男性陰茎に関する考察

日常
12 /01 2011
先日深夜、東京12チャンネルにて猥褻なガールズトーク番組を観た。
30~40代位の女性タレントに猥雑な話題を振ってトークさせる他愛のない深夜テレビだ。
コンセプトはいったい何なのかはよく判らない。
昔の「11PM」のような男性向けアダルト番組のアンチテーゼとしての位置付けなのか?
解放された女子力を性分野でも発揮させてみましょう、ということか?
その割には歯切れが悪い。
出演者の「女子」もなんだか羞恥心で消化不良な様子。見ているほうもやりきれない。

それはさておき、この日は男性陰茎に関する考察をやっていた。
それによると、人間の雄の陰茎が他の哺乳類と比べて巨大化し、更に交尾時間も長くなった理由として、自分以外の男性精液を掻き出すためにこのような形になったという。
これは妙に興味深い。

「畜生」とは別格な「考える葦」であるはずの人間。
一夫一婦制が定着した今日の婚姻制度下では、このような「乱婚」を前提とした男性性器のシステムなど俄かに信じがたい。
しかし、今日の秩序だった婚姻制度が社会全体に浸透したのは精々近世以降の話。
厳格な一夫一婦制は家単位の社会制度を整備して国家経営を図るための「人為的」なシステムに過ぎない。
それもつい最近(人類文明スケールでいえば)の話。
ほんの100年ちょっと前の日本の農村では誰が父親かは問題ではなく、生まれて来た子供は村全体で育てるのが普通だったと聞いたことがある。
府中の大国魂神社でも江戸時代辺りまでは夜祭りの度に若い男女が入り乱れパコパコやっていたのだ。

つまり、人類の歴史において99パーセントは「乱婚」による子孫継承がスタンダードではなかったのかと推測出来る。
それが前提であるが故に人間の男性陰茎は巨大化し、性交時間を長く取る事によって他者の精液を排除し己の遺伝子を女性性器の中に長く留めようとする機能を有したのだ。

人間に限らず、同じ高等哺乳類であるシロナガスクジラも1匹の雌に多数のオスが群がり、2mもある巨大な陰茎で乱交するという。
陰茎が2mもの大きさを有する理由は、人間の場合と同じく他の雄の精液を吹き飛ばし、自分の精液をより深く雌の膣に放出するためであるという。
人間もシロナガスクジラも脳の容量が大きい高等生物の頂点に立つ哺乳類だ。
そんな「知的生物」が、性交においてこんなダイナミックでエネルギッシュな行為を選択する造りになっているのは、実に興味深い。
いや、もしかすると巨大な陰茎を持ったが故に脳を巨大化させ、知能を発達させることが出来たのかも知れぬ。

こう考えると、むしろ近世の一夫一婦制度における男女のあり方こそ無理があるとも考えられないだろうか。
この制度を維持するには恋愛感情の前に倫理で社会を管理し婚姻も機械的なシステムを要する。
1970年代位までは、この日本にもお見合い制度が維持され、恋愛感情なくしても婚姻が可能で子孫を残す事が可能だった。
しかし、その制度がなくなると、今度は恋愛至上主義がそのお見合いに変わって台頭する。
だが、社会の基礎はまだまだ一夫一婦制が堅持され、家同士の繋がりも尊重されているから、だんだんと結婚に至る過程が歪なモノとなってくる。
1960年代に幼少を過ごした男子は、将来の結婚もまたお見合いを前提とした道徳観を教育されてきた。
当然、恋愛作法など学ぶ機会はどこにもなかった。
ところが大人になってみるとお見合い制度は崩壊。
何の準備もないまま恋愛至上主義社会に放り込まれていく。
当然、上手くいくはずがない。
当時はまだまだ恋愛=結婚であり、初恋の人=生涯を連れ添う伴侶という考えが浸透していて、恋愛の失敗は即、結婚の失敗であり、人生の破滅に繋がった。
だから1970~1990年前後というお見合い制度崩壊から恋愛至上主義に至る端境期に結婚適齢期を迎えた男子にとっては過酷な時代であったと思う。

一方、同世代女子は厳格な倫理観に守られつつ、自由に相手を選べる「恋愛環境」を獲得出来たので、ある意味恵まれていたといえよう。
この世代の女子は常に「受身」であったから、求愛や恋愛は男性主導にならざるを得なかったが、一方で誰を選ぶかの選択肢は女性にあり、自由に振ることも出来た。
結局、恋愛能力のない男子だけが悲惨な目にあったのだ。

当時、男女間の性行為は恋愛成立のその先の最深部にあった。
下手をすると結婚後にやっとという段階。
つまり、性交までに至るには恋愛を成就させ、更なる信頼関係を獲得し周囲の理解を得なければ認められなかったのだ。
結婚する前に処女を失う事は「お嫁にいけない」時代ですらあった。
一方で童貞は男の恥であり、女を娶る事が一人前の証であった。
お見合い制度が機能していた時代ならば、どんな男子でも結婚後に性交のチャンスは得られ「男」に成れた。
しかし恋愛至上主義が台頭しても尚且つ結婚制度が盤石だった時代には、恋愛能力のない男子は女性とのセックスはおろか交際の機会すら限りなく不可能にさせた。

そして彼らは「性交難民」と成り果てた。

本来、「乱婚」が基本であるはずの造りを有する男子が、適齢期にその機会をまったく与えられないというのは拷問に近い。
自分もその世代だったので散々辛酸をなめる体験を強いられてきた。
以前の日記にも記したが、自分が童貞を捨てる事が出来たのは35歳前後。
それまでは、一切その機会を与えられなかったのだ。
恐らく、日本の歴史上、これほどまでに性交の機会を剥奪された男子世代はなかったと思われる。
だからこそ、その悲惨さ故に稀に見る自慰文化を築き上げる事が出来たとも言えようが。

2011年の今日、盤石だった一夫一婦制度は揺らぎ始め、結婚を前提とする恋愛至上主義もまた壊れ始めているかのように感じる。
もはや恋愛の定義もあやふやとなり、恋愛を経て性交に至るという不文律もおぼろげに化した。
恋愛が全身全霊を賭けるに値する存在でもなくなった。
生涯一人の異性と添い遂げるのが唯一の人生と信じる「神話」も潰えた。
だからといって正式な結婚を経ずに子供を設けることは自らをを著しく困難な状況に強いてしまう。
結果、結婚は富裕層だけの制度となり少子高齢化は進み、人間社会そのものが維持出来ないまでに至ってしまった。
こう考えると、結局、近世に始まった一夫一婦制度社会はもはや機能不全に陥ってしまったような気もする。

たまたま観た他愛のない深夜テレビから人間男子の陰茎の由来を考察するに至り、なぜ自分が歩んできた青春時代はあれほど過酷な「性交難民」だったかを解明出来たような気がする。

あれは本来人間がする営みの姿ではなかった。

あの絶望的に窮屈で渇望しても得られなかった性交の機会。
「他者の精液を掻き出す」機会にも恵まれないまま、寂しく「右手の恋人」で慰まれただけの我が陰茎。
無念の思いでいっぱいだ。

かつてこの日本の農村で普通に営まれ継承されてきた「乱婚」制度。
いずれその時代へと戻っていったほうが人間として幸せになれるのかもしれぬ。
陰茎のカタチが僕らの行くべき未来を教えてくれているようだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/