夏の終わりと蝉の屍骸
日常
8月も半ばを過ぎて2009年の夏も終盤を迎えようとしている。
今年の夏は、天候不順で日照も少なく、煮え切らないまま終わってしまいそうだ。
ただ、蝉などの虫は活発なようで特に過去にはあまり聞かれなかったミンミンゼミが油蝉を凌駕するごとく喧しく鳴いていた。コフキコガネもずいぶんと夜の明かりに集まってきた。
因みに蝉時雨も秋の虫の音も鳴いているのはオス。繁殖のためにメスを呼び込んでいるために鳴いている訳で蝉時雨は「男の発情歌」なのだ。
それを意識すると、繁殖という行為が如何に露骨で当たり前のルーティンかよくわかる。
逆に言えば少子高齢化で滅びつつあるこの国の民が如何に絶望的で不自然な状況にあるか、ということだ。
夏に蝉が殆ど鳴かなくなってしまった様が今の日本。いや鳴くことを忌避されてしまうのごとき状況を作り出した時点でもうこの国は終わりに近い。
繁殖しなくなった種はその時点でおしまいである。
先日、伊集院光の深夜番組で花火大会で偶然逢引状態になったらというシチュエーションのお題があった。
若い頃、そんな状況になったことは当然一度もなく、御伽噺のような絵空事でしかなかった自分としては何だかどうでもよかった。
自分が汚物のような汚らしい存在で、まず女子の恋愛対象にすら成り得ないと解っていたから、本能では仲良くしたいと空想しても現実には絶対にありえなかった。
幼少の頃から女性の集団に迫害されてきた身からすれば、逆にそんなシチュエーションは恐怖でもあった。
小学校の頃、合宿か何かで林間学校に行った時、具合が悪くなって一人で寝ていたら同級生の女子集団がやってきて、布団の上からねちねちと汚い言葉を浴びせかけられたことがあった。
これに限らず、10代、20代事あるごとに女子の集団から陰湿な精神的暴力を受けてきた身からすると、夏のロマンティックな出会いなど「どこぞの惑星の物語だ」と思うほど「在り得ない」事だった。
「淡い青春時代の恋物語」など、一部モテ男の「特権」に過ぎず、自分の周りにはそんなもの一瞬の体験すら掠りも経ずに中年期を迎えてしまった。
恋愛至上主義の戯言は自分の人生にはまったく無関係だった訳で、このラジオコーナーの答案にもあったように、花火大会でかわいいクラスメートの女子とばったり会ったとしても「キモイ」と言われるか、その女子自体が「狐」か何かで自分を騙すために現れたとしか思えない。
そんな絶望独身男性にとって選挙も「絵空事」でしかない。
自分たちの存在など何処の政党も眼中にない訳で、子育て支援とか言われてもそもそも結婚すら出来ない人間にはお呼びでない事。これに限らず、独身ニート40代男性にとって死活問題たることは何一つマニフェストには出てこない。
要するに、もはや政治家にとって自分みたいな人間は「範疇」にないのだから、こっちも政治家に期待も希望も抱いていない。
「嫁よこせー」「嫁よこせー」と鳴いている蝉こそ真の民の声だということに気づく候補者はいるのか?
立候補者は蝉の屍骸を拾ってそれを煎じて飲んだほうがよい。
そう、伊集院光もラジオで言っていたが、夏の終わりに見る蝉の屍骸こそが最も価値ある「夏の風物詩」だろう。
何年も地下にいてやっとの思いで地上に這い出し、交尾するだけのために2週間ばかりの短い「夏」をすごした挙句、死んでいく。
これこそが世の儚さを凝縮して物語っている。
蝉の屍骸は、己の鏡でもある。
まもなく自分にもこれと同じ運命が来る。
いや、この蝉はまだ幸いだ。交尾できたのだから。
それすら叶わぬまま死んで行く日本絶望独身男性は、この蝉の屍骸以下の存在と言うことになろう。ここまで惨めな立場に追い込んだのだのはいったい誰だ?
そんな惨めな自分を名誉回復してくれる政治家なるものは居るか?
