沈黙のみが偉大である。他の全ては弱点にすぎない

日常
11 /02 2013
「沈黙のみが偉大である。他の全ては弱点にすぎない」
どこかの著書に引用されていた格言である。出典は覚えていないがなぜか記憶に残っている。

もう14年になるか、1999年からネットに日記を綴り始めて思うに、所詮は「チラシの裏」に記す妄言。
さして意味のない散文にどれだけのエネルギーを費やしたか。

世に必要とされるものなら、どこぞから依頼が来てもよかろうが、そんなことは一度もなかった。
誰からも必要とされない文章ならば、よほど沈黙を守ったほうが有意義だったろうに。

ネットという「文明の利器」が普及し始めて20年弱だろうか。
既存メディアを通さなくとも、自分の意思をネット上で公開することが可能になり、誰もが全世界に向けて足跡を残す事が出来る。
SNSの普及で更にその流れは加速した。

しかし、それは同時に己をネットに曝す事になる。
どんな善意に基づいた名文でも光と影がある。
それが永遠にネット上に残り、消えることはない。

そろそろ人々は気が付き始めた。
「これはまずいのではないか?」
だが気づいた時には全て遅すぎた。

アメリカ国家安全保障局の盗聴は言うに及ばず、ありとあらゆるネット上のメッセージは管理、閲覧され、やがて全ての個人情報は「何者か」の手に委ねられる。

ネットは貧者を潰しあうための効果的なツールだ。
昨今、ツイッターにアルバイト先での悪戯画像をアップしてバッシングされる事例をよく耳にする。
本人はおもしろ半分で身内向けに公開しているつもりだったのだろう。
だが、よく考えてみると数多のネット上のテキスト、呟き、画像も似たようなもの。
いくら善意で、あるいは社交辞令を尽くしたものだとしても、恣意的なバイアスを掛ければ何とでもなってしまう。
一度、ネットに足跡を残してしまえばおしまいだ。

誰もが「バイト先の悪戯」をアップした者と同じく「そんなつもりはなかったのに」全世界からバッシングを受ける対象をネットに曝しているのだ。
それが例えアルファベットの羅列だとしてもだ。
貧者の書き込みを貧者がバッシングして潰しあう。
「権力者」からすればこんな都合のよいツールはない。

世に残すに値するテキストとは何か?
それは「リアル世界で誰かから必要とされる」文章だ。
必要とされるとは、対価を得られるほど多くの人間に読まれたり、聴かれたりするもの。

たとえば伊集院光のラジオ。
たまに辛らつなトークがある。
同じような内容を無名の一般人がネットに書き込んだとしても、恐らく「貧者同士のバッシング」にあって潰され、相殺されて無と化そう。
しかし、県域局のラジオで有名タレントが発するトークや全国の書店に並ぶ作家の著作物は違う。
所属するプロダクション、大手ラジオ局、出版社、スポンサーなどの「巨大組織」がタレントを守っている。
なぜなら、そのタレントが喋ることによって大いなる利益が転がり込むからである。
無名の一個人がいくらネットに興味深いメッセージを残したところで一銭にもならない。
「リアル世界」に利益を齎さなければ「貧者同士の潰しあい」に巻き込まれ、何の影響力も齎さない。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌が今もって磐石な情報ツールで居られるのは、そのためである。

フェイスブック、ツイッター、ミクシー・・。数多のSNSは無数の貧者の「言葉」を搾取し、「潰しあい」をさせるために存在する。
どんな「言葉」も相殺され、ネットの海の藻屑と化すのだ。

「沈黙のみが偉大である。他の全ては弱点にすぎない」

弱者ほど沈黙を守らねばならない。
沈黙のみが弱者の武器だ。
ひたすら貝のごとく、沈黙を守る。携帯もスマホもパソコンも捨て、ネットの魔の手から逃れねばいけない。

ネットは支配者の仕掛けた罠だ。
だが、今更気が付いてももう遅い。ネットに足跡を残さぬ事など不可能な時代。

遅かれ早かれ己の「呟き」は己の足元を掬うために利用されるのだ。
どんな善意な言葉であろうとも権力者によって恣意的に書き換えられ、己に襲い掛かる。

気づいた時にはすべて遅すぎるのである。



あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/