アップルコンピューターと「サザエさん」
パソコン
アップルコンピューターの創設者の一人が亡くなったという。
自分が初めて買ったパソコンはポリタンク型のパワーマックG3。
1999年に購入以来、未だ現役だ。
当時はアイマックが市場に投入されて、その斬新なデザインでパソコンのイメージを一新させて話題になった時代。
この頃、漫画やイラストをパソコンで作画することが一般に普及し始め、自分もその潮流に否応なしに飲み込まれていった。
知り合いにマックユーザーが多かったのでマックを選択する事は決まっていたのだが、購入タイミングを見計らいかねていた。
そんな時にポリタンク型マックG3が発売されたのだ。
アイマックや白青G3がマックユーザーの裾野を大きく広げた事は間違いない。
アイマックはこれまでパソコンを使った事のない人たちを数多く取り込んでいった。おそらく自分もその一人に含まれるのかもしれない。
今回、亡くなった創設者がアイマックや青白G3をこの世に送り込まなければパソコンを購入する時期はもっと遅くなったはずだ。
いや、もしかすると今でもパソコンを入手することはなかったかも。
このようなカリスマ経営者がアップルから去り、この会社はどうなっていくのだろう?
これに似た事例を探してみた。
「サザエさん」である。
「サザエさん」は昭和を代表した漫画であることは誰もが知るところ。
そして作者の長谷川町子が鬼籍に入った今日もアニメの「新作」が作られ続けている。
なぜなら「サザエさん」というブランドは、時代が平成になってもその影響力は絶大だからだ。
しかし、今日作られている「新作」の中身は奇妙奇天烈極まりない。
「サザエさん」独特の昭和テイストは入っているが、無理やり今日の社会風俗とすりあわせているため「歪な世界」が展開する。
家の中にはいつまでたっても黒電話一つと居間にブラウン管テレビ1台。
一見昭和なのに舞台は平成22年。
この矛盾した世界で尚も物語りは続いている。
いや、続けざるを得ないのだ。
もし、長谷川町子が生きていたら、サザエもカツオもパソコンや携帯を使いこなし、それに纏わる斬新で面白おかしいエピソードが次々作られるであろう。
しかし、その作者が存在しない今、その時代感覚に合わせた発想を生むことが出来ず、スタッフがひねり出した「新作」は時間軸が狂った1950年代をひたすら描き続けるしかない「奇妙な世界」が続くだけ。
結局、「サザエさん」は長谷川町子の発想力が生んだ作品であって、それ以上でもそれ以下でもない。
今のスタッフが勝手にサザエさんたちに携帯やパソコンを持たせることは出来ない。
なぜなら、どうしていいか解らないからだ。
それが出来るのは長谷川町子だけ。
アップルも同じく、カリスマ亡き後も暫くはその絶大なるブランド名で「新作」は発表されつづけるだろう。
しかし、カリスマ経営者が去った今、「サザエさん」と同じく、思考停止のアイフォンやアイパッドの亜流を反芻するだけの退屈な会社に成り下がってしまうかもしれない。
カリスマは偉大である。
そして、偉大だからこそカリスマの周りには「イエスマン」しか集まらない。
「イエスマン」はカリスマの発想を迅速に処理出来る能力はあっても、カリスマに代わって斬新な「新作」を生むことは出来ない。
シロアリの女王が死ねばその巣は滅びる。
女王以外に卵を産む能力は、ない。
結局、アップルも「サザエさん」と同じように、カリスマの残滓を反芻して生き延びる以外に選択肢はないのだろう。
これからのマックユーザーは延々とアイフォンの亜流という「新作」でガマンするしかないのだ。
合掌。
自分が初めて買ったパソコンはポリタンク型のパワーマックG3。
1999年に購入以来、未だ現役だ。
当時はアイマックが市場に投入されて、その斬新なデザインでパソコンのイメージを一新させて話題になった時代。
この頃、漫画やイラストをパソコンで作画することが一般に普及し始め、自分もその潮流に否応なしに飲み込まれていった。
知り合いにマックユーザーが多かったのでマックを選択する事は決まっていたのだが、購入タイミングを見計らいかねていた。
そんな時にポリタンク型マックG3が発売されたのだ。
アイマックや白青G3がマックユーザーの裾野を大きく広げた事は間違いない。
アイマックはこれまでパソコンを使った事のない人たちを数多く取り込んでいった。おそらく自分もその一人に含まれるのかもしれない。
今回、亡くなった創設者がアイマックや青白G3をこの世に送り込まなければパソコンを購入する時期はもっと遅くなったはずだ。
いや、もしかすると今でもパソコンを入手することはなかったかも。
このようなカリスマ経営者がアップルから去り、この会社はどうなっていくのだろう?
これに似た事例を探してみた。
「サザエさん」である。
「サザエさん」は昭和を代表した漫画であることは誰もが知るところ。
そして作者の長谷川町子が鬼籍に入った今日もアニメの「新作」が作られ続けている。
なぜなら「サザエさん」というブランドは、時代が平成になってもその影響力は絶大だからだ。
しかし、今日作られている「新作」の中身は奇妙奇天烈極まりない。
「サザエさん」独特の昭和テイストは入っているが、無理やり今日の社会風俗とすりあわせているため「歪な世界」が展開する。
家の中にはいつまでたっても黒電話一つと居間にブラウン管テレビ1台。
一見昭和なのに舞台は平成22年。
この矛盾した世界で尚も物語りは続いている。
いや、続けざるを得ないのだ。
もし、長谷川町子が生きていたら、サザエもカツオもパソコンや携帯を使いこなし、それに纏わる斬新で面白おかしいエピソードが次々作られるであろう。
しかし、その作者が存在しない今、その時代感覚に合わせた発想を生むことが出来ず、スタッフがひねり出した「新作」は時間軸が狂った1950年代をひたすら描き続けるしかない「奇妙な世界」が続くだけ。
結局、「サザエさん」は長谷川町子の発想力が生んだ作品であって、それ以上でもそれ以下でもない。
今のスタッフが勝手にサザエさんたちに携帯やパソコンを持たせることは出来ない。
なぜなら、どうしていいか解らないからだ。
それが出来るのは長谷川町子だけ。
アップルも同じく、カリスマ亡き後も暫くはその絶大なるブランド名で「新作」は発表されつづけるだろう。
しかし、カリスマ経営者が去った今、「サザエさん」と同じく、思考停止のアイフォンやアイパッドの亜流を反芻するだけの退屈な会社に成り下がってしまうかもしれない。
カリスマは偉大である。
そして、偉大だからこそカリスマの周りには「イエスマン」しか集まらない。
「イエスマン」はカリスマの発想を迅速に処理出来る能力はあっても、カリスマに代わって斬新な「新作」を生むことは出来ない。
シロアリの女王が死ねばその巣は滅びる。
女王以外に卵を産む能力は、ない。
結局、アップルも「サザエさん」と同じように、カリスマの残滓を反芻して生き延びる以外に選択肢はないのだろう。
これからのマックユーザーは延々とアイフォンの亜流という「新作」でガマンするしかないのだ。
合掌。