否。
そんなのは何処にもいない。
ただ滅びつつある何もかも萎縮するだけのこの国にあって、未だに昭和元禄のごとき所得倍増等という寝言を平気でのたまう似非政治家に期待を持つことのほうがどうかしている。
全国の公園をすべて墓地化し病院と火葬場を直結させてこの国の後始末をするのが最も真っ当なマニフェストだというのに、どの政党ももそんな「正しき」政策を掲げないところからして、もうこの国にまともな政治家というものは存在しない。
ただ、老い朽ち果てていくだけの2009年夏がまもなく逝く。
遅かれ早かれ大地震が首都圏や太平洋ベルト地帯を襲い、日本の歴史に「THE END」の文字がつく。
そんときゃ、自民党も民主党もあったもんじゃない。国土は中国、ロシアに占領され、財力あるものがアメリカ辺りに逃げ出し、金のないものが国と共に朽ち果てるだけ。
政治家なんて必要ない。勝手に滅びてくれるから時に身を任せればよろしい。
日本国民の殆どが「蛍の墓」みたいに惨めに死んでいく。
蛍はいないが蝉の屍骸ならそこら辺至る所にあるのでそれを拝んでおこう。
それが己の未来と悟り、秋を迎えるのだ。
今年の秋の到来は早そうだ。
そして辛くて寒い、そして永遠に明けぬ冬が来る。
恐ろしい。
今年の夏は、天候不順で日照も少なく、煮え切らないまま終わってしまいそうだ。
ただ、蝉などの虫は活発なようで特に過去にはあまり聞かれなかったミンミンゼミが油蝉を凌駕するごとく喧しく鳴いていた。コフキコガネもずいぶんと夜の明かりに集まってきた。
因みに蝉時雨も秋の虫の音も鳴いているのはオス。繁殖のためにメスを呼び込んでいるために鳴いている訳で蝉時雨は「男の発情歌」なのだ。
それを意識すると、繁殖という行為が如何に露骨で当たり前のルーティンかよくわかる。
逆に言えば少子高齢化で滅びつつあるこの国の民が如何に絶望的で不自然な状況にあるか、ということだ。
夏に蝉が殆ど鳴かなくなってしまった様が今の日本。いや鳴くことを忌避されてしまうのごとき状況を作り出した時点でもうこの国は終わりに近い。
繁殖しなくなった種はその時点でおしまいである。
先日、伊集院光の深夜番組で花火大会で偶然逢引状態になったらというシチュエーションのお題があった。
若い頃、そんな状況になったことは当然一度もなく、御伽噺のような絵空事でしかなかった自分としては何だかどうでもよかった。
自分が汚物のような汚らしい存在で、まず女子の恋愛対象にすら成り得ないと解っていたから、本能では仲良くしたいと空想しても現実には絶対にありえなかった。
幼少の頃から女性の集団に迫害されてきた身からすれば、逆にそんなシチュエーションは恐怖でもあった。
小学校の頃、合宿か何かで林間学校に行った時、具合が悪くなって一人で寝ていたら同級生の女子集団がやってきて、布団の上からねちねちと汚い言葉を浴びせかけられたことがあった。
これに限らず、10代、20代事あるごとに女子の集団から陰湿な精神的暴力を受けてきた身からすると、夏のロマンティックな出会いなど「どこぞの惑星の物語だ」と思うほど「在り得ない」事だった。
「淡い青春時代の恋物語」など、一部モテ男の「特権」に過ぎず、自分の周りにはそんなもの一瞬の体験すら掠りも経ずに中年期を迎えてしまった。
恋愛至上主義の戯言は自分の人生にはまったく無関係だった訳で、このラジオコーナーの答案にもあったように、花火大会でかわいいクラスメートの女子とばったり会ったとしても「キモイ」と言われるか、その女子自体が「狐」か何かで自分を騙すために現れたとしか思えない。
そんな絶望独身男性にとって選挙も「絵空事」でしかない。
自分たちの存在など何処の政党も眼中にない訳で、子育て支援とか言われてもそもそも結婚すら出来ない人間にはお呼びでない事。これに限らず、独身ニート40代男性にとって死活問題たることは何一つマニフェストには出てこない。
要するに、もはや政治家にとって自分みたいな人間は「範疇」にないのだから、こっちも政治家に期待も希望も抱いていない。
「嫁よこせー」「嫁よこせー」と鳴いている蝉こそ真の民の声だということに気づく候補者はいるのか?
立候補者は蝉の屍骸を拾ってそれを煎じて飲んだほうがよい。
そう、伊集院光もラジオで言っていたが、夏の終わりに見る蝉の屍骸こそが最も価値ある「夏の風物詩」だろう。
何年も地下にいてやっとの思いで地上に這い出し、交尾するだけのために2週間ばかりの短い「夏」をすごした挙句、死んでいく。
これこそが世の儚さを凝縮して物語っている。
蝉の屍骸は、己の鏡でもある。
まもなく自分にもこれと同じ運命が来る。
いや、この蝉はまだ幸いだ。交尾できたのだから。
それすら叶わぬまま死んで行く日本絶望独身男性は、この蝉の屍骸以下の存在と言うことになろう。ここまで惨めな立場に追い込んだのだのはいったい誰だ?
そんな惨めな自分を名誉回復してくれる政治家なるものは居るか?
否。
そんなのは何処にもいない。
ただ滅びつつある何もかも萎縮するだけのこの国にあって、未だに昭和元禄のごとき所得倍増等という寝言を平気でのたまう似非政治家に期待を持つことのほうがどうかしている。
全国の公園をすべて墓地化し病院と火葬場を直結させてこの国の後始末をするのが最も真っ当なマニフェストだというのに、どの政党ももそんな「正しき」政策を掲げないところからして、もうこの国にまともな政治家というものは存在しない。
ただ、老い朽ち果てていくだけの2009年夏がまもなく逝く。
遅かれ早かれ大地震が首都圏や太平洋ベルト地帯を襲い、日本の歴史に「THE END」の文字がつく。
そんときゃ、自民党も民主党もあったもんじゃない。国土は中国、ロシアに占領され、財力あるものがアメリカ辺りに逃げ出し、金のないものが国と共に朽ち果てるだけ。
政治家なんて必要ない。勝手に滅びてくれるから時に身を任せればよろしい。
日本国民の殆どが「蛍の墓」みたいに惨めに死んでいく。
蛍はいないが蝉の屍骸ならそこら辺至る所にあるのでそれを拝んでおこう。
それが己の未来と悟り、秋を迎えるのだ。
今年の秋の到来は早そうだ。
そして辛くて寒い、そして永遠に明けぬ冬が来る。
恐ろしい。