昭和の残滓「女子サッカー」
スポーツ観戦
女子サッカーが俄かに注目を浴びている。
だが彼女たちのルックスはまるで「女土工」のようで逞しさが卓越する。
かつて女子アスリートは彼女たち同様に「美」からかけ離れていていた存在。
男と見まごうばかりの選手も多かった。
だがいつしかテレビで見るゴルフ、バレーボール、陸上競技等の選手たちは普通の女性と変わらぬ美しさを身につけ、「才色兼備」を獲得した。
美と実力の両立とはなんぞや。
部屋に転がっている1995年頃のアイドル雑誌を紐解く。
その中に「制服向上委員会」というアイドルグループを見つける。
ちょうど今で言う「AKB48」に近いタイプの女の子たち。
だが、今見ると垢抜けしておらず、AKB48と比べても同年齢なのに異様に老けて見える。
その理由の一つに髪型がある。
やたら前髪にカールを入れたり梳いていたりして、それが何だかおばさんぽいのだ。
なんで態々、こんな「おばさん要素」を取り入れてるような事をしたのか?
今の世、日本女子は幼女から40代まで殆ど髪型は変わらない。
「大人可愛い」に代表されるようにみんな幼く見せる。
全ての世代が幼さを基準とするから何歳になっても14歳前後。
それが現代日本女子のスタンダードである。
一方、昭和を代表した標準婦人に「サザエさん」がある。
設定年齢は20代前半。
髪型はパーマである。
完全に「おばさん」だ。
現在の基準からすると45歳以上に見えてもおかしくない。
今、あのような20代前半の女子はいない。
自ら老けて見える髪型を選択する理由は何もないからだ。
ではなぜ「サザエさん」はあんな髪型をしたのか?
それはあの時代、厳格な「通過儀礼」が存在したからだ。
当時、20代に入れば大半の日本婦女子は専業主婦として1日の大半を家事労働に費やした。
そのためには髪型は実用本位で家事労働の邪魔にならないパーマが一番。
家事とオシャレの両立などありえなかった。
そんな余裕もない時代、20を過ぎて幼く可愛い髪形を維持していたら、恐らく周りから「村八分」にされていたろう。
1995年当時のアイドル「制服向上委員会」も敢えて髪型をおばさんぽくしていたのはそんな「通過儀礼」を必須としていた名残であって、それを為さねば社会人として認めてもらえなかったからだ。
昭和日本はまだまだ貧困で労働至上主義が支配していた。
生活するためには男も女も厳格な通過儀礼を経てメタモルフォーゼせねばならなかった。
男は進学、就職、結婚の度に通過儀礼を強いられ、過去を捨てた。
子供の頃、少年の趣味として定着していたプラモデルも進学の度に親から「辞めろ」と強要されていた。
趣味の時間を捨ててまでも、勉学や仕事に打ち込まなければ日本は成り立たなかった。
だから当時の日本人の恰好は本当にダサかった。
画一さのダサさは極まっていた。
坊ちゃん刈りに七三分け、白ブリーフに白ランニングに黒ブチメガネ。
他に選択肢はない。
無論、アスリートがオシャレをするなんて想像すらつかなかった。
王も長嶋も「スポーツ馬鹿」でそれ以上でもそれ以下でもなかった。
それに誰も疑問は挟まない時代だった。
いつからか日本にもお金と時間に余裕が出来た。
男は趣味と学業、仕事を両立出来る様になった。
今の時代、受験だからといってあらゆるゲームを放棄する少年はいないし、就職して会社人間として滅私奉社するために一切の趣味、ネット、携帯を放棄するサラリーマンも居ない。
同時に女も家事育児のために己の可愛らしさや美を放棄する必要はなくなった。
2011年、男も女も少年少女のまま「大人」を装う事が出来る。
つまり、もはや苦痛を伴う大人になるための「通過儀礼」は過去のものに成りつつあるのだ。
AKB48は前髪を梳いたり、パーマをかけなくともアイドルが出来る。
プロ野球選手もイケメン揃い。
プロ女子ゴルファーも陸上選手もモデルと見まごうばかりに美しく可愛い。
今や「才色兼備」は当たり前のものとなった。
にも拘らず、なぜ女子サッカー選手だけは「女土工」のままなのか。
サッカーだけではなく、ソフトボールなどのハードな屋外球技となると、まだまだ「女土工」が多い。
どこかの新聞で女子サッカー選手の年収が報じられていた。
トップ選手でも年俸300万円程度だとか。
「スター」というには程遠い報酬だ。
一般OLだってもう少し稼いでいるのではないか?
