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吉村昭『三陸海岸大津波』を読む

読書
05 /12 2011
吉村昭『三陸海岸大津波』を読む。
東日本大震災から2ヶ月余り。未だ被災地の復興はめどが立たず。
震災規模の大きさは計り知れない。
さて、この本を読むと時代背景はまったく異なってはいるが、助かった者と犠牲になった者の差は今回の大津波と基本的に変わりない。
つまり、地震が感じられた瞬間にとにかく高台に逃げた人間が助かり、大丈夫だと思い込んだ人間が津波に浚われている。
ごく当たり前な状況が今回も繰り返されているのだ。
また津波の襲ってきた状況も似ている。建物を押しつぶしながら迫る様は、今回の巨大津波と同じ。
そして逃げ遅れた者が渋滞に嵌る様も変わらない。
当時は自家用車なんか無かったが、狭い道に人が押し寄せ、なかなか前に進めない状況は瓜二つ。
今回と異なるのは、明治と昭和の大津波は深夜に押し寄せてきたため、闇夜の中での音の予兆記録が多い。
遠雷や大砲のような音が沖から聞こえてきたそうだ。
今回は昼間だったので、予兆以前に視覚で津波がはっきりと認識されていたため、音の記録はそれほど目立たないようだ。
結局、これを読むと今回の巨大津波はさほど未曾有の事象ではなく、多少の規模の差はあっても、明治、昭和という近代になってからすでに2回は押し寄せていたのである。

そしてその度に高台への移住が叫ばれるのだが、結局豊かな海の資源に誘われて、元の場所に居を構えてしまうのだ。
今回も復興策として高台移住が検討されてはいるが、なかなか容易ではなさそうだ。
結局、復興よりも復旧を急ぐあまり、同じことの繰り返しになってしまう公算が大きい。
少子高齢化の現在、人口減少の中、街そのものを高台移住させる資金も労働力も用地確保もままならないのだから。
もしかすると明治、昭和の時よりも状況は悪化しているのかもしれない。
堤防は無力だったというが、もはや費用対効果を考えれば巨大防潮堤で「お茶を濁す」位しか対策はあるまい。
10mでだめなら30m位のスーパー防潮堤を造るしかない。
それでダメなら諦めもつこう。
とりあえず地震が来たら逃げるが一番の策なのだ。ある意味、最も安上がり。

いずれにしろ、大災害は繰り返される。
三陸同様、東京の場合も関東大震災や東京大空襲と同じ禍がいつか必ず襲ってくる。
つまり、大火災だ。
木造住宅の密集具合は、大正、昭和の比ではない。
東京空撮映像を観れば解るが、こんなところに大火災が起きたらどうなるか、想像しただけでも恐ろしい。
木造住宅の不燃性は多少改善されてはいるものの、可燃物は大正、昭和の何千倍になっているだろう。
すなわち、石油製品だ。
車のガソリン、石油から作られた様々な家財、アスファルト等。そんなものに限界点を超えて発火したらどうなるか。
火炎地獄があらゆる場所で発生するだろう。

津波は高台へ逃げるのが必須。そして火災は広大な公園に逃げるのが原則。
だがこの東京で、この高密度の人口を安全に収容できる土地などあるか?
否。
そんなものは何処にも無い。
自分は杉並の人口密集地に住んでいるが、指定された避難場所は旧グランドハイツ。今の光が丘だ。
徒歩にすると恐らく1時間はかかろう。
埼玉県境まで木造住宅が密集する中を徒歩で安全に避難出来るとはとても思えない。
人々は震災後、近くの小中学校グラウンドに逃げ込むだろうが、暫くすれば廻りは火炎地獄。
遅かれ早かれ、関東大震災時の被服廠と同様の惨事が都内の至る所で発生するだろう。
火炎は車のガソリンに引火し、アスファルトまで燃え出す。
もはや都内の道路は「天然」のナパーム弾状態。
炎が炎を呼び、熱が熱を呼ぶ。酸素は消費され、もはや呼吸も間々ならない。
マンションも高層ビルも火炎と酸素欠乏によって丸ごと焼却炉みたいになる。
「天然」斎場みたいに住民はあっというまに白骨化するだろう。
巨大マンションはそのまま巨大火葬場と化す。
地下街も巨大火災で酸素が失われるから皆窒息だ。
東日本大震災の時に人々は黒い波に飲まれていったが、平成首都圏大震災は真っ赤な火炎に飲み込まれていくのだ。
それも桁違いの規模でね。
何百万人の都民が火炎の中でもがきながら黒焦げになっていく。
これは大げさでも何でもなく、ごく普通に予想される状況なのだ。

ではどうすればよいのか?
津波対策と同じである。
逃げるのだ。
出来るだけ早く郊外に。密集地から兎にも角にも逃げるのだ。
火災が巨大化する前に。
しかし、三陸と違って都内にはそう簡単に安全な空間までに辿り着く場所はない。
皇居、新宿御苑、代々木公園クラスの広場ですら危ない。
杉並であればとにかく北に逃げる事だ。
東は都心、南はもっと木造が密集している世田谷、西も大して変わらない。
北は練馬を突破すれば埼玉だ。和光、朝霞を超えて志木市の荒川沿いまで逃げれば何とかなろう。
避難手段はどうするか?
鉄道等の公共交通機関は地震で止まってしまうだろうから当てにならない。
車なんざ使った挙句には死が待っている。
東日本大震災時の渋滞を忘れたか。
自動車は停まってしまえば単なる火災燃料投入器と化す。ウンコ製造機よりも質が悪い。
結局、逃げるには自転車以外にない。
大地震が起き、取りあえず無事であれば、ラジオで状況を把握する。
そして大火災の予兆が少しでも感じられたらリュックに非常持ち出し物資を詰め込む。携帯はいずれ使えなくなる。アマチュア無線機は忘れない。ラジオは必須。電池も確保せよ。貴重なデータはHDDに保存しバッグに放り込め。飲料水、携帯食も忘れずに。
そしてひたすら郊外へと漕ぎ出すのだ。
家族に自転車が乗れない高齢者や病人がいたら諦めるしかない。運を天に任せて近くの避難所に行ってもらうしか選択肢はない。
あとはとにかく、広い畑のある郊外へ郊外へ。ひたすら漕ぐべし漕ぐべし。
避難所は出来るだけ都心から離れ、人が少ないところを目指す。
多くの人が逃げ込んでくる場所はパニックも発生し、物資の奪い合いも始まるだろう。自転車なんてすぐ盗まれてしまう。だからとにかく混乱が起こらないエリアまでひたすら自転車を漕げ。
とにかく郊外だ。
安全な避難場所まで到達したらそこで数日間、留まって様子見だ。
状況が好転し、火災も大したことがなければ数日で帰れるだろう。
もし未曾有のカタストロフが起こってしまったら、そこからサバイバルだ。
首都圏の大震災で生き残るにはとにかく自転車が必須アイテムとなるに違いない。

大災害は何回も同じように繰り返される。
東日本大震災はよい教訓でもあった。
三陸大津波も関東大震災も必ず繰り返される地球のルーティン。
明日起こっても不思議はないのだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/