世界の終わり
日常
アナログシンセサイザーの旗手、冨田勲が鬼籍に入ったという。
幼き頃より『新日本紀行』や『ジャングル大帝』のテーマ曲を冨田作品とは知らずに慣れ親しんだプロローグ時代を経て、後の1970年代、モーグシンセサイザーによって超宇宙的に再構成されたドビッシーや、ラヴェル、バッハ、ホルストの楽曲が青春期の己の琴線を直撃貫通。
そして己の脳髄に宇宙開闢に匹敵する4次元回廊を形成したことは決定的であった。
丁度その頃、小松左京やスタニスワフ・レムのSF小説に傾倒し、アンドレイ・タルコフスキーの映像に酔い、スタンリー・キューブリックのSF映画に圧倒され、宮崎駿の世界観に撃たれ、西新宿の高層ビル群を崇拝した、その幻想大伽藍の総合的BGMがトミタシンセサイザー楽曲群だった。
己の夢想世界構築の原点が冨田勲のシンフォニーだったのだ。
その冨田勲がこの世を去った。
大抵の著名人訃報は「他人事」でやがては記憶から去るものだが、トミタの死は己の夢想世界に直結している。
冨田勲が鬼籍に入ったからといってトミタサウンドがこの世から消える訳でもない。
だが、トミタシンセサイザーによって己の脳髄に4次元回廊を構築し、夢想世界への扉を開いた者にとってトミタの死は「神」の死と同意語だ。
もはや、トミタシンセサイザーの新曲は永遠に封印された。
トミタの死によって己の幻想大伽藍はその芯柱の支えを失い、音を立てて崩れ去ろうとしている。
それは夢の終わり。
生きるための数多の支えが、今、もんどり打って倒れていく。
精神的支え。
経済的支え。
体力的支え。
創造的支え。
巨大戦艦が無慈悲な虚無の大海で転覆するがごとく、「世界の終わり」が来る。
己の「老い」に加え、己を囲む「世界」の壁が崩れ去る。
そして邪な影が己を食い潰さんと襲い掛かってくる。
冨田勲の死は、世界の終わりを意味する。
4次元回廊は無味乾燥とした卑しくおぞましい「現実」によって潰され、枯れ果てる。
幻想大伽藍を失った世界に意味はない。
脳髄の中にレクイエムのごとく、トミタシンセの『ソラリスの海』が響く。
トミタのない世界は虚無だ。
幼き頃より『新日本紀行』や『ジャングル大帝』のテーマ曲を冨田作品とは知らずに慣れ親しんだプロローグ時代を経て、後の1970年代、モーグシンセサイザーによって超宇宙的に再構成されたドビッシーや、ラヴェル、バッハ、ホルストの楽曲が青春期の己の琴線を直撃貫通。
そして己の脳髄に宇宙開闢に匹敵する4次元回廊を形成したことは決定的であった。
丁度その頃、小松左京やスタニスワフ・レムのSF小説に傾倒し、アンドレイ・タルコフスキーの映像に酔い、スタンリー・キューブリックのSF映画に圧倒され、宮崎駿の世界観に撃たれ、西新宿の高層ビル群を崇拝した、その幻想大伽藍の総合的BGMがトミタシンセサイザー楽曲群だった。
己の夢想世界構築の原点が冨田勲のシンフォニーだったのだ。
その冨田勲がこの世を去った。
大抵の著名人訃報は「他人事」でやがては記憶から去るものだが、トミタの死は己の夢想世界に直結している。
冨田勲が鬼籍に入ったからといってトミタサウンドがこの世から消える訳でもない。
だが、トミタシンセサイザーによって己の脳髄に4次元回廊を構築し、夢想世界への扉を開いた者にとってトミタの死は「神」の死と同意語だ。
もはや、トミタシンセサイザーの新曲は永遠に封印された。
トミタの死によって己の幻想大伽藍はその芯柱の支えを失い、音を立てて崩れ去ろうとしている。
それは夢の終わり。
生きるための数多の支えが、今、もんどり打って倒れていく。
精神的支え。
経済的支え。
体力的支え。
創造的支え。
巨大戦艦が無慈悲な虚無の大海で転覆するがごとく、「世界の終わり」が来る。
己の「老い」に加え、己を囲む「世界」の壁が崩れ去る。
そして邪な影が己を食い潰さんと襲い掛かってくる。
冨田勲の死は、世界の終わりを意味する。
4次元回廊は無味乾燥とした卑しくおぞましい「現実」によって潰され、枯れ果てる。
幻想大伽藍を失った世界に意味はない。
脳髄の中にレクイエムのごとく、トミタシンセの『ソラリスの海』が響く。
トミタのない世界は虚無だ。