沖縄取材記その1
旅、訪問記
先日、4月23日から25日にかけて2泊3日で沖縄取材旅行に赴いた。
隔月刊誌『ジャパニズム』に連載中の作品「ストレンジャー」コミカライズのための単独ロケハンである。
その様子を3回に分けてレポートしてみたい。
予算や時間も限られているため出来るだけ費用を抑えて計画を立ててみた。GWに掛かると高くなりそうなので直前の4月後半平日を狙う。
旅行代理店の棚からいろいろパンフレットをもらってくるがよくわからない。
旅行などまったくしない人間だから「旅」のノウハウがさっぱり。
結局、ネットで検索して探すのがベターな方法だと知る。
ANAスカイツアーズの安いフリーツアーから飛行機宿泊代込みで3万円前後のプランが見つかった。
4月上旬に申し込みを済ます。
あとは沖縄本島の移動手段だ。
以前のブログにも記したが、那覇近郊モノレールを除き、鉄道のない沖縄では車かバスしか交通手段がない。
免許があればレンタカーが定番なのだろうが、車とは無縁の自分にとってはこの選択肢は取れない。
残るはバスか観光タクシーだ。
沖縄の観光タクシーのサイトをいろいろ調べてみると、大凡1日貸切で小型タクシーが2万円強。
だが単独行だとこの額はやや負担が大きい。
一方、観光バスツアーは場所や時間が制約されて思うようには動けない。
そこで路線バス乗り継ぎを考える。
最近アップされた「バスなび沖縄」という検索サイトを使えば乗り継ぎ方法や料金が解る。2013年4月現在はまだ試験運用中で使い勝手はあまり良くないが大凡のルートはつかめた。
あと「バスマップ沖縄」という本島バス路線が網羅された地図も直感的にルートが見えて必須アイテムだ。
更に「ヤフー知恵袋」などに質問を出してみると詳しい人からの丁寧な路線バスルートを教えてもらえる。
こうして調べていくにつれ、意外にも路線バスが使えそうなことが解ってきた。
総額でも3千円前後で済みそう(高速バス除く)。タクシーと比べれば一桁安い訳でバスを利用しない手はあるまいという考えに傾いた。
早速、目的地までの路線と停留所の時刻表、乗り換え地点の詳細な地図をプリントアウトする。
スマホがあれば現地で検索サイトにアクセスすればよいことなのだが、昭和30年代生まれは紙に出力したほうが安心感がある。所詮はアナログ人間だ。
因みに荷物を極力減らすためにパソコンも持参しないからネット接続は一切しない旅となる。従って旅先からの「呟き」もない。
さて出発前日の22日。
ギリギリまでGWイベント用の新刊版下作業に追われ、印刷所に入稿したのがこの日の昼前。
それから準備作業にかかる。
商売道具のデジタル一眼レフの受光センサーに埃が付着しているので西新宿の「ペンタックスフォーラム」まで行ってクリーニングしてもらう。費用は1000円(税抜き)。
デジタル一眼レフは重く、嵩張る。そしてレンズ交換の度にセンサーに埃が付着し、撮影した画像にそのゴミが映りこんでしまう。正直、この致命的な欠陥のせいでデジ一眼はあまり使いたくはないのだ。むしろ条件によってはスマホや携帯に付属しているカメラのほうが使い勝手はよい。とはいえ望遠とか速射とかデジ一眼でないと撮れないシーンもある訳で仕方なく持参することに。
また、魚眼用に使っているサブのコンデジのメディアが128MBしか容量がなかったので新しく4GBのコンパクトフラッシュを購入。
ところが家に帰ってこのメディアが使えない事に気がつく。
古いタイプのコンデジでは大容量のコンパクトフラッシュは対応していないのだ。因みに所有しているコンデジはクールピクス4300という10年近く前の機種。仕方なく購入した新宿の量販店に戻って512MBのコンパクトフラッシュに交換してもらう。まったく参った。
とにかく写真撮影がメインなので余裕を持たせた装備で挑まねばならない。適当では済まされないのだ。
バタバタしながらも何とか準備を終える。
さて取材旅行初日の23日朝が来た。
幸いにも東京は晴天に恵まれた。
出発便は羽田8時55分発発那覇行きANA127便。
朝のモノレールは背広姿で一杯。こんなに普段から仕事で飛行機が利用されているとは驚く。
出発時間より1時間以上早く羽田に到着。

