『素晴らしき哉、人生!』という映画
映像鑑賞
先日、NHKBSで『素晴らしき哉、人生!』という1946年に制作されたアメリカ映画を見る。
といってもラスト30分位をぼうっと眺めていただけなのだが。
主人公が「自分が存在しなかったもう一つの世界」を垣間見て「現実」の有り難味を知るとか、そんな話だったと思う。
一種のSFなのだが雰囲気もよく、第2次世界大戦直後の「古きよきアメリカ」を想起させて暫く見入っていた。
その「自分が存在しない世界」とは何なのか?
この映画では、自分との出会いがなかったことで様々な人間が不幸になってしまう世界を描いている。
要するに人は一人では生きて行けず、徳を積み、助け合う事が如何に大切であるかということを訴えたかったのだろう。
人徳こそ生きる術であると。
但し、主人公は妻子があり、娘息子に囲まれて幸せな家庭を築いているというのが前提だ。
そのレベルの甲斐性があってこそ、語れる人生論なのだろう。
それ以前の、今で言うニート、ヒキコモリ、低所得独身男性にとっては余りにもハードルが高すぎる。
そんな彼らが「自分の存在しない世界」に行ったところで何にも変わっていないだろう。
力のない人間は誰かを助ける事も美しい妻を娶ることも、ましてや未来に遺伝子を残す事すら出来ない。
だから徳を積む機会もなく、誰に影響を与えるきっかけすらもない。
すなわち己が存在しようがするまいが世の中は何にも変わらないのだ。
むしろ「社会のお荷物」として「自分の存在しない世界」のほうが「世界」にとっては幸いなのかもしれない。
何とも空しい事だ。
だからこの『素晴らしき哉、人生!』は終身雇用と専業主婦を獲得した者のみが享受出来る映画なのだ。
アメリカではこの映画をクリスマスイブに家族揃って観賞するのが定番だそうだ。
家族愛を改めて確認し、それが幸せの誠のカタチなんだとかみ締める。
美しき妻は囁く。
「あなたがいて幸せよ」
可愛い娘はいう。
「パパ!大好き!」
これが幸せのカタチでなくして何であろうか?
だが、日本のニート、ヒキコモリ、低所得独身男性にとっては心痛む映画でしかない。
妻も子供もおらず、やがて一人ぼっちで死んでいくしかない人生。
そうだ。この現実こそが「自分の存在しない世界」そのものではないか?
もしかすると己は2級天使によって、その絶望世界に置いてきぼりにされているのだ。
橋の上で凍てついた河を眺めていても「幸せな現実」には戻れない。
なぜならそんな「現実」は最初から存在しないのだから。
唯一、自分のせいで不幸に陥る人がいないことを幸いに思うことがせめてもの救いになろうか。
人は徳を積まねばならぬ。
だがそれには力が必要だ。
力のないものは徳も積めず誰かを幸せにする事も出来ないし、妻を娶ることも難しい。
徳を積めぬ者に「すばらしき人生」はやってこない。
この作品は「人生の勝利者」のためにのみに微笑む。
きょうはクリスマスイブ。
といってもラスト30分位をぼうっと眺めていただけなのだが。
主人公が「自分が存在しなかったもう一つの世界」を垣間見て「現実」の有り難味を知るとか、そんな話だったと思う。
一種のSFなのだが雰囲気もよく、第2次世界大戦直後の「古きよきアメリカ」を想起させて暫く見入っていた。
その「自分が存在しない世界」とは何なのか?
この映画では、自分との出会いがなかったことで様々な人間が不幸になってしまう世界を描いている。
要するに人は一人では生きて行けず、徳を積み、助け合う事が如何に大切であるかということを訴えたかったのだろう。
人徳こそ生きる術であると。
但し、主人公は妻子があり、娘息子に囲まれて幸せな家庭を築いているというのが前提だ。
そのレベルの甲斐性があってこそ、語れる人生論なのだろう。
それ以前の、今で言うニート、ヒキコモリ、低所得独身男性にとっては余りにもハードルが高すぎる。
そんな彼らが「自分の存在しない世界」に行ったところで何にも変わっていないだろう。
力のない人間は誰かを助ける事も美しい妻を娶ることも、ましてや未来に遺伝子を残す事すら出来ない。
だから徳を積む機会もなく、誰に影響を与えるきっかけすらもない。
すなわち己が存在しようがするまいが世の中は何にも変わらないのだ。
むしろ「社会のお荷物」として「自分の存在しない世界」のほうが「世界」にとっては幸いなのかもしれない。
何とも空しい事だ。
だからこの『素晴らしき哉、人生!』は終身雇用と専業主婦を獲得した者のみが享受出来る映画なのだ。
アメリカではこの映画をクリスマスイブに家族揃って観賞するのが定番だそうだ。
家族愛を改めて確認し、それが幸せの誠のカタチなんだとかみ締める。
美しき妻は囁く。
「あなたがいて幸せよ」
可愛い娘はいう。
「パパ!大好き!」
これが幸せのカタチでなくして何であろうか?
だが、日本のニート、ヒキコモリ、低所得独身男性にとっては心痛む映画でしかない。
妻も子供もおらず、やがて一人ぼっちで死んでいくしかない人生。
そうだ。この現実こそが「自分の存在しない世界」そのものではないか?
もしかすると己は2級天使によって、その絶望世界に置いてきぼりにされているのだ。
橋の上で凍てついた河を眺めていても「幸せな現実」には戻れない。
なぜならそんな「現実」は最初から存在しないのだから。
唯一、自分のせいで不幸に陥る人がいないことを幸いに思うことがせめてもの救いになろうか。
人は徳を積まねばならぬ。
だがそれには力が必要だ。
力のないものは徳も積めず誰かを幸せにする事も出来ないし、妻を娶ることも難しい。
徳を積めぬ者に「すばらしき人生」はやってこない。
この作品は「人生の勝利者」のためにのみに微笑む。
きょうはクリスマスイブ。