「蓄えよ。そして堅実であれ」
日常
10月半ばというのに暑い。
蚊が繁殖の最後のチャンスとばかりに吸い付いてくる。
まだ東京は紅葉には一月早いが、秋に想う事多し。
アイフォーンの新型が出て、予約の行列が話題になっているとテレビのニュースが伝えていた。
自分は欲しいとも思わないが、たとえ欲したとしても、そんなものに回す予算はどこにも、ない。
あの携帯販売店に並んでいるのは如何なる者たちか?
先日鬼籍に入ったアップルの創業者の言葉「ハングリーであれ。愚か者であれ」に感銘を受けているアップルユーザーも列に多かろう。
しかし、そんなアップルユーザーの大凡は「ハングリー」でも「愚か者」でもない。
むしろ「蓄え」のある「堅実」な者ばかりだ。
なぜならば「ハングリーな愚か者」に、アイフォーンやアップル製品を購入出来るほどの安定所得は望めないから。
「ハングリーであれ。愚か者であれ」という言葉は、極々稀な選ばれし天才や賢者にのみ与えられた格言である。
譬えればトップの成績で最高学府である東大に入学した者が「此処には俺の目指すものが何もない」と悟り、さっさと中退してしまうような例だ。
常識人から見たら「愚か者」に思えるだろうが、理想を追求する「ハングリー」な姿勢には圧倒されよう。
スティーブジョブズはそんな「超越人間」に対してのみ、語りかけていたのだ。
その他大勢の「凡人」には一切関係がない。
ただの「凡人」が「ハングリーで愚か者」という言葉を額面どうり信じたらとんでもない事になる。
「凡人」に必要な格言は、むしろこの逆。
つまり「蓄えよ。そして堅実であれ」なのだ。
蓄えのない者がこの世間を渡り歩く事は、困難だ。
住む事。食べる事。遊ぶ事。
更には結婚、育児等の人生における通過儀礼は蓄えなしには為しえない。
蓄えを得るには、貴族か資産家に生まれない限り、堅実に人生を歩むしかない。
そのためには受験戦争に勝ち抜き、高学歴を得る。
学歴社会という「檻」の中で生き抜くためにはこの忌々しい「掟」を守らねばならぬ。
そして就職した後も「社畜」として己を殺し会社への奉公が待っている。
この退屈な人生ゲームで堅実に駒を進めない限り、真っ当な人生はやってこない。
ただの凡人が「ハングリーな愚か者」を標榜した時点で、人生を踏み外す。
行き着く果ては世捨て人かホームレスが関の山だ。
携帯電話量販店に行列を作っている人々は、世捨て人でもホームレスでもない。
ましてや、天才や賢者でもない。
退屈な人生ゲームを粛々と歩んで十分な蓄えを持った「凡人」の群れだ。
99.98%の「凡人」が生き抜くためには「蓄え」と、そしてすべてに「堅実」でなければならない。
どこかで勘違いした「凡人」が「俺は天才の素質があるかもしれない」と信じ、「ハングリー」で「愚か者」の道を選択すると、大半が惨めで辛い絶望人生に迷い込む。
「俺はスティーブジョブズの言葉を信じてここまでやってきたのに、なぜ世間から相手にされずこんな惨めな思いをしなきゃいけないんだ!」と悲観に暮れつつ、新型アイフォン予約に並ぶ「堅実」な「凡人」達の行列を指をくわえて眺めるしかないのだ。
それだけではない。
同世代の「勝ち組」世帯持ちや息子、娘の父親の姿と、それを獲得できない己の惨めな姿とを比較して、如何に自分が「人生の負け組」に陥っているかの再確認を迫られる。
そして嘆くのだ!
「嗚呼!ただの凡人がこれまでの常識を打ち破る新たな歴史を築けると思ったのか!馬鹿な俺!」
そんなことをいい大人になって気が付いても、もう何もかも遅い。
一般女子が男性を選り好みする時に使うお約束「但し、イケメンに限る」と同じく、このスティーブジョブズの格言もまた「但し、天才、賢者に限る」というキーワードが隠されている事を知るべきだ。
己が「選ばれし天才、賢者」でなかった事にいつ何時、気が付くかが人生の分かれ道だ。
30、40を過ぎて気が付いてももう遅い。
その時点では「ハングリー」はただの「貧乏」であり、「愚か者」はただの「社会のお荷物」と化す。
そんな手遅れの「夢見る凡人」がきょうもどこかでこの街を彷徨っているのだろう。
「嗚呼なぜ、おれは選ばれなかったのだ!」と心の中で泣きながらね。
天は答える。
「それはお前が身の程知らずだったからだよ・・。」
儚きかな。人生の敗北者・・。
だが、それもまた人の生きる様なのである。
蚊が繁殖の最後のチャンスとばかりに吸い付いてくる。
まだ東京は紅葉には一月早いが、秋に想う事多し。
アイフォーンの新型が出て、予約の行列が話題になっているとテレビのニュースが伝えていた。
自分は欲しいとも思わないが、たとえ欲したとしても、そんなものに回す予算はどこにも、ない。
あの携帯販売店に並んでいるのは如何なる者たちか?