何せこれが自分にとって初めての飛行機だ。余裕を持って挑まないと何が起こるか解らない。
8時10分頃、保安検査ゲートを潜る。機材のひとつがチェックされるが問題なく通過。
搭乗ロビーを見渡すと乗客は初老の団体や家族連れがメイン。背広姿は殆どいない。平日なので地味目な人ばかり。
59番ゲートから搭乗する。
機種はB747-400
座席は2階席の窓側だ。
今回の取材旅行の目的の一つは「空撮」も含まれている。
これまで空のシーンの作画資料はどうしても公の資料を使わざるを得なかった。しかし、やはり自分で撮影した空や雲の写真は必須と考えていたので、何としてもゲットしなければならない。
幸い良い天候に恵まれたので視界は良好だ。
航空機が離陸すると、すぐに眼下には羽田空港や東京湾のパノラマが。

必死になってカメラのシャッターを切る。
もはや初フライトの恐怖とか不安とか感じる暇はない。
ひたすら「撮るべし!撮るべし!」と言い聞かせる。
第2次世界大戦のB29搭乗員と比べたら東京上空の恐怖感など比べものになるまい。
菊水作戦に参加した旧軍パイロットが沖縄に向かう心境とて同じだ。
ただの旅客機で恐怖に震えていては何も始まらないのだ。「我が任務は空撮なり!」と心で叫び続けていた。
眼下の風景は横浜から相模方面へと流れていく。鉄道や工場が手に取るように見える。

生で見る「空撮映像」は当たり前だがなんとも「生々しい」。
遠くには奥日光辺りの雪を戴く山脈が望める。富士山は方角的に視界に入ってこない。
あれは南アルプスの山塊だろうか?
高度はやがて1万メートル前後まで上昇。
伊勢湾知多半島あたりも確認出来る。
関西方面は次第に雲が広がり雲海の上をひたすら飛ぶ。まるで『紅の豚』に出てきた「飛行士の墓場」みたいな風景だ。
吸い込まれるような葵い成層圏に真っ白な雲海。
この世のものではない感覚に襲われる。

安定した巡航状態に入って揺れは殆どないに等しい。
キャビンアテンダントがサービスを始めるがそれを受ける余裕がない。
やはり初めての飛行機とあって、空中で狭い空間に閉じ込められているという不安感が勝り緊張する。
鉄道などであればある程度、自分の意思で乗降可能だが、観覧車やロープーウェイはそうもいかない。
地に足が着いた高所は問題ないのだが、狭い空間に不安定な状況で閉じ込められるというシチュエーションはまずい。
外の風景も動きがなく、視覚情報で平衡感覚をコントロールすることも出来ない。
仕方なく、ICレコーダーに録音しておいた伊集院光のラジオ番組を再生して「これは新幹線なんだ。地上1万mではないのだ!」と言い聞かせ、三半規管を安定化させることに努めた。
11時過ぎ、航空機は降下に入る。
雲海に突入する瞬間は『風の谷のナウシカ』でのガンシップとの空中戦を彷彿とさせる。つくづく「宮崎アニメ」の影響は大だ。
何層もの雲を抜けると海面が見えてきた。
そしてエメラルドグリーンのサンゴ礁。
おお!沖縄の海だ。

11時25分、無事に那覇空港にタッチダウン。義烈空挺団のような対空砲火の中の強行着陸はなかったのでほっとする。
沖縄地方も晴天。
タキシング中に航空自衛隊等の軍用機が多数覗えた。軍民共用の飛行場ならではだ。
空港ロビーのテレビでは沖縄ローカルテレビの昼前ニュースで尖閣諸島に多数の中国公船が領海侵犯したと報じている。でもロビーの乗客はまったく関心を示さない。
持参したラジオを87.3MHzにチューニング。
夏のEsシーズンにしか聴けなかったFM沖縄がクリアに聴取出来る。
ゆっくりする間もなく、航空自衛隊那覇基地の広報担当に連絡を入れる。
「ストレンジャー」原作者、佐藤守氏のご好意で基地見学が叶う事になった。
那覇空港を出て沖縄唯一の鉄道(モノレール)「ゆいレール」に乗る。1日乗車券(600円)は便利。