トップでこのレベルなのだからそれ以下は推して知るべし。
殆どの選手はバイト掛け持ちで生活しているとか。
つまり、純粋なプロは存在しないに等しい。
彼女たちはまだまだ貧困で満足な時間的余裕もない中で競技しているのだった。
「サザエさん」時代の泥臭い「通過儀礼」が強要された頃のまま。
幼く可愛いままでは生き残れない「昭和40年代」が女子サッカー界には残っているのだ。
裸電球の下、乳飲み子を背負いながら家事をするパーマ姿の昭和婦女子と女子サッカー選手がオーバーラップする。。
美や可愛らしさを捨てなければ身長180センチ以上が当たり前の欧米女子選手と対等に渡り合えない。
女子サッカーは今なおサザエさんレベルの「女土工」でなければ勝てない世界なのだ。
ここにはまだ「昭和」の残滓がある。
だが彼女たちのルックスはまるで「女土工」のようで逞しさが卓越する。
かつて女子アスリートは彼女たち同様に「美」からかけ離れていていた存在。
男と見まごうばかりの選手も多かった。
だがいつしかテレビで見るゴルフ、バレーボール、陸上競技等の選手たちは普通の女性と変わらぬ美しさを身につけ、「才色兼備」を獲得した。
美と実力の両立とはなんぞや。
部屋に転がっている1995年頃のアイドル雑誌を紐解く。
その中に「制服向上委員会」というアイドルグループを見つける。
ちょうど今で言う「AKB48」に近いタイプの女の子たち。
だが、今見ると垢抜けしておらず、AKB48と比べても同年齢なのに異様に老けて見える。
その理由の一つに髪型がある。
やたら前髪にカールを入れたり梳いていたりして、それが何だかおばさんぽいのだ。
なんで態々、こんな「おばさん要素」を取り入れてるような事をしたのか?
今の世、日本女子は幼女から40代まで殆ど髪型は変わらない。
「大人可愛い」に代表されるようにみんな幼く見せる。
全ての世代が幼さを基準とするから何歳になっても14歳前後。
それが現代日本女子のスタンダードである。
一方、昭和を代表した標準婦人に「サザエさん」がある。
設定年齢は20代前半。
髪型はパーマである。
完全に「おばさん」だ。
現在の基準からすると45歳以上に見えてもおかしくない。
今、あのような20代前半の女子はいない。
自ら老けて見える髪型を選択する理由は何もないからだ。
ではなぜ「サザエさん」はあんな髪型をしたのか?
それはあの時代、厳格な「通過儀礼」が存在したからだ。
当時、20代に入れば大半の日本婦女子は専業主婦として1日の大半を家事労働に費やした。
そのためには髪型は実用本位で家事労働の邪魔にならないパーマが一番。
家事とオシャレの両立などありえなかった。
そんな余裕もない時代、20を過ぎて幼く可愛い髪形を維持していたら、恐らく周りから「村八分」にされていたろう。
1995年当時のアイドル「制服向上委員会」も敢えて髪型をおばさんぽくしていたのはそんな「通過儀礼」を必須としていた名残であって、それを為さねば社会人として認めてもらえなかったからだ。
昭和日本はまだまだ貧困で労働至上主義が支配していた。
生活するためには男も女も厳格な通過儀礼を経てメタモルフォーゼせねばならなかった。
男は進学、就職、結婚の度に通過儀礼を強いられ、過去を捨てた。
子供の頃、少年の趣味として定着していたプラモデルも進学の度に親から「辞めろ」と強要されていた。
趣味の時間を捨ててまでも、勉学や仕事に打ち込まなければ日本は成り立たなかった。
だから当時の日本人の恰好は本当にダサかった。
画一さのダサさは極まっていた。
坊ちゃん刈りに七三分け、白ブリーフに白ランニングに黒ブチメガネ。
他に選択肢はない。
無論、アスリートがオシャレをするなんて想像すらつかなかった。
王も長嶋も「スポーツ馬鹿」でそれ以上でもそれ以下でもなかった。
それに誰も疑問は挟まない時代だった。
いつからか日本にもお金と時間に余裕が出来た。
男は趣味と学業、仕事を両立出来る様になった。
今の時代、受験だからといってあらゆるゲームを放棄する少年はいないし、就職して会社人間として滅私奉社するために一切の趣味、ネット、携帯を放棄するサラリーマンも居ない。
同時に女も家事育児のために己の可愛らしさや美を放棄する必要はなくなった。
2011年、男も女も少年少女のまま「大人」を装う事が出来る。
つまり、もはや苦痛を伴う大人になるための「通過儀礼」は過去のものに成りつつあるのだ。
AKB48は前髪を梳いたり、パーマをかけなくともアイドルが出来る。
プロ野球選手もイケメン揃い。
プロ女子ゴルファーも陸上選手もモデルと見まごうばかりに美しく可愛い。
今や「才色兼備」は当たり前のものとなった。
にも拘らず、なぜ女子サッカー選手だけは「女土工」のままなのか。
サッカーだけではなく、ソフトボールなどのハードな屋外球技となると、まだまだ「女土工」が多い。
どこかの新聞で女子サッカー選手の年収が報じられていた。
トップ選手でも年俸300万円程度だとか。
「スター」というには程遠い報酬だ。
一般OLだってもう少し稼いでいるのではないか?
トップでこのレベルなのだからそれ以下は推して知るべし。
殆どの選手はバイト掛け持ちで生活しているとか。
つまり、純粋なプロは存在しないに等しい。
彼女たちはまだまだ貧困で満足な時間的余裕もない中で競技しているのだった。
「サザエさん」時代の泥臭い「通過儀礼」が強要された頃のまま。
幼く可愛いままでは生き残れない「昭和40年代」が女子サッカー界には残っているのだ。
裸電球の下、乳飲み子を背負いながら家事をするパーマ姿の昭和婦女子と女子サッカー選手がオーバーラップする。。
美や可愛らしさを捨てなければ身長180センチ以上が当たり前の欧米女子選手と対等に渡り合えない。
女子サッカーは今なおサザエさんレベルの「女土工」でなければ勝てない世界なのだ。
ここにはまだ「昭和」の残滓がある。