同期の桜に散る悲哀
日常
もう1週間位前になるだろうか。大学のサークルOB同期で花見をする機会があった。
集まるのは4年ぶりかもしれない。
当日は雨。
都内某公園で場所取り担当の自分は、止みそうもない雨の中、濡れた身体を散る桜に塗らせ、水のたまったブルーシートの上で蹲っていた。
午前11時過ぎ、すでに50代半ばを超えたかつてのサークル仲間が三々五々、集まってきた。
10人ほどだろうか。その7割は己の子供を成人にまで育て上げ、現世の義務を果たしている同期達だ。
中には50代近くになって結婚し、2児を設けた者も居て、4歳の男児を連れていた。
おそらくその息子連れの彼が尋常なる人生を滑り込みで確保出来た最後の同期だろう。
他、3割は独身。それぞれの事情や選択肢の中で独身を選んでいるのだろうから深く洞察しない。どういう生き方をするかは当人の自由。
だが、独身を負い目と感じる己は、もう堪えがたきを超越して麻痺してしまい、もう悲しみも諦めも怒りもない、打ち捨てられた廃棄物のごとく頭を垂れるしかなかった。
結婚とか子育ては、何というか宿命とか出会いとかタイミングとか運とか、そして経済力とか甲斐性とかが複雑に絡み合って成就していくものなのかもしれないが、恐らく自分にはそういう人生の綾の全てから見放された星の下に生まれたのだろう。
尽く上手くいかなかった。
客観的に分析してみると、結婚子持ちの者はほぼ例外なく、新卒で就職出来たグループである。
独身者の中で、妙にはしゃぐ同輩が居て、その負い目を早く解消せんと「子供は作らんといかん!」とか明るく宣言していた。
彼が本当に独身なのか、本当に子供が居ないのかは知らない。
でも学生時代から殆ど変わらない髪も黒々としている風体からは、今現在のそのポテンシャルに別段不満はないように覗えた。
とにかく、今更もう語るべきものはない。
妻帯者はその人生の義務を果たし終わった。もう悠々自適だろう。
一方、独身者は今更足掻いたところで全て手遅れなのだ。
だからもうどうでもいい。
雨を避けて、同期のOBが所有する事務所に場所を移し宴を再開する。
遥か35年近く前の学生時代の戯言を肴にしてそれを反芻しつつ、時は過ぎる。
それが馬鹿馬鹿しくも妙に心地よい。
時々、後輩が連れてきた4歳の子供が、その事務所から見える電車に反応し、はしゃぐ。
子供の電車好きは世代を超越して普遍だ。
子供は言う。
「あの電車はどこへいくの?」
たまたま子守役で窓際に立った自分が答える。
「あれは人生の敗北者が乗る絶望列車。行き先は貧乏農場だよ」
無論、子供は何のことだか判らず、きょとんとする。
それでいいのだ。
更に己は子供に語りかける。
「君はそんな電車に乗っちゃダメだよ」
宴は何時間も続く。
流石に歳なのか、居眠りを始める同輩も目立つ。
雨は振り続き、どんよりとした空は鼠色に覆い尽したまま夜を迎える。
18時過ぎ、参加者は三々五々、家路に就く。
再び、暖かい家庭の下へ帰って行くのだろう。
卒業してから33年。
もはや現世の義務を果たした者と、取り残された者の差は埋め合わせることが出来ないほどに大きく開いた。
それを意識するかしないかは人それぞれ。
が、自分は負い目を深く意識せずにはいられない。
1978年から1982年まで過ごした大学サークルの時間と、33年後の時間。
己はそのサークル時間を今尚延々と過ごし、為すべき事、通過儀礼を避けて生きてきたのだ。
しかし、今更どうすることも出来ぬ。
結局、この国は新卒採用組にしか未来は託せない構造になっていることが、計らずとも自分の身近で証明されてしまった。
しかしだからなんだと言うのだ?
そう、それ以上でも、それ以下でもない。
ただの現実だ。
いずれにせよ55歳を過ぎれば、もう後の人生は付録に過ぎない。
その付録をどう生きるか。
いや、本編がこの有様では付録もろくなものではなかろう。
もう、同期の独身仲間に祝い事があるとは思えぬ。
あるのは、人生の終焉の便りだ。
その消息はネットのSNS等でたやすく知ることが可能だろう。たとえ知りたくなくとも。
だが、家族や子供が居ない独身者が己の訃報を知らせる術はあるのか?
