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『ズートピア』と5月病

映像鑑賞
05 /13 2016
先日、ディズニー作品の新作『ズートピア』を観た。
一言で言ってしまえば、典型的なハリウッド映画の動物アニメ版といったところだろうか。

アクションの連続に繰り返されるどんでん返し。そしてマイノリティーや差別問題を練りこんで、如何にも「アメリカ映画」といった印象。
子供でも大人でも楽しめる構成にはなっていた。
主人公は「この世界」で初の女性警察官を目指す女の子のウサギ。
いわいるマイノリティーかつ女性が「男社会」の職場で立身出世していく様子を主軸にストーリーが展開していくのだが、これで思い出したのは、最近NHKTVでやっていた戦後TV黎明期に異例抜擢され、今やテレビの顔と言われるまでになった女性タレントを描いたドラマと、民放テレビで1回だけ観た若い女性漫画編集者が新人漫画家を発掘し育てるみたいなドラマ。
いずれも要するに「大した功績も知名度も地位もない新米女性が男社会の中で成果を挙げ、認められていく」という流れが描かれている。
こういった作品を垣間見る度に「肝心な世の中の仕掛け」を省いてサクセスストーリーを構成しているもどかしさが心に疼く。

男女問わず「成功者」というものは、必ずそれなりのバックボーンがある。
単に才能やタイミングだけで「夢」というものは現実化しない。
NHKの女性タレント物語のモデルになっている主人公の両親は名立たる交響楽団のコンサートマスターと著名声楽家。更に親族には大マスコミの重役もいる。要するに名家の出なのである。
単に「何百人ものオーディション中から奇特な才能を認められ抜擢」されたのではなく、親族の口利きや縁故採用によって最初から「道は開かれていた」のである。
ただ単に「変わったことをする女子」では相手にされない。
採用する側も「どこの馬の骨かわからない」人物より、素性のはっきりした名家の子女を採用したほうが何かと都合が良い。
だが、自分が観た限りにおいてそのような縁故採用の描写はどこにもなかった。
もうひとつの民放ドラマでやっていた女性新人漫画編集者の話も耐え難い構成だった。
原作も読んでいないし、断片的なエピソードを数十分観ただけなので作品全体のテーマは解らない。
ただ自分の観た回だけで鑑みれば、やっかいな編集者だなと思う。
新人漫画家の才能は認めておきながら、絵コンテのダメ出しを繰り返し、いつ掲載されるか解らない対応をしている描写があったのだが、漫画家は己の作品を世に放ってこそ漫画家としての第一歩を記す事ができる。
抽象的な評価に振り回されて、いつ作品が雑誌に載るのか解らないというのは漫画家にとって一番不安。
そんな編集者が担当になったらそれこそ不幸だ。
ライバルの編集者が出てきて批判する場面があったが言い得て妙なセルフもある。
新人漫画家のデビューを遅らせて漫画家への道を躊躇させ、他の選択肢のチャンスすら奪っていると。
編集者は出社すれば給料が出るが、漫画家は雑誌に掲載され単行本化されなければ商売にならない。
とにもかくにもまず掲載されて読者の評価を仰ぐしかないのだ。
そのチャンスを先延ばしにして「君には才能があるから」だけの言葉を返されても、漫画家志望としてはたまったものではない。
感想をもらいに編集部に通っているのではない。作品掲載の是非を問うために出版社を訪ねているのだ。
要するにこの女性新人編集者には力がないのである。
人脈や実績があればすぐにでも有望な新人漫画家をデビューさせられよう。
それができないのはそういったバックボーンがないからである。
もし、この女性編集者の親や親族が大手出版社の経営者や重役で縁故採用であったならば何なく己の願望を現実化出来よう。
重役の子息の提案であれば編集長も逆らえまい。この担当についた新人漫画家もめでたくデビューし、大切に扱われよう。
何事も力あるバックボーンなくしては夢は体現できない。

「5月病」といわれるものがある。今は死語になっているかは知らない。
希望と夢に心を弾ませて入社したものの、非人間的な扱いを強いる新人研修で心をぼろぼろにされて逃げ出したくなったり、絶望に陥る病だと記憶する。
しかし、それは当たり前なのだ。
何の有力な地位も縁故もバックボーンも人並みはずれな驚異的才能や技能を持ち合わせていない者に「理想や希望」は待っていない。
いつの世も一兵卒は使い捨ての鉄砲玉だ。
新人研修は新社会人の脳を空っぽにし、会社人間として洗脳するためにある。大声を出させるのは「神は偉大なり」と叫んで自爆するテロリストと同じ。
思考停止に陥らせ、会社のためなら命を投げ捨てても厭わないロボトミーを生産することにある。
そんな「社畜」として飼われたとしても、結婚し妻子を養う、あるいは正社員の夫に専業主婦として嫁ぎ、子を産み育てればそれなりの幸せが待っていた。
己の思考を停止させ、会社や家庭第一に奉ずること。
『ズートピア』でも主人公の相棒、詐欺師のキツネが諭したように、夢破れ、結局は田舎に帰って親の後を継ぎ、しがない人参売りで生涯を終えるのが関の山なのだ。
人生はミュージカルのようにはならない。それでも結婚相手がみつかり、子供でも出来ればそこそこ幸せなんだと。
そう、しかしこの日本ではそんな「そこそこの幸せ」すら望めない。
いつしかその終身雇用や専業主婦すら稀有な特権階級の「幸せ」となりつつある。
終身雇用も専業主婦の道すら期待できないのに、それを生産するための「ロボトミー研修」だけ強いられる現実。
入社後すぐの離職率が高いのも頷ける。

夢を叶えるのは己の親族や血統がそれなりの有力者でなければ為し得ない。
それをしっかりと諭すことなく、根拠のない希望だけを煽るドラマや漫画、アニメは逆に深い絶望を与えるだけだ。
今日も「5月病」に苛みながら街を徘徊する社会人1年生がいる。
でもそれは仕方ない事。
宿命として諦めるしかない。士農工商は今でも日本社会に根付いている。
地位なき者に夢は与えられない。
ウサギ女子が夢を叶えるのはアニメ世界だけの話なのだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/