東日本大震災から1年
地震、火山、気象、自然災害
東日本大震災から1年が過ぎた。
テレビでは様々な特集番組が放映されていた。
興味深かったのは、一般の人が記録した地震の瞬間や津波の映像を集めたNHK特集。
これらは殆どが動画サイトに投稿された即出なものだが、それにしても如何に多くの人々が「その瞬間」を克明に記録していたかを物語っている。
振り返って自分は何をしていたかというと、棚から物が落下し散乱状態の自室でパソコンを起動させツイッターを閲覧したり、テレビで状況を追っていた程度か。
特に画像記録や音声記録を撮ることはしなかった。
それが出来る機器はなくはなかったが積極的なアクションは起さなかった。
今から考えれば何かしら記録に留めておくべきだったかもと思う。
動画投稿サイトには震災時の様々な画像、音声、テレビ、ラジオの記録がアップされ、尚も閲覧可能だ。
しかし、それはあくまで他者が記録したデータであって、己が残したものではない。
自分が体験した当日の時系列で記録された画像、音声でないから、それらを閲覧しても己の記憶の糸を辿る手立てにはなってくれない。
阪神大震災のときは、ラジオ関西やNHKのラジオをエアチェックして、それなりに記録に努めていた。
大きな地震が起きればその地域の中波放送を逐一、モニターしていたものだ。
皮肉にもネット環境が整った分、そういったアナログ的記録作業が疎かになり、気が付くと何も記録していないという事が目立つようになった。
1年前の震災時もICレコーダーなどのデジタル録音機器を所有していたにも拘わらず、なぜか当日のラジオ放送や地震の様子を録音しようとしなかった。
理由のひとつにパソコンを起動しているとラジオにノイズがはいってしまうから録音を止めてしまった記憶がある。
もう一つは記録機器がアナログとデジタルの端境期でデジタル機器での記録方式に馴れておらず、記録媒体がまだアナログカセットテープに頼らざるを得なかった事情もあった。
何よりもネット閲覧にかまげて記録作業を怠ってしまったのが最大の原因。
東日本大震災は東京も準被災地的状況だったので余裕がなかったこともあろうが、それにも増して「記録する意欲」に著しく欠けていたことも事実だ。
己の立場を考えれば当時の状況を自分なりのカタチで音声、映像を残す義務があった。
それを放棄したのはまったく情けないことだ。
ハチやアリの生態を観察すると興味深いものがある。
働き蜂の中には一見まったく働いていないようなハチたちが居るそうである。
このようなハチは、確かに平時には何の役にも立たず、ただ怠けているだけの存在。
しかし、外敵が襲ってきたり天変地異が起こると、とたんにその「怠けていた」ハチは積極的に行動し、巣を防衛したり援助を呼んだりして、一般の働き蜂がやっていなかった役割を分担するそうである。
東日本大震災の様々な貴重な記録も、普段あまり忙しくないアマチュアやニート、ヒキコモリ、隠居老人が積極的にカメラを回した「功績」ではなかろうか?
