新年の妄言

日常
01 /03 2013
謹賀新年。
本年もよろしくお願いいたします。

正月界隈に外出すると、至るところで普段はあまり見かけない家族単位でのグループをたくさん見かける。
やはり正月は親類縁者が集う特別なイベントなのだろう。
自分の親が己と同じ年齢だった頃は、親類縁者を家に呼んで子供や従兄弟にお年玉を配り、談笑やゲームに興じたものだった。
だが、今やそのような親類の集いもなく、寂しく過ごす正月がスタンダードとなった。
妻子ある同輩たちのSNSや年賀状等には、当然ながら正月には親類と過ごし、可愛い娘、息子は祖父、祖母に囲まれて楽しい一時を過ごす光景が誇らしげにアップされている。
それが50代男子の真っ当な正月なのだろう。

一方で、自分のような独身はそのような集いもなく、自慢出来るような娘、息子も居ない。
普段と変わらぬ「孤独」があるだけ。
だが、もうそのような「諦めの運命」に己を委ねてよいものなのだろうかと時々苛まれる時がある。
完全に手遅れになる前に、己の遺伝子を後世に残す努力をすべきではなかろうかと。

正月2日にNHKBSで48年前の東京オリンピック、女子バレー決勝の実況がそのまま流されていた。
たしか、この映像は自分が5歳の時、リアルタイムで観ていた記憶がおぼろげにある。
その時の親は、恐らく今の自分よりも年下だったはずだ。
その「年下」の親は1964年当時、子育てをしていたのだ。

三賀日に垣間見た親子、家族の群れ。
人はいつの時代にも家族単位で過ごすことに幸せを見出す。
独身同士が「ルームシェア」なる擬似家族を構成しても、それはあくまで「擬態」でしかない。
いざという時の結束は血の繋がった親子とは比較にもならないだろう。
何よりも己の遺伝子を未来に託す事が出来る。
己の身体は「老い」という絶対的宿命で縛られている。この掟からは誰も逃れられない。
50を過ぎれば後の人生は付録に過ぎない。
己の遺伝子を残せぬまま付録に突入して悟る、ただ老い朽ちて何も残せなかったという「絶望と恐怖」。

おそらく、遅かれ早かれこの「絶望と恐怖」が社会全体を揺り動かして、価値観の大転換が来る予感がする。
若者は独身高齢者たちの惨めな老後を察知し、結婚と出産、子育てこそが「真の幸せ」と悟って、スーパーベビーブームが到来するかもしれない。
偏りすぎた少子高齢化は種を滅ぼす。
それは恒常性に反する訳だから、必ずや反動が来よう。
どんな事象にもホメオスタシスは発動する。

自分が唯一、将来に向けて出来る事は「こんな惨めな高齢者になってはいけない」という警鐘を若年層に訴える事だ。
次世代を育む事。
そんな当たり前な事すら、自分たちは忘れていたのだ。



あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/