そんなことを考えながら、やっと雨が止んだ線路沿いをとぼとぼ帰路に就くのであった。
集まるのは4年ぶりかもしれない。
当日は雨。
都内某公園で場所取り担当の自分は、止みそうもない雨の中、濡れた身体を散る桜に塗らせ、水のたまったブルーシートの上で蹲っていた。
午前11時過ぎ、すでに50代半ばを超えたかつてのサークル仲間が三々五々、集まってきた。
10人ほどだろうか。その7割は己の子供を成人にまで育て上げ、現世の義務を果たしている同期達だ。
中には50代近くになって結婚し、2児を設けた者も居て、4歳の男児を連れていた。
おそらくその息子連れの彼が尋常なる人生を滑り込みで確保出来た最後の同期だろう。
他、3割は独身。それぞれの事情や選択肢の中で独身を選んでいるのだろうから深く洞察しない。どういう生き方をするかは当人の自由。
だが、独身を負い目と感じる己は、もう堪えがたきを超越して麻痺してしまい、もう悲しみも諦めも怒りもない、打ち捨てられた廃棄物のごとく頭を垂れるしかなかった。
結婚とか子育ては、何というか宿命とか出会いとかタイミングとか運とか、そして経済力とか甲斐性とかが複雑に絡み合って成就していくものなのかもしれないが、恐らく自分にはそういう人生の綾の全てから見放された星の下に生まれたのだろう。
尽く上手くいかなかった。
客観的に分析してみると、結婚子持ちの者はほぼ例外なく、新卒で就職出来たグループである。
独身者の中で、妙にはしゃぐ同輩が居て、その負い目を早く解消せんと「子供は作らんといかん!」とか明るく宣言していた。
彼が本当に独身なのか、本当に子供が居ないのかは知らない。
でも学生時代から殆ど変わらない髪も黒々としている風体からは、今現在のそのポテンシャルに別段不満はないように覗えた。
とにかく、今更もう語るべきものはない。
妻帯者はその人生の義務を果たし終わった。もう悠々自適だろう。
一方、独身者は今更足掻いたところで全て手遅れなのだ。
だからもうどうでもいい。
雨を避けて、同期のOBが所有する事務所に場所を移し宴を再開する。
遥か35年近く前の学生時代の戯言を肴にしてそれを反芻しつつ、時は過ぎる。
それが馬鹿馬鹿しくも妙に心地よい。
時々、後輩が連れてきた4歳の子供が、その事務所から見える電車に反応し、はしゃぐ。
子供の電車好きは世代を超越して普遍だ。
子供は言う。
「あの電車はどこへいくの?」
たまたま子守役で窓際に立った自分が答える。
「あれは人生の敗北者が乗る絶望列車。行き先は貧乏農場だよ」
無論、子供は何のことだか判らず、きょとんとする。
それでいいのだ。
更に己は子供に語りかける。
「君はそんな電車に乗っちゃダメだよ」
宴は何時間も続く。
流石に歳なのか、居眠りを始める同輩も目立つ。
雨は振り続き、どんよりとした空は鼠色に覆い尽したまま夜を迎える。
18時過ぎ、参加者は三々五々、家路に就く。
再び、暖かい家庭の下へ帰って行くのだろう。
卒業してから33年。
もはや現世の義務を果たした者と、取り残された者の差は埋め合わせることが出来ないほどに大きく開いた。
それを意識するかしないかは人それぞれ。
が、自分は負い目を深く意識せずにはいられない。
1978年から1982年まで過ごした大学サークルの時間と、33年後の時間。
己はそのサークル時間を今尚延々と過ごし、為すべき事、通過儀礼を避けて生きてきたのだ。
しかし、今更どうすることも出来ぬ。
結局、この国は新卒採用組にしか未来は託せない構造になっていることが、計らずとも自分の身近で証明されてしまった。
しかしだからなんだと言うのだ?
そう、それ以上でも、それ以下でもない。
ただの現実だ。
いずれにせよ55歳を過ぎれば、もう後の人生は付録に過ぎない。
その付録をどう生きるか。
いや、本編がこの有様では付録もろくなものではなかろう。
もう、同期の独身仲間に祝い事があるとは思えぬ。
あるのは、人生の終焉の便りだ。
その消息はネットのSNS等でたやすく知ることが可能だろう。たとえ知りたくなくとも。
だが、家族や子供が居ない独身者が己の訃報を知らせる術はあるのか?
そんなことを考えながら、やっと雨が止んだ線路沿いをとぼとぼ帰路に就くのであった。