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ラジオから「虚無」が聴こえた

日常
10 /04 2015
先日、J-WAVEだったか、深夜放送を聴いていた時の事。
あるDJが、様々な楽曲をマイナーコードとかで区分して、妙な分析をしていたのを聞いた。
音楽のことは疎いし、作業中のBGMにしていただけなのでこのDJが誰なのか、どんな意図で分析しているのかまでは解らないし、深い興味があった訳でもない。
ただなぜかそのDJの楽曲に対する分析を聞いていると、オンエアされていた楽曲が急に色褪せて聞こえ出したのだ。
これはなんだろう?
そう、なんというか、手品の種明かしに似ていて、そういう分析をする対象として楽曲を聴いた途端、音楽が単なる「音の羅列」に感じてしまったのだ。
音楽に限らず、数多の創作という作業は、人を何かしらの非日常的な異世界に誘う手段として作曲したり、描いたりするものだ。
人が音楽や絵や文学に心踊らされるのは、ひとつの音や狭い部分の線や色、ひとつの文字や漢字に対しててはない。
その音や線、色、文章の全体像に心を打たれるからだ。
音の一つ一つをどう組み合わせるかなんて技術的なことを考えながら聞く人がいたとして、それは恐らく「鑑賞」とはまったくの別次元だろう。
美味しい食事を味わうのではなく、どんな食材を使っているか、こね回しているようなものだ。
クリエーターの作り上げた創作物がどんな素材で出来上がっているかは、問題ではない。
どんなポンコツであろうと、「美しい場所、エキサイティングな場所」に誘ってくれれば、それでよいのだ。
絵にしたって、近視眼的に見ればただの「白と黒」、あるいは何らかの「色」に過ぎない。
モネの絵を数ミリの距離で眺めたところで何の感動もない。
どんな素材を使っているとか、元ネタなんだとか、そういう視点から見始めると途端に全ての創作物は色褪せてしまう。

Webの世界ではこの創作物の「分解」が加速度的に進んでいる気がする。
Webの超高速な情報検索能力はあらゆる創作物を微に細に「解体」していく。
「忘却」を否定し、全てが並列思考で処理されていく。

所詮、行き着くところはゼロと1。ドットとダッシュ。白と黒。
そのひとつひとつにもはや意味はない。
茫漠とした均一な平面が無限に広がる虚無だ。
ベートーベンもピカソもWebの海ではゼロと1に過ぎない。
数多の創作物はこのWebの海に解かされて意味のない、0と1に分解されて消滅していくのだろう。
恐らく、Webは急速な進化の末、50年も持たずに一般の人には手に負えない形態となってしまい、人工頭脳同士が人間には理解不能な超高速の膨大なデータをやり取りするだけの存在と化そう。
延々と無意味で無限なゼロと1。
そこにはもはや「目的」はない。ゼロと1がゼロと1のために虚無な反芻を無限大に行っているだけ。
たぶんそれは宇宙開闢寸前の圧縮された超エネルギー体のようなものだ。
思考の袋小路に迷い込み、挙句、爆発して全てを最初からやり直すために。
宇宙は何十億年の寿命でここまで進化したが、Webは誕生してから100年ももたずに限界に達し、ビックバンを起こして消滅するのだ。

このJ-WAVEのDJが、なにをもってそんな分析をしているのかは知らない。
わざわざ音楽を「つまらない音の羅列」にしたい目的で喋っている訳ではないのだろうが、このトークはWebの海で数多の創作物が解けていく様を彷彿させる。
人は「知る必要のない事まで知る事によって、大切のものを失う」のである。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/