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「新宿の目」と皇太子

日常
02 /24 2015
新宿西口地下に「新宿の目」というオブジェがある。
宮下芳子という人が1969年に作ったという。
どういう意図でここに飾られたのかは知らない。
サイトの紹介文にはこう記されていた。

「怪物的バイタリティを持つ新宿新都心が、現代日本の若さ、たくましさの象徴として世界に鳴りひびいている。それは大きな大きな空問――その偉大な空間の整形を私は恐れも知らずに引き受けた。
底知れない力にみなぎっている怪物を、如何に表現したらいいのだろう……
そうだ!!時の流れ、思想の動き、現代のあらゆるものを見つめる“目”二十一世紀に伝える歴史の“目”…もしかすると遠く宇宙を見っめる“目”かも知れない。このような多次元の“目”こそ新都心のかなめ「スバルビル」には最適、と思った」

当時、新宿が「現代日本の若さ、たくましさの象徴」であったことに愕然とする。
ベトナム戦争、アポロ計画、学生運動、新宿フォークゲリラ・・。
これらはすべて僕らの幼少の頃だ。

自分にとって「新宿の目」はもう随分前からそこにあって、何だか古の1960年代遺物として、ここを通る度に妙な気分になった。
1980年代半ばまで頃は、酷く破壊され、放置状態だった。瞳は窪み、鉄板でふさがれ、白目も陥没状態。
ただ、ひたすら経済第一の新宿にあって、お洒落なオブジェなど気に留めるものも居なかった。
だから壊れていようが交通の邪魔にさえならなけらばどうでも良かったのだろう。
1990年頃、都庁舎が西新宿に出来た辺りから周辺環境に気が配られ始めたのか、やっと修復されたのを記憶している。
自分が10年ほど前に描いた『絶望線上のアリア』(幻冬舎コミックス『絶望期の終わり』収録)にも「新宿の目」を描いた。
絶望アリア04GS

今年で完成から46年か。
世紀末を経由して46年間、ひたすら西新宿を見つめてきた「新宿の目」。
今は照明もダイオード化され尚も存在し続けている。
しかし、このスバルビルも西新宿の再々開発で解体の危機に曝されているとか。
「新宿の目」も半世紀以上生き続けることは難しい。

皇太子が55歳を迎えたという。
覇気も華もない皇太子。
ちょうど「新宿の目」が完成した頃、テレビで「おそまつ」君が大流行し、幼少の皇太子もイヤミの「シェー」ポーズに夢中だった。
しかし、それから半世紀近く。
世継ぎを設ける事も出来ず、その地位さえ危ぶまれて、孤立化を深めているような現皇太子の姿は、その同世代の悲哀そのものだ。
日本社会は大凡、50年で全てが更新される。
渋谷も、新宿も、再々開発され、1960年代から70年代の数多の建築物、オブジェ、町並みは破壊され、新たな価値観の下に屍を曝す。
しかし、皇太子とその世代は、己の価値観を成就させることが出来ないまま、60~70年代の瓦礫の下に埋もれていくことになる。
やがて「新宿の目」も皇太子も破壊される高度成長期建築物の解体コンクリートに押しつぶされて、虚しい残滓となって忘れられていくのだ。

2015年、もはや「新宿の目」にはバイタリティーある思想の動きなど一瞬たりとも視界に入らないだろう。
あるのは、「正規」「非正規」という、高度成長期にはありえなかった「階級制度」で歪む世相だ。
しかし、シュプレヒコールも投石も火炎瓶もない。
ただ、ゆっくりと朽ち果てていく、老いていくだけの覇気のない人の流れだけが瞳に写る。
「新宿の目」はやがて破壊されるスバルビルの瓦礫に混じって呟くであろう。

「私の半世紀に写った西新宿は滅び堕ち往く民族の足掻きだけであった・・」とね。

スバルビルの更地の跡に何が建つのかは知らぬ。
少なくとも皇太子世代が夢見たものとはまったく違う、咀嚼しえない代物だろう。
それは皇太子世代の利益にはなんら関係ないものだ。
移り逝く東京。
しかし、遅かれ早かれ、カタストロフは来るだろう。永遠に再開発がされない瓦礫の山の瞬間が。

「新宿の目」も皇太子も、それを見ることもなく、いつしかこの世から忘れられていく。
儚きぞ、皇太子世代。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/