鉄道はほっとする。乗り心地は「多摩都市モノレール」に似ているか。
乗客は現地の人よりも観光客が目立つ。
空港から一つ目の駅、「赤嶺」で降車。改札口で広報担当氏が出迎えてくれた。
第83航空隊司令部監理部 基地渉外室 広報班の方である。
車で基地を案内していただけることに。
因みにドライバーは女性隊員。私のサイトもチェックしていただいたようで恐縮の極み。
この方は那覇基地月刊新聞の「おきなわ」に4コマ漫画を描かれている。かつては漫画家志望だったとか。
12月那覇基地祭の時には是非おいで下さいとのこと。

この日は、尖閣諸島方面で中国の領海侵犯が相次いだためか次々にスクランブルがかかってF15が飛び立っていく。その状況をベストロケーションから撮影することが出来た。

また基地内に残されていた旧軍の海岸砲など貴重な遺構の数々も案内していただけた。
高台からは通称「ガメラレーダー」も覗えた。1945年の沖縄戦当時、この丘から米軍上陸艦艇が埋め尽くすように見えたという。

任務多忙の中、快く基地内を案内戴けて感謝の極みであった。作品執筆の上で貴重な資料になることは間違いない。
この場を借りて改めて御礼申し上げる。
基地見学を終えて、再び赤嶺駅からモノレールへ。
気温は25度近い。羽織ってきたジャケットが暑い。取りあえず本日の宿泊場所である那覇市久米に向かう。最寄駅はモノレール旭橋駅から徒歩5分位だ。
那覇市内の道は片道3車線もあって広い。そこをひっきりなしに車が走る。
車だけは東京並みか、それ以上だ。もはや完全な「車社会」なのだろう。一方、歩道には人影は疎ら。寂しい位だ。
そんな歩道を数分歩いて宿に辿り着いたのは16時。
ワンルームマンションを改造したホテルの3階。お世辞にもランクは上とは言えず。勿論食事も付いていない。
ただの素泊りであるからまあこれでも問題はない。キッチンとかもあって要するに長期滞在用には便利かもしれないホテル。
一旦荷物を部屋に置いて17時過ぎ外出。
那覇市内ロケハン先の一つである「とまりん」という港湾施設に向かう。
モノレール県庁前駅から美英橋駅で下車。歩いて10分ほど。
「ストレンジャー」では黄昏時に舞台になるのだが、そのタイミングを見計らって訪問。運良く夕日も拝む事が出来た。
ここは離島に向かうフェリーのターミナルビル。ホテルや商業施設、オフィースが入っている複合施設。

訪れる人も少なく、弱冠寂れた雰囲気。国道58号線向かいにあるパチンコ屋のほうが豪華で賑やかだ。
暫し、夕日を眺めながら現地のFM等を聴取する。もうツバメが飛び交っていた。日没を見届けると「とまりん」を後にし、モノレールで県庁前駅まで戻って国際通りに向かう。

