「貧すれば鈍す」と「金持ち喧嘩せず」

日常
08 /28 2012
暑さに喘ぎ、電車のつり革に摑まっていると、ふと戸袋広告が視野に入った。
何かの本の宣伝らしい。
貧乏になる男と金持ちになる男の差みたいな事が書かれていた気がする。
その中でこんなのがあった。
「貧乏になる男は仕事を嫌々ながらするものと思っているが、金持ちになる男は大好きな事で稼いでいる」
正確な文言は忘れたが、まあこんな主旨の事が記されていた。

好きなことで稼げるというのは、如何なる事か?
それはその人が人生において成功している証なのだろう。
才能、運に恵まれ、更に血統や家柄もよく、代々裕福な家系に生まれれば自ずと「好きなこと」をして稼げるのは自明の理。
お金があれば余裕も出来、人間としても懐が広くなる。
すれば人徳も得られ、ますます稼げる道が開ける。
一方、環境に恵まれなかったり、才能や運に無縁だった者にとって「好きなこと」は夢でしかない。
齷齪働いても大した稼ぎもなく、貧困がますます自分を卑屈に追い込み、更に幸運や成功から見放されていく。
「貧すれば鈍す」のである。
この宣伝広告に推された本が如何なる類なものなのかは知らない。
だが、結局のところ生まれながらに人生は決まっており、類稀な幸運や才能を持ち合わせていない限り、貧困は連鎖していくもの。この本を読んだところで稼げない者が「好きなこと」で富を得る事はありえないし、成功者が敢えて嫌々ながら仕事をする事もありそうにない。
これはお金だけの問題ではない。
恋愛においても本質は同じ。もてる人間は好きなことをしながら恋愛を成就させていくが、もてない人間は嫌々ながら自分を変えようとして自己否定の道を歩み、ますます卑屈になって異性から縁が遠のいていく。
これもまた「貧すれば鈍す」のである。

ではどうしたらいいのだろう?
要は稼げない者は無理して稼ぐ必要はないのである。
もてない者は異性と縁を持とうなんて欲は捨てればよい。
極力金銭と異性とは縁のない生き方を選択すればよい話。
所詮、お金は天下の周りもの。
一部の恵まれた人間を除けば、お金は単なる生活の潤滑油でありさえすればよい。
最低限のお金さえあれば何とか生きていけるはずだ。
異性欲望だってガス抜きのアイテムはいくらでも転がっている。
俗欲を捨て慎ましく生きようとすれば自ずと光が見えてくるものだ。

今日ほど嫌々ながら稼ぐ人生が空しく感じる時代はなかろう。
一昔前であれば、当たり前の通過儀礼として結婚、子育てがあった。
そのために人は今よりも過酷な労働条件で働くことを強いられた。
しかし、妻を娶り次世代を育むという明確な「生きる衝動」があったことは、ある意味幸せだったのだ。
嫌々ながら働いても、ちゃんと報われたのだからね。
高度成長期中産階級男性は猛烈に働く事が寧ろ「好き」だったのだ。

しかし、今は違う。
妻も娶れず、遺伝子も残せない男たち。
ただ、己を食い繋げるために勤労するだけ。家に帰っても暖かい団欒はない。
孤独に布団に潜り込んで寂しい人生をすり減らすだけだ。
そんなことのために嫌々ながら人格を否定されてまで仕事をする意義などあろうものか。
可愛いのは自分だけなのに、その自分を否定される目的で働く絶対的矛盾。
であれば、そんな辛い何一つ報われない人生のために誰かに扱き使われる謂れはない。
まさに「働いたら負け」である。
であればもう、金銭に振舞わされる俗世を捨てるしかないだろう。

だが、結局のところ、それは皮肉にも「裕福」な人間だけに限られる贅沢であることに気付く。
沢山稼げる者も、世俗を捨てられる者も、結局は「好きなことをして生きられる」稀有な地位にある者だけの専売特許でしかない。
酷く哀しい現実だ。

