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漫画編集者が出てくるドラマのつづき

映像鑑賞
05 /19 2016
先日の夜、22時頃だったか、地上波テレビで漫画編集者と漫画家が出てくるドラマを観た。
恐らく先日視聴した番組の続きだ。
原作物を描かされる新人漫画家と妙にドライな担当編集者との絡みが主な内容だったと思う。
編集者の台詞で「漫画家は道具に過ぎない」みたいなのがあったようななかったような・・。
漫画家の描く作品によって編集者の給料は言うまでもなく、その出版社の利益に直結し、大ヒットすればビルまで建ってしまう。
そう、出版社や編集者にとって、まさに漫画家は儲けや生活のための「道具」であることは否定できない。
一方、漫画家も己の表現物を生業として全国レベルで世に問い、人々に宣教するためには大手出版社や編集者の力を経なければ成し得ない。
つまり、持ちつ持たれつの関係であって、それは漫画に限ることではなく、あらゆるクリエイティブな表現活動において普遍的な関係性であることは論を待たない。
だが、それが「成功」するのは稀有である。
その9割9分は儚く散る。
大ヒットして出版社のビルが建つなんて数百の連載漫画の中の一つか二つだ。
その他大勢死屍累々たる無名漫画家の屍を苗床にしての結果だ。
連載にこぎつけ、単行本を出せれば、まだ良いほう。ましてや重版がかかるなんてかなり恵まれているほうだ。
ドラマでは、なんとか原作物で一本、単行本まで漕ぎ着けて、次の企画も提案されるも、ストレスと重圧で辞退する描写があるが、なんだか違和感を感じる。
「身体を壊してまで出来ない」みたいなニュアンスだったのだが、最初の単行本が原作物とはいえ、重版がかかる位のレベルまで行けば将来の展望は明るい。
そこで辞退する漫画家なんていないだろう。
それに、このモデルとなっている新人漫画家は描くのも早そうだし、臨機応変に対応できるスキルもありそうだ。量産可能であれば臨時にアシスタントだって呼べる。
むしろ編集の注文に素直に応じられるタイプ。
そういう漫画家が重版かかるレベルまで描き上げたのに辞めるか?
必要とされているのに出来ないのであれば、他の仕事をしても多分長続きしない。
要するに編集者との反りが合わないみたいな処を表現したいようなのだろうが、どうにも変。
一方、ここで描かれている編集者は過去にいろいろあって今に至るみたいな設定のようだが、それはさておいても、土日に連絡が取れないのは、まあ当たり前な気がするし、打ち合わせがメールや電話だけというのも別に的確であれば構わないと思う。
むしろ、労働生産性がよい。
これに異議を唱える主人公の女性新人編集者がいるが、寧ろこちらのほうが漫画家としてうざったい気もする。
休日にも漫画家宅を訪れ、アドバイスをする描写があるのだが、それが漫画家にとって望むべき状況を生むのならありがたいのかもしれないが、少なくともドラマ内では連載や単行本化に直接貢献はしていないように感じる。
いくら慰めや褒め言葉を貰っても作品掲載に寄与しなければ意味がなかろう。
この編集者が将来、出世して人脈の一人として援助してくれる可能性はある。そういう意味では大切にしなければならぬが先のことは解らぬ。現時点ではこの時抱えている連載を如何に成功させるかが問題であって、抽象的な励ましを貰っても「じゃああなたが担当になってください」というしかないだろうが、新人漫画家にはそんなことも言えまい。
そもそも漫画家は編集者を選べないのである。
そして編集者もこの漫画家の将来を面倒見る義務はないのだ。
とにかく、まずはどんな形にせよ、ヒットだ。名が売れれば仕事が来る。
名が売れなければ仕事が来ない。
それだけのこと。
己の「妄想」表現に理解ある編集者との出会い、そしてたまたまその「妄想」作品を掲載し続ける環境が整っていた掲載誌と経営状態のよい出版社、そしてその「妄想」に共感しうる読者のニーズ。
これらがすべてシンクロした時が漫画家、編集者、掲載誌、出版社、そして読者みんなが「幸福」になれる。
しかしそんな稀有な事象は万に一つもない。
その万に一つもないチャンスに賭けるしかないのが漫画家という家業なのだ。
漫画家は出版編集にとっては「道具」であって、いくらでも「潰し」が利いて、代わりはいくらでもある。
漫画家が大成するチャンスは少ない。
「次」というものは殆どない。
このドラマで描かれている新人漫画家が重版に至ったにも拘わらず、次の企画から辞退し、同じ編集部の新人編集者に「また作品を見てほしい」なんて場面があるが、それはなかろう。
雑誌編集者がどれくらい漫画専門で居られるのかは解らない。
ただ大手出版社の場合は、恐らく人事異動で直ぐに別の部署に消えてしまうケースが多いのではなかろうか。
いくら気の合う編集者が居たとしても異動したらもうおしまいだ。

自分も30年近く前、大手出版社の雑誌で描いていた事がある。
「打ち合わせのための打ち合わせ」みたいなのがずっと続いてとてもしんどかったし、思い通りの作品は描けなかったが、それでも『コミックモーニング』の巻頭に掲載されたことが数回あった。
今から思えば驚異的に思える。
全国の駅の売店、コンビニ等どこにでも売っている雑誌の巻頭に、それもオールカラーだ。
でも当時の自分にとってはそれが「普通」の事としてしか感じず、「もっと印刷の色が何とかならないのか」と不満にすら思っていた。
今ならもっと良いものが描けたはずと悔やむ作品も多い。赤面すらする。
しかし、時は遡らない。
もう、大手週刊雑誌の巻頭カラーなど望むべくもない。
絶望的な遅筆で月に8ページしか描けず、アシスタントも使えない。このどうしようもない遅筆が更なる飛躍を諦めざるを得ない状況を生む。
「量産至上主義」なしでは、この世界での成就は困難だ。
それでも当時、自分がこの雑誌に描けたのは「オールカラーコミックス」という奇特な企画があったからに他ならない。
タイミングさえ合えば、己の描く世界観が如何にマイナーであってもメジャー雑誌に掲載されるチャンスはあるのだ。
そういう意味では当時の掲載誌にとって自分もこの企画の「道具」に過ぎなかったのかもしれない。
但し、出版社の利益には何の貢献も出来ない「道具」だったが。
しかし、これでいいのだ。
自分の描きたい世界観の10パーセントも出せなかったとしても、数多の読者を得られた事実は絶大だ。
だからこそ、今でも細々ながら漫画家として生きていくことが出来る。
当時の担当さんも実際、相性は必ずしもよいとは言えなかったが10年近くもお世話になった。感謝に堪えない。
因みにその頃の作品は電子書籍で購読する事が出来る。

いずれにしろ、このドラマに描かれている新人女性編集者は、一見漫画家に優しいようでも、頼りがいがない。
ドラマはフィクションなので今後どう展開するのかは知らない。
ただ、実際にこのような編集者が居たとしても、遅かれ早かれ結婚退職して仕事から遠ざかるのが普通だろう。
いくら褒められたとしても、その漫画家の将来の助けにもなってくれそうにないし。
また、エピソードの中に出てきた新人漫画家にしても、あれで辞めるのなら漫画家としての適正がないってことだろう。
だから、唯一、リアリティーを感じたのは漫画家を道具として扱う編集者だけだ。

道具として扱われ、潰れるくらいなら漫画家を志望する資格はない。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

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