艦ヤマト』、『未来少年コナン』、『新世紀エヴァンゲリオン』に継ぐ、己の中の第4のレジェンドアニメになる可能性も含んできた。
ただ、主題歌は世代が離れすぎなのか、馴染めない。
それはさておき、『君の名は。』は今のところ2回観たのだが、先日のブログで記した感想に加えて、自分なりの印象を少し別の視点で述べてみたい。
新海氏の前作長編『星を追う子ども』は、どちらかというと宮崎駿のジブリ作品を意識した構成に感じたが、今回はどちらかというと、庵野秀明氏の『新世紀エヴァンゲリオン』『不思議の島のナディア』や『ラーゼフォン』、『地球少女アルジュナ』等の前世紀末辺りに作られた神話を基とするSFアニメをどことなく意識させる。
1000年周期の彗星落下は、神話にに基づく地球外文明の存在を示唆するし、その痕跡は『エヴァ』の使徒攻撃を連想させる。
そして三葉の時空を超えた憑依はアルジュナの有吉 樹奈の存在感にも似る。
更には、湖の中には地球外文明の恒星間宇宙戦艦が眠っているのではないかとか、焼けたお宮の書物は実はその異星人の存在が書かれていたとか、三葉の家系はその異星人の王家の末裔で超常能力を扱える家系だったとか、さらには瀧も離れ離れになった王家末裔の一人で、だから三葉と入れ替わりが可能だったとか。
そして彗星落下は彼らと敵対する異星人の長周期的弾道攻撃であったとか、いろいろ推測出来るのである。
つまり設定としては『エヴァ』の「人型汎用兵器」や「使徒」、『ナディア』の発掘戦艦やアトランティス人の末裔、更には「地球少女アルジュナ」のような戦う少女が出てきても何ら不思議ではないし、むしろ存在が不可欠な構成となっている。
ところが『君の名は。』には、その肝心なものが一切描かれていない。
つまり、この作品は神話SFそのものなのにも拘わらず、象徴的な「偶像」が不在なのだ。
その上、劇中ではこれら「神話」と憶測される部分の説明は一切なされない。湖の由来も三葉の末裔も観客の想像にお任せなのである。従来あった湖が彗星落下が原因なんてことすら誰も発言していないのだ。
もしかして裏設定はあったのかも知れぬが、少なくとも本編には出てきていないと記憶する。
更に意図的な彗星落下が予見されているのにクライマックスになるはずの迎撃戦シーンすらない。
経典も偶像もなく、だが主人公たちは、明らかに得体の知れぬ「神の力」に近いもので結ばれていく。
その「神」の存在を完全に伏せつつ、風景だけでそれを示唆させる構成力は見事だ。
そう、偶像を描く必要は最初からなかったのである。
なぜなら新海誠の描く風景こそ、八百万の神そのものなのだから。

これほどまでにメジャーになってしまうと、自分ごときが敢えてブログにコメントするまでもなくなってしまう。
十数年前、アニメ雑誌の付録CDで『ほしのこえ』予告編その他映像を観て以来、新海作品が自分の創作源泉と不思議なほど近い作家と感じることもあり、注目してきたが、ここまでのヒット作品になってしまうと、新海氏云々より、世の中のほうがどうかしているんじゃないかとすら思う程。
興行的なことは「漫画の手帖」72号の「あびゅうきょ妄言通信」というコラム記事に寄稿したので読んで頂ければ幸い。
さて人気云々は別としても、この『君の名は。』は久しぶりに己の妄想琴線に触れる映画。
繰り返し観たいと思った劇場アニメ映画は最初の劇場版『エヴァ』以来かもしれない。
これはもしかすると『宇宙戦艦ヤマト』、『未来少年コナン』、『新世紀エヴァンゲリオン』に継ぐ、己の中の第4のレジェンドアニメになる可能性も含んできた。
ただ、主題歌は世代が離れすぎなのか、馴染めない。
それはさておき、『君の名は。』は今のところ2回観たのだが、先日のブログで記した感想に加えて、自分なりの印象を少し別の視点で述べてみたい。
新海氏の前作長編『星を追う子ども』は、どちらかというと宮崎駿のジブリ作品を意識した構成に感じたが、今回はどちらかというと、庵野秀明氏の『新世紀エヴァンゲリオン』『不思議の島のナディア』や『ラーゼフォン』、『地球少女アルジュナ』等の前世紀末辺りに作られた神話を基とするSFアニメをどことなく意識させる。
1000年周期の彗星落下は、神話にに基づく地球外文明の存在を示唆するし、その痕跡は『エヴァ』の使徒攻撃を連想させる。
そして三葉の時空を超えた憑依はアルジュナの有吉 樹奈の存在感にも似る。
更には、湖の中には地球外文明の恒星間宇宙戦艦が眠っているのではないかとか、焼けたお宮の書物は実はその異星人の存在が書かれていたとか、三葉の家系はその異星人の王家の末裔で超常能力を扱える家系だったとか、さらには瀧も離れ離れになった王家末裔の一人で、だから三葉と入れ替わりが可能だったとか。
そして彗星落下は彼らと敵対する異星人の長周期的弾道攻撃であったとか、いろいろ推測出来るのである。
つまり設定としては『エヴァ』の「人型汎用兵器」や「使徒」、『ナディア』の発掘戦艦やアトランティス人の末裔、更には「地球少女アルジュナ」のような戦う少女が出てきても何ら不思議ではないし、むしろ存在が不可欠な構成となっている。
ところが『君の名は。』には、その肝心なものが一切描かれていない。
つまり、この作品は神話SFそのものなのにも拘わらず、象徴的な「偶像」が不在なのだ。
その上、劇中ではこれら「神話」と憶測される部分の説明は一切なされない。湖の由来も三葉の末裔も観客の想像にお任せなのである。従来あった湖が彗星落下が原因なんてことすら誰も発言していないのだ。
もしかして裏設定はあったのかも知れぬが、少なくとも本編には出てきていないと記憶する。
更に意図的な彗星落下が予見されているのにクライマックスになるはずの迎撃戦シーンすらない。
経典も偶像もなく、だが主人公たちは、明らかに得体の知れぬ「神の力」に近いもので結ばれていく。
その「神」の存在を完全に伏せつつ、風景だけでそれを示唆させる構成力は見事だ。
そう、偶像を描く必要は最初からなかったのである。
なぜなら新海誠の描く風景こそ、八百万の神そのものなのだから。
