震災から2週間
日常
震災から2週間が過ぎた。
余震も少しづつ減って直近の不安感からは多少解放されてきた。
ここは停電グループから除外されているので、このまま普通の生活に移行出来そうなものだが、やはり3月11日を境にバックグラウンドが一変してしまい、未だ「出口」はみえない。
東京23区内も実は準被災地みたいなもので、福島第一原発の問題が解決しない限り、この危機感は永遠に続く。
さて、この2週間、なにをしてきたか整理してみる。
まず、義援金。
ささやかながら同人誌の売り上げのうち、その一部をユニットを組んだ同人作家のご協力を得て義援金を振り込む。
実質的に震災に対しアクションを起したのはこれ位だ。
今の自分にとって出来る事はこの程度である。
一方、商業活動再開に向けての営業活動は滞りぎみ。この状況下ではなかなか動けない。
持込用原稿も、時勢柄あまり好ましいとも言えず、しばらく様子を見るほうが賢明か。
仕方なく、自宅で震災報道を時折確認しつつ、同人漫画の原稿に勤しむ。
それはさておき、震災報道の合間に流されるACのCMは妙に癒される。
「挨拶をしよう」とか「助け合いをしよう」という主旨のキャンペーンは普段ならノーサンキューでスルーする類のものだけれども、この状況下で流れていると不思議と納得する。
変にに構えた造りではなく、元々「穴埋め」的存在であったから良いのだ。
何回もリピートされてもまったく気にならない。逆に新鮮なのだ。
一方で、今回の震災用に新たに作られたACのCMは意図が明確なので鬱陶しく感じてしまう。
特にジャニーズの構成員が出てくるバージョンは押し付けがましさが濃厚で、すぐにチャンネルを変えたくなる。
タレントやスポーツマンの「励ましのメッセージ」なるものは本当に被災者の励みになるのか?
安全地帯から高みの見物と洒落込んでいる(ようにみえる)タレントからのメッセージなんか欲しくはあるまい。
被災地の真っ只中にいる人にとってはそんなメッセージを受け付ける精神的余裕があるとは思えぬ。
人気タレントや著名人は黙って支援資金を提供し、粛々と普段通りの活動をしていればいいのかも。
震災以来、あまり人とは会っていない。遠出して大きな余震にあったらという不安もある。
最近会ったのは学生時代の後輩位か。
彼は震災時、秋葉原に居たそうだ。電車は止まり、自宅の吉祥寺まで甲州街道沿いに歩いて帰ったそうだ。
いわゆる「帰宅難民」。途中携帯も通じず難儀したという。
自分は幸い、自室に居たからこのような体験は避けられたが、今後いつ同じ状況に立たされるやも知れぬ。
先日、東京都の水道水から乳児の許容量以上の放射性物質が検出されて、また俄かに不安が募る。
レベルは低いらしいが、そもそも東京がすでにフォールアウト圏内に入っていることを実感させる状況。
福島原発から東京まで200kmの距離があるが、世界的スケールからすれば、ほとんど隣接状態。
北東気流の気圧配置になるたびに放射性物質が首都圏に流れ込んでくる。
しかし、どうすることも出来ないのだ。
段々感覚が麻痺して己がすでに「被爆者」になっていることを理解出来ない。
近隣のスーパーから2リットル入りの飲料水が消えてしまった。
一時期、品不足だったパン、牛乳、米、納豆の類は物流が戻ってきている感じだが、電池、トイレットペーパー、オムツ、生理用品はまだ品不足が続いている。
福島原発の状況が好転しないと、東京の上水道の放射性ヨウ素のレベルが大人の許容量を超すことだってありうる。
都民が水を買い求めるのは、決して「買占め」ではなく「自己防衛」なのだ。
おそらく行政はそのとき何もしてくれないのを薄々悟っているのだろう。
いずれにしろ、この状況がつづけば様々な活動に深刻な影響が出てくる。
福島原発の避難範囲が拡大すれば避難民も増え、東京周辺へも逃れてくるだろう。首都の大方の公共施設は避難住民の臨時居住施設となる可能性がある。
当然、東京ビッグサイトもその対象になろう。大規模な同人誌イベントは開催が困難となる。
ゴールデンウイーク頃までに終息すればなんとか先は見えてくるかもしれないが、電力不足も相まって楽観は出来ない。
2011年は同人作家、漫画家にとっても受難の年になるかもしれない。
もっともこれだけ大規模な震災は「戦時」にも匹敵する訳で、サブカルチャーは真っ先に「自粛対象」にされてしまう。
東京という日本の首都がこれだけ危機に晒されるというのは、おそらく1945年以来だろう。
逆に言えば65年間、平安だったということ。
人生80年とすれば遅かれ早かれどこかで危機的状況に引っかかるのだ。
これも宿命だろう。
