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「夢声戦争日記」を読み始める

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07 /02 2015
「夢声戦争日記」を最初から読みはじめる。
徳川夢声という戦前、戦後に活躍した漫談家、俳優、随筆家が記した太平洋戦争中の日記。
父親の書棚に全巻揃っている。
これまでも終戦間際の部分は掻い摘んで読んだことはあったが、昭和16年暮れからは初。
いまのところ、第2巻の昭和17年末まで読み進んだ。
戦争中の庶民から見た戦争というコンセプトだが、夢声は当時の売れっ子タレントみたいなものだから若干違う。
開戦直後は日本軍の快進撃に疑心暗鬼。上手く行き過ぎているところは当時の一般人も感じていたよう。
それに、開戦日はコックリさんの予言通りだとか、開戦して何もかもスッキリしたとか、炎上でもしそうな内容なのだが、実際そんなものだったのだろう。
また、日記の大半は食う事と飲むことばかり。
酒もガブガブ、タバコもスパスパ。
人伝で高級ウイスキーも手に入る。
戦争中の緊迫感はあまり記されていない。
昭和17年4月のドーリットル東京初空襲も報道管制で被害のニュースも流されず、これは日本軍の「やらせ」ではないかと疑っている記述も興味深い。
今のSNSとあまり変わらない。
戦時一辺倒という雰囲気もない。芸能活動も思ったより制限されていない。中村メイコが子役で出てくる。
当時、夢声は49歳位。でも「耄碌」したとか記されて当時の五十路はもう、老年という感覚。
結婚も2回して、娘息子も3人位いるようだ。
サザエさんに描かれた波平が50代というのも頷ける。
日本が占領したシンガポールまで慰問した記述も興味深い。当時の林家正蔵も慰問団に参加していたのか。
洋の東西を問わず、芸能人が戦線を慰問するのは当然の義務だったのだろう。
潜水艦に商船が沈められる頻度が高まっていた頃なので、慰問に参加した芸能人たちも命懸け。
時勢柄、国のために何かを為さねばいけない焦燥感が生々しい。
人を笑わせる仕事は、戦争になると途端に疎まれたりする。だから国のために率先して軍に協力する姿勢こそが。有事の芸能人には求められるのだ。
だが、勇んで南方行きの船に慰問団として乗り込んだものの、船室は2等以下。軍属のタイピストよりも待遇が悪く、同じクラスに配属されていたのは慰安婦達。
慰問先でも無頼な現地陸軍将官から「男はいらん。女だけ派遣しろ」とか理不尽な要求されたりと結局、軍からすれば芸能人なんてこんな程度と、憤慨する夢声の怒りが興味深い。海軍のほうがまだマシだったらしい。
夢声はシンガポールで病気になって現地の陸軍病院に入院してしまうのだが、そこでなぜかお腹のサナダムシを駆除してもらう描写が可笑しい。
恐ろしかったのは、軍属の女性事務員が捕虜の英兵を顎で使うシーン。それに夢声が嫌悪感を示していたのは何となく頷ける。
いまのところ、読んだのは昭和17年末まで。
おそらく、ここから戦況も悪化し、阿鼻叫喚となるのだろう。
でも、売れっ子著名人の日記(現在のブログ、SNS含め)は古今東西、常に飲食し、人と会い、何処かに行き、好奇心旺盛に何かをしている記述で埋まっている。一時たりとも無駄な時間を過ごさない。
愚痴、不満ばかり記しているのは大抵、うだつの上がらないレベルだ。
それだけは解った。
戦争中だろうが、平時だろうが、それは変わらない。
時流に合わせ、臨機応変に動かねば生き残れない。悲観も楽観もしない、如何に生き抜くべきかが必須なのだろう。
恐らく、70年以上経った今も、基本は同じか。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

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