那覇随一の繁華街。ここも「ストレンジャー」で少し描かれているから見ておかねばなるまい。
雰囲気は何となく東京の原宿を彷彿とさせた。とりあえず沿道の沖縄地料理屋に入って食事。
あぐー餃子とジーマーミーの揚げ出しをオーダー。
現地の黒砂糖で漬けた梅酒も飲んでみる。
なかなか美味しい。
21時頃、宿に引き上げ。
流石に疲れてしまったので22時頃には床に就いた。
ところがである。夜中になると暴走族らしき集団が58号線を行き来しているのか喧しい。ホテルは街道沿いにあるので車の走行音は直接飛び込んでくるので難儀。耳栓を持ってくればよかったと後悔。
これは毎晩なのか?因みにこの日は平日。週末はもっと酷くなるのだろうか?
米軍機の騒音はニュースになるが、那覇市内の深夜暴走族の騒音は知らなかった。
兎にも角にも、なんとか沖縄取材1日目は天気にも恵まれ、無事に終了した。
(2日目に続く)
隔月刊誌『ジャパニズム』に連載中の作品「ストレンジャー」コミカライズのための単独ロケハンである。
その様子を3回に分けてレポートしてみたい。
予算や時間も限られているため出来るだけ費用を抑えて計画を立ててみた。GWに掛かると高くなりそうなので直前の4月後半平日を狙う。
旅行代理店の棚からいろいろパンフレットをもらってくるがよくわからない。
旅行などまったくしない人間だから「旅」のノウハウがさっぱり。
結局、ネットで検索して探すのがベターな方法だと知る。
ANAスカイツアーズの安いフリーツアーから飛行機宿泊代込みで3万円前後のプランが見つかった。
4月上旬に申し込みを済ます。
あとは沖縄本島の移動手段だ。
以前のブログにも記したが、那覇近郊モノレールを除き、鉄道のない沖縄では車かバスしか交通手段がない。
免許があればレンタカーが定番なのだろうが、車とは無縁の自分にとってはこの選択肢は取れない。
残るはバスか観光タクシーだ。
沖縄の観光タクシーのサイトをいろいろ調べてみると、大凡1日貸切で小型タクシーが2万円強。
だが単独行だとこの額はやや負担が大きい。
一方、観光バスツアーは場所や時間が制約されて思うようには動けない。
そこで路線バス乗り継ぎを考える。
最近アップされた「バスなび沖縄」という検索サイトを使えば乗り継ぎ方法や料金が解る。2013年4月現在はまだ試験運用中で使い勝手はあまり良くないが大凡のルートはつかめた。
あと「バスマップ沖縄」という本島バス路線が網羅された地図も直感的にルートが見えて必須アイテムだ。
更に「ヤフー知恵袋」などに質問を出してみると詳しい人からの丁寧な路線バスルートを教えてもらえる。
こうして調べていくにつれ、意外にも路線バスが使えそうなことが解ってきた。
総額でも3千円前後で済みそう(高速バス除く)。タクシーと比べれば一桁安い訳でバスを利用しない手はあるまいという考えに傾いた。
早速、目的地までの路線と停留所の時刻表、乗り換え地点の詳細な地図をプリントアウトする。
スマホがあれば現地で検索サイトにアクセスすればよいことなのだが、昭和30年代生まれは紙に出力したほうが安心感がある。所詮はアナログ人間だ。
因みに荷物を極力減らすためにパソコンも持参しないからネット接続は一切しない旅となる。従って旅先からの「呟き」もない。
さて出発前日の22日。
ギリギリまでGWイベント用の新刊版下作業に追われ、印刷所に入稿したのがこの日の昼前。
それから準備作業にかかる。
商売道具のデジタル一眼レフの受光センサーに埃が付着しているので西新宿の「ペンタックスフォーラム」まで行ってクリーニングしてもらう。費用は1000円(税抜き)。
デジタル一眼レフは重く、嵩張る。そしてレンズ交換の度にセンサーに埃が付着し、撮影した画像にそのゴミが映りこんでしまう。正直、この致命的な欠陥のせいでデジ一眼はあまり使いたくはないのだ。むしろ条件によってはスマホや携帯に付属しているカメラのほうが使い勝手はよい。とはいえ望遠とか速射とかデジ一眼でないと撮れないシーンもある訳で仕方なく持参することに。
また、魚眼用に使っているサブのコンデジのメディアが128MBしか容量がなかったので新しく4GBのコンパクトフラッシュを購入。
ところが家に帰ってこのメディアが使えない事に気がつく。
古いタイプのコンデジでは大容量のコンパクトフラッシュは対応していないのだ。因みに所有しているコンデジはクールピクス4300という10年近く前の機種。仕方なく購入した新宿の量販店に戻って512MBのコンパクトフラッシュに交換してもらう。まったく参った。
とにかく写真撮影がメインなので余裕を持たせた装備で挑まねばならない。適当では済まされないのだ。
バタバタしながらも何とか準備を終える。
さて取材旅行初日の23日朝が来た。
幸いにも東京は晴天に恵まれた。
出発便は羽田8時55分発発那覇行きANA127便。
朝のモノレールは背広姿で一杯。こんなに普段から仕事で飛行機が利用されているとは驚く。
出発時間より1時間以上早く羽田に到着。



