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NHKスペシャル「原発メルトダウン 危機の88時間」 を観る

映像鑑賞
03 /15 2016
先日、NHKで放映されていたNHKスペシャル「原発メルトダウン 危機の88時間」 を観た。
5年前の東日本大震災に伴う福島第一原発の事故。
この番組がどれだけ「真実」を伝えているのかは知らない。
だが事故後、原発の是非を問うバイアスのかかった情緒的な水掛論争に置き去りにされた「事故現場の現実」が、5年の歳月を経て多少は垣間見れた気がする。
あくまでドキュメンタリーではあったが、生物兵器を主題としたSF映画『アンドロメダ病原菌』を彷彿とさせる緊張感が旨く描かれていた。
封印が破られたら「人類」は終わる。それを阻止するための技術的死闘。
だがこれはSFではなく、現実だったのだ。
それも目の前で起こった「人類の危機」。

東京に住む自分が「原発事故」を他人事ではないと認識しはじめたのは、震災から4日たった3月15日頃だったか。
当時の手帳に記されたメモには原発事故報道に非常にイラついていた記述がある。
14日頃から始まった輪番停電。確定申告のため外出すると、壊れた家の壁やスーパーの長い列。パンの奪い合い。
パニック映画でしか見たことのないシーンが現実になっている状況下、奥歯にモノが挟まったような官房長官の声明。
危険が迫りくる状況を煽るマスコミ。特にNHKの解説委員の発言が神経に障った。
更には有象無象のネット情報。
どれも下手をすると東京脱出を促されるようで、ただならぬ動揺が走った。
だが福島第一原発では、すでに12日の14時過ぎには1号機のメルトダウンが始まっていて、放射能を含む格納容器内の蒸気がベントによって放出されていたのだ。
震災から丸1日で尋常ではないレベルまで状況が達していたことを熟知していた都民はどれだけいたのだろう。

そして12日、15時半過ぎには1号機建屋が水素爆発。
そのシーンが民放のカメラに撮られられていたのを観ていた記憶がある。

テレビの解説者が「これが意図的に実施されたベント」だと誤った解釈で話していたのを憶えている。しかし素人の視聴者にそれが本当なのかを知るすべはない。
不思議なことにこの時点では、まだ「他人事」でいられたような感じだった。
現実感のない未曾有の事故だから実態を把握する術はないからだ。
この日の夜には1号炉に海水を注入し始める。
海水を炉に入れたら再起不能になるから淡水にしろとか、当時はまだ楽観的な声が聞こえていた記憶がある。

震災から2日目の13日未明。
3号炉の非常用炉心冷却装置が機能しなくなって、これまた炉心融解(これも後に解ったこと)。1号炉につづくベントと一向に収束する気配はない。
1,3号炉には引き続きホウ酸を入れた海水注入中との報道があったようだが、この頃はまだ核反応を疑っているような気配もあって、そちらに気が行っていたようだ。
核反応さえなければ何とかなるような雰囲気。

震災から3日目の14日午前11時頃、3号炉建屋が水素爆発。
その瞬間はテレビを見ていなかった記憶があるが、原子炉建屋が立て続けに爆発などパニック映画ですら「大げさなありえない表現」だから、恐ろしいというより奇妙な気分になった。
それに遥か遠くの遠隔カメラから撮った映像だったので何だか遠い外国で起こっている臨場感の乏しさが卓越していた。
これが直近のカメラで捕らえていたらまた違う印象だったろう。

同日、午後2時頃。今度はこれまで何とか維持されていた2号炉の冷却機能も喪失。
しかし逆に言えば無電源でも非常用炉心冷却装置のスイッチがオンに入っていれば、3日間電源なしでも原子炉は冷却機能を保てたという事か。
だから1、3号炉も全電源喪失前に正常に非常用炉心冷却装置を起動させていれば少なくともこの時点までは水素爆発も炉心融解も起こらなかったはず。
そのシーンも今回のドキュメンタリーで描かれていた。
1,3号機は操作員が津波が来る前にそのスイッチを入れたり切ったり。
理由は冷却しすぎると炉が損傷する恐れありと解釈したらしいが、実際は問題なかったらしい。
そうこうするうちに津波が来て非常用炉心冷却装置がオフのまま非常用電源もアウトし再起動出来なくなってしまったのが事の始まり。但し2号機だけはスイッチオンだったと。
しかしそれも3日間が限界。
2号炉も1,3号炉同様に冷却水がなくなりつつあり、更に悪いことに3号機爆発で2号炉のベントバルブが故障。注水するが炉内圧力が高くてなかなか水が入らない。
その頃から原発周辺で異常な放射能数値が観測し始める。
おそらく2号炉の封印が破綻し始めたのだろうか。
ドキュメンタリーではこの辺りの88時間目が最も恐るべき段階に差し掛かったと表現している。
すなわち、2号炉の圧力を抜くことが出来ず、圧がどんどん上昇。ドライベントを実施するも圧力は変わらず。水も入らない。
このまま2号炉が破綻し、格納容器がふっとべば大量の放射性物質が放出され、作業員は近づけなくなる。
そうなると福島第一原発に留まらず、福島第2の原子炉冷却作業も停止。そのすべての保管された核燃料がメルトダウンし、東日本全部が人の住めないほどの放射能汚染が起こると。
そしてその影響は北半球全体へ。

14日夜頃から、この最悪の想定が当時のメディアやネットから少しずつ滲み出てきた。
それを知って東京から逃げ出すマスコミ関係者もいたとか。
前途したように15日の自分のメモ帳にはこう記されている。

「原発報道だんだん鬱陶しくなる。東京脱出しろというのか。ネット情報もオーバーフロー。まともにつきあっていると頭がおかしくなる」

他人事と思われた原発事故が己の身にも迫ってきて、おそらくパニック状況に近づいたのではないか。
このような不安に襲われた都民は自分だけではあるまい。
ドキュメントではこの頃、原発所長が「俺と死ぬのはどいつだ?」と呟いたとある。
もしかするとそれは首都圏に住む約3000万人だったかもしれない。

震災から4日目の15日、尽くす手段もなくなり、2号炉格納容器破綻を待つだけとなったが、なぜか大規模な破裂は起こらず。
ドキュメントによると容器の繋ぎ目から蒸気が漏れ、圧力が下がって破滅は免れたという。
更に4号建屋に保管されていた大量の核燃料も、本来入っていないはずのプールから流れ込んだ水で冷却が保たれていたらしい。

非常用炉心冷却装置の認識不備がメルトダウンを招き、工期の遅れによる残ったプールの水によってメルトダウンが阻止される。

これがフィクション映画であったならば陳腐なオチであったろうが、「現実は小説よりも奇なり」である。
17日には自衛隊ヘリが上空より放水。効果は疑問だったがこれをテレビの前で固唾を呑んで見守っていた記憶がある。
23日には都内の水道水も危険値に達したということでスーパーの水があらかた売り切れた事が当時の手帳に残っている。
「いろはす」を西友で大量に購入する程度で留まったのは幸運の賜物か。

あれから5年。
情緒的で政治的思想的バイアスがかかった「原発是非」論争に興味はない。
5年前のあの状況は「文明の利器」に対する日本人の力量を試されたのだ。
そして日本がこのまま生き残ることを望むならば、その試練からは永遠に逃れることが出来ない事を知らしめた。
逃げたらオワリ。

あの所長は鬼籍に入った後、黄泉でこう呟いているかも知れぬ。
「俺と死ぬのは1億人」。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/