10月の憂鬱
日常
10月だ。
陰々滅滅の日々は尚も続き、今年もあと3ヶ月。
これまで考えたこともなかったのだが、自分と同じ世代の独身男性で大学卒業してすぐ「まともな」就職をした者がどれだけ貯えを持っているのだろう?と思いを巡らす。
たとえば、実家に居て生活費や家賃もたいして掛からず、結婚もせず子供も設けず、さらに派手な趣味もギャンブル、酒、タバコも嗜まずに仕事に励んでいたとする。
1983年に就職して2009年までの26年間を平均月収手取り30万円とする。勿論、年齢と共に給料は変動するし、ボーナスもあったりするが、とりあえず均して考えてみる。
これだと年収は360万円。実家に住んでいると想定して年収の半分位は貯蓄に回せるだろう。
つまり毎年180万円貯まっていくと考えて26年間だから4680万円が一応自由に使える「財産」となろう。
これが一般就業者独身男性における50歳の貯蓄として、多いのか少ないのかは解らない。
でも、派手な生活を考えず、独身のまま実家に住み続けると考えれば決して少ない額ではあるまい。
多少、怪我や病気などのアクシデントがあったとしても自己資金で解決出来るだろう。
これだけ独身男性が虐げられている国で「反乱」が起こらないのは、恐らく相当数の独身男性がこの位の貯蓄があって「精神的経済的」余裕があるからなのだろう。
因みにあるサイトによると40代後半の平均年収は男性で662万円(但しこんな年収貰ってる男性など自分の周りには居ない)。女性は278万円とか。
こんなに男女間で格差があるとは俄かに信じがたいが、これならいくらマスコミが女性優位な扱いをしようとも男たちが「蜂起」しないのも解る。
「金持ち喧嘩せず」である。
しかし、自分のような殆ど売れていない自由業者にそんな貯えは、ない。
無論、男女格差もないからダメな男はダメなまま。
一回、病気でもしたらおしまいである。
もはや、何の余裕すらなく己の遺伝子すら残せない立場の絶望独身男性は哀れである。
最近、小さい子供が妙に愛しく思えるようになった。
少し前なら、鬱陶しくて邪魔にしか思えなかった他者の子供が非常に掛け替えのない存在に感じるのである。
それは恐らく、もはや自分の人生が限界に達し、「もはやこれまで」「万事休す」のレベルに来ているからなのだろう。
今更、まともな就業者のような貯えを確保出来る当てもなく、この歳ですべてが絶望に向かっている現状では、次世代に己の「希望」を託すしかなくなったのだ。
しかし、もはや自分が結婚して子供を儲ける能力も素質もない状況では、他人の子供すら愛しく思わねば、自己が維持できなくなったらしい。
これはもう、人生の最終段階なのかもしれない。
ここに至って必要とされない絶望独身男性は自分自身を騙してでも偽りの「希望」に縋らわざるを得なくなってしまった。
恐ろしい!
だが所詮、他人の子供だ。その子供にとっては近親者でもない自分のような存在は無意味な「いらない人間」でしかない。
「いらない」と認識されている絶望独身男性の行き場はもはや、ない。
恐ろしい!
貯えも未来も希望もない絶望独身男性。
滝つぼにまっさかさまに堕ちている途中の如く、無重力の中でもがく己の人生断末魔の中で、走馬灯のようにこの50年を振り返るしかない2009年の秋。
恐ろしい!恐ろしい!
右も左も上も下も過去も未来も八方塞。
夜中に「ぎゃーあああ」と飛び起きる。八方から迫ってくる「おしまい」のコンクリート壁。
パラシュートが絡んだままぐんぐんと地上が迫ってくるのごとき恐怖!
恐ろしい!
恐ろしい!
電車の中で、乳母車に乗った他人の乳飲み子が、こちらをじっとみている。
その乳飲み子はテレパシーでこちらにメッセージを送ってくる。
「お前は50年生きてそのざまか。男は40にして不惑だぞ。お前は50にして中2病か?伊集院光ならそれでたいそう稼いでいるが、お前は一銭にもならん戯言で時間を浪費するだけ。哀れな奴」
それを受信すると自分は「ひいー」と叫んで一目散に電車から飛び降りる。
乗客が不思議なモノを見るような視線を浴びせる。背中がその視線で焼け付くようだ。
恐ろしい!