何せこれが自分にとって初めての飛行機だ。余裕を持って挑まないと何が起こるか解らない。
8時10分頃、保安検査ゲートを潜る。機材のひとつがチェックされるが問題なく通過。
搭乗ロビーを見渡すと乗客は初老の団体や家族連れがメイン。背広姿は殆どいない。平日なので地味目な人ばかり。
59番ゲートから搭乗する。
機種はB747-400
座席は2階席の窓側だ。
今回の取材旅行の目的の一つは「空撮」も含まれている。
これまで空のシーンの作画資料はどうしても公の資料を使わざるを得なかった。しかし、やはり自分で撮影した空や雲の写真は必須と考えていたので、何としてもゲットしなければならない。
幸い良い天候に恵まれたので視界は良好だ。
航空機が離陸すると、すぐに眼下には羽田空港や東京湾のパノラマが。










必死になってカメラのシャッターを切る。
もはや初フライトの恐怖とか不安とか感じる暇はない。
ひたすら「撮るべし!撮るべし!」と言い聞かせる。
第2次世界大戦のB29搭乗員と比べたら東京上空の恐怖感など比べものになるまい。
菊水作戦に参加した旧軍パイロットが沖縄に向かう心境とて同じだ。
ただの旅客機で恐怖に震えていては何も始まらないのだ。「我が任務は空撮なり!」と心で叫び続けていた。
眼下の風景は横浜から相模方面へと流れていく。鉄道や工場が手に取るように見える。






生で見る「空撮映像」は当たり前だがなんとも「生々しい」。
遠くには奥日光辺りの雪を戴く山脈が望める。富士山は方角的に視界に入ってこない。
あれは南アルプスの山塊だろうか?
高度はやがて1万メートル前後まで上昇。
伊勢湾知多半島あたりも確認出来る。
関西方面は次第に雲が広がり雲海の上をひたすら飛ぶ。まるで『紅の豚』に出てきた「飛行士の墓場」みたいな風景だ。
吸い込まれるような葵い成層圏に真っ白な雲海。
この世のものではない感覚に襲われる。











安定した巡航状態に入って揺れは殆どないに等しい。
キャビンアテンダントがサービスを始めるがそれを受ける余裕がない。
やはり初めての飛行機とあって、空中で狭い空間に閉じ込められているという不安感が勝り緊張する。
鉄道などであればある程度、自分の意思で乗降可能だが、観覧車やロープーウェイはそうもいかない。
地に足が着いた高所は問題ないのだが、狭い空間に不安定な状況で閉じ込められるというシチュエーションはまずい。
外の風景も動きがなく、視覚情報で平衡感覚をコントロールすることも出来ない。
仕方なく、ICレコーダーに録音しておいた伊集院光のラジオ番組を再生して「これは新幹線なんだ。地上1万mではないのだ!」と言い聞かせ、三半規管を安定化させることに努めた。
11時過ぎ、航空機は降下に入る。
雲海に突入する瞬間は『風の谷のナウシカ』でのガンシップとの空中戦を彷彿とさせる。つくづく「宮崎アニメ」の影響は大だ。
何層もの雲を抜けると海面が見えてきた。
そしてエメラルドグリーンのサンゴ礁。
おお!沖縄の海だ。




11時25分、無事に那覇空港にタッチダウン。義烈空挺団のような対空砲火の中の強行着陸はなかったのでほっとする。
沖縄地方も晴天。
タキシング中に航空自衛隊等の軍用機が多数覗えた。軍民共用の飛行場ならではだ。
空港ロビーのテレビでは沖縄ローカルテレビの昼前ニュースで尖閣諸島に多数の中国公船が領海侵犯したと報じている。でもロビーの乗客はまったく関心を示さない。
持参したラジオを87.3MHzにチューニング。
夏のEsシーズンにしか聴けなかったFM沖縄がクリアに聴取出来る。
ゆっくりする間もなく、航空自衛隊那覇基地の広報担当に連絡を入れる。
「ストレンジャー」原作者、佐藤守氏のご好意で基地見学が叶う事になった。
那覇空港を出て沖縄唯一の鉄道(モノレール)「ゆいレール」に乗る。1日乗車券(600円)は便利。


