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『ゴティックメード』と『イバラード』

映像鑑賞
12 /07 2012
先日、『ゴティックメード』というアニメ映画を見る。
『ファイブスター物語』を描いている人が制作したらしい。
自分はこの作品をまったく読んでおらず作者の事や予備知識もなかったがファンの人に誘われて観た。
世界観の詳細もそのファンの人に教えてもらった。
ただアニメ雑誌や模型雑誌を捲るたびに必ずこのロボット(?)の記事が載っているので恐らく長期に渡って商業的にもペイする程のマニアックなファンに支持されている事は知っていた。
映画の印象としては1980年代の自主制作SFアニメを彷彿とさせた。
何だか懐かしいテイストだ。

時期を同じくして『イバラード』で有名な井上直久の複製版画展が吉祥寺のギャラリーで開催されていたので覗いて観る。
宮崎駿のアニメ『耳をすませば』劇中にも出てきたから知っている人も多いだろう。
この世界観も独特でイバラードを描いた絵がたくさん展示されていた。
ちょうど中学生位の少女の親子連れがその複製版画を購入しているのを見かけた。
世代を超えてファンがいるのだろう。

『ファイブスター物語』も『イバラード』も作者が生涯をかけて己の妄想を具現化させた創造物だ。
恐らく誰から頼まれたものでもなく、自分から湧き出した「何か」によって描き続けているのだ。
漫画やイラストに限らず、真のクリエーターとはこういうものなのだろう。

創作とはアートの神が人の身体を借り、それを憑代としてこの世に奇跡を体現せしめるものだ。
心の琴線に触れる表現物を作り出せる者は必ず神が憑依している。
常にアートの神とのチャネリングを維持出来る能力を有すること。
それが創作者として成功の証だ。
そのような「神に選ばれし者」にとって浮世の出来事など意味を持たない。
ひたすら描くことのみに喜びを得る。
それが人生の全てだからだ。
たとえ貧相であろうと己の妄想に忠実であらんとするところに己のアイデンティティーがある。
さすれば一般の勤労者が背負う重苦しい世俗の掟に塗れる事もない。
真のクリエーターたる「神に選ばれし者」は描くことの喜びのみによって生きていく事が出来るのだ。

恐らく、上記のクリエーター二名もアートの神が憑依しているに違いない。
また、ヘンリー・ダーガーもその「神に選ばれし者」の一人だろう。
一つの「物語」をひたすら描き続け、それが少なくはない人々の琴線を響かせることが出来る。
紙と鉛筆さえあれば人生は薔薇色となろう。

だが、クリエーター全てに神が憑依する訳ではない。
描くことよりも「人に認められること」が先行してはならない。
そのような俗世の成功だけを夢見る者に神は微笑まない。
いずれアートの神から見放され、俗世の荒波の中に堕ち、惨めな最後を迎えなければならないだろう。

クリエーターなる者はそもそも俗世での成功とは最も無縁の生業。
安定した収入や貯蓄、安泰な老後など望むべくもない。
死ぬまで描き続ける事が定め。
だから描く事、表現する事に喜びを感じる者だけが天国への道に歩み出ることが出来る。
ひたすら描き続ける事以外、己の存在をこの世に知らしめる術はないのだ。

生涯を通じて己の妄想に忠実であれ。
己の妄想を信じられなくなったら「おしまい」である。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/