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40年

日常
06 /13 2009
先日、久しぶりに幼稚園時代からの幼馴染と食事をする。
先日の原画展にも来て貰ったのだがしばらくゆっくり話もしていないので一席設けた。
歩いて3分くらいのところに住んでいるので会おうと思えばいつでも会えるのだがなかなかタイミングが合わない。
過去の日記でも何回か紹介したことがあるが彼は大手ゼネコンの技術者で海外出張も多かったのだが最近は地元勤務で落ち着いているようだ。
相変わらず独身で実家住まい。境遇は似ているが自分はニート引きこもりの一方、幼馴染はエリート社員な訳で生きているステージがまったく違うわけだが、住居や環境が近隣の上、長男で人生観が近いのか会話は不思議と噛み合う。
会話といっても小中学時代のクラスメートや先生の消息、阿佐ヶ谷周辺の環境の変化が主なテーマ。時間軸を垂直に辿る事が出来るのはこうして幼馴染と会うとき位だ。すでにクラスメートは息子娘が二十歳を迎える世代。正に気が遠くなる。独身者と既婚者の距離はもはや限りない。
50歳を迎える独身者はもう未来に対して希望とか展望はないに等しく、過去を振り返ることだけが「人生」となりつつあることに気が付く。
今更未来や現状を語ったところで虚しくなるだけ。
己の体力気力の減衰、親の介護、息苦しい社会情勢等など「負の義務」ばかり。
先細りで息苦しい未来しか見えない2009年。その先に新たな希望とかどう考えても思いつかない。
ふと、こんなことを妄想した。
40年前に配られた学校のプリントをクラスメートの女の子に今渡すことが出来たら。
あの時、渡し忘れたプリントを40年ぶりに届けるのだ。
いきなり女の子の実家に行ってプリントを差し出したらどうなるだろう?
勿論相手はこちらが誰だか解らないだろう。息子娘が出てきて「あんた誰?家のお母さんに何の用事?」と問われるかもしれない。
それでも自分はこう言うのだ。
「40年前、渡しそびれた学校のプリントがあったので今届けに来たんだ。ちょっと遅れてしまいごめん」
今や50歳になってしまったクラスメートの女の子にそのプリントを渡してみたら未来は変わるだろうか?
あるいは、自分が40年前に戻って10歳当時の女の子の前に現れてこう言うのだ。
「僕は40年後の僕だよ。君は40年後に僕の事を覚えているだろうか」
次世代に希望をバトンタッチ出来ない独身50男はこんな妄想をしながら余命を食い潰すのだ。
もっともそんなデカダンスな人生悲哀を夢想するのは自分だけで幼馴染はそんな悲観的感覚を持っていないだろう。経済力と社会的地位を獲得している彼にとっては幾らでもこの現実社会での自己現実は可能なのだから。彼が結婚しないのはニート引き籠もりが現実逃避しているのとは訳が違うのだ。
日を追うごとに社会から離反していくような刹那的恐怖と不安に苛まれるこの2009年。
ふと40年前と今とが昨日明日の差ぐらいにしか感じられなくなる瞬間がある。
40年前のクラスメートの女の子がすっと路地から現れたらどうしよう?
だが、今の自分は10歳ではなく、50歳なのだ。
恐るべき時間の隔たりがあることに驚愕し、この40年間はいったいなんぞやと自問自答する。
いや、自問自答する時点でだめなのだ。
二十歳近い娘息子を持ったクラスメートは、そんな自問自答している暇などなかろう。
次世代のために「自分」のことを考える暇はない。子供は勝手に育ち、勝手に未来を作り出す。
それを見守り育てていく世代が真っ当な50歳なのだ。
その対象が見出せない50歳は哀れな存在でしかない。

夜9時、会食を終え幼馴染と別れ家路に就く。
小学校の頃、よく遊んだ公園。夕方、久しぶりにここを通った時、日曜なのに子供の歓声は皆無だった。
少子高齢化はもはや重篤な段階まで来ているようだ。
ふと、無人の滑り台に40年前の自分の残像を見つける。
その残像は言う。
「お前の未来はこんな世界だったのか?これでいいのか?50歳の僕」
頭の中で筋肉少女帯の曲が響く。

「これでいいのだ。辛くともこれでいいのだ」

いや、いい訳ないだろう。
やっぱりこの2009年はどこか間違っている。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/