1982年「YOU]の頃

報道
08 /05 2009
NHK教育で1982年に放映された若者討論番組「YOU」の第一回放送を放映していた。
タイトル画が大友克洋で司会が糸居重里と青島幸男の娘。
何やらサラリーマンがテーマ。
その頃、大学卒業したら就職するのが当たり前の時代。無論ニートなんて言葉もなかった。
当時、自分は同じように大学卒業したばかりだったが、結局就職なんてものはしないまま。
自分が会社という組織の中では何ら役に立たない人間であることを悟っていたので、他に選択肢はなかったのであるが、この「YOU」を見ていると、当時の「サラリーマンになることが必須」であった時代の空気がひしひしと伝わってきてなんだかザワザワしてくる。
同期でちゃんと就職した者の多くは結婚し、子育てに勤しみ、その子息すら二十歳を迎えんとしている、その出発点の時代が正に1982年だった。
髪型もファッションも顔立ちも、今の同年代と比べて妙に老け込んで見えるのはなぜか?
それはもしかすると否応なしに「大人」にならなければいけないという切迫感があったからだろう。
放っておいても「右肩上がり」の経済成長が約束されて「終身雇用」というレールがまださび付いていない時代だから、誰もが就職、結婚、子育てという通過儀礼で人生を成就出来ると信じれたし、それ以外の人生は考えられなかった。だからみんな「必死」になってサラリーマン業にしがみついていたのだ。
1990年代にバブルが訪れ、その「神話」が崩壊し、少子高齢化の中で衰退し始めたこの国に「必死になれば成就」出来る人生などどこにもない。
前の世代が残してくれた財産で食っていくしかないから、世襲が好まれ、食いつぶす財産がない者はただ静かに己の破滅に身をゆだねるしかない。そんな時代から1982年の「YOU]を静かに眺めて解ることは、やっぱり「あの頃」が「未来が見える」最後の時代だったからに他ならない。

テレビでは何やら「裁判員」制度が始まり、その「実況中継」みたいな事をやっている。
いつから司法は素人による「吊るし上げ公開処刑人民裁判」になったのか?
俄かには信じがたい「稚拙」な制度や法律が実行され、ますます日本は末期的断末魔に引き込まれつつある。
法律が遡ったり、人間の健全な欲望までとりしまる状況を作りだし、既得権者しか富をえられないシステムを繰り出しているこの時点でこの国は終わっているのだ。

1982年の「YOU」では、大抵の者が出世を望み、その果てにおぼろげではあるにしろ、成功が約束されていたけれど、2009年の今、出世したところでそれは既得権者の「尻拭い」役でしかなくなった。
そんな役職ついたところでただの貧乏くじに過ぎないから誰も出世を望なくなった。
就職も結婚も出産、子育てもバブル以降、既得権者以外、ただのリスクでしかなくなってしまったのも同じ理屈。
茶番劇みたいな「裁判員制度」で裁かれるのはそんな「負け組」達。
素人の「化けの皮」を被った既得権者が上から目線で被告席に居る哀れな「負け組」を裁くという構図自体がもう、まともな社会ではない。

こんな馬鹿げた社会はとっとと逃げ出すに限る。
どこかで逃げ出さなければ哀れな子羊として生贄にされてしまうから、みんな逃げ出すのだ。
まともに付き合えば気が狂う。
1982年は別に逃げ出さなくても良かったし、逃げる場所もなかった。
だが今は逃げよう。
逃げるが勝ち。
逃げ場がなくなったら死ぬだけだ。

「最後に死ぬのは希望だ」と誰かが言った。
ところがこの国にもう「希望」なるものはないに等しいから困ったものである。
だから年間自殺者は3万人を超えた。これからもどんどん増えよう。
最後の逃げ場は己の人生のリセット。
これも一興だ。

2009年の「YOU」では観覧席に白骨を並べ、青島幸男の娘がこう質問すればよかろう。
「ナウい死に方みつけました?」

まさにナウいね。

「ARE YOU HAPPY?」

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/