妄想の墓場
創作活動
3ヶ月ほど前のことだったか、あるゲームコミカライズ企画頓挫の事を記した。
その経緯についてはすでにその日記で述べたので今回は略す。
その際に描いた様々な設定イラストやテキストはこのまま陽の目を見ぬまま、書棚やハードディスクの中に埋もれつつある。
原作モノ故に、それらを改めて商業誌で発表することも出来ない。
だからこのまま誰の目にも触れぬまま、時の果てで朽ちてしまうしかないのだろう。
哀れな設定イラストたちは「妄想の墓場」に埋葬されて、無に帰っていく。
だが、それでは余りにも忍びない。
妄想の具現化は漫画家にとって実の子供を産むのと同じ。
たとえ原作モノといえど、純粋なオリジナル部分は存在する。
そこで基本、自分が描いた設定画やコンセプト、キャラクター設定の一部をここで紹介しておこうと思う。
大願成就せずに死んでいった子供に対する親のせめてもの追悼の意に近いかも知れぬ。
コミカライズの元になったゲームは近未来戦争を描いたニッチな作品。
作品名は今回も伏せておく。またゲーム自体に使われている固有名詞なども隠しておく。
もっともイラストを見れば大凡解る人も多かろうが自分からは公表しない。
まず作家選定にあたり、メカニックのイラストが欲しいという事でいくつか元設定図から描き起こし提出した作品がこれ。

これが通ってコミカライズ担当が本決まりとなる。
このゲームはどちらかというと海外ユーザー向けに作られていて日本人にはあまり馴染みのない内容。
舞台も全て海外で日本は描かれていない。
だから日本の漫画読者向けにコミカライズするには、舞台設定も日本にする必要があったと考えた。
企画段階で東京周辺を舞台にしたいと最初に提案したのは自分のほうだったと思うが、いつのまにか企画元もそういう方向に落ち着いて進行していったと記憶する。
まあ舞台を日本にするというのは、必然的な流れだったのかもしれないし、その設定に己のオリジナリティーが在るか否かは難しいところだ。
それはさておき、企画元は当初、東日本の現存するある場所を舞台設定として提案してきた。
様々な企画の同時進行で将来の映像化も踏まえてそういう設定になったのかもしれないが、定かな事は知らない。
でも何となく指定された地域のイメージが湧かなかったので自分独自の場面設定を考案した。
具体的には湾岸お〇場→秋〇原→東京ス〇イツリー→新〇→立〇周辺→高〇山と首都圏をほぼJR中〇線沿いに進行する展開である。
一応、その提案が通ってそれに基づいたストーリープロットを構築していった。
大まかなストーリーはこうだ。
「ある勢力に支配された日本。自由を求める人々はアメリカと協力して本土を奪還すべく日本独立軍を創設する。お台〇辺りから上陸した独立軍はそこに橋頭堡を築いて首都圏解放に向けて前進。しかしその先には予想外の脅威が。目標とする高〇山地下には何が隠されているのか・・・」
この辺りの細かな場面設定構想は自分のオリジナルと考えてよいかもしれない。
また、キャラクター設定や時代設定もゲーム元からコミカライズに合わせ、オリジナル化を求められた。
提示された基本コンセプトは主人公の少年と、ある状況で囚われの身になっている少女との交流。
これに沿ってオリジナルのサブキャラクターを加える。全て日本人だ。
キャラクターデザインははすべて自分の発想から産み出した。
少年の属する部隊の隊長。同僚の老隊員とDQN隊員、隊長の愛人である若い女性隊員にヲタク系歩兵2人。主人公を慕う看護兵少女等。
比較的サブカルチャーっぽくて青年誌にあるような性格付けだったので企画元からはあまり受けはよくなかったが。
その中から自分が考案して描いた主人公とヒロイン役の少女、そして隊長役他何人かのラフキャラ設定図を紹介する。

これらを元に制作された第1話の絵コンテ兼下書きが以下である。
全24Pのうちの前半部分の戦闘シーンを紹介する。

これらは全てペン入れ直前に企画がキャンセルされ、今後仕上がることはないものだ。
すべて妄想の墓場、お倉入りである。
商業企画故に様々な条件が重なって頓挫する事は致し方ない。
作風、執筆速度、考え方の相違、「売れ筋」か否か。
商売として成立しなければいくら己が納得しても採用されないのは世の常。
そのことに異を唱える気は更々ない。
単に「自分の力不足」故である。
ただ、企画元の判断を下すタイミングがあまりにも理不尽という感は否めない。
連載初頭に発表予定だった唯一の完成原稿であるカラーイラスト脱稿後に企画中止を告げられるのはどんなタフな漫画家でも平然ではいられまい。
即出だがその完成カラーイラストも紹介する。
これも無論、没である。因みにタイトルは『暁の哨戒』。

