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「ファイアーボール」に未来が託されていた時代

映像鑑賞
04 /03 2012
なんとなく1950年代アメリカ合衆国核戦略兵器関連の動画を眺める時がある。
動画サイトには当時の実験映像が沢山アップされている。
この頃の核に対する大らかで希望に溢れ、無邪気すぎるほどの寛容さに憧れを抱くのはなぜだろう。
まだ、自分が生まれる前かその前後に、すぐ近くの太平洋上では米軍による大気圏核実験が繰り返されていた。
この実験に参加した科学者、軍人は南洋の長閑な島で炸裂する巨大なファイアーボールに何を見ていたのだろう。
そうだ。未来への可能性だ。
実験参加者の未来に賭ける目的意識とその達成感は現代の比ではない。
日進月歩でアメリカとソ連が核兵器競争と宇宙開発を繰り広げた時代。
それが1950~60年代。
ネガティブな要素を一切考えずにひたすら前を向いて未来に進んでいた冷戦時代。
そのころの核兵器関連映像を見ていると「未来を築くことは如何なる事か」を教えてくれる。
科学技術を手放しで崇拝できた時代。先進国で若者が人口比の大多数を占め、可能性に賭ける事が許された時代。
1950年代に、その術を持ち合わせていたアメリカは、全てを実践することが出来た。
その象徴が大気圏内核実験だろう。
核実験場に様々な実験施設を作り、核戦争の際、如何に生き残るかを真剣に模索する動画も残されている。



彼らに「想定外」はない。
核が落ちてきても生き残れる住宅やシェルター、ライフラインを模索している。
核実験の直後、フォールアウトエリアに剥き身の兵士を行軍させたり、数日後に実験場屋外で食事したりと、この大らかさが1950年代の原動力に繋がっていたのだ。

今でも彼らの大半は普通に生きているのだろう。たとえ何割かの者が放射線によって健康や命の危険に晒されたとしても、さして問題ではなかった。
生き残れる人間が何割かいれば、それでよかったのだ。
もしかするとそれが「生きる」ということではないか?

1年前、東日本大震災で福岡第一原発が被災、放射能汚染が東北関東を覆い、なお状況は進行中である。
4号機の燃料プールが崩壊したら日本は終りということすら騒がれている。

しかし、この1950年代のアメリカ核実験の映像を見ていると、福一レベルで逃げる事しか考えていない今の日本人の臆病さと後ろ向きの姿勢が限りなく空しく感じられる。
多少の犠牲を払っても前に進んだ1950年代のアメリカ。
一方で誰も犠牲者が出ていないのに蜘蛛の子を散らすように逃げる事と核の放棄しか選択肢にない2012年の日本人。
70年以上前の大戦での勝者と敗者の価値観が如実に現れている。

どちらが正しいのかは知らない。
そんなのは「神のみぞ知る」だ。

核兵器と原発の違いはあれど、いずれも放射能の存在が脅威であることに変わりはない。
だが「想定外」のことが起これば逃げるしかないのであれば、それは知恵がないのと同意語だ。
知恵を発揮する意欲がなければ滅びるしかない。
この少子高齢化、人口減の日本に、未来を築くための知恵の結集はもう無理だろう。
ただ、逃げるだけの算段しかないこの国に、将来は存在しない。
未来への可能性を捨てた国に明日はやってこない。
決して。
だからこそ、未来への可能性を実践できた1950年代のアメリカ核実験映像はとても憧れてしまうのである。

「ファイアーボール」に未来が託されていた時代。
もうその日には還れない。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/