国立メディア芸術総合センターが意味するもの

報道
09 /18 2009
国立メディア芸術総合センター

誰がこれを「アニメの殿堂」「国営漫画喫茶」と言い換えたのかは知らない。
マスコミだとか、選挙前に「野党」だった政党が「与党」批判のために使い始めたと言われるが定かでない。

この国立メディア芸術総合センターは「メディア芸術の国際的な拠点の整備」として日本のコンテンツ産業の根幹を占める漫画、アニメ、ゲームなどの作品を保管収集情報発信する拠点として整備が進められているそうだ。
「箱物」「土建屋のための公共投資」と批判されていたとはいえ、日本コンテンツ産業に多少でも拘わる者にとっては、やっと「国」が我々(?)のために公共の「空間」を提供する事業が展開されはじめたと信じたい。
その建設発想が如何なるものであれ己の地位向上にプラスになる事はあっても、マイナスになることはない、と考えるのが普通ではないのか。

しかし、このセンター建設をを批判する声は、与党、野党、マスコミに限らず、その受益者たるコンテンツ産業に関わる者自身からも多く上がっているのは意外だ。

曰く「こんなものを作るより薄給に苦しむ現場に補助金を回せ」だとか「既存の施設や出版社が管理すれば事足りる」とか「国が保護に乗り出せば産業として堕落する」等等。

まず、反対理由の一つに上がった薄給に苦しむクリエーター達に補助金みたいなものを支給したほうがよいという意見についてだが、おかしいとは思わぬか。

たかだかこの事業費117億円分をばら撒いたところで、それがコンテンツ産業の保護育成に繋がるとはとても思えない。
それにクリエーターに補助金を与えたところで日本コンテンツ産業のレベルが高まるか?
否。
所詮、ハングリーな精神がないと成立しないこの世界に「生活保障」は無縁だ。
過酷な人気商売故、売れない者が「貧窮」するのは避けがたい掟。
才能のないものにお金をばら撒いたところでその産業が伸びるわけがない。
結局、この世界は「実力」がすべて。
実力さえあれば自然と収入は増え、質の向上が図られる。版元はその才能に多額の報酬を支払う。
そこに国が首を突っ込む理由は何もない。
この構図があるからこそ、日本コンテンツ産業は伸びてきたのであって、才能や実力のない者に補助金をばら撒いたら、それこそ凋落してしまうだろう。
少子化対策で母子家庭に金をばら撒いたところで、その補助金が必ずしも「育児」のために使われるとは限らないのと同じ。
いくら金をばら撒こうと、子供を産まない者は産まないし、クリエータが価値ある創作物を造るとは限らない。
それに今の時点でクリエーター育成のために恒常的な補助金を支給するのはセンター建設よりもっと膨大な財源が必要。となるとこちらのほうがより困難。
というより、センター建設はそのための布石として必要なんじゃないのか?

だから「こんなものを作るより薄給に苦しむ現場に補助金を回せ」という反対理由は説得力に欠ける。
国立メディア芸術総合センターはすでに創造されたコンテンツソフトを如何に管理整備するかが目的な訳で、個人がこの職業に就けるかどうかを手助けするのは別問題なのだから混同するとおかしなことになる。
クリエーターの生活改善を言うのならば文部科学省ではなく、厚生労働省が担当すべきことだ。

また「既存の施設や出版社が管理すれば事足りる」に関しても実情を知らな過ぎよう。
これまでのコンテンツ産業におけるソフトの管理業務は、常に2次的なものとされてきたのは事実。
利益追求に忙しい作家自身も版元もソフト保存管理にエネルギーを割く余裕がなく、製作されたソフトはその営業目的が終わるとずさんな管理下に置かれたり、紛失、破棄される事が多かった。
また、作家自身が管理保全に努めたとしても、故人となれば、それを受け継ぐ者や場がない限り、後世に受け継がれることはない。一方、営利集団である版元が経費にしかならぬ原稿保管を積極的に乗り出すことはありえない。
昨今、漫画家と出版社との間で原稿管理でもめる事例が多い事を見れば解ろう。
つまり、クリエーターにしろ版元にしろ、ソフト管理に関してはなかなか手に負えない状況になっていることは事実。
それを一括して管理保護整備する目的として国がこのセンター設立を進めるのならば、これに反対する理由は、果たしてあるのか?逆に疑問に思う。

次に「国が保護に乗り出せば産業として堕落する」という理由だが、コンテンツ産業が芸術に値するかどうかは別として、如何なる文化、芸術も最初は大衆の中に発露があり、それが次第に国家の庇護の下、成長発展してきた例は数多く存在する。
現在「伝統芸術」と言われる歌舞伎や能、その他諸々の文学、絵画、演劇、スポーツ含め、国が関わって保護管理情報発信させることによってより広範囲に周知させる事が可能になった。
今、漫画、アニメ、ゲームなどのコンテンツを今後如何に成長発展させるかに国が関われば、これまでの自由度は失われるかもしれないが、また別の可能性としての成長発展が見込める。
少なくともこれまで「日陰者」扱いされてきた地位からは抜け出られるかもしれない。
「能」も「歌舞伎」も、恐らくは当初、現在のコンテンツ産業がもっていた役割を担っていたかもしれない。もし国家がそれを庇護しなければ今日まで継承されることはなかったろう。