しかしコミカライズ作品と言えど、己の妄想で構築したオリジナル設定、キャラクター、プロット、ストーリーは存在する。
その事実はしっかりと残し、公にしておかなければいけない。
それが漫画家として最低限の「己の創作物の遺骸」に対する丁重な埋葬様式だと思う。
ゲーム作品を漫画化するという企画の性格上、自分のオリジナル部分が何処までなのかというのは難しいが、少なくとも上記のイラスト、プロット、絵コンテ等は基本自分がイメージ考案した分野に限って紹介したつもりである。
仮にこの企画が別の作家の下で立ち上がったとしても、それはもう自分の関知するものではない。
恐らく作風もストーリーもまったく別物に仕上がる事だろう。
万一、自分の考えたプロットに近いコミカライズになったとしてもこちらに発言権はなかろう。
もっとも首都圏を舞台にする発想自体、差ほど突飛でも独創的でもない。つまり誰もが思いつくのだから、自分のオリジナルプロットが流用されているか否かすら判断もつくまい。
但し、個別のストーリーにおいての場面設定、展開、キャラクターが詳細な部分まで酷似した場合はどうなのだろう?
その場合は「前任者の創作したオリジナルプロットの流用」と判断出来るかも知れない。
事情の知らない作家に罪はないが、発注した企画元の良識は問われてしかるべきだとは思う。
知人に相談してみたが「仮にこういうケースが発生した場合は企画元からその旨一言くらい承諾の連絡があってしかるべき」との意見ももらった。
現在のところそのような連絡は来ていない。
願わくば「完全流用」でのコミカライズ再起動はないと信じたい。
いずれにせよ、あらゆる創作企画は今回のように人知れずに「妄想の墓場」の上に成り立っている事を知ってほしい。
暑い中を遙々ロケハンして回った苦労も全て水泡に帰すのだ。
陽の目を見ない無数の設定図、打ち捨てられたキャラクター、ストーリー等。
全ては虚無の果てに消えていく。
書棚に並ぶコミックスはこれら無数の遺骸の上に成り立っているのだよ。
その経緯についてはすでにその日記で述べたので今回は略す。
その際に描いた様々な設定イラストやテキストはこのまま陽の目を見ぬまま、書棚やハードディスクの中に埋もれつつある。
原作モノ故に、それらを改めて商業誌で発表することも出来ない。
だからこのまま誰の目にも触れぬまま、時の果てで朽ちてしまうしかないのだろう。
哀れな設定イラストたちは「妄想の墓場」に埋葬されて、無に帰っていく。
だが、それでは余りにも忍びない。
妄想の具現化は漫画家にとって実の子供を産むのと同じ。
たとえ原作モノといえど、純粋なオリジナル部分は存在する。
そこで基本、自分が描いた設定画やコンセプト、キャラクター設定の一部をここで紹介しておこうと思う。
大願成就せずに死んでいった子供に対する親のせめてもの追悼の意に近いかも知れぬ。
コミカライズの元になったゲームは近未来戦争を描いたニッチな作品。
作品名は今回も伏せておく。またゲーム自体に使われている固有名詞なども隠しておく。
もっともイラストを見れば大凡解る人も多かろうが自分からは公表しない。
まず作家選定にあたり、メカニックのイラストが欲しいという事でいくつか元設定図から描き起こし提出した作品がこれ。




