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新海誠『星を追う子ども』を観る

映像鑑賞
04 /26 2012
先日、新海誠の近作『星を追う子ども』を観た。
こんな作品があったことをまったく知らなかった。
おそらく、あまり話題にならなかったのだろう。
調べてみると昨年の5月頃に劇場公開されていたらしい。
元々、様々な商業作品に対して疎すぎる傾向があったのだが、しかし、新海誠の新作ぐらいは普通にフォロー出来ても不思議ではないのに、なぜか掠りもしなかったのである。

『秒速5センチメートル』から何年経ったのかは知らない。
でも、これほどの才能を持つアニメクリエーターの「新作」を知らなかったとは何ということか。
理由の一つに、公開時が東日本大震災から2ヶ月も経って居らず、アニメどころじゃなかったという事もあろう。
だが、それにしても記憶一つすらないなんて。

『星を追う子ども』の冒頭はいつもの新海作品らしい日本のローカルな土地で、例によって淡くて痛い恋愛抒情詩の空気が漂う。
ところが、突然妙な怪物が出現してきたシーンから、いつもの新海作品とはまったく別の流れに。
てっきり従来の1時間前後で終わる小品と思い込んでいたから吃驚。
全編、宮崎アニメ作品のオマージュ、特に『シュナの旅』を髣髴とさせる流れが随所に見られ、重苦しい生死観をこれでもかと投げかけてくる。
観終わった後の恐怖感というか、精神的に参るようなエンディングは、従来の新海ファンからすると受け入れがたいリアリティーだったかもしれない。
2時間近い上映時間も異例だった。

なぜに新海誠はこのようなダイナミックレンジの広い作品を手掛けたのだろう。
恐らく、いよいよ彼が一部マニアだけを満足させる作品作りから卒業して、一般受けを狙うメジャー進出を目論んだ事は想像に難くない。
それはクリエーターとして必然であり、当然の方向性で間違ってはいない。
彼の作品性から言えば、ジブリ作品をオマージュすることがメジャーへの近道になると誰もが想像出来るし、実際それを目指したのだろう。

でもなぜ、この作品が思ったほど巷の話題に上らず、やはり従来のファンの間のみで語られるに留まってしまったのか?
無論、先に述べた通り、公開が大震災の直後というタイミングの悪さもあったろう。
ただそれだけが原因ではない気がする。
アニメ史に名を残し、作品水準も興行的にも知名度でも申し分ない日本の商業アニメクリエーター、宮崎駿氏や庵野秀明氏。
それと新海誠氏との差は何か?
それは彼に、彼の才能に値するバックボーンが不足しているからではないだろうか?
宮崎駿氏や庵野秀明氏には大手出版社や広告代理店、テレビ局などの巨大資本が支援しているから、広告宣伝戦略の規模が違う。世間に大きなムーヴメントを起し、門外漢の者までも巻き込んで、映画館に足を運ばせる。
一方、新海誠氏には、まだそのようなスケールでプロディースするバックボーンがないため、今もって「自助努力」で頑張らざるを得ないのではないだろうか。

『星を追う子ども』は、宮崎アニメのオマージュだけで彼の長編映画作りの限界を晒した失敗作だと評する者も多い。
しかし、宮崎アニメも庵野作品も基本的には過去の名作を幅広くオマージュしている事に変わりはない。
にも拘らず、なぜ新海誠の新作だけが酷評されるのか。
それこそがバックボーンの規模の差に繋がっているのだろう。
バックボーンの力によって一般視聴者の声が高まれば「過去の作品のオマージュ」なんてどうでもいいのだ。
テレビで誰かが「感動した!」と叫べば、それが評価となって人が人を呼ぶようになる。
宮崎アニメの興行の成功はそこにあるんだと思う。
ところが新海アニメにはそれがないから、いつまでたってもマニア同士の水掛け論に終始し、自己完結した映画評で煮え潰れていくのだ。

『星を追う子ども』は親子や恋人同士で観る作品だ。
彼らにすればジブリ作品に勝るとも劣らない良い余韻を与えてくれるだろう。
「リア充」一般の人にとって過去アニメのオマージュなんてこれっぽっちも気に掛けない。
感動出来ればそれでいいのだ。
『星を追う子ども』は新海誠初の「リア充」向けの作品だったはずだ。
しかし、不幸にも上映時期タイミングの悪さとバックボーンの力不足によって、結局従来のマニアだけの慰みモノになってしまった。
「ココロの痛がり」な独身男性新海ファンにとって『星を追う子ども』は耐え難い要素が多い。
「セカイ系」がリアルな生死観を提示してしまったら、自己が保てない。
「己の死」は語れても「人の死」は恐ろしくて耳を頑なに塞ぐしかなくなる。
一方で「人の死」を直視出来る一般人、「リア充」にこの映画は届かなかった。
このミスマッチが興行大成功とはならない一つの原因だったのだろう。

だが、それもまた新海誠らしさでもあるかもしれない。
新海誠に順風満帆は似合わない。

この作品も本人にしてみれば『秒速5センチメートル』と同じようなナイーブな小品にまとめたかったのかもしれない。事実、作品の前半なんかは従来の新海作品の雰囲気にまとまっていた。
でも途中から何らかの意向が働いたのか、「リア充」向けに針路変更が始まったのだろう。
商業作品というものは元来、そんな様々な意向が働くのが常。
寧ろ自己完結した従来作品より一歩前進と見るべきだ。
惜しむらくは何度も延べるようにプロデュースの弱さが悔やまれる。
新海作品は大手建設会社などのCMにも採用されているから、もはやマイナーではないはずなのだが。
やはり日本経済の器が縮小衰退し、新たな才能を育む土壌がやせ衰えているのだろう。

『星を追う子ども』も、そんな悲しい日本を象徴する作品なのだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/