女川にて
旅、訪問記
先週、ふとしたきっかけで女川に赴く。
東日本大震災から5年。
テレビやネット媒体から垣間見た事はあっても、現実の「被災地」は知らない。
東京から新幹線を乗り継いで約5時間。
降り立った女川駅は真新しく、周辺も5年前の惨状の気配はどこにもない。

行きかう復興工事車両とわずかばかりの観光客。
地元の人はほとんど目立たない。

仮役場に向かう歩道にあった「共同墓地」「献花台」という文字に身体が凍りつく。

何百人も住民が大津波に浚われた、その肉体を離れた魂の気配が、まだ生々しく、どことなく感じられるのだ。
道にベンチがぽつんと置かれている。
誰が座るのだろう?

死者のためのベンチだろうか。そんなはずはないのに、そんなふうに思えてしまうのだ。
唯一震災前から残っていたであろう大きな建物にスローガンが掲げられている。

ここはまだ部外者がうろついてよい場所ではない。
鎮魂の期間はまだ続いている。
東日本大震災から5年。
テレビやネット媒体から垣間見た事はあっても、現実の「被災地」は知らない。
東京から新幹線を乗り継いで約5時間。
降り立った女川駅は真新しく、周辺も5年前の惨状の気配はどこにもない。


行きかう復興工事車両とわずかばかりの観光客。
地元の人はほとんど目立たない。


仮役場に向かう歩道にあった「共同墓地」「献花台」という文字に身体が凍りつく。

何百人も住民が大津波に浚われた、その肉体を離れた魂の気配が、まだ生々しく、どことなく感じられるのだ。
道にベンチがぽつんと置かれている。
誰が座るのだろう?

死者のためのベンチだろうか。そんなはずはないのに、そんなふうに思えてしまうのだ。
唯一震災前から残っていたであろう大きな建物にスローガンが掲げられている。

ここはまだ部外者がうろついてよい場所ではない。
鎮魂の期間はまだ続いている。