「特撮博物館」展を見る
旅、訪問記
東京都現代美術館で開催されている「特撮博物館」を観に行く。
今年は気分的にこの手のイベントに対する意欲が湧かず、知り合いから誘われても暫くその気になれなかった。
己の生業として「見せる方」の立場にならねばいけないのに、この期に及んでお金を払って「見る側」に甘んじなければならぬ状況も腰を重くしていた。
とはいえ、会期が迫ってもうすぐ終りとなると、行こうと思えばいけたのに行かなかった事でまた煮え切らない気持ちを引きずるのは目に見えている。
どっちにしろ後悔するのであれば「行って後悔する」ほうがマシだと思い、突如思い立って10月6日に一人で足を運んだ。
会期末3連休を考えれば激混みは予想される。なので出来るだけ早く入場してさっさと片付けてしまおうと考え、開場1時間前の9時に美術館へ赴く。

多少の行列はあったがすでに入場は開始されており、10分も待たずに入ることが出来た。
予想に反し、客層は大半が家族連れである。
年配ヲタ系独身男子ばかりかと予想していたので意外だった。
よくよく考えてみると後援はスタジオジブリや大手テレビ局なので「リア充」に開かれたイベントになっていたのだ。
それはさておき、場内にはかつて日本の特撮映画に使われていた様々な模型、セットが所狭しと展示されている。
しかし、自分が気になったのは展示物よりも「館長」であるA氏のイラストが描かれたポップのほうだった。
ステイタスを獲得し、娶った妻が描いたと思われるA氏のイラストが誇らしげに掲げられているそのポップを見る度に、己の惨めな立場を改めて確認し、ガックリと肩を落とすのだ。
まったく何のために来たのか・・。
そんなネガティブ思考が影響したのか、昔の特撮ミニチュアもただの色褪せた骨董品にしか見えず、己の心の濁りが恨めしい。
『マイティージャック』も子供の頃、家に一台しかなかったテレビを家族囲んで見ていたのを思い出し、今の己には家族がいないという劣等感が炙り出されてくるだけ。
全然楽しくないのだ。
結局、自分は「人生の敗北者」として歳を取っただけなんだ。もう昔の特撮を観たところで血沸き肉踊る事もない。
かといって父親として子供に夢を提供する立場にもなれない。
嗚呼、なんて惨めなんだ。
自分もやがてこの特撮ミニチュアや小道具のようにお蔵入りの運命なのだと・・。
いや、まだこの特撮ミニチュアのほうが幸せなのだ。こうして人に見てもらえるじゃないか。
色褪せ、錆付き、埃塗れでも特撮ミニチュア、小道具は将来日本のコンテンツの原点としてどこかに保存されていくだろう。
しかし「人生の敗北者」は社会のお荷物として捨てられるだけなのだ。
そんな沈んだ想いで歩みを進めると短編映画のコーナーへ。
お題は『巨神兵、東京に現る』。
巨神兵は宮崎駿原作の「風の谷のナウシカ」に出てきたバケモノだ。
頭部の模型が会場の外に飾ってあった。

巨神兵の来襲をCGなしに古典的特撮のみで作るというコンセプトの10分ほどの短編。
綾波レイ役の声優がなにやらブツブツ語っている。それが何だかとってもしんどくて辛くなっていく。
ここでもやはり、なぜ自分は「作り手」として此処にいないのかということばかり気になってまったく見ていて楽しくない。
辛い辛い・・嗚呼辛い。
上映コーナーを過ぎると、この短編映画のメイキングエリアに出る。
楽しそうに作っているなあ。
造る事を生業とするのは楽しいなあ。
それが思いどうりにならないのはしんどいなあ等と考えるだけ。
またもや己の境遇と比較してしまい、楽しめない。
最後のエリアは「特撮ステージミニチュアセット」。
ここだけ撮影可能。
魚眼レンズを持参したのでいろいろ撮ってみる。

やはり自分で構図を決めて自分なりの「絵」を作るのは楽しい。でも所詮は他者が作ったミニチュアを撮っているだけ。他の一般客と同じなのだ。
まだ親子連れの方が救われよう。子供をフレームに収めて撮るほうが余ほど健康的だ。
結婚も出来ず子供を設けることも出来ない50代男が必死になって特撮ステージを撮っている姿は惨めでしかない。
それを考えるとまたもやガックリとなり、頭を垂れて退場する。
展示エリアを抜けると物品販売コーナー。
抜かりなく散財させるトラップが満載である。
海洋堂巨神兵500円カプセルトイなどスルー出来る訳がない。他にも限定フィギュアなど「これでもか」という程に財布からお金を吸い出すシステムが完璧に作動するよう出来ている。
ここでもなぜ自分は「トラップを仕掛ける立場にいないのだ?」と己を激しく叱責しつつ、カプセルトイ販売機のダイヤルをぐるぐる回しているのだ。
嗚呼!何と惨めな事が!
正午前に閲覧終了して会場の外に出る。
いつの間にか入場ゲート前は物凄い人波。「50分待ち」のプラカードが掲げられている。