プロのカメラマンや報道機関が必ずしも決定的瞬間の場に居れるとは限らない。
デジタル録画録音機器を所持する一般の者が満遍なく様々な場所に広く分布していなければ、この貴重な地震津波画像を後生に残こす事は果たせなかったろう。
そういう意味ではニートや「自宅警備員」と称される人々は、この非日常的事象時のためにある一定数、社会の中に存在を許されているんじゃないかと思う。
だからこそ、自分がそんな存在に近いのにも拘わらず、震災時に真っ当な記録を残さなかったのは怠慢以外の何物でもなかったと反省するのである。
画像は昨年発行された有志のプロの漫画家・絵描きによる東日本大震災チャリティー合同誌『震災に負けるな!東日本project』に寄稿したイラスト。

この制作にあたっては、知り合いのコミュニティーFMスタッフが被災地にボランティア派遣された際、撮影した被災直後の写真をご好意により提供していただいたものを資料とした。
一般の者が立ち入れない場所だったので大変貴重な画像であった。
だが、本来ならば自分が現地に赴いて取材するぐらいの意気込みがあるべき。
そのような意欲を実践出来ない己の体たらくが、震災1周年を経て感じる最大の反省である。
テレビでは様々な特集番組が放映されていた。
興味深かったのは、一般の人が記録した地震の瞬間や津波の映像を集めたNHK特集。
これらは殆どが動画サイトに投稿された即出なものだが、それにしても如何に多くの人々が「その瞬間」を克明に記録していたかを物語っている。
振り返って自分は何をしていたかというと、棚から物が落下し散乱状態の自室でパソコンを起動させツイッターを閲覧したり、テレビで状況を追っていた程度か。
特に画像記録や音声記録を撮ることはしなかった。
それが出来る機器はなくはなかったが積極的なアクションは起さなかった。
今から考えれば何かしら記録に留めておくべきだったかもと思う。
動画投稿サイトには震災時の様々な画像、音声、テレビ、ラジオの記録がアップされ、尚も閲覧可能だ。
しかし、それはあくまで他者が記録したデータであって、己が残したものではない。
自分が体験した当日の時系列で記録された画像、音声でないから、それらを閲覧しても己の記憶の糸を辿る手立てにはなってくれない。
阪神大震災のときは、ラジオ関西やNHKのラジオをエアチェックして、それなりに記録に努めていた。
大きな地震が起きればその地域の中波放送を逐一、モニターしていたものだ。
皮肉にもネット環境が整った分、そういったアナログ的記録作業が疎かになり、気が付くと何も記録していないという事が目立つようになった。
1年前の震災時もICレコーダーなどのデジタル録音機器を所有していたにも拘わらず、なぜか当日のラジオ放送や地震の様子を録音しようとしなかった。
理由のひとつにパソコンを起動しているとラジオにノイズがはいってしまうから録音を止めてしまった記憶がある。
もう一つは記録機器がアナログとデジタルの端境期でデジタル機器での記録方式に馴れておらず、記録媒体がまだアナログカセットテープに頼らざるを得なかった事情もあった。
何よりもネット閲覧にかまげて記録作業を怠ってしまったのが最大の原因。
東日本大震災は東京も準被災地的状況だったので余裕がなかったこともあろうが、それにも増して「記録する意欲」に著しく欠けていたことも事実だ。
己の立場を考えれば当時の状況を自分なりのカタチで音声、映像を残す義務があった。
それを放棄したのはまったく情けないことだ。
ハチやアリの生態を観察すると興味深いものがある。
働き蜂の中には一見まったく働いていないようなハチたちが居るそうである。
このようなハチは、確かに平時には何の役にも立たず、ただ怠けているだけの存在。
しかし、外敵が襲ってきたり天変地異が起こると、とたんにその「怠けていた」ハチは積極的に行動し、巣を防衛したり援助を呼んだりして、一般の働き蜂がやっていなかった役割を分担するそうである。
東日本大震災の様々な貴重な記録も、普段あまり忙しくないアマチュアやニート、ヒキコモリ、隠居老人が積極的にカメラを回した「功績」ではなかろうか?
プロのカメラマンや報道機関が必ずしも決定的瞬間の場に居れるとは限らない。
デジタル録画録音機器を所持する一般の者が満遍なく様々な場所に広く分布していなければ、この貴重な地震津波画像を後生に残こす事は果たせなかったろう。
そういう意味ではニートや「自宅警備員」と称される人々は、この非日常的事象時のためにある一定数、社会の中に存在を許されているんじゃないかと思う。
だからこそ、自分がそんな存在に近いのにも拘わらず、震災時に真っ当な記録を残さなかったのは怠慢以外の何物でもなかったと反省するのである。
画像は昨年発行された有志のプロの漫画家・絵描きによる東日本大震災チャリティー合同誌『震災に負けるな!東日本project』に寄稿したイラスト。

この制作にあたっては、知り合いのコミュニティーFMスタッフが被災地にボランティア派遣された際、撮影した被災直後の写真をご好意により提供していただいたものを資料とした。
一般の者が立ち入れない場所だったので大変貴重な画像であった。
だが、本来ならば自分が現地に赴いて取材するぐらいの意気込みがあるべき。
そのような意欲を実践出来ない己の体たらくが、震災1周年を経て感じる最大の反省である。