漫画やアニメが日本の歴史上、継承されるべき文化かどうかは解らない。
それは恐らく後世の者が決めることであろう。
しかし、今の時点でこの国立メディア芸術総合センターで保護管理整備しなければ永遠に失われてしまう貴重なソフトもまた存在することも確かだと思う。

これに反対するものはその機会すら「いらない」というのか?
少なくともこの世界に30年間細々と従事してきた自分からすれば、自分の可能性を後世に残すチャンスがわずかでもあればそれを活かすべきと考える。
己の残した創作物が「本当に残すに値する」ものかどうかは知るよしもない。また、このセンターに委託できる権利や資格があるかも解らない。
しかしそれが出来る可能性があるということは、クリエーターにとってわずかながらでも「希望」に繋がることは間違いない。

この世界に生きて50年。そしてこの世界で創作し続けて30年。
今でもなお、漫画、アニメに関わる者は「日陰者」「蔑視」の対象としてこそこそ生きていなければならない。
政治家やマスコミが国立メディア芸術総合センターを「アニメの殿堂」とか「国営漫画喫茶」なんて平気で蔑視するのがいい現れである。
もういい加減うんざりだと思わないのか。
文学などは「文壇」とかいうアカデミックなステージを獲得し、あらゆる分野で発言権を獲得しているが、漫画、アニメはいつまでたっても地位が低い場所で汲々としている。
それは売れようが売れまいが同じだ。
たとえ、売れたとしても多忙は変わらず、人生に余裕はなく、日々原稿に追われ続け、結局のところ「漫画界」全体の未来のことなど考える余裕もない。所詮は版元に依存する人生。
だからみんな勝手に、いや自分のことで必死で、だからいつまでたっても漫画家は身をすり減らすだけに存在している。
売れっ子ですらこうなのだから、それ以下は言わずもかなである。
それでいて、せっかく地位向上に寄与するかもしれない千載一遇のチャンスである国立メディア芸術総合センター計画が発表されても「足の引っ張り合い」。
そんなに日陰者で居たいのか?
何処まで貧乏根性が染み付いているのか?
いい加減に目を覚ませと言いたい。

新政権になって、この国立メディア芸術総合センター計画を事実上、見直してこの予算分を「母子家庭」にばら撒くそうである。
それが本当に日本の将来のためになるかは知らない。
まあ、民主党のマスターベーションとしては「気持ちいい」のであろうがね。
いずれにせよ、117億円ごときで財源に汲々とするのなら、もう日本は終わっている。
馬鹿か。

だが、このコンテンツ産業に関わる者たちが「足の引っ張り合い」した事も、この計画が頓挫する理由の一つになっているかもしれない。
そもそもこの計画が、底辺のクリエーター自身から上がっていった事業ではなく、トップダウンの事業であったことに問題があったのかもしれないが。
しかし、だからといって今のクリエーターたちが一致団結してこのような施設建設を国に要請するかといえば、おそらく永遠にしないだろう。
新政権も馬鹿だが、クリエーター自身も己だけの事を考えているからどうしようもなかろう。

だが、今からだって遅くはあるまい。
実力あるクリエーターたちが自分たちの地位向上のためにこのような施設を作れとアクションを起こせば状況は変化するかもしれない。
この計画を完遂しなければ、儲けた分の税金は中国やアメリカに納税するぞ、とかね。

おそらく、お台場にこの国立メディア芸術総合センターが実際建ってしまえば状況は一転する。
事業内容が怪しければ、ソフトはいくらだって変更出来る。当事者はこちらなのだからね。
官僚や政治家の中にだってコンテンツ産業に詳しい若手もいるだろう。
むしろ、己の才能を発揮できる部署が出来たとほくそえむ「ヲタク」系官僚や政治家と手を組めば面白いことになる。
産業構造が変革する機転になれば、もうコンテンツ産業に従事する者は「日陰者」から解放されよう。
たとえ、土建屋のために造られようと、それを「利用して」生き残っていくのが賢者のやることだ。
「そんなに上手くいくわけがない」と哂う者もいるだろう。
だがこのままではいつまでも「日陰者」のまま。
何もせずに「日陰者」で終わりたければ好きにすればよい。
国立メディア芸術総合センターが頓挫すれば、コンテンツ産業も打ち捨てられ、そのうち「児童ポルノ法」が強化されて、まともな漫画家は誰一人この国で創作活動出来なくなろう。
「日陰者」どころか「犯罪者」だ。
漫画が商売どころか趣味ですら描けなくなってしまってもよいなら勝手にすればよい。
だが、その時は悲惨な日々が待っていよう。最低限の人権や自尊心すら守れない過酷な使役を強いられるかもしれないが、それも自業自得。
かといって、簡単に死ねるものでもない。

己の権利は己で獲得するもの。
権利は誰からか与えられるもんじゃないんだ。

もうこれ以上「日陰者」は真っ平御免である。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/