取りあえず早めに来たのは正解だった。
メンタル面のコンディションがよかったらもっとじっくり見て楽しめたろうが、今回は取りあえず「行って後悔する」だけでも良しとしたので目的は達成出来たと己に言い聞かせる。
木場公園を一人トボトボ地下鉄の駅に向かいながら思うのだ。
「マイティージャックを見ていたあの頃、その40余年後の21世紀に己が如何なる人間に至ったかを知ったら当時の自分は愕然とするだろうな」。
嗚呼、虚しきぞ人生。
今年は気分的にこの手のイベントに対する意欲が湧かず、知り合いから誘われても暫くその気になれなかった。
己の生業として「見せる方」の立場にならねばいけないのに、この期に及んでお金を払って「見る側」に甘んじなければならぬ状況も腰を重くしていた。
とはいえ、会期が迫ってもうすぐ終りとなると、行こうと思えばいけたのに行かなかった事でまた煮え切らない気持ちを引きずるのは目に見えている。
どっちにしろ後悔するのであれば「行って後悔する」ほうがマシだと思い、突如思い立って10月6日に一人で足を運んだ。
会期末3連休を考えれば激混みは予想される。なので出来るだけ早く入場してさっさと片付けてしまおうと考え、開場1時間前の9時に美術館へ赴く。

多少の行列はあったがすでに入場は開始されており、10分も待たずに入ることが出来た。
予想に反し、客層は大半が家族連れである。
年配ヲタ系独身男子ばかりかと予想していたので意外だった。
よくよく考えてみると後援はスタジオジブリや大手テレビ局なので「リア充」に開かれたイベントになっていたのだ。
それはさておき、場内にはかつて日本の特撮映画に使われていた様々な模型、セットが所狭しと展示されている。
しかし、自分が気になったのは展示物よりも「館長」であるA氏のイラストが描かれたポップのほうだった。
ステイタスを獲得し、娶った妻が描いたと思われるA氏のイラストが誇らしげに掲げられているそのポップを見る度に、己の惨めな立場を改めて確認し、ガックリと肩を落とすのだ。
まったく何のために来たのか・・。
そんなネガティブ思考が影響したのか、昔の特撮ミニチュアもただの色褪せた骨董品にしか見えず、己の心の濁りが恨めしい。
『マイティージャック』も子供の頃、家に一台しかなかったテレビを家族囲んで見ていたのを思い出し、今の己には家族がいないという劣等感が炙り出されてくるだけ。
全然楽しくないのだ。
結局、自分は「人生の敗北者」として歳を取っただけなんだ。もう昔の特撮を観たところで血沸き肉踊る事もない。
かといって父親として子供に夢を提供する立場にもなれない。
嗚呼、なんて惨めなんだ。
自分もやがてこの特撮ミニチュアや小道具のようにお蔵入りの運命なのだと・・。
いや、まだこの特撮ミニチュアのほうが幸せなのだ。こうして人に見てもらえるじゃないか。
色褪せ、錆付き、埃塗れでも特撮ミニチュア、小道具は将来日本のコンテンツの原点としてどこかに保存されていくだろう。
しかし「人生の敗北者」は社会のお荷物として捨てられるだけなのだ。
そんな沈んだ想いで歩みを進めると短編映画のコーナーへ。
お題は『巨神兵、東京に現る』。
巨神兵は宮崎駿原作の「風の谷のナウシカ」に出てきたバケモノだ。
頭部の模型が会場の外に飾ってあった。


巨神兵の来襲をCGなしに古典的特撮のみで作るというコンセプトの10分ほどの短編。
綾波レイ役の声優がなにやらブツブツ語っている。それが何だかとってもしんどくて辛くなっていく。
ここでもやはり、なぜ自分は「作り手」として此処にいないのかということばかり気になってまったく見ていて楽しくない。
辛い辛い・・嗚呼辛い。
上映コーナーを過ぎると、この短編映画のメイキングエリアに出る。
楽しそうに作っているなあ。
造る事を生業とするのは楽しいなあ。
それが思いどうりにならないのはしんどいなあ等と考えるだけ。
またもや己の境遇と比較してしまい、楽しめない。
最後のエリアは「特撮ステージミニチュアセット」。
ここだけ撮影可能。
魚眼レンズを持参したのでいろいろ撮ってみる。

















やはり自分で構図を決めて自分なりの「絵」を作るのは楽しい。でも所詮は他者が作ったミニチュアを撮っているだけ。他の一般客と同じなのだ。
まだ親子連れの方が救われよう。子供をフレームに収めて撮るほうが余ほど健康的だ。
結婚も出来ず子供を設けることも出来ない50代男が必死になって特撮ステージを撮っている姿は惨めでしかない。
それを考えるとまたもやガックリとなり、頭を垂れて退場する。
展示エリアを抜けると物品販売コーナー。
抜かりなく散財させるトラップが満載である。
海洋堂巨神兵500円カプセルトイなどスルー出来る訳がない。他にも限定フィギュアなど「これでもか」という程に財布からお金を吸い出すシステムが完璧に作動するよう出来ている。
ここでもなぜ自分は「トラップを仕掛ける立場にいないのだ?」と己を激しく叱責しつつ、カプセルトイ販売機のダイヤルをぐるぐる回しているのだ。
嗚呼!何と惨めな事が!
正午前に閲覧終了して会場の外に出る。
いつの間にか入場ゲート前は物凄い人波。「50分待ち」のプラカードが掲げられている。

取りあえず早めに来たのは正解だった。
メンタル面のコンディションがよかったらもっとじっくり見て楽しめたろうが、今回は取りあえず「行って後悔する」だけでも良しとしたので目的は達成出来たと己に言い聞かせる。
木場公園を一人トボトボ地下鉄の駅に向かいながら思うのだ。
「マイティージャックを見ていたあの頃、その40余年後の21世紀に己が如何なる人間に至ったかを知ったら当時の自分は愕然とするだろうな」。
嗚呼、虚しきぞ人生。