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外国の指導者消息より冠婚葬祭映画

映像鑑賞
12 /20 2011
どこかの「首領様」が亡くなったという報道がされていた頃、自分はNHKBSで放映されていた1950年代のアメリカ映画『花嫁の父』を観ていた。
古きよきアメリカ、白人至上主義の豊かなアメリカ。
ある裕福な白人家庭の娘が嫁ぐ様子を父親の視点から描いた作品だった。
花嫁役はエリザベス・テーラーだったか。
もはや60年近く前の作品。自分の親の世代の話である。
登場人物は白人だけ。黒人は召使と使用人のみ。このあからさまな白人優位社会での結婚式や披露宴の様子が克明に描かれている。
本当に他愛のないストーリーなのだが、終身雇用と専業主婦が絶対だった「よき中流社会」の光景がビンビン伝わってくる。
引き出物や招待客や様々な結婚準備の様子。100人以上を招待する披露宴を自宅で開くなど日本で言えば「昭和」の空気が充満している映像でいっぱいだ。
そういえば当時、法事の度に自宅の家具を2階に全部上げて親類縁者を招待し宴をやった事を記憶している。
その間は日常が妨げられて子供ながらにうんざりしていた思い出がある。
要するに冠婚葬祭が社会の最優先事項としてべったりと横たわっていたのだ。
冠婚葬祭を家で執り行う事が最低限の社会的義務であって、それを避けることは世間から「村八分」にされる事だった。
最近はもう自宅でそんな大げさな冠婚葬祭を執り行う事はどの家も少なくなって、お寺とかホテルとかで済ますようになったものの、まだまだ冠婚葬祭はどこに行ってもついて回る。
冠婚葬祭を一切止める事は世間体を敵に回す事だ。
お金や手間のかかる冠婚葬祭を実践することが、この社会に生きるという事なのだ。
この『花嫁の父』は終始、娘の結婚式という冠婚葬祭のために金と労力を惜しまない。
その金と労力を実践出来ない人間は社会に参加する事も許されない。
世捨て人となって社会から排除される他なくなろう。
この映画はその現実を如実に突きつけている。
非常に恐ろしくなった。
もはや、某国の首領の生死などどうでもよいことだ。
それよりも己が冠婚葬祭を執り行う能力があるか否かのほうが重要なのだ。
世間体をどうするかが己の未来を左右する事に気が付いたとき、もはや社会情勢など意味を為さない。
もうテレビのニュースは他国の動向など流す必要などない。
冠婚葬祭の基本を教える番組を放映するほうが余程ためになる。

映画では娘を送り出した父親が自分の責任を果たした満足感で満たされるシーンで終わる。
当時の戸主の当たり前な社会的義務遂行の姿。
しかし、今やこの日本には妻も娶れず、子も設けられない惨めな男たちで溢れている。
『花嫁の父』に成れる男はどこにも居ないのだ。
こちらのほうが北朝鮮の動向より余程日本の危機だろうに。
北朝鮮情勢を憂うよりも、己が花嫁を娶れるか否かを真剣に考える時に来ているのだ。
その「真の危機」に気が付いている日本人はどれだけいるか?

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/