先日鬼籍に入ったアップルの創業者の言葉「ハングリーであれ。愚か者であれ」に感銘を受けているアップルユーザーも列に多かろう。
しかし、そんなアップルユーザーの大凡は「ハングリー」でも「愚か者」でもない。
むしろ「蓄え」のある「堅実」な者ばかりだ。
なぜならば「ハングリーな愚か者」に、アイフォーンやアップル製品を購入出来るほどの安定所得は望めないから。
「ハングリーであれ。愚か者であれ」という言葉は、極々稀な選ばれし天才や賢者にのみ与えられた格言である。
譬えればトップの成績で最高学府である東大に入学した者が「此処には俺の目指すものが何もない」と悟り、さっさと中退してしまうような例だ。
常識人から見たら「愚か者」に思えるだろうが、理想を追求する「ハングリー」な姿勢には圧倒されよう。
スティーブジョブズはそんな「超越人間」に対してのみ、語りかけていたのだ。
その他大勢の「凡人」には一切関係がない。
ただの「凡人」が「ハングリーで愚か者」という言葉を額面どうり信じたらとんでもない事になる。
「凡人」に必要な格言は、むしろこの逆。
つまり「蓄えよ。そして堅実であれ」なのだ。
蓄えのない者がこの世間を渡り歩く事は、困難だ。
住む事。食べる事。遊ぶ事。
更には結婚、育児等の人生における通過儀礼は蓄えなしには為しえない。
蓄えを得るには、貴族か資産家に生まれない限り、堅実に人生を歩むしかない。
そのためには受験戦争に勝ち抜き、高学歴を得る。
学歴社会という「檻」の中で生き抜くためにはこの忌々しい「掟」を守らねばならぬ。
そして就職した後も「社畜」として己を殺し会社への奉公が待っている。
この退屈な人生ゲームで堅実に駒を進めない限り、真っ当な人生はやってこない。
ただの凡人が「ハングリーな愚か者」を標榜した時点で、人生を踏み外す。
行き着く果ては世捨て人かホームレスが関の山だ。
携帯電話量販店に行列を作っている人々は、世捨て人でもホームレスでもない。
ましてや、天才や賢者でもない。
退屈な人生ゲームを粛々と歩んで十分な蓄えを持った「凡人」の群れだ。
99.98%の「凡人」が生き抜くためには「蓄え」と、そしてすべてに「堅実」でなければならない。
どこかで勘違いした「凡人」が「俺は天才の素質があるかもしれない」と信じ、「ハングリー」で「愚か者」の道を選択すると、大半が惨めで辛い絶望人生に迷い込む。
「俺はスティーブジョブズの言葉を信じてここまでやってきたのに、なぜ世間から相手にされずこんな惨めな思いをしなきゃいけないんだ!」と悲観に暮れつつ、新型アイフォン予約に並ぶ「堅実」な「凡人」達の行列を指をくわえて眺めるしかないのだ。
それだけではない。
同世代の「勝ち組」世帯持ちや息子、娘の父親の姿と、それを獲得できない己の惨めな姿とを比較して、如何に自分が「人生の負け組」に陥っているかの再確認を迫られる。
そして嘆くのだ!
「嗚呼!ただの凡人がこれまでの常識を打ち破る新たな歴史を築けると思ったのか!馬鹿な俺!」
そんなことをいい大人になって気が付いても、もう何もかも遅い。
一般女子が男性を選り好みする時に使うお約束「但し、イケメンに限る」と同じく、このスティーブジョブズの格言もまた「但し、天才、賢者に限る」というキーワードが隠されている事を知るべきだ。
己が「選ばれし天才、賢者」でなかった事にいつ何時、気が付くかが人生の分かれ道だ。
30、40を過ぎて気が付いてももう遅い。
その時点では「ハングリー」はただの「貧乏」であり、「愚か者」はただの「社会のお荷物」と化す。
そんな手遅れの「夢見る凡人」がきょうもどこかでこの街を彷徨っているのだろう。
「嗚呼なぜ、おれは選ばれなかったのだ!」と心の中で泣きながらね。
天は答える。
「それはお前が身の程知らずだったからだよ・・。」
儚きかな。人生の敗北者・・。
だが、それもまた人の生きる様なのである。