広告から目を離し、携帯ラジオから流れるニュースに耳を傾ける。
首相が領土問題に対して何やら発言したとかしないとか。

かつて昭和時代の日本外交は今から思えば不器用ながらうまくやっていた。
近隣諸国との領土問題も面子より実を取って均衡を保てていた気がする。
つまりそれを実践出来るだけの財政力が日本にはあったのだ。

いわば「金持ち喧嘩せず」である。

ところが2012年の今、日本財政は末期的状況。
近海海底に眠る豊富な地下資源発見後も十分な領有権主張も出来ぬまま今日に至ってしまった。
近隣諸国はそんな弱みに付け込んで領土主張を大胆不敵に示威行動で訴えてくるようになる。
「金の切れ目が縁の切れ目」のごとく、日本を見下し始めたのだ。

こうして傍から見たら不毛な領土争いが始まった。
恰も貧相な隣人同士が境界線を巡って痴話喧嘩という様相。
「犬も食わない」ような非生産的罵りあいは、いずれろくでもない武力紛争に繋がっていく。
圧倒的な軍事力を持たない日本は遅かれ早かれ、島の領有権を失うだろう。

いつの世も豊かで満たされた者は争いごとなどしない。
お互い傷つく行為は何も産まない事を悟れる余裕があるからだ。
だから「金持ち喧嘩せず」。
しかし、一度貧困に陥れば下らない些細な事で、お互いを傷つけ始める。
道端に落ちたパン切れを巡って取っ組み合いの喧嘩を始めるのだ。
それがこれからの日本。
国も国民も気が付けば皆「貧困ニート」と化していたのだ。
まさに「貧すれば鈍す」の典型だ。
そんな哀れな姿を高級車の後部座席から軽蔑の目で眺めるのは「金持ち」欧米列強の面々であろう。
隣には「成金」中国の姿も居るかも知れぬ。

残された道は「現実逃避」だけ。
お金がない「現実」も、領土が奪われる「現実」もなかったことにすればいい。
幸い、日本はそれがお得意だ。
自衛隊も「軍隊」ではないし、ソープランドも「売春」ではないし、パチンコも「賭博」ではないし、原発事故も「想定外」。
その他、ありとあらゆるものが「なかったこと」に出来る国民である。
膨大な借金も、国土喪失も意識を切り替えれば「なかったことに」に出来よう。
尖閣諸島に五星紅旗が翻っても、あれは「日の丸」だと思い込めば事足りる。
国土を守れない「現実」から「逃避」すれば何でも叶おう。

もう貧乏人に残された道はそれしかないのだ。
領土を守るために命を賭す日本人はどれだけいるか?
ニートが一夜にして勇猛果敢な戦士に生まれ変わるか?
そんなこと誰一人夢にすら思うまい。
もっともこの超少子高齢化の時代。第一線の兵力が消耗した時点で兵員補充は見込めまい。
もう勝負はついている。
軍事的コンセンサスのない日本が表立って行動し始めた時点で敗北は決定的なのだ。
間違っても武器を取って戦おうなんて考えないほうがよい。
それこそ、背後で操る「金持ち」達の思う壺だ。
なけなしの財布から武器を買うお金を払ってくれるのだからね。

勝者は常に冷静で、決して自ら手は出さないものだ。


電車を降りて駅ホームのベンチに佇む。
駅の広告には旧ソ連の突撃銃AK47に似た名前のアイドルグループや韓流スターらしき姿が垣間見れる。
駅前のパチンコ屋は相変わらず盛況らしい。
「現実逃避」の真骨頂だ。

日本人はこれでいいのだ。
こうやって零落れていってダメになるのがお似合いなのだろう。
領土問題だってもしかすると中韓日のジリ貧指導者与党選挙対策の国内向け茶番劇かもしれない。ナショナリズムを煽って国民の人気取りのためのね。
そう考えれば、少しは楽になろう。
もっとも国の行く末を考える余裕すらなくなってきた。
自分自身どうしていくか。
それで精一杯。
頭の中では二つの諺がぐるぐる渦巻き、リピートし続ける。

「貧すれば鈍す」「金持ち喧嘩せず」「貧すれば鈍す」「金持ち喧嘩せず」・・・・。

さて、きょうはどんな「現実逃避」をしようか・・。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/