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人は忘れる事で生きていける

日常
04 /04 2011
井の頭公園に花見。
大学当時の後輩と年中行事みたいなもの。一応宴会自粛の張り紙はあったが、人出は例年と変わらず若者がシートを広げ宴に興じていた。
桜はまだ3分咲きといったところ。気温は10度ソコソコで肌寒い。

先日、夢を見た。
といっても黒澤明の『夢』ではない。
何か人間と瓦礫がごっちゃになった魂が汚れた泥団子のように暴れまわっている夢だ。
諸星大二郎の漫画『生物都市』のように、もはや人間は元来の形を留めず、ぐしゃぐしゃの瓦礫と融合して何だか得体の知れない存在に昇華する。
そんな悪夢を見たのは、恐らく震災テレビ報道で幾度となく流された巨大津波の映像が原因だったのだろう。

一挙に3万人余の人間が死ぬという状況とは何か?
そんな事象は他に例を見ないから比較対象すら存在しない。
その魂の彷徨が、生き残った者たちの脳髄を刺激したとは言えないか?
あの悪夢は大量の魂が肉体を離れ現世を通過していった残像なのかも知れない。

震災の前、伊集院光の深夜ラジオでこんなトークがあった。
確かリスナーからの投稿で「天国に行ったらどうなる?天国で死んだらどうなる?」という問いかけだったと思う。
DJは手塚治虫の何かの漫画を例に出してこんなことを喋っていた。
「地球で大量に人が死ぬ時は天国で人が足りない時だ。天国でも戦争をやっていてその人員補給のために地上から人の魂を召集するのだ」と。
その手塚治虫の漫画が何かは知らぬ。
しかし、宗教じみた終末論も信じたくなるほど、今回の震災では大量の人の魂がこの地上から奪われたのだ。

地球物理学で解釈すれば、この震災はごくありふれた「日常」に過ぎない。
プレートテクトニクス理論によれば地殻プレートがずれ動く度にその境界では大規模地震が発生する。
三陸沖では何度も繰り返されてきたルーチンである。
近代、著明なものだけでも明治、昭和に起きているのは周知の事実。さらに大規模なものは1000年オーダーで発生するようだ。
地質学的スケールで言えば1000年など大した時間ではない。
たまたま「そのとき」が今だったに過ぎない。

にも拘らず、今回のようなカタストロフが発生するたびに人はそれを「神」の行いと直結させたがる。
人は自分に都合よく、この地球のルーチンを「神」の仕業と曲解し、己の利に導こうとする。
魑魅魍魎、有象無象な宗教やカルトが元気付くのもこんな時だ。
「反捕鯨」組織のシーシェパード然り。
三陸の捕鯨基地や遠洋漁業基地が壊滅したのは「海の神の怒り」に触れたからだという。
図らずも確かにタイミング的にはあまりにも彼らの主張に沿う事変に思える。
だからといって彼らの「意思」が津波を起した訳ではない。
彼らにとっては1000年に一度の宝くじに当たったようなものだ。
「偶然」が彼らを利しただけに過ぎない。

またこの震災は地震兵器による攻撃だったと解釈する者もいる。
実際、そんな兵器が実在するかどうかは知らない。
仮にあったとしてもこのような効果を引き出す性能を有するとは思えない。
たとえそんな能力があったとて費用対効果を考えれば、ここで地震兵器を使う戦略的意義があるとはとても思えない。

この震災を引き起こしたのは「神」でも「人」でもない。
地球のルーチン。ただそれだけの事だ。
地球は人の都合など気にも留めていないのだ。


テレビも新聞もまだまだ東日本大震災の報道が続いている。
どこかの老害知事が「花見は自粛しろ」等と言ったとか言わないとか。
その一方で、自粛が日本経済を萎縮させ、ますますこの「国難」を悪化させかねないという声も大きい。
電車に乗ってみると吊り広告の大半が空白になっている。
なにか奇妙だ。
紙、インクが不足しているのか?企業が宣伝を控えているのか?あるいはその両方か?
自粛が正しい行いなのかは知らない。
3万人余もの死者、行方不明者を出した自然災害からまだ3週間程。
国民全てが喪に服すのはもっともな事だとも思う。
一方で、経済活動が停滞すれば企業、個人ともお金が循環しなくなり生活が困窮していく。
大海で泳ぎ続けなければ酸素を取り入れる事が出来ない魚の如く、今の日本は否応にもお金を回さないと未来はないのだろう。

震災後の復興についても論じられているようだ。
三陸沿岸の町は山の高台に移すとか。
恐らくそんな構想は明治、昭和の大津波後も同じように練られたのだろう。
しかし、結局人は大津波前と同じように沿岸に居を構えた。

どこぞのアニメキャラクターが呟いた台詞。
「人は忘れる事で生きていける」を思い出す。

震災と津波はまだ人々の残像に焼きついている。
しかしいずれは忘却していくだろう。
高台に住居を移すには莫大な労力と資金が必須。
結局、そんなものは出てこない。
膨大な資金を投じて三陸沿岸の集落を高層化出来るほど日本には余裕はないだろう。
コストパフォーマンスを考えれば結局元の土地に家を建て直す他なくなる。
海まで長時間「通勤」しなければならない時間的ロスは高齢漁業者にとっては大きな負担だ。
10年後、気づいてみれば震災前と大して変わらぬ町並みが戻ってくるだけ。
東京も関東大震災で8万余、東京大空襲で10万余の犠牲者を出した。
その度に大胆な防災復興都市構想が幾度となく検討された。
が、結局そのような「理想論」は破綻し、気が付いてみると元の木阿弥。教訓を汲むことなく危険な超過密都市が野放図に広がっていくだけ。

恐らく、今回も同じ事の繰り返しだ。
1000年に1回の大津波に備えるよりも「明日の生活」なのだ。

「人は忘れる事で生きていける」

人間「喉元過ぎれば熱さ忘れる」生き物だ。
そうでなければ人は生きていけない。

桜は今年も開花した。
あと1週間も経てば満開だろう。
これもまた地球の営みの一つ。
「神」の御業でもなければ「人」の技でもない。
地球鼓動の一部だ。
暖かで穏やかな春の陽光も、桜の絶景も、そして凶暴な大津波も全ては地球の「意思」だ。
数多の生き物は己を生んだその大地の「意思」で何億年も生かされてきた。
地球の鼓動と生物の繁栄と衰退はシンクロしている。

そして人もまた、例外ではない。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/