電車に乗って

日常
04 /19 2011
先週の土曜日、GW中に開催されるコミティア新刊本文原稿を入稿のためJR線に乗る。
この日は初夏の陽気。
しかし、電車は節電対策で空調を入れていない。
開かないと思っていた233系の窓の上のほうが降りていて、外気が入っていた。
空調とは違う不規則な風が妙に不可思議。
印刷所のある南武線西府駅に着いたのは17時54分。受付は18時まで。慌てて走ってなんとか間に合う。
風邪気味なのに無理をしたので体調はきつい。
帰路、西府駅前のベンチで身体を横にして休憩。
先々週、表紙原稿入稿時には満開だった周辺の桜も、今や葉桜に。
ポケットラジオからは、昔馴染みのDJが声を出していた。
久しぶりに聞いたその声は昔とまったく変わらない口調で曲紹介やリスナーからのメッセージを読み上げている。
時間が止まったような感覚だ。

暫し、いろいろ考える。
相変わらず、自分はタイミングの悪い事をやっている。
今回の同人誌新刊も時勢柄、積極的に薦められるジャンルの作品ではないから複雑な心境。
しかし描き始めたのが2月半ばだったので今更中断する事も出来ず。
一昨年に開催した自分の原画展も新型インフルエンザ騒ぎの絶頂期だったな。
まあ、それが自分らしいといえば自分らしい。
成るようにしかなるまい。

昼間、20度以上あった気温が夜になるにつれ、下がってくる。
風邪気味の身体に北寄りの風は厳しい。
慌てて南武線立川方面行き電車に乗り込む。
日中はどの駅も節電対策でエスカレーターがストップしているので身体にこたえる。
構内も暗いから気が滅入る。
しかし、1980年代ちょっと前までは、鉄道の駅なんて薄暗くて汚いところだった。
無論エスカレーターもエレベーターもない。駅中のオシャレなショップなんて想像も出来ない。
汚い痰吐き親父が行きかうだけの「通路」でしかなかった。
それを考えれば、今が便利で快適過ぎるのかも知れない。
だからといって、過去に戻すことがベターな選択肢とは言いがたい。一度覚えた贅沢はなかなか捨てられるものではない。それにこれは「新たな雇用」にも繋がっているのだろう。
自販機や売店、エレベーター、照明をなくせばエネルギー削減にはなるけれど、それに携わっていた人々の仕事を奪うことにもなる。
時勢が逆転して、どんどん質素で簡略化の流れが出来てしまうと、止め処ない「縮小」が始まって駅はそのうち階段と改札とホームしかない場所になるのだろうか?

駅で整列乗車を待つ光景を見て思う。
大抵、慌てるのは列の半ばに居る人。
列に先に並んだ人は余裕で座れるので焦りはない。
一方、後に並んでいる人も最初から座る事を諦めているので同じく慌てる様子はない。
なんだかんだバタバタするのは中間層。
椅子獲りゲームに駆りだされるがごとく、常に競争を強いられる。
だから、「楽」したいと思ったら列の先頭か後のほうで構えているほうがよろしい。
昨今の原発放射能報道で右往左往しているのも、恐らくこの整列乗車で言うところの中間辺りに並んでいる者達だろう。
僅かに残った席を巡って必死に焦る。
結果、ろくな事にはならない。
そんな位置でもがく位なら最後尾で待っているほうがマシ。

帰りの電車の中でもポケットラジオを聴く。
あまり入りはよくないが単3電池1本でも数十時間は稼動する。
最近はパソコンや携帯でもラジオが聴けるそうだが、サーバーに負担が掛かったり、常に接続状態なため携帯の電池があっという間に消耗するとかで、あまり実用的とは思えない。
震災後、暫く経っても家電量販店から小型ラジオの在庫が戻らない。
震災前には「安売りコーナー」に放り込まれていた「手回し発電ラジオ」もあっという間に売れてしまったのだろう。
古典的アナログラジオの「枯れた技術」は今尚偉大だ。

震災や原発事故で「座礁」した世間も取りあえず流れは止めていない。
電車は動き続け、人の様子も変わらない。
むしろ、己自身の今のポジションをもっと気にすべきかもしれない。この時勢に流されることなく自分の成すべき事を見据えるのが大切。
バタバタしていると結局自分を見失うだけだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/