暫く街を行くと、今度はショーウインドーに飾られているハロウィンのかぼちゃが毒電波を送ってくる。
「お前は今年で50らしいが、これからどうやって生きていくんだ?資格もスキルもないお前が生きていくのは難しいぞ。ほら、あそこのホームレスはお前の未来じゃないのか?ぐへへへ。
お前は福満しげゆきの描く漫画の中に出てくる失敗者の典型だ。失敗者は失敗者と認めるところから始めろ。人生の敗北者!」
その毒電波があまりにも恐ろしかったので、闇雲に走ったら女子高生にぶつかった。
振り返ると「ちっ」と舌打ちされる。
救いなし。
昼は毒電波、夜は悪夢に魘される日々である。
このままどれだけ精神が持つか、気になるところだ。
恐ろしい。
陰々滅滅の日々は尚も続き、今年もあと3ヶ月。
これまで考えたこともなかったのだが、自分と同じ世代の独身男性で大学卒業してすぐ「まともな」就職をした者がどれだけ貯えを持っているのだろう?と思いを巡らす。
たとえば、実家に居て生活費や家賃もたいして掛からず、結婚もせず子供も設けず、さらに派手な趣味もギャンブル、酒、タバコも嗜まずに仕事に励んでいたとする。
1983年に就職して2009年までの26年間を平均月収手取り30万円とする。勿論、年齢と共に給料は変動するし、ボーナスもあったりするが、とりあえず均して考えてみる。
これだと年収は360万円。実家に住んでいると想定して年収の半分位は貯蓄に回せるだろう。
つまり毎年180万円貯まっていくと考えて26年間だから4680万円が一応自由に使える「財産」となろう。
これが一般就業者独身男性における50歳の貯蓄として、多いのか少ないのかは解らない。
でも、派手な生活を考えず、独身のまま実家に住み続けると考えれば決して少ない額ではあるまい。
多少、怪我や病気などのアクシデントがあったとしても自己資金で解決出来るだろう。
これだけ独身男性が虐げられている国で「反乱」が起こらないのは、恐らく相当数の独身男性がこの位の貯蓄があって「精神的経済的」余裕があるからなのだろう。
因みにあるサイトによると40代後半の平均年収は男性で662万円(但しこんな年収貰ってる男性など自分の周りには居ない)。女性は278万円とか。
こんなに男女間で格差があるとは俄かに信じがたいが、これならいくらマスコミが女性優位な扱いをしようとも男たちが「蜂起」しないのも解る。
「金持ち喧嘩せず」である。
しかし、自分のような殆ど売れていない自由業者にそんな貯えは、ない。
無論、男女格差もないからダメな男はダメなまま。
一回、病気でもしたらおしまいである。
もはや、何の余裕すらなく己の遺伝子すら残せない立場の絶望独身男性は哀れである。
最近、小さい子供が妙に愛しく思えるようになった。
少し前なら、鬱陶しくて邪魔にしか思えなかった他者の子供が非常に掛け替えのない存在に感じるのである。
それは恐らく、もはや自分の人生が限界に達し、「もはやこれまで」「万事休す」のレベルに来ているからなのだろう。
今更、まともな就業者のような貯えを確保出来る当てもなく、この歳ですべてが絶望に向かっている現状では、次世代に己の「希望」を託すしかなくなったのだ。
しかし、もはや自分が結婚して子供を儲ける能力も素質もない状況では、他人の子供すら愛しく思わねば、自己が維持できなくなったらしい。
これはもう、人生の最終段階なのかもしれない。
ここに至って必要とされない絶望独身男性は自分自身を騙してでも偽りの「希望」に縋らわざるを得なくなってしまった。
恐ろしい!
だが所詮、他人の子供だ。その子供にとっては近親者でもない自分のような存在は無意味な「いらない人間」でしかない。
「いらない」と認識されている絶望独身男性の行き場はもはや、ない。
恐ろしい!
貯えも未来も希望もない絶望独身男性。
滝つぼにまっさかさまに堕ちている途中の如く、無重力の中でもがく己の人生断末魔の中で、走馬灯のようにこの50年を振り返るしかない2009年の秋。
恐ろしい!恐ろしい!
右も左も上も下も過去も未来も八方塞。
夜中に「ぎゃーあああ」と飛び起きる。八方から迫ってくる「おしまい」のコンクリート壁。
パラシュートが絡んだままぐんぐんと地上が迫ってくるのごとき恐怖!
恐ろしい!
恐ろしい!
電車の中で、乳母車に乗った他人の乳飲み子が、こちらをじっとみている。
その乳飲み子はテレパシーでこちらにメッセージを送ってくる。
「お前は50年生きてそのざまか。男は40にして不惑だぞ。お前は50にして中2病か?伊集院光ならそれでたいそう稼いでいるが、お前は一銭にもならん戯言で時間を浪費するだけ。哀れな奴」
それを受信すると自分は「ひいー」と叫んで一目散に電車から飛び降りる。
乗客が不思議なモノを見るような視線を浴びせる。背中がその視線で焼け付くようだ。
恐ろしい!
暫く街を行くと、今度はショーウインドーに飾られているハロウィンのかぼちゃが毒電波を送ってくる。
「お前は今年で50らしいが、これからどうやって生きていくんだ?資格もスキルもないお前が生きていくのは難しいぞ。ほら、あそこのホームレスはお前の未来じゃないのか?ぐへへへ。
お前は福満しげゆきの描く漫画の中に出てくる失敗者の典型だ。失敗者は失敗者と認めるところから始めろ。人生の敗北者!」
その毒電波があまりにも恐ろしかったので、闇雲に走ったら女子高生にぶつかった。
振り返ると「ちっ」と舌打ちされる。
救いなし。
昼は毒電波、夜は悪夢に魘される日々である。
このままどれだけ精神が持つか、気になるところだ。
恐ろしい。