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ハロウィンと祀り

祭り
11 /01 2015
ハロウィンの盛り上がりは留まるところを知らない勢い。
数年前からまるで堰を切ったようなコスプレ仮装の洪水。
今日の渋谷の状況を見て外国人が驚き呆れるとよく報道されるが、20年位前の同じ夜、外国人グループが英字新聞で扇動しJR山手線内で乱痴気騒ぎを起こしていたのを記憶している。
当時それがハロウィン祭りの一環だと日本人に知らしめたのは彼等自身。
その延長上に、今日の盛況があるのかは解らない。
いや、恐らく何かが違う。
何というかカラオケと似て、擬似的に己が主人公となって自己主張出来る場が狭い屋内ボックスから公の場に拡大したという感じだろうか?
コスプレが特別な行為でなくなり、社会が許容するレベルに達した時点で、仮装することが自分を隠しつつ自己現実の疑似体験として普遍的に成立するようになった。
これがリア充匿名のお祭りとしてハロウィンが定着拡大した理由のひとつなのだろう。

もっとも古来より日本は秋に神社仏閣で収穫祭を催す季節柄。
神輿を担いで練り歩くのが、コスプレ行列に変わっただけのことだ。
クリスマスイブデートだって、大国魂神社の暗闇祭りとなんら変わらない。
器が西欧発の季節行事になっただけで中身は古典的土着風習そのもの。
核家族すら稀有となり、結婚も当たり前ではなくなって、地域社会は崩れ去り、終身雇用も廃れ、帰属する地域、家族、労働集団を喪失した日本人。
地域の伝統的な祭、会社、家族、親族の行事が消えていっても、日本人の遺伝子の底流に流れる「祀り」の魂だけは残る。
それを補うためにハロウィンは絶好の「魂の拠り処」となったのだ。
ハロウィンの夜、渋谷での乱痴気騒ぎは、かつての神社仏閣で執り行なわれた様々な祭、会社の宴会、親族家族同士の冠婚葬祭で行われていた「それ」となんら換わらない。
ただ帰属対象が質転換しただけのこと。
1960年代のクレージーキャッツや社長シリーズ、駅前シリーズの映画で描かれた乱痴気騒ぎと何が違うというのか。
結局、何も変わってはいないのである。



あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/