今は耐え忍ぶ時期かもしれない。
余震も少しづつ減って直近の不安感からは多少解放されてきた。
ここは停電グループから除外されているので、このまま普通の生活に移行出来そうなものだが、やはり3月11日を境にバックグラウンドが一変してしまい、未だ「出口」はみえない。
東京23区内も実は準被災地みたいなもので、福島第一原発の問題が解決しない限り、この危機感は永遠に続く。
さて、この2週間、なにをしてきたか整理してみる。
まず、義援金。
ささやかながら同人誌の売り上げのうち、その一部をユニットを組んだ同人作家のご協力を得て義援金を振り込む。
実質的に震災に対しアクションを起したのはこれ位だ。
今の自分にとって出来る事はこの程度である。
一方、商業活動再開に向けての営業活動は滞りぎみ。この状況下ではなかなか動けない。
持込用原稿も、時勢柄あまり好ましいとも言えず、しばらく様子を見るほうが賢明か。
仕方なく、自宅で震災報道を時折確認しつつ、同人漫画の原稿に勤しむ。
それはさておき、震災報道の合間に流されるACのCMは妙に癒される。
「挨拶をしよう」とか「助け合いをしよう」という主旨のキャンペーンは普段ならノーサンキューでスルーする類のものだけれども、この状況下で流れていると不思議と納得する。
変にに構えた造りではなく、元々「穴埋め」的存在であったから良いのだ。
何回もリピートされてもまったく気にならない。逆に新鮮なのだ。
一方で、今回の震災用に新たに作られたACのCMは意図が明確なので鬱陶しく感じてしまう。
特にジャニーズの構成員が出てくるバージョンは押し付けがましさが濃厚で、すぐにチャンネルを変えたくなる。
タレントやスポーツマンの「励ましのメッセージ」なるものは本当に被災者の励みになるのか?
安全地帯から高みの見物と洒落込んでいる(ようにみえる)タレントからのメッセージなんか欲しくはあるまい。
被災地の真っ只中にいる人にとってはそんなメッセージを受け付ける精神的余裕があるとは思えぬ。
人気タレントや著名人は黙って支援資金を提供し、粛々と普段通りの活動をしていればいいのかも。
震災以来、あまり人とは会っていない。遠出して大きな余震にあったらという不安もある。
最近会ったのは学生時代の後輩位か。
彼は震災時、秋葉原に居たそうだ。電車は止まり、自宅の吉祥寺まで甲州街道沿いに歩いて帰ったそうだ。
いわゆる「帰宅難民」。途中携帯も通じず難儀したという。
自分は幸い、自室に居たからこのような体験は避けられたが、今後いつ同じ状況に立たされるやも知れぬ。
先日、東京都の水道水から乳児の許容量以上の放射性物質が検出されて、また俄かに不安が募る。
レベルは低いらしいが、そもそも東京がすでにフォールアウト圏内に入っていることを実感させる状況。
福島原発から東京まで200kmの距離があるが、世界的スケールからすれば、ほとんど隣接状態。
北東気流の気圧配置になるたびに放射性物質が首都圏に流れ込んでくる。
しかし、どうすることも出来ないのだ。
段々感覚が麻痺して己がすでに「被爆者」になっていることを理解出来ない。
近隣のスーパーから2リットル入りの飲料水が消えてしまった。
一時期、品不足だったパン、牛乳、米、納豆の類は物流が戻ってきている感じだが、電池、トイレットペーパー、オムツ、生理用品はまだ品不足が続いている。
福島原発の状況が好転しないと、東京の上水道の放射性ヨウ素のレベルが大人の許容量を超すことだってありうる。
都民が水を買い求めるのは、決して「買占め」ではなく「自己防衛」なのだ。
おそらく行政はそのとき何もしてくれないのを薄々悟っているのだろう。
いずれにしろ、この状況がつづけば様々な活動に深刻な影響が出てくる。
福島原発の避難範囲が拡大すれば避難民も増え、東京周辺へも逃れてくるだろう。首都の大方の公共施設は避難住民の臨時居住施設となる可能性がある。
当然、東京ビッグサイトもその対象になろう。大規模な同人誌イベントは開催が困難となる。
ゴールデンウイーク頃までに終息すればなんとか先は見えてくるかもしれないが、電力不足も相まって楽観は出来ない。
2011年は同人作家、漫画家にとっても受難の年になるかもしれない。
もっともこれだけ大規模な震災は「戦時」にも匹敵する訳で、サブカルチャーは真っ先に「自粛対象」にされてしまう。
東京という日本の首都がこれだけ危機に晒されるというのは、おそらく1945年以来だろう。
逆に言えば65年間、平安だったということ。
人生80年とすれば遅かれ早かれどこかで危機的状況に引っかかるのだ。
これも宿命だろう。
今は耐え忍ぶ時期かもしれない。