これが通ってコミカライズ担当が本決まりとなる。
このゲームはどちらかというと海外ユーザー向けに作られていて日本人にはあまり馴染みのない内容。
舞台も全て海外で日本は描かれていない。
だから日本の漫画読者向けにコミカライズするには、舞台設定も日本にする必要があったと考えた。
企画段階で東京周辺を舞台にしたいと最初に提案したのは自分のほうだったと思うが、いつのまにか企画元もそういう方向に落ち着いて進行していったと記憶する。
まあ舞台を日本にするというのは、必然的な流れだったのかもしれないし、その設定に己のオリジナリティーが在るか否かは難しいところだ。
それはさておき、企画元は当初、東日本の現存するある場所を舞台設定として提案してきた。
様々な企画の同時進行で将来の映像化も踏まえてそういう設定になったのかもしれないが、定かな事は知らない。
でも何となく指定された地域のイメージが湧かなかったので自分独自の場面設定を考案した。
具体的には湾岸お〇場→秋〇原→東京ス〇イツリー→新〇→立〇周辺→高〇山と首都圏をほぼJR中〇線沿いに進行する展開である。
一応、その提案が通ってそれに基づいたストーリープロットを構築していった。
大まかなストーリーはこうだ。
「ある勢力に支配された日本。自由を求める人々はアメリカと協力して本土を奪還すべく日本独立軍を創設する。お台〇辺りから上陸した独立軍はそこに橋頭堡を築いて首都圏解放に向けて前進。しかしその先には予想外の脅威が。目標とする高〇山地下には何が隠されているのか・・・」
この辺りの細かな場面設定構想は自分のオリジナルと考えてよいかもしれない。
また、キャラクター設定や時代設定もゲーム元からコミカライズに合わせ、オリジナル化を求められた。
提示された基本コンセプトは主人公の少年と、ある状況で囚われの身になっている少女との交流。
これに沿ってオリジナルのサブキャラクターを加える。全て日本人だ。
キャラクターデザインははすべて自分の発想から産み出した。
少年の属する部隊の隊長。同僚の老隊員とDQN隊員、隊長の愛人である若い女性隊員にヲタク系歩兵2人。主人公を慕う看護兵少女等。
比較的サブカルチャーっぽくて青年誌にあるような性格付けだったので企画元からはあまり受けはよくなかったが。
その中から自分が考案して描いた主人公とヒロイン役の少女、そして隊長役他何人かのラフキャラ設定図を紹介する。








これらを元に制作された第1話の絵コンテ兼下書きが以下である。
全24Pのうちの前半部分の戦闘シーンを紹介する。










これらは全てペン入れ直前に企画がキャンセルされ、今後仕上がることはないものだ。
すべて妄想の墓場、お倉入りである。
商業企画故に様々な条件が重なって頓挫する事は致し方ない。
作風、執筆速度、考え方の相違、「売れ筋」か否か。
商売として成立しなければいくら己が納得しても採用されないのは世の常。
そのことに異を唱える気は更々ない。
単に「自分の力不足」故である。
ただ、企画元の判断を下すタイミングがあまりにも理不尽という感は否めない。
連載初頭に発表予定だった唯一の完成原稿であるカラーイラスト脱稿後に企画中止を告げられるのはどんなタフな漫画家でも平然ではいられまい。
即出だがその完成カラーイラストも紹介する。
これも無論、没である。因みにタイトルは『暁の哨戒』。

しかしコミカライズ作品と言えど、己の妄想で構築したオリジナル設定、キャラクター、プロット、ストーリーは存在する。
その事実はしっかりと残し、公にしておかなければいけない。
それが漫画家として最低限の「己の創作物の遺骸」に対する丁重な埋葬様式だと思う。
ゲーム作品を漫画化するという企画の性格上、自分のオリジナル部分が何処までなのかというのは難しいが、少なくとも上記のイラスト、プロット、絵コンテ等は基本自分がイメージ考案した分野に限って紹介したつもりである。
仮にこの企画が別の作家の下で立ち上がったとしても、それはもう自分の関知するものではない。
恐らく作風もストーリーもまったく別物に仕上がる事だろう。
万一、自分の考えたプロットに近いコミカライズになったとしてもこちらに発言権はなかろう。
もっとも首都圏を舞台にする発想自体、差ほど突飛でも独創的でもない。つまり誰もが思いつくのだから、自分のオリジナルプロットが流用されているか否かすら判断もつくまい。
但し、個別のストーリーにおいての場面設定、展開、キャラクターが詳細な部分まで酷似した場合はどうなのだろう?
その場合は「前任者の創作したオリジナルプロットの流用」と判断出来るかも知れない。
事情の知らない作家に罪はないが、発注した企画元の良識は問われてしかるべきだとは思う。
知人に相談してみたが「仮にこういうケースが発生した場合は企画元からその旨一言くらい承諾の連絡があってしかるべき」との意見ももらった。
現在のところそのような連絡は来ていない。
願わくば「完全流用」でのコミカライズ再起動はないと信じたい。
いずれにせよ、あらゆる創作企画は今回のように人知れずに「妄想の墓場」の上に成り立っている事を知ってほしい。
暑い中を遙々ロケハンして回った苦労も全て水泡に帰すのだ。
陽の目を見ない無数の設定図、打ち捨てられたキャラクター、ストーリー等。
全ては虚無の果てに消えていく。
書棚に並ぶコミックスはこれら無数の遺骸の上に成り立っているのだよ。