鉄道はほっとする。乗り心地は「多摩都市モノレール」に似ているか。
乗客は現地の人よりも観光客が目立つ。
空港から一つ目の駅、「赤嶺」で降車。改札口で広報担当氏が出迎えてくれた。
第83航空隊司令部監理部 基地渉外室 広報班の方である。
車で基地を案内していただけることに。
因みにドライバーは女性隊員。私のサイトもチェックしていただいたようで恐縮の極み。
この方は那覇基地月刊新聞の「おきなわ」に4コマ漫画を描かれている。かつては漫画家志望だったとか。
12月那覇基地祭の時には是非おいで下さいとのこと。







この日は、尖閣諸島方面で中国の領海侵犯が相次いだためか次々にスクランブルがかかってF15が飛び立っていく。その状況をベストロケーションから撮影することが出来た。





また基地内に残されていた旧軍の海岸砲など貴重な遺構の数々も案内していただけた。
高台からは通称「ガメラレーダー」も覗えた。1945年の沖縄戦当時、この丘から米軍上陸艦艇が埋め尽くすように見えたという。



任務多忙の中、快く基地内を案内戴けて感謝の極みであった。作品執筆の上で貴重な資料になることは間違いない。
この場を借りて改めて御礼申し上げる。
基地見学を終えて、再び赤嶺駅からモノレールへ。
気温は25度近い。羽織ってきたジャケットが暑い。取りあえず本日の宿泊場所である那覇市久米に向かう。最寄駅はモノレール旭橋駅から徒歩5分位だ。
那覇市内の道は片道3車線もあって広い。そこをひっきりなしに車が走る。
車だけは東京並みか、それ以上だ。もはや完全な「車社会」なのだろう。一方、歩道には人影は疎ら。寂しい位だ。
そんな歩道を数分歩いて宿に辿り着いたのは16時。
ワンルームマンションを改造したホテルの3階。お世辞にもランクは上とは言えず。勿論食事も付いていない。
ただの素泊りであるからまあこれでも問題はない。キッチンとかもあって要するに長期滞在用には便利かもしれないホテル。
一旦荷物を部屋に置いて17時過ぎ外出。
那覇市内ロケハン先の一つである「とまりん」という港湾施設に向かう。
モノレール県庁前駅から美英橋駅で下車。歩いて10分ほど。
「ストレンジャー」では黄昏時に舞台になるのだが、そのタイミングを見計らって訪問。運良く夕日も拝む事が出来た。
ここは離島に向かうフェリーのターミナルビル。ホテルや商業施設、オフィースが入っている複合施設。


訪れる人も少なく、弱冠寂れた雰囲気。国道58号線向かいにあるパチンコ屋のほうが豪華で賑やかだ。
暫し、夕日を眺めながら現地のFM等を聴取する。もうツバメが飛び交っていた。日没を見届けると「とまりん」を後にし、モノレールで県庁前駅まで戻って国際通りに向かう。



那覇随一の繁華街。ここも「ストレンジャー」で少し描かれているから見ておかねばなるまい。
雰囲気は何となく東京の原宿を彷彿とさせた。とりあえず沿道の沖縄地料理屋に入って食事。
あぐー餃子とジーマーミーの揚げ出しをオーダー。
現地の黒砂糖で漬けた梅酒も飲んでみる。
なかなか美味しい。
21時頃、宿に引き上げ。
流石に疲れてしまったので22時頃には床に就いた。
ところがである。夜中になると暴走族らしき集団が58号線を行き来しているのか喧しい。ホテルは街道沿いにあるので車の走行音は直接飛び込んでくるので難儀。耳栓を持ってくればよかったと後悔。
これは毎晩なのか?因みにこの日は平日。週末はもっと酷くなるのだろうか?
米軍機の騒音はニュースになるが、那覇市内の深夜暴走族の騒音は知らなかった。
兎にも角にも、なんとか沖縄取材1日目は天気にも恵まれ、無事に終